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小話シリーズ

冒険者、全力で逃げて

誤字脱字報告、矛盾点の指摘や感想等は不要です。

 ちっ、今回はしけた報酬だぜ。まあこんな田舎じゃたいした報酬は期待できないか。

 オレの名はフリック・アルベントン。傍目には二十七歳の好青年ってやつだ。実際外面はそれで(とお)している。

 職業はまあ、所謂冒険者ってやつだな。剣の腕もそこそこを自負している。

 冒険者ってのは行く先々で冒険者ギルドに出された依頼を、冒険者のランクに応じて受けて達成したら報酬をもらうのが普通だ。その報酬で俺達冒険者は日々をやりくりしながら生活しているわけだ。ちなみに俺は冒険者としては平均ランクのCだ。

 本来は護衛の依頼で旅商隊と共に旅してたんだが、その商隊を取り仕切っていた大商人の御曹司が着いた先の田舎の村娘に一目惚れしてそのまま解散しちまったんだよ。

 そのせいで、旅程の半分しか経っていなくて報酬も半分だ。残りの商隊の商人はさっさと解散後に個別に護衛してた冒険者をやとって村を出て行っちまった。

 基本依頼は依頼主に期間も報酬も一任されてるんで、請け負った後は何かあっても自己責任。その何かってのは全てにおいてだな。今回の途中で終わったのもその内に入る。

 で、そんな帰りの駄賃代わりのチャンスを逃した俺はというと、夕べ酒を飲みすぎて寝込んでいた。そしたら一人取り残されてこの有様ってわけだ。まったくもってついてねえ。

「すまないねフリック殿。私がメアリと一緒に居たいがために依頼を終わらせてしまったから」

「いや、いいさ。それよりも仲良くやんなよ。このご時世じゃ生涯を共に暮らす相手なんざ見つかりにくい」

「ありがとう。フリック殿もお気をつけて。紹介状をしたためましたのでどうぞお持ち下さい」

「ああ、悪いな。ありがたく受け取らせてもらう。じゃあな」

 二日酔いも覚めて、その日の夕方から小さい仕事を引き受けてはちまちまと二日ばかり旅費を稼いだ俺は三日目の朝になってようやく村を出ることにした。

 こんなことになるなら飲んだくれてんじゃなかったぜ。飲んでる間に大商人の御曹司が村娘とできてるなんて誰が思うか。

 大商人の御曹司がこんなことすりゃ大商人の信用ガタ落ちかと思うが、この商隊は御曹司はただの引率で商売目的じゃないんだと。

 有望株の商人に商隊の引率の仕方ってやつを叩き込んでたらしい。あらかた教え込んだってんでここで終わっても問題ないんだとさ。まったく、それで報酬半分にされたんじゃたまったもんじゃないぜ。

 胸の内で悪態をついて言葉では祝福する俺。まあ世渡りなんざこんなもんさ。だが、そんな俺に悪いと思ったのか御曹司はさるお方へ紹介状を書いてくれた。なんと宝石商で有名な伯爵様だ。

 なんでもすごい奇跡の宝石を運ぶことになったんだそうで、それに俺を推薦してくれるんだとか。これは良い報酬を期待できそうだ。俺にも運が向いてきたか。

 内心にやりとほくそ笑んでいた俺は、村の出入り口で御曹司に見送られて田舎の村を後にした。

 だが、これが悪魔の誘いだなんて知ってたら俺はその場で紹介状を破って捨てて逃げてたぜ。そんなもの今となっては後の祭りだが。



 わたくしの名は、カタリナ・ステムール。十七歳で聖ジャナンナ皇国の公爵家の一人娘ですわ。

 お父様と懇意になさっているシグムント伯爵家に、世界で唯一の奇跡の宝石である紅水晶の薔薇とよばれる宝石が昨日届いたのですって。

 シグムント伯爵家は宝石商を営んでらして、伯爵家の認定した宝石を持つことがわたくしたち貴族のステータスでもあるんですの。わたくしもいくつか持っていますのよ。

 今日はその紅水晶の薔薇を特別に見られるとこになり、わたくしはお父様と共に馬車で伯爵邸へと向かっている途中ですの。

 本来でしたら運んできてもらうのが当然なのですけれど、この宝石だけは特別でどうしても駄目なのですって。保管方法が特殊なのだとお聞きしましたわ。

 それでもわたしくし、その紅水晶の薔薇を一目見たいとお父様に頼んで、連れていってもらえることができましたの。本当に楽しみですわ。

「お父様、伯爵邸へはもうすぐですのよね。この辺りでしたら外を眺めても構わないかしら」

「おお、そうだな。馬車で移動するなど夜会で王城へ行く以外ないお前には珍しいだろう」

「ええ。王城までは防備も万全で街並みをよく見られますけれど夜ですもの、暗くてよく分かりませんし。伯爵邸は都の外れですものね。森の側なのだとお聞きしましたわ。今は日の光でよく見えますし、さぞ美しい景観なのでしょう」

