13.二人の友人、幸福と軋轢
「素敵な試食会だったわ」
「ミーズが裏方で采配を振ってくれたおかげだよ。目端が利くっていうのかなあ、隅々まで気を配ってくれて。感謝してる」
「うむ」
セミオンが誇らしげに頷く。実際、ミーズの振る舞いはホストの妻として完璧だった。例えば誰かが服を汚したとか、お茶をこぼしたとかそういう時はそっと使用人に目配せする。例えば所在なさそうにしている人がいれば、さり気なく声をかけたりどこかのグループに誘導したりする。出しゃばりもせず、かといって夫の後ろに隠れているわけでもない。自分に求められる役割を理解してそれを過不足なくごく自然にこなしてみせるのは、育ちの良さもあるだろうし本人の資質にも依るのだろう。
「ニーノ、今日はよくやってくれた。皆の評価も悪くなかったぞ」
セミオンの言う皆というのには、おそらく顧客になる人の他に商人組合の上層部のことも入っている。店を持つことには少なからずそうしたしがらみもあるだろう。恵里は商人の末席に座ることを認められたということだ。
「セミオン、ミーズ、本当に今日はありがとう。とても実りある試食会だったと思う」
「これなら安心して援助できると確信したよ。固定客はすぐにつくだろうし収益も安定して上げられるだろう」
セミオンの太鼓判である。恵里は恭しく頭を垂れた。
「ご期待に添えるよう努力します」
「ひと月以内の開業を目処に準備してくれ。ああ、そうだ、紹介状を書いてやるからちょっと待っていなさい」
セミオンの背中を見送った後、恵里はミーズに向き直った。一緒にいた頃よりもずっと肌の色艶が良い。生活の質が高くなったこともあるだろうが、やはり心労から解放されたことが一番大きな要因だろう。
「ここでの生活はどう?もう馴染めた?」
「ええ。皆さんとても良くしてくださるし、セミオンがそばに居てくれる。怖いものなんて何もないの、夢の様な毎日だわ」
「幸せそうだ、ミーズ。前よりもずっと綺麗になった。キスしたいな」
「いいわ、唇以外なら」
いたずらっぽく笑うミーズの細い腰を抱き寄せ、恵里はその白く華奢な首筋に鼻先をすり寄せる。
「いい匂い」
「香りの良い石鹸を使わせてもらってるもの。このお屋敷には大きなお風呂があるのよ」
「いいなあ」
ひとしきり抱き合ったままクスクスやっていると背後から「いい加減にしろ!」とセミオンの怒声が響いた。
「いつまでくっついている気だ!」
セミオンはミーズを奪い返し、ふうふうと鼻息荒く恵里を睨む。女同士でこれだけ嫉妬するのだから、セミオンの盲愛ぶりが伺えるというものだ。呆れるけれど、嬉しくもある。陳腐な言い方だが、ミーズの凍った心を溶かしたのは紛れもなくセミオンの深い愛情なのだ。幸福な友人の姿は恵里の心も明るくする。
「それでは、邪魔者は退散いたしましょう」
恵里は芝居がかった仕草で一礼し、踵を返した。
「また遊びに来てね」
ミーズの言葉に振り返れば、二人とも笑顔で見送ってくれている。恵里も笑顔で手を振った。
セミオンの屋敷を後にした恵里が向かうのは行きつけの酒場だ。久しぶりに酌み交わそうとジッロと約束をしていたのだ。
「ごめん、だいぶ待たせちゃったかな」
「先に飯食ってたから構わねえよ」
ジッロの寛容さに感謝しつつ、兎にも角にもまずは乾杯。木杯の縁をコツンと合わせて再開を祝う。試食会の準備中は忙しくてゆっくり話もできなかったのだ。
「それよりもさぁ、俺はお前がパン屋始めるなんて、しかも店を持つなんて初耳だったぜ」
「…ごめん。本当に急に決まったんだ」
「それにしたってロレントを出てから一度も連絡しやがらねえくせに、突然鉄板を用意しろとかあんまりじゃねえか」
「実を言うと、今までまともに働きもしないで女の子の部屋に転がり込んでたもんだからさ…」
「なんだそりゃ、ヒモってことかよ」
「口を糊する程度の稼ぎじゃ部屋を借りる余裕もないし。ジッロの言うとおりのヒモ生活だよ。恥ずかしくてとても連絡なんかできなかった」
「そうだったのか」
ジッロはゴクゴクと喉を鳴らしてコップを空け、ふうっと息をついた。
「俺さ、お前がなんだかどんどんすげー奴になってくから、置いてかれちまったような悔しいような気がしてたんだ。お前、領主様には古い友人みたいな態度だし、今度は王都オルロで店を構えるって言うし」
「いろんな偶然が重なった結果だよ、本当に幸運だったんだ」
「領主様に尋ねられただろ、お前との関係はって。あの時俺は何て答えれば良かった?俺はお前の友人には相応しくねぇってことか?」
「違う!まさか!」
恵里は小さく叫んだ。大切な友人にこんな思いをさせてしまったのは自分が不甲斐なかったせいだ。自分を良く見せたくて、みっともない姿を知られたくなくて、連絡ひとつせず経緯の説明すらしなかった。…最低だ。
「じゃあ領主様の質問の意味はなんなんだよ」
ジッロからすれば、男同士なのだから友人以外の選択肢などない。どういう関係かという質問自体に違和感を覚えるのは当然だ。
「伯爵の真意は分からないけど、交友関係に口出しされる筋合いはないよ」
「お前はどうなんだ?え?お偉いニーノ様は俺みたいな下賎な男に友人面されると迷惑なんじゃねぇのか?」
「そんなこと…っ!」
恵里は思わず声を荒らげて立ち上がった。
「そんなこと、思ったこともない!ジッロは私にとって大事な友人だよ!」
ざわついていた酒場は静まり返り、熱い友情宣言をぶち上げた恵里は注目の的である。ジッロはそんな恵里をニヤニヤしながら見上げていた。
「感動もんだぜ」
一杯食わされたと気づいた時にはもう遅い。居合わせた客からのからかいの口笛と拍手に囃され、恵里は顔を真赤にして小さくなった。穴があったら入りたいとはこのことだ。
「…ひどいよ、ジッロ」
「ひどいのはお前の方だろうがよ。違うか?」
「見栄のために友情を蔑ろにしたのは私だもんね、違わない。申し訳なかった」
恵里が真摯に頭を下げると、ジッロは大きな手で恵里の頭をグリグリと撫で回した。そのまま顔を上げられないよう押さえつけて、ジッロが照れたように言う。
「へへ、俺もさ、お前のこと大事な友人だと思ってるぜ」
恵里は嬉しくて泣きそうになってしまった。やっぱりジッロは最高の友達だ。こんなに良い奴はなかなかいない。もう二度と彼に余計な気を回させることのないように、もう二度とあんな皮肉を言わせることのないように。このかけがえのない友を、この友情を大切にしよう。恵里はそう固く心に誓うのだった。




