15.風変わりな常連客
誰しもが一度は夢に見るだろう自分の店。それがこんな所でこんな形で実現するとは、人生って本当に何が起こるかわからない。恵里はレジカウンターから店内の様子を眺めてほうっと息を吐き出した。
恵里のパン屋は区画の角にある居抜きの物件を改修したもので、半分を販売と厨房スペース、半分を喫茶スペースにしている。もともと店の大部分を占めていた厨房を四分の一程度まで縮小したので、喫茶部分にも十分な広さが確保できた。それほど厨房が大きかったのは製パンに人員が必要だったからだ。パンを捏ねるのは結構な重労働で、元のパン屋では数人がかりで製パン作業をしていたそうだ。一方で恵里は従業員を雇う余裕はない。
そこで考えたのが魔動製パン機である。魔法で回転する大きな寸胴鍋に真っ直ぐな固定の棒と螺旋状の回転棒を入れて生地を捏ねるというものだ。ジッロの協力の下で試行錯誤を繰り返した結果、捏ね上がった生地の状態が一番良かったこの形に落ち着いた。製パン機を導入したおかげで作業スペースの削減になり、空間の節約にも繋がった。何より時間と体力をかなり奪われる手捏ね作業から解放されたことは大きい。成型に時間を割けるからバリエーションを増やせるし、余裕のある店舗運営ができるようになった。
厨房の前のカウンターにはレジとコンロを置いている。ハーブティーは対面で淹れられるのがいい。カウンターの中からは店内が見渡せた。時刻は午後三時、喫茶では常連客のリリィがハーブティーをひとり楽しんでいる。
準備期間の一ヶ月、恵里はあちこちを奔走した。内装の改装工事、材料の仕入れ、製パン機の開発…そのうちの工事と仕入れに関してはセミオンの紹介状が絶大な威力を発揮した。威圧的だった大工は愛想の良いおっちゃんになり、高圧的だった穀物商は少額の取引にもかかわらず下にも置かない扱いで高価な紅茶を勧めて来る。セミオンの影響力がこれ程とは、と恵里は改めてそんな彼と知り合えた幸運に感謝するのだった。
そうして開店してから数週間が経ち、恵里が何とかパン屋の店主に慣れてきた頃である。共同住宅時代からの客に加えてすでに何人かの常連と呼べる客がいたが、その中で特に異彩を放っているのがリリィだった。朝六時の開店直後に朝食を、それから午後三時頃再びティータイムを過ごしに来てくれる。オープン初日からほぼ毎日このスタイルなので、いったいどういう職業なのかは分からないが、それなりに金と時間に余裕がある生活のようだ。
リリィが特異なのはその頻度ではなくて、格好のほうだった。可愛らしいフリルのドレスを着ているが、ジッロに勝るとも劣らないがっしりした体躯。そして野太い声に女らしい言葉遣い。端的に言えば、オカマである。
「ねぇニーノ、やっぱりシナモンロールもいただくわ」
焼きたてのシナモンロールの香りにリリィはとうとう陥落してしまった。ダイエットするのだと宣言したのはつい三日前だったのだが。恵里は苦笑して、熱々のシナモンロールをリリィのテーブルに運んだ。格好はまあ常軌を逸してはいるけれど、気のいい性格のリリィのことを恵里は好ましく思っている。
カラン、と入り口のドアに付けたベルが鳴った。見れば、若者二人連れだ。ホットドックを食べに時々来てくれるので何となく顔は覚えていた。
「ホットドッグ」
「俺も」
ガタガタと乱雑に椅子を引いて座り、横柄な態度でそう注文する。ガラはあまり良くない感じの二人だった。といって、客の選り好みなどできないから恵里は愛想よく対応した。
「ニーノ、私にもハーブティーのおかわりを」
リリィが軽く手を上げた。恵里が答える前に、若者二人が吹き出した。
「ニーノぉ、アタシにもぉだってよ」
「キメェんだよバケモンが色目使いやがって」
「鏡見たことあんのか、でけぇ図体して気っ色悪ぃ」
二人は口々にリリィを罵って爆笑した。彼らはそれを気色悪いと表現したが、リリィの体格は若者たちを凌駕している。力勝負になればリリィが負けることはないはずだ。だが、リリィは青い顔をして俯いている。その肩は小さく震えていた。
「あんたも迷惑だよな、こんなやつに居座られてさぁ」
「そうだね、出て行ってもらおうか」
リリィはハンカチで目頭を抑え、ガタッと椅子を蹴って立ち上がった。
「違う、リリィじゃない。出てくのはアンタたちだ」
恵里は若者二人にドアを示した。
「はっ?アンタあのバケモンの肩持つわけ?」
「お仲間ってことかよ、マジ気持ち悪ぃ」
「そんな奴が作ったもん食えるかっての」
「キメェオカマの店って宣伝しといてやるよ」
若者二人が椅子や机を乱暴に蹴りながら店を出て行くと、恵里は立ち上がったままのリリィの背を優しく撫でて座るように促した。
「嫌な思いさせちゃってごめんね」
恵里が言うと、リリィは首を振った。
「そんな、違うわ。ごめんなさいニーノ、悪い噂が立てられちゃったら…」
「そんなことでどうかなるような商売はしてないよ。それに、助けを求める女の子を助けるのは当たり前のことだからね」
おそらくリリィは若者たちを力でねじ伏せようと思えばできたはずだ。けれどもそうはしなかった。酷い罵声を浴びせられてリリィを覆ったのは怒りではなく悲しみだった。傷つき、涙を浮かべて耐えている反撃の出来ない者を庇うのは当然だろう。恵里はエプロンの裾でリリィの目元を拭ってやった。
「あんまり優しくしないでよニーノ。惚れちゃうわよ」
「光栄ですよレディ」
「嫌だわ、アンタ女でしょう?」
「関係ないからリリィはリリィなんじゃないの?」
「その通りだわ」
リリィは困ったように笑った。恵里は厨房に戻ると、リリィのためにとびきり甘いミルクセーキを作った。落ち込んだ時には甘いものが一番の特効薬なのだ。




