対話
五時間目と六時間目の間に、ボクは先ほど食べられなかった弁当をいそいそとかき込んだ。
エルナの方をちらりと見ると、4,5人の取り巻きのせいで食事どころではないようだった。たまにエルナ以外のクラスメートからこちらに視線が向けられるところをみると、ボクとの関係について聞かれているのかもしれない。
口裏を合わせるべきだろうか。一瞬そう思ったが、他のクラスメートと話さないのだから、口裏も何もあったものではない。エルナの良心に期待するのが、ボクに出来る精々であった。
六時間目の古文の授業もつつがなく終わり、素早く帰宅の準備を整えると、誰よりも先にクラスの扉に手をかける。視界の端ではエルナがまだカバンの中に教科書を仕舞ったりしていたが、わざわざ一緒に帰りたい相手でもない。
ここは戦略的撤退が最善である。
だが、その思惑は扉の先にあった光景によってあっさりと覆された。
「よっ、みっくん」
驚いたことに、そこにはいつものは保健室でボクを持っている眞子が、校舎の白い壁に寄りかかりながら立っていたのだ。ちなみに彼女の右手はかのドリフのリーダーのように、頭の少し上でチョップをするように振りぬかれていた。
「何かあったのか?」
「もう、みっくんは心配性だなっ。今日はちょっとアポイントがあって一緒に帰れないから、それを伝えに来ただけだよ」
「別にそれくらいメールでいいんだぞ」
眞子はこれで色々と立場がある身だ。必然、動かせない用事というものもあって、学校を早退するときなどはメールで連絡することになっていた。
「まったく、みっくんは相変わらだね。口じゃないと伝わらないニュアンスみたいなものもあるわけじゃないですか」
それだけで、眞子が何を言わんとしているのかボクには分かってしまった。付き合いが長いというのは、こういうときには便利である。
「お前な、別に、今日たまたま一緒に帰らないくらいで、エルナのことで何か思ってるなんて勘違いしないぞ。そんなに狭量なやつじゃないことぐらい、ボクだって分かってるよ」
「あー、そうじゃなくて変に気を回したと思われなくないって話だったんだけどね。みっくん、そういうの嫌いだし」
決まり悪そうに言う眞子を見て、ボクは恥ずかしげに視線をそらした。
「なんだ、自意識過剰だったわ」
「大丈夫だよ、みっくん。それは別に自意識過剰じゃないから」
眞子は実にハキハキとした声で、ボクの韜晦を否定した。
「なあ、ここはボクに聞こえないぐらいの小さな声で、ボソボソと否定する場面じゃないのか」
「え?何だって」
鈍感主人公の座を眞子に盗られて、ボクは内心で歯噛みをする思いであった。
「まっ、冗談はさておき、そろそろ行くね。校門の前に車待たせてるんだ」
スマホで時間を確認して、眞子は足早に去っていった。おそらく車というのはあのスモークガラス完備の黒塗りのハイヤーのことだろう。何度か乗せてもらったことはあるが、ボクにはあれで下校する度胸はなかった。
眞子はもうオカルト部以外の学校生活は切り捨てているのだろう。
そう思うと、少しだけ胸が痛んだ。しかし、世間はそんなボクのちっぽけな感傷に付き合ったりはしてくれないものだ。
「それでは一緒に部室に行きましょうか」
先ほどから一歩離れた場所でこちらの様子を窺っていたエルナが、眞子とタッチするような形でボクに話かけてきたのだ。
「拒否権は?」
「あると思いますか?」
小さなため息。それがボクの回答だった。
エルナとの道行きは地獄だった。
部室棟へと入る時点までで、7人の男が彼女に何らかのアプローチを仕掛けてきて、ことごとく撃退されたあげく、恨みがましくボクの方を見るのである。
その内の2人は、将を射らんすればまず馬からの理屈でボクに猫撫で声で懐柔を頼んできたので、何とも対処に困った。ボクには無視以外の手はないのだが、相手からすればよほど嫌な奴に見えたに違いない。
明日からの学校生活に一抹の不安を抱えつつ、オカルト部の扉の前に立つと、そこには一枚の張り紙が張られていた。
