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再開

「じゃあ、あそこの空いてる席に座って」


出身地。現在の自分の状況。今後の抱負などを一通り語ったアーレント女史は、坂上教諭に指示されるままに一番窓側の先頭から二番目の席に腰かけた。


席を強引に奪ったりはしないんだな。ラノベの定番シーンを思い浮かべていたボクは少しばかり拍子抜けした気分だった。


七列六番目までぴったりあるこのクラスで、こちらの席はちょうど中央の列の後ろから二番目である。割と対角線上にいる彼女の背中を眺めながら、もしかしたら全くの偶然という可能性もあるのだろうかとボクは甘い妄想に浸ったりしたが、当然のことながらそんな夢見がちな仮定は昼休みすら持ったずにあっけなく崩壊した。


ことが起こったのは、2時限目の現国の授業だった。


自慢ではないが、一日平均2冊のラノベを崩すボクの前には現代文の読解など無に等しい。


加えて、来年で定年だと噂されるおじいちゃんこと井上教諭にはもはや授業をしっかりと運営しようという気力がなく、内容そのものもとても面白いと言えるような代物ではなかった。


当然のことながらそんなもの大して聞く気にもなれないわけで、ボクは教科書を広げながら、机に彫刻刀で彫りこまれた「死ね」という文字を消しゴムのカスで埋めたり、その横にゴシック体で「生きる」と書いてみたりしながら、何となく時間を潰していた。


事件はそんなときに起こった。


そんな無聊をかこっていたボクを憐れに思ったのか、クラスの男子連中が中心になって、こちらに向けて丸めた紙くずを投げ始めたのだ。


体育祭は2週間前に終わったから。


もう少し、玉入れとの関係性を強調するべきかななどと自分のツッコミに反省を入れつつ、ボクはその仕打ちを甘んじて受けていた。


別にマゾでもないので嫌でないわけではない。


だが、クラスの中に授業を含めて一言も喋らない人間がいるというのは、やはり空気を悪くするものだ。卑屈な考えなのは重々承知だが、この程度のことで存在を許してもらえるなら安いものだと思ってしまう自分もいるのだ。


ボクは上空で飛び交う紙くずたちを無視して、とりあえず教科書に載っている剣も異能もない文章に集中することにした。


「わたしは、こういうことは好きません」


ビックリした。井伏鱒二が意外と面白かったからではない。いつの間にかボクの席の前にアーレント女史が仁王立ちし、ボクに紙くずを投げていた男子生徒たちを睨みつけていたからだ。


「アーレントさん、そいつは──」

「別に、こいつは──」


座ったまま慌てて何か言い募ろうする生徒たちとは対照的に、アーレント女史は微動だにせずに相手を見下ろしていた。


良くない。直感的にそう思った。


だから、ボクは空いていたアーレント女史の手をなるべく強くならないように引いた。


「何ですか?四条御言」

「止めて欲しい」


苛立ち混じりにボクの方を向いた彼女は昨日のように赤く変わっていた。


やっぱりかと呆れる反面、ボクは彼女の顔を見て惚れ惚れとした気分になった。美人は三日で飽きるという言葉があるが、エレナ・アーレントの美貌に関してはその格言は通用しないだろう。


感情を表現するために軽くつりあがった美しい眉から、すらりとした鼻筋、そして艶やかな桜色の唇と自分と同じものとは思えぬほっそりとした顎周りの輪郭。ただ顔の中央のラインを一瞥しただけで感嘆の念を覚えずにはいられないほどの完成度がそこにはあった。


