15.鈍色の白銀(十三)
「お前は、一体何者なんだ!?」
自分が窮地に追いやられていることに、これまでダシュトとの銀取引で暴利を貪ってきた行商人ダポは焦り始めている。どうにか取り繕ってはいるが、その焦燥は恵里にも伝わってくるほどだ。
「私は新野田恵里。シェド神の従者としてこの村の悪因を断つことが私の使命」
言いながら、ちょっと大げさすぎたかと恵里は気恥ずかしくなったが、まあこの際だからいくらかハッタリを織り交ぜたって構うまい。
「ハッ、神の従者だと?馬鹿馬鹿しい。神が銀取引などできるわけがなかろう」
「私が取引をするわけではありません。この契約書にもある通り、取引はオルロ商人組合が行います」
「オルロ商人組合とは?」
そう恵里に尋ねたのは、当事者ながら蚊帳の外に居たイェーラだった。この村の行く末のことなのに、村人の意思などまるで確認せずに話を進めようとしていた自分を恵里は恥じた。
「東の山脈を越えた先にニールバーという国があり、オルロはその中心都市です。そしてオルロを拠点に国全体の経済を取り仕切っているのがオルロ商人組合なのです」
「ニールバーだと!?」
ダポが大きな声を出した。恵里ではなく、周りで遣り取りを見守る住人たちに向かってダポは訴え掛ける。
「罠だ、騙されるな!ニールバーは、オルロは、いかにも遠い。輸送するだけで数十万ラルードは必要だ。一万五千ネイ、つまり十五万ラルードなどいう相場で割に合おうはずがなかろう!」
ダポは呪い除けの失策をどうにか挽回しようと必死だ。当然だろう、こんなに美味しい金づるなどそうそうあるわけがない。一方でダシュトの面々はこの時はじめて売買契約で提示されたのが破格の高レートだと気づいたようだ。図らずもダポがネイをラルードに換算してくれたお陰である。
「一キロが十五万ラルードということか!?信じられん!」
「そうだ、ダポさんの言うとおり、何か裏があるのでは……」
恵里に不信の目が向けられるのを見て取り、ダポは少し自信を取り戻したようだ。顎をぐいと持ち上げて言い放つ。
「どうせ経費の請求や精煉度に難癖をつけ、代金など支払うつもりはないのだ!」
その時、村人たちがざわついたのはダポの台詞を真に受けたからではなかった。突然広場に影が差したからだ。誰かが空を見上げて指を指し、叫ぶ。
「小屋が、空を飛んでいる!」
そう、突如として現れた影の主はリリィの”無頭立て”である。言われてみれば車輪のついた小屋に見えなくもない。”無頭立て”は広場の真ん中に静かに着地し、御者台からリリィが下りてきた。
「ナイスタイミング」
恵里が小さく声をかけるとリリィはニッと笑った。
「実はね、建物の影からこっそり様子を見てたの。こうやって登場したら印象深いでしょ」
「すごいインパクトだよ。さすが、リリィ」
リリィは照れくさそうに首をすくめ、荷台の扉を勿体ぶった仕草で開く。そうして薄暗い荷台の中からゆっくりと歩み出て来たのは、オルロ商人組合の重鎮セミオン。ケチな行商人のダポとの格の差は、セミオンの人となりを全く知らないこの村の者にとっても一目瞭然だろう。
「だ、誰だ、あんた……」
あまりにも存在感が違う。ダポは狼狽の色を隠せない様子で喘ぐように言った。
「こちらはオルロ商人組合代表、セミオン・エイデック氏です」
恵里がそう紹介すると、ダポは目を見開いた。ケチな行商人といえども商売人の端くれ、その名は知っているらしい。
「われわれオルロ商人組合は、契約を重視する。契約書の文言に嘘偽りはない。仮に条項の追加変更をする場合は互いに協議の上で行う。それぞれが契約書を保管し、一方が勝手に加筆修正したとしても当然認められるものではない」
セミオンはさすがの貫禄で静かに、しかし威厳のある声で言った。どんなに猜疑心が強い者でさえもあっさりと信じさせてしまうような、そういう力強さに満ちた言葉だった。例え恵里が十の言葉を積んでも決して住民たちを納得させられはしなかっただろう。これが一代で頂点までのし上がったセミオンという男の胆力なのだ。
「だ、だが……っ!」
気圧されながらも声を上げたダポの商人魂はある意味見上げたものかもしれない。額の汗を拭い拭い、ダポは搾り出すように続けた。
「ここへ行商へ来るのは俺一人だ!俺がいなければこの村の者はたちまち生活に困るはずだ。銀取引をそっちに乗り換えるというなら、俺は二度と行商には来ないが、それでもいいと言うんだな!」
再び広場の住民たちは互いに顔を見合わせてざわついた。行商に来るものがいなければ村での生活は立ち行かなくなる、それは確かにダポの言う通りだからだ。だがセミオンはダポの最後の切札である脅し文句を一笑に付したのだった。
