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How About You  作者: 春隣 豆吉
Main Part
10/22

The Nearness Of You

 その日、私は木ノ瀬くんと出版社近くの喫茶店で打合せをしていた。ここは隣の席が見えない構図になっていて、周囲の明かりは暖かなオレンジ色で隠れ家のような雰囲気を醸し出している。

 お店の人も出版社が多い地域で営業しているせいか呼ばない限り近寄ってこないし、たぶん同業者であろう人が出版社の人と思しき人と抑えた声で打合せをする姿はこの店ではよく見かける風景だ。

 出版内容についての打合せを終えて、灯ちゃんの話になった。

「そういえば竹倉が会社に復帰しました。彼女は僕にまでお土産をくれまして」

「灯ちゃんはそういう子だよ。私なんてお土産もらったうえに謝罪までされてしまったよ。本当に元気になるのは時間がかかるかも知れないけれど、彼女なら大丈夫よね?」

「ええ、竹倉なら大丈夫だと僕も思っています。先生、そろそろ出ましょうか」

「そうだね」

 私が伝票に手を伸ばそうとすると、すかさず木ノ瀬くんが持っていってしまい私は慌ててしまう。

「木ノ瀬くん、割り勘にしようよ」

「先生。僕におごられるのは嫌ですか?だとしたら僕はとても悲しいなあ」

 普段はすました顔をしているくせに木ノ瀬くんは本当に悲しそうな顔をする。こういうときだけ人の罪悪感につけこむようなことをする。

「わ、わかったよ。じゃあ……ごちそうさま、木ノ瀬くん」

 私がそう言うと、いつものすました顔に戻る。私が強硬に言えばきっと割り勘にしてくれるんだろうけど、なぜかいつもそれが出来ずに押し切られてしまう。その理由をちゃんと考えてみたほうがいいのかな。


 喫茶店を出たところで木ノ瀬くんがスマホに目を落とし、すこしだけため息をついた。

「先生。ちょっと編集部に立ち寄ってもらっても大丈夫でしょうか」

「平気だけど、何かあったの?」

「ちょうど文庫版のサンプルが届けられたらしくて編集長がチェックしてほしいそうです。すいません、タイミングが悪くて」

「大丈夫だよ。すぐチェックしてほしい気持ちは分かるから」

「……蒼……瀬戸、さん?」

 私たちの会話が途切れたときに聞こえてきたのは、心が少し痛む懐かしい声だった。でも、その痛みは私の隣で声の持ち主を怪訝そうに見ている木ノ瀬くんには知られたくなくて。

 さあ、心を立て直して、知り合いに見せているような表情を心がけて。

「久しぶりだね、戸塚くん」

「そうだね、7年……8年ぶりかな」

「うん、それくらいかも。ごめんね、私もう行かないと」

「瀬戸……俺あのとき言ったこと本心じゃなかったんだ。あのときはごめん。ずっと謝りたかった」

「うん、わかった。じゃあね」

 口角をあげてちゃんと笑って別れの挨拶ができた。

 木ノ瀬くんが案内してくれた会議室で、少しだけぼんやりする。忘れてた過去の恋愛が今頃になって顔をだしてくるんてことが、本当にあるなんて。そして、その恋愛で自分がいまだに傷ついていたことに気づいてしまった。


“蒼葉が作家になるからいけないんだ”

 吐きすてられるように言われた言葉。あの頃、書いていた少女小説がそこそこ安定して売れていてエッセーやマンガの原作などの仕事が入ってきて会社員と両立していくのが難しくなってきていた。そこでさんざん迷ったけれど仕事を辞めて専業作家になったばかりだった。

 戸塚くんは会社の同僚で恋人で、いずれは結婚したいなあなんて勝手に思っていた。だけど作家としての仕事が増えていくことが嬉しかった私は、彼の気持ちが離れてたことに気づいていなかったんだよね……。

 だから彼から別れを切り出されたときは青天の霹靂ってやつで。それで理由を聞いたら“蒼葉が作家になるから……”って言われて。まあ、あの別れを含めいろいろあったからこそ今の私は恋愛小説家として生活できてるから、もしかしたら恩人ってやつなのだろうか。

 戸塚くんの左手薬指にはリングが光っていた。もし私が作家じゃなくて会社員だったら、今頃私も彼と同じリングをつけていたのかな……やだな、私。なんて女々しい。

 そこでドアを開ける音がして、木ノ瀬くんが本を手に入ってきた。

「先生、お待たせしました。こちらがサンプルです」

「ありがとう。木ノ瀬くん、さっきは何も聞かないでくれてありがとうね」

「……先生」


 一瞬何が起こったのか分からなかった。私のことを抱きしめている細いのに力強い腕。肩に感じる彼の気配。

「き、木ノ瀬くん?」

「先生……さっき、無理して笑っていましたよね。僕の前であんな顔をしないでください。それと立ち入ったことを聞いて申し訳ありませんが、あの人は先生の元彼ですよね」

「え」

 なんで木ノ瀬くんに分かったの?

「どうして分かったか不思議ですか……僕をなめてもらっては困ります。先生は付き合いの長い人にはその表情の変化はまるわかりなんですよ?」

「……木ノ瀬くん、実はエスパーでしょう」

 私がそう言うと、彼がくすっと笑うのがわかった。その息がちょっと耳に近くてどきっとした。

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