「あとはお若い人だけで、ごゆっくり」
ボクが何となくイラっときて、その張り紙を破り捨てた。すると、その下にあったもう一枚の張り紙が目に入った。
「きのうは、おたのしみやったね」
それっきり、部室の扉はうんともすんとも言わなかった。
「どうしたのですか?」
「いや、部長が開けない限り、この扉絶対に開かないんだよね」
「それは困りましたね」
そう言いながら、エルナの手には既にあの両刃剣が握られていた。朝から見ていて思ったことだが、彼女にとって異能というのは手足のようなものなのかもしれない。
そういう生き方というものを想像して、ボクは何とも言えない気分になった。
エルナはその場でレーヴァテインを扉に向かって振り抜くと、扉はまるで飴細工のように溶け落ちた。
かなり珍しいことに、部室の内部には部長は存在しなかった。
しかし、エルナがそれが椿事だと気づくはずもなく、昼休みと同じく左側の机の上に荷物を置いて、そのまま椅子に座ってしまった。
ボクとしては、少しばかり部長不在の状況で部室の内部を検分したいという欲求もあったのだが、相手が座ってしまった以上、1人で立っているわけにもいかない。定位置である右側の席に座ろうとすると、椅子の上に一枚の紙が置かれていた。
「アツアツなのも大概にして欲しいわ」
ふと入口の方に目をやると、溶け落ちたはずの扉がいつの間にか復活していた。エルナもそちらを一瞥したようだったが、特に感想は何もないようだった。
ボクはその紙を握りつぶすと改めて席に座った。すると他に誰もいない空間だけに、二人の間にある距離が妙に強調される。眞子なら、ルビコンの故事でも持ち出すところかもしれない。
沈黙。沈黙。沈黙。
先に折れたのは、驚くべきことにボクだった。セガールと争えるほどの沈黙の達人であると自負していたのだが、エルナの恐ろしい目力に完敗と言ったところであった。
「日本語上手いよね」
また沈黙がおちた。流石に当たりさわりがなさ過ぎたかと反省していると、エルナが呆れと軽蔑を混ぜ合わせたような口調でぽつりと言葉をもらした。
「それも知らないんわけですか?」
「ごめん。何か言っちゃいけないこととか言ったかな」
「いえ、少しばかりビックリしただけです。神火の所有する神秘にかかれば、言語の学習など容易いものですから」
「えっと、火蛾って、あの、人の意識を奪う力ってことでいいんだよね?」
少なくとも、部長の口ぶりではそういうことになるはずだ。
「ええ、間違いではありません。ですが、正解とも言えませんね。あれの本質は「精神の共有」ですから」
「変換って、つまり、テレパスみたいな?」
「というより、テレパスという概念が、火蛾をモデルに作られたものだと聞いています。対象の精神にショックを与えて虚脱状態にしたり、脳内を盗み見たり、暗示をかけたりと、色々と可能ですよ」
「なるほど、そういうことが出来るなら、言語の一つや二つ簡単に話せるようになるか」
「簡単というほどではありませんが、慣れた人間なら1時間もその言語を母国語にする人間の内側を覗いていれば、流暢に話せるようになりますね」
「リスクとかないの?」
「もちろん、ありますよ。というかリスクしかありません。火蛾を使ったまま発狂した人間はいくらでもいます。わたし達の精神は容易く移ろいます。今日上手く出来たからといって明日も上手く出来るとは限りませんから」
そこでボクは一つの疑問に突き当たった。部長は彼女のところの組織が、世界の四分の一のエネルギーを握っていると言っていたのだ。
だが、彼女の説明を聞く限り、火蛾ではそんなことを出来そうにない。第一、エルナはついさっき、物理的な熱量で扉を溶解させたばかりなのだ。
その旨を訊ねるとエルナはまた呆れたような顔をした。
「それは真名召喚の作用の一つです。神火はその名前もあって、火にまつわる多くの神具の真名を把握しています。わたしのレーヴァテインも言うまでもなくその一つです」