「さて、私も君と同じく商人だ。みすみす商機を逃すようなことをするとでも思うのかね?」
そうしてセミオンが目配せをすると、リリィは待ってましたとばかりに荷台から荷物を満載した台を引っ張り出した。積み下ろしが楽になるように、かつそのまま商売がしやすいように、荷台の中は入れ子式になっていて台ごと引き出せるように細工しているのだ。リリィが移動魔法を使えるからこそできたことである。
「今回は初めてだから食料品に日用品、衣類雑貨色々用意してきた。今後はご希望に沿った内容にするつもりだがね」
荷台に満載された品物の数々にダシュトの住人たちは目を見開いて声を上げた。それもそのはず、広場の隅に停まっているダポの物と思しき荷馬車に積まれている物とは雲泥の差である。
「どうぞ、ごゆっくり御覧ください」
セミオンが持ってきた品物を手で示して「さあ」と促せば、村人たちはわあっと荷台を取り囲んだ。新鮮な食料品、服飾品、日用品、雑貨類……それらは不遇な生活を強いられてきた彼らにとっては初めて見るような質の高いものばかりのはずだ。この村の質素な生活に触れた恵里には彼らの興奮がよく分かる。村の銀の、ひいては彼ら自身の、正当な価値を今まさに住人たちは肌で感じ取っていることだろう。
「クソッ、クソッ、クソッ!!」
盛り上がる住人たちと質問を受けるセミオンを離れた場所から睨みつけ、ダポは歯噛みして悔しげに足元の土を蹴る。そうしてその目に過ぎったギラつきぬめった光。恵里には見覚えがあった、ああ、あの目は。己の企みをすべて暴かれ断罪された武器商人デンインが、恵里を突き殺そうと突進してきた時のあの目だ。あの時は腰を抜かして対処はおろか逃げることすら出来なかったが、今は違う!
恵里はダポが動き出すよりも一息早く走り寄り、腰の剣に手を伸ばそうとしたダポの右手を掴んでひねり上げた。
「商人なら、商売で勝負するものでしょう」
「離せっ」
恵里とて体術に明るいわけではないが、魔法の力を借りれば鍛えることなどとは無縁だった小太りの男を抑えこむのには苦労しなかった。
「西の街じゃあ魔法は忌み嫌われているそうですねぇ。実は私はその魔法使いなんですよ。私は今あなたに呪いを掛けました」
「でたらめを……」
無論、でたらめである。恵里は呪いの方法など知らないし、何より魔法を生身の身体に掛けることはできない。だがそれっぽく見せることはできる。恵里はダポの身につけている服飾品に浮遊とは逆の魔法、加重の魔法を掛けた。最初は軽く、じわじわと強くしていく。
「身体が重くなってきたでしょう。息苦しくないですか?心臓が絞られるように痛くありませんか?」
未知の感覚はダポに烈しい動悸をもたらし、そのせいで息が上がって心臓が締め付けられているような錯覚に陥るはずだ。呪いというのは心理戦、と以前魔女アーデルに聞いたことがある。外的な要因がなくても人の身体は心理的な要因で容易く不調をきたすのだと。恵里の誘導にダポは簡単に引っかかった。
「苦しい……っ」
息も絶え絶えに、ダポは縋るような目を恵里に向けた。その何倍も苦しい思いを村の者達にさせておいたくせに、この業突張りの因業爺が。死んでしまえばいい。恵里は拳を握りしめた。
「た、たすけてくれ……」
「……」
ダポは身体の重みに耐え切れずに両膝を付き、まるで神に祈るように両手を組んで恵里を見上げる。あまりにも情けなく哀れっぽい姿だ。恵里は冷ややかな目でダポを見下ろした。
「村に近づいたり村のことを誰かに話せば呪いは強まりお前は死ぬ。遠くへ離れこの村のことは忘れろ。そうすれば命だけは助けてやる」
自分がひどく冷たい声を出している自覚はあった。他人へこんなに強い憎しみを向けたことは今までにない。胸の内の毛羽立ちを逆撫されるような感覚に恵里は眉をしかめた。
「ひ、ひいっ」
恵里が少し加重魔法を弱めるとダポは転げるように走り出し、広場の隅に停めていた馬車に飛び乗って一目散に村から逃げ出した。恵里はその後姿を睨みつける。そんなに命が惜しいか。この村の人たちを自分の儲けのためにさんざん苦しめてきたくせに。その行く手にある木をお前目がけて倒してやろうか。死んだって自業自得だ……
「おい」
ポン、と肩を叩かれた。振り返ると、ジッロだった。
「お前すげぇ顔してるぞ。自覚あるか」
恵里はハッと我に返った。自分は今、何を考えていた?
「ああ、……危ないところだったよ」
「はぁ?何だよそれ、大丈夫かお前」
「うん、もう大丈夫」
握りしめた拳が冷たくなっていた。この村に来てジッロに助けられるのは二度目だ。恵里は拳を解いて手の平を擦り合わせ、口の中だけでそっと呟く。
「ありがとう、ジッロ」