2人してそれ以上は何も話さずに見つめ合っていると、緊張の糸が切れたのかボクたち以外の話し声が徐々に大きくなってきた。


「アーレントさん、あいつと知り合いなのかよ」

「っていうか、四条のやつ喋ったよな、今」

「俺も、始めて聞いたよ」

「手握り合ってるぜ、どういう仲だよ」


アーレント女史は不快そうな顔をすると、握られた手を持ち上げようとしたが、まるで見えない力に押し留められたように動作を途中で停止させた。


「その手を離しなさい、四条御言」


そんなに嫌なら自分で払えばいいのに、そこまで思ったところで、ボクはピンと来てしまった。


とてつもない罪悪感が襲ってきたが、この場でその話をしても仕方が無い。ボクは自分

の要求を通すために出来る手を打つことにした。


「止めてくれたら、離すよ」

「いいでしょう。あの女にも、昼休みにでも話し合えと言われていることですしね」


交渉はあっけなく成立し、周囲のざわめきを気にするでもなく、アーレント女史は颯爽と自分の席に戻っていった。


教卓の前では井上教諭が何かを言おうとしていたが、結局は咳払いを一つすると何事も無かったかのように振舞って授業を再開させた。


これなら紙くずの方が良かったな。アーレント女史が戻ってから、こちらに続々と向けられてくる視線を感じて、ボクはそんなことを思うのだった。


それから四時限目の終わりまでは平穏に終了した。


一時限目のときには20人近くいたアーレント女史の席の取り巻きが、二時限目の終了時には7人まで減っていたという事態と、久々にボクがクラスの人間に話しかけられるというイベントは発生していたが、クラスの平均的な総和を考えれば、平穏だったのだろうと思う。