 わたくしほどの公爵家ともなれば自邸で夜会を開いたり、庭でお茶会をするくらいで外へは王城での夜会に行くくらいしか出ませんの。

 公爵邸は王城のすぐ側で馬車での移動もすぐですし、日が落ちてからの都の街並みなどそんなによく見れませんもの。

 ですから、わたくしは今回の伯爵邸へのまだ明るいうちでの遠出がとても楽しみでしたの。このような機会がなければ森など見ることなど叶わないのですから。

 伯爵邸に近いこの辺りでしたら、防備の面でわたくしが少し顔を出しても平気なはずですわ。

 伯爵家のご令嬢が本当に羨ましいですわ。なんでも大層ご活発な方で馬術を嗜んでおられるのだとか。わたくし尊敬いたします。わたくしなど、できて刺繍や詩を書くことくらいしか出来ませんもの。

 できることなら伯爵家のご令嬢にもたくさんお話を聞かせていただきたいですわ。わたくしの知らない素敵な日々を送られているはずですもの。

「まあ、あれが森ですのね。こんなに近くで見たのは初めてですわ。緑がとても鮮やかで綺麗」

「そうだろう。お前には窮屈な思いをさせてすまないと思っている。しかし、公爵家の令嬢ともなれば簡単に外へ連れ出すわけにはいかないのだ。お前の血は王族の次に尊いのだからな」

「わかっていますわお父様。わたくし、自分のすべきことは理解しております。ですからその様なお顔をなさらないで下さいまし」

「カタリナ。私はお前のような娘を持って自慢だよ」

「まあ、お父様ったら。ふふ」

 わたくしが馬車の窓に掛けられているカーテンをほんの少し脇に寄せて外を眺めると、それはもう想像していたよりもずっと素敵で綺麗な緑が広がってましたの。

 素直な感想を思わず洩らして、お父様に悲しそうなお顔をさせてしまい申し訳なく思いましたけど、わたくしは次期王へとなられる皇太子の第一妃候補ですもの。

 本来ならば今回のわたくしのわがままも通るなど夢物語だと思っておりましたし、お父様のお心遣いには本当に感謝しておりますの。

 ですから、わたくしは今日この日を忘れることなどないのですわ。ずっと心の中で大切に覚えていきますわ。有難うお父様。

 ……そう思っていた次期がわたくしにもありましたの。

「ここが伯爵邸ですのね。わたくしが思い描いていた通りの素敵な御邸(おやしき)ですわ」

「さあ、カタリナ」

「ええ、お父様……」

 伯爵家へと着いたわたくしとお父様は、護衛の騎士が馬車の扉を開けて階段を用意したので降りましたの。

 すると、降りた視線の先にはわたくしの心を一瞬で捉えてしまった運命の御方がいらっしゃったのですわ。

 深い森を思わせる濃い緑色をした髪と瞳をお持ちの、とても精悍なお顔をされたその御方は、伯爵邸の入り口に佇んでおられましたの。

 わたくしの興味は紅水晶の薔薇から完全にその御方へと移ってしまっていたのですわ。運命とは突然なのですわね。まるで御伽噺の主人公になったかのようですわ。

「カタリナ、どうかしたのか」

「っいえ、お父様なんでもありませんわ。馬車が長かったので少し疲れてしまったようですの」

「おお、それはいかん。さっそく案内させよう」

 お父様の問いかけに思わず咄嗟に誤魔化してしまったけれど、わたくし生まれて初めてですわ。これが誤魔化す、ということですのね。初めてですのにすんなりと言葉がでてくるなんて、驚きましたわ。

 心臓が早鐘を打っているわたくしでしたが、なんとかその場をしのげました。今ここであの御方を見ていたなどとお父様に知られたら、きっとあの御方が追い出されてしまいますもの。

 伯爵邸の主であるシグムント伯爵がわたくしたちを出迎えて邸の中へと案内して下さったのですが、わたくしは入り口に佇んでいた御方にすれ違う時にとくとくと鳴り出した心臓が聞こえてしまわないかと心配でしたわ。

 ああ、これが運命の恋というものなのですわね。あの御方もわたくしのことを見てくださったかしら。どうにかしてお話をすることはできないのかしら。

 サロンで少し体を休めた後、伯爵がわたくし達の本来の目的である紅水晶の薔薇をサロンへ持ってくるように命じ、少し待つこと数分。

 わたくしは、紅水晶の宝石が見れることへの胸の高鳴りではなく、どうしたらあの御方とお話できるのかとそればかり考えていましたの。

 そうして、わたくしが考えていると宝石を運んできたのはまさに今考えていた御方でしたの。これは神がわたくしに与えて下さった奇跡なのですわ。そうとしか思えませんでしたのよ。

「素敵ですわ……吸い込まれそうなほどの綺麗な瞳」

「これは素晴らしい。まさに奇跡の宝石だ」

「っええ、そうですわねお父様。とても綺麗な宝石ですわ」

 宝石を運ばれてきた御方を間近で見られたわたくしは、ぽうっと頬が熱くなったのを感じましたわ。うっとりと見ていたわたくしに、お父様が宝石を見ての感想だとお思いになったのか感嘆の声を上げたので、またわたくし焦ってしまいましたわ。

 こほん、今日のわたくしはいつもとは全く違いますのよ。恋とはこんなにも人をおかしくさせてしまうものなのですわね。でもわたくしにはそれがとても心地よいと感じられますわ。



 俺は今、大商人の御曹司からの紹介状で奇跡の宝石、紅水晶の薔薇の運搬と護衛の依頼に参加出来て、滅多に来ることなんてできないお貴族様の邸へと来ていた。

 さすが伯爵様といったところか、都の外れに建っている豪邸の圧巻さといったらなかった。

 世界有数のブランド名でもあるシグムント伯爵家が、宝石商を営んでいるのはこの世界で知らないやつはいないくらいだ。その辺のちんけな悪徳宝石商なんかとは雲泥の差。見るからに品のいい価値有る貴金属や壷や家具が良いセンスで配置されてるんでさすがの俺もちっとは緊張したね。こんなのに手出したらとんでもないしっぺ返しがくる。

 さわらぬ神に祟りなし。俺は人畜無害をこれでもかとばかりに出して潔白を装ってた。正直疲れるし、早く成功報酬もらって出て行きたいぜ。

 けれどなあ、なんか宝石運んだ翌日に公爵様とそのご令嬢がわざわざ見に来るとかで、急遽俺の護衛の日程が一日延びたんだ。

 さすが大商人の御曹司の紹介状。普通さっさとおん出されるだろうに、俺まで残されるとはな。まあ、これが無事終われば俺のギルドでの信頼もかなり上がるだろうし、やっといて損はないだろう。今回のでBあたりに昇格するんじゃないか。

 そんでその日は伯爵様のご厚意とかで使用人の部屋に泊まったんだが、午後には来るってんで休憩がてら伯爵邸の入り口で突っ立ってりゃ、それはそれは豪華な馬車でのご登場だ。公爵様ともなれば俺たち民にとっちゃもう王族と変わらんな。実際王族の血も入ってるしよ。

 出てきたのは恰幅がいい人の良さそうな、いや、あれは腹に何か隠してるような一筋縄ではいかない中年の親父だな。それに続いて栗毛でふわふわした髪の碧い目をした清楚な美人が降りてきた。

 馬車から降りてきたのは二人だけだったしあれが公爵様とそのご令嬢で間違いないようだな。にしてもすげえ貫禄だ。儂が王様じゃと言ってもその辺の民は皆信じるだろうな。

 けれどなあ、そりゃあんだけの美人の娘じゃ自慢になるだろうが、娘を見てるときの相好の崩れようといったらな。ありゃ溺愛なんてもんじゃないぜ。これもさわらぬ神に祟りなし、だな。こええぜ貴族。目合わせないようにしとくに限るな。まあそもそもお貴族様と目なんて普通合わせないが。貴族によっちゃ無礼だと即刻切られるしな。

 しっかし公爵様とご令嬢が伯爵邸へと入っていくとき俺の目の前を通って行ったんだが、すげえいい匂いがした。もちろん公爵様じゃなくてご令嬢のほうな。

 俺が運んできた奇跡の宝石、紅水晶の薔薇よりもご令嬢のほうがよっぽど奇跡の宝石だ。通り過ぎた後の微かに香る残り香がまた良い余韻でって、俺は変態か。さわらぬなんとかって思ったばかりだろうが。平常心だ平常心。お貴族様には金輪際関わんねえぜ。

「……しかしまずったか」

 俺は今、心底ここに居ることを悔やんでいた。

 なんの冗談かサロンへ公爵様とご令嬢に宝石を見せるために一介の冒険者でしかない俺が持ってくことになった。俺の外面の良さがここにきて裏目に出たらしい。仕事ぶりと相まって伯爵様に大層気に入られてしまったようだ。

 しかも、だ。

 俺が宝石を持ってサロンに入ってくと、ご令嬢は宝石じゃなくて俺の方をガン見していた。視線を痛いほどに感じる、これは自意識過剰なんてレベルじゃない。嫌な予感しかしないんだがどうしたらいいんだ。

 俺は背中を滴り落ちる冷や汗を拭うことも出来ずに、ただひたすらこの拷問のような時が過ぎるのを待った。

 無心無心と心がけて絶対にご令嬢の方を見ないように努めていると、やっとこの拷問が終わったのか公爵様が伯爵様に礼を言っていた。

 伯爵様の側に控えていた執事が俺に目で合図をしたんで、俺はやっとこの場から開放される開放感からつい笑みが零れた。

「まあ。笑ったお顔もなんて素敵なの」

 その時、ご令嬢が口走った。今なんてことを言いやがった。ついちらりとご令嬢を見てしまった俺は悪くない。

 当然こちらを見ていたご令嬢と俺は目が合ったわけで。誰が見ても分かるくらい花も恥らう乙女を地で行くご令嬢の(かんばせ)がピンクに色づいた。やっちまった。数秒前の俺を全力でぶん殴ってやりたい。

「ほお。カタリナ、その者がどうかしたのか」

「あ、お父様。いいえ、どうもいたしませんわ。お気になさらないで下さいまし」

「ふむ。そうは見えんがなあ」

「この者は此度の紅水晶の薔薇の護衛依頼を受けた冒険者ですな。オーバラ商家の息子直々の紹介状を携えて来まして。冒険者にしては珍しい気質の持ち主だそうで、仕事ぶりも実に評判がいいらしい。実際わたしもそう感じましたな」

「ふむ、冒険者」

 公爵様が俺をそれはもう鋭い目つきで値踏みするように見てくる。俺は次第に顔が青褪めていくのがわかった。

 これはもう一刻も早くここから立ち去らないとまずい。

「そろそろ保管の刻限ですので、失礼いたします」

 俺はこの特殊な保管方法でないと駄目な宝石を理由にサロンから立ち去った。宝石持ってて良かったぜ。いや、むしろ持ってたからこうなったんじゃねえか。

 サロンの扉の外で待機していた伯爵家の護衛騎士と共に、俺は宝石の保管場所へと丁重に宝石を戻すとようやく額の汗を袖口で拭った。

「やけに顔色が悪いな。大丈夫か」

「いや、貴重な宝石なんでな。取り扱いに慎重になっていただけだ」

「そうか。お前は冒険者にしてはやけに真面目だな。伯爵家では身分的に無理だろうが、それより下の貴族の護衛にならないか。お前ならやれそうだ。なんなら騎士隊長に聞いてやるぞ」

 俺の様子に心配してくれたらしい護衛騎士が笑いながらそんなことを言ってきた。確かに安定した生活ができるし、平時ならば俺も考えたがその申し出は今の俺には余計なお世話だ。

 誰が好き好んで危ない場所に行くかっての。冒険者の仕事の危ない意味とは大分違うぞ。それに冒険者には自由がある。それが一番俺に合っている部分だな。

「いや、俺は冒険者の方が性に合っているんでな」

「そうか、気が変わったら言ってくれ」

「ああ」

 まあこの先も一生言うことはないがな。この時の俺はサロンから脱出したことで安心していた。俺はお貴族様というやつらを甘く見ていたんだ。



 わたしくは今どうしたらあの御方に難がいかないかを必死に考えていましたの。お父様は未だにわたくしの様子を訝しんでいましたし、もしわたくしの行動であの御方になにかあればと思うといてもたってもいられませんわ。

「お父様。お話がありますの」

「なんだねカタリナ」

 わたくしは意を決してお父様に向き直りましたわ。

「わたしくにあの御方をくださいな。もちろん五体満足でどこも欠損などしてはいけませんわよ。心もです」

 こうでも言わないとお父様の場合、体の一部分だけなんてこともありうるのですもの。慎重に慎重にですわ。

 以前綺麗な花を咲かせる木が欲しいと言いましたのに、お父様ったら花のついた枝をくださるんですもの。わたくしは木をまるまる一本欲しかったのですわ。そうでないと、枯れてしまいますものね。

「その対価はどうするのだね」

 お父様が他の貴族の方とお話するような顔つきに変わったのを見て、わたくしはより一層体に力がはいりましたわ。ここで間違ってしまってはきっとわたくしもあの御方も無事ではいられませんもの。

 何かを欲する時の対価は自ら差し出すものであって相手に窺うものではありませんし、お父様に何がいいかなど聞けませんわね。

 お父様はこの問いでわたくしの覚悟を知りたいのだと思ったのですわね。ですから、この問いで間違ってはいけないのですわ。

「わたくしは、お父様とお母様を真っ直ぐに見てここまで育ちました。わたくしの芯はお父様とお母様の真心を受け継いだものです。そしてその真心とはわたくし自身や大切なお父様とお母様の心に嘘をつかないこと、正直に人を愛するということですわ」

 わたくしは一度ここで言葉を切る。これがもし間違いでしたらと思うと少し怖い。でも、わたくしは真実でありたいのです。ですから続けますわ。

「ですので、わたくしのお父様への対価は、お父様やお母様、あの御方を変わらず愛し続けることです。それ以上の対価は払えませんわ。皇太子妃にはなりません。そのことをわたくしの名にかけて誓いますわ」

 わたくしはじっとお父様を見つめてその答えが正しかったのか返答を待ちましたわ。すると、お父様はじっと見つめ続けるわたくしを見てはあと溜息をつきましたの。

 この対価ではいけなかったのかしら。ですが、わたくしに払える最大限のものといったらこれしかありませんもの。どうしたらいいのかしら。

「シグムント伯。恥ずかしいところを見られましたな」

「いえ、さすがステムール公のご令嬢でございます。芯の通った素晴らしいお嬢様で実に羨ましいですな。うちのはただのじゃじゃ馬ですので」

「はっは、そう言ってくれるか。いや、そうなんだよ。カタリナはこの真っ直ぐな心根が自慢でね」

 どうしたのかしら、お父様と伯爵が朗らかに笑っていらっしゃるわ。わたくしまだお父様に答えをもらっていませんのよ。

「お父様?」

「カタリナ」

 わたくしは不安でお父様を見上げましたわ。すると、お父様はわたくしに向き直りましたの。

「いいかい。あの者は冒険者なのだよ。身分も平民だ。公爵令嬢であるお前とは到底身分が釣り合わない。それはわかるね」

「存じておりますわ」

 わたくしに言い聞かせるようにお父様がゆっくりと話されて。それでもわたくしはあの御方以外はもう愛せそうにありませんし、運命ですのよ。

「気が変わることはないようだね」

「もちろんですわ」

 あら、この様子でしたらもしかしたらもう一押しで良い答えがお父様から聞けるかもしれませんわ。

「わかったよカタリナ。だが条件がある」

「なんですの」

 条件という言葉を聞いてわたくしはどきりとしましたが、しっかりと聞かなければいけませんわよね。わたくしは真剣にお父様を見つめました。

「冒険者がお前くらいの身分ものと添い遂げるには、英雄たる資質が必要なのだよ。彼にはこれからランクをせめてAまで上げてもらわねばならないね。可能ならSまでだ」

「Aですの? それはどれほどのものなのですか」

「カタリナ譲。彼は冒険者ランクはCだそうだ。上はB、A、Sと続き、更に特別な者だけがSSというランクになれるのだよ。そしてAともなればラージオーガを単独で倒せるほどの強さと機転が必要だ」

 わたくしとお父様のお話を聞いていらしたシグムント伯が丁寧にご説明して下さったの。けれどそのお話は受け入れられないものでしたわ。

「ラージオーガ!? そんな、危険ですわ! お父様どういうつもりですの。あの御方に命を落とせとおっしゃるのですか」

「だが、お前と釣り合うにはそのくらい必要というのが現実なのだよ。貴族の護衛騎士はランクでいえばB程度。王宮の騎士団長あたりでAかSだ」

「そんな、騎士団長ほどの技量が必要なのですか」

 わたくしは蒼然としましたわ。わたくしの言葉であの御方の命に危険がなんて。わたくしはどうしたらいいのかしら。

 いいえ、でも諦めてはいけませんわね。一人が難しいのならばわたくしもお手伝いすればよろしいのですわ。

「わかりましたわ。ただし、あの御方がランクAになるまでわたくしも付いていきます。わたくしはあの御方と添い遂げると誓いましたわ。でしたらたとえAになれなくとも生死を共に分かちます」

「何を言うカタリナ、