「召喚っていうのは、呼び出すだけじゃないの?」
「ええ、真名というのはその存在の本質なようなものです。それを召喚するということは、その存在にまつわる全ての概念を利用できるようになるということですから。というか、本当に何も知らないんですね。真名召喚は、共有神秘の中でも最も初歩的な異能なのですが」
最後のあたりは割とはき捨てるような感じだった。机の上にのせられている指先の動きを見る限り、本気でイラついているらしい。
「なるべく、そういうのとは関わらないようにしてたんだよ」
「そこが納得できません。貴方の力があれば、もっと好き勝手に振舞えるはずです。何故、そうしないのですか?」
エルナの口調には明らかに非難の色があった。あれだけ好き勝手に異能を振り回している彼女からすれば、こちらの生き方は理解不能ということなのだろう。
ボクは自分の後頭部の髪をかいた。どう説明したものだろうかと悩み、結局は時間軸通りの話すのが簡便だろうと結論する。
「ボクが十歳のときかな、友達の女の子の両親が交通事故で死んだだよ」
ボクは何かを言わんとするエルナを手で制して、とつとつ話を続ける。
「そのときのボクは、まだ自分の力に自覚がなくてさ。公園で1人で泣いてるその子を見て、馬鹿みたいなことを言ったんだ。ボクは馬鹿だったからさ、その前の日で見たオカルト番組に影響されたんだろうな。「眞子ちゃんのお父さんとお母さんは、UFOに連れ去られただけだよ。きっといつか帰ってくるよ」って、笑っちゃうだろ?」
「一つ聞きますが、そのときの眞子は?」
「別に頭が悪かった記憶はないけど、普通の女の子だったよ。ボクはたぶん眞子をどうしようもないほど天才にして、同時にどうしようもないほど孤独にしたんだ」
「真に優れた人間は、たとえ社会的に成功したとしても、決して社会に受け入れられることはない。そういうことですか」
エルナの顔に何の表情も浮かんではいなかった。だが、それが逆に彼女の心情を雄弁に語っているようだった。おそらく、彼女にも思い当たるふしはいくらでもあるのだろう。
「だから、ボクは生きてる限り、たぶん、ずっとこういう人間だよ」
「眞子がそれで喜ぶとは思えませんが」
少なくとも、わたしなら喜びません。言外にエルナはそう言っているようだった。
「別に喜ばせようとしてるわけじゃないからね。眞子の傍にいようとしたら、これぐらいは当然だってだけの話だよ。ボクは眞子が大丈夫になるまで傍を離れないって、そう自分に誓ったんだ」
エルナはじっと撲をその黒い瞳で見つめた後、視線をふいにそらすと、小さく鼻で笑った。
「ただの無気力ではないわけですか」
「たぶん、それもあると思うよ。人を押しのけてまで、何かをしたいって性分でもないからね」
出来るだけ無気力に見えるように顔の力を抜いて笑みを形作る。
「わたしは押しのけられたように思うのですが?」
「いや、あれは正当防衛というか、こんなことになるとは──ごめん」
驚いたことに急にエルナは腹をかかえて笑い出した。何がツボに入ったのか分からないが、それから20秒ほど彼女はずっと笑い通しだった。
「謝られるとは思いませんでした。変──面白い人ですね、四条御言は」
「何か知らないけど、眞子と部長にもそんなこと言われるんだよね」
その言葉に自然と口がとんがらがった。もちろん、自分の性質を考えれば一般とは言いがたいのだろうが、性格そのものは普通だと自負しているである。
「気を悪くしたなら、申し訳ありません。わたしには理解しかねる生き方が、そうですね、嫌いではありませんよ、そういうの」
「そりゃ、どうも」
ボクは一瞬、和解したのだろうかと思ったが、そもそもエルナにはボクを傷つける言葉は言えないのだ。言葉半分で聞いておくのが二人のためにも安全だろうと思いなおした。
だって別々に帰ったのに、エルナの引越し先、お隣だったし。
やっと、金髪ツインテールを出せるところまで来ました。