昼休みの始まりを告げるチャイムを聞き一瞬だけ考えこんだボクだったが、行く先は分かっているのだから、さっさと先に行くことにした。


「ここは待つべき場面でしょう。四条御言」


自作した弁当を持って後ろ側から教室を出ようとしたとき、そんな声をかけられて、ボクはこの人本当に自己中なんだなと変に感心してしまった。


クラスの内部では露骨なざわめきが生じている。ここで言葉通りに待つのは正直遠慮したいところだったので、ボクは動きを止めずにそのまま廊下に出た。


一分もせずに後ろからアーレント女史が追いかけてきた。


「何故、待たないのですか。四条御言」

「日本では場の空気を尊ぶからかな?」

「下らない。空気など絶対的な強者の前には何の意味も持たないものです。わたし達がそんなものに服従する必要がどこにありますか?」

「わたし達って、アーレントさんはそうかもしれないけど、ボクは弱いから空気を読むんだよ」

「弱い?仮初にもわたしを屈服させた貴方がですか」


進行方向にいた何人かの男子が果敢にアーレント女史に話しかけようとしたが、ボクの1メートル前方ほどでまるで魂が抜けたような顔をしてみな横を通り過ぎてゆく。


後ろを振り向くと、案の定、彼女の目の色が赤く変わっていた。


「アーレントさん、それっていちいち使わなくちゃ駄目なものなの?」

「いけませんか」

「もし、ボクの近くにいる必要があるなら、学校の人には出来るだけ止めてくれると嬉しいかな」


ボクの台詞に対して、胡桃を潰し損ねたような音が返ってきた。


「何今の?」

「気にしないで結構ですよ。感情に任せて奥歯を噛み砕いただけです」


へぇ、歯を噛み砕いたのか。あまりの内容にボクは一瞬よくある出来事のような反応を示してしまったが、慌てて立ち止まると後ろを振り返った。


「意外と博愛主義者なのですね」

「博愛主義っていうか、身近なものが大切だっていうだけの話だと思うけど」


本当に平気そうな顔をしているアーレント女史を見て、ボクはそれ以上何かを言う気力を失って再び顔を前方に戻した。


「おいおい、みっくん、いいスケ連れてるじゃねえか」


そこには眞子が股を大きめに開いたエビゾリスタイルで立っていた。


「どうした、眞子?」

「ヒド、初対面の人の前で、こっちだけスベらせるなんて悪魔の所業だよ」

「そもそも、留学生の前で一昔前のヤンキーネタってどうなんだ」

「更に冷静な分析で追い討ちとは──それはそれとして、部長が呼んでるよ。たぶん、みっくんの後ろにいる人関係だと思うけど」


さて、どういう風に紹介するべきかと思案していたボクを無視して、アーレント女史はすっと前に出るとおそらく古式にのっとっているのだろう優雅な一礼をしてみせた。


「大月眞子博士でいらっしゃいますね。わたくしエルナ・アーレントと申します。お会いできて光栄です。どうか、エレナと呼んで下さい」


残された二人は廊下の真ん中でどうしたものかなと互いに視線を交換し合った。


もちろん、ボクも眞子が頭がいいを通り越して、天才の域に達していることは知っていた。何せ14歳でフォーブスの世界を変える100人という企画に見事選出され、アメリカに彼女が責任者を勤める実験チームが存在し、ローレンス・ブッラグのノーベル賞最年少受賞記録を更新するかどうかがブックマーカーで賭けの対象になるような存在なのだ。


しかし、眞子はそういう風に扱われることを好かない人間だった。それが彼女がこんな偏差値が少し高めくらいの高校に通っている原因の一つでもある。


ボクがどう切り出そうかと思案していると珍しいことに、眞子が先んじて口を開いた。


「まっ、博士って言っても、名誉博士号だからね。所詮は、高校生に毛が生えたようなもんですよ。こっちも気軽に、眞子でいいから眞子で」

「アーレントさん、聞いての通り眞子はそういうのあんまり好きじゃないから」


ボクのフォローが気に食わなかったのか、眞子は眉をひそめた。


「っていうか、みっくん、アーレントさんって何、潔くエルナって呼べよ、エルナっちのことをよ」

「いや、別にボクは許可されてないから」

「別にエルナで構いませんよ。それとよろしくお願いします、眞子」


確かに我ながらアーレント女史はキモかったなと心の中で反省しつつ、話も一段落ついた感じだったので、ボクはエルナと眞子と共に部室への道行きを再開したのだった。


「けど、部室から二階に上がって驚いたよ。昨日は女にモテる要素がないとかのたまってたみっくんが、エルナっちみたいな美少女とお喋りしながら歩いてるんだもん。これがリア充、むしろリア王って感じだったね」

「リア王って、お前な」

「人生の悲哀は天辺からの転落にある、どん底を極めれば笑いに還るほかは無い。ですか」

「おっ、エルナっちいける口だね。愛は冷却し、友情は地に墜ち、兄弟は離反する。町に暴動あり、田舎に不和あり、宮廷には謀叛、そして親子の道は廃れて信無し。とかも良いよね」


しばらくの沈黙の後、眞子が何か言いたそうにこちらを見てきた。


一体どこの世界にシェークスピアの台詞の一部を平然と暗唱できる高校生などというものがいるのだろうか。ボクは声を大にして訴えたかったが、現状では2対1、こちらに分はない。ヤケクソで覚えのある台詞を口走った。


「万物の関節がはずれ、天も地も滅びてしまえばいい」

「それはマクベスです、四条御言」

「関節ね。frameだから間違いじゃないけど、シェークスピアっていうよりニューアカ臭がするねん」

「ニューアカ?」

「ちょっと前にこの国でフランス思想翻訳業者が大量発生してね。それを称してそう呼ぶんだよ」

「眞子はあそこら辺への評価が辛過ぎる」

「むしろ、みっくんが平成生まれの分際で、あんなのに肩入れするのが理解不能だよ。言っとくけど、それ悪い中二病だからね」

「中二病に悪いも良いもない」

「中二病?」


そんな感じで、エレナに辞書に載っていない単語を教えながら、部室までの道のりは思ったより、和気藹々と消化されたのだった。


もちろん、その過程でボクの横を通り過ぎてゆく男子生徒の視線の鋭さは中々のものであったりはしたのだが。




次こそ、次こそ、金髪ツインテールを出したい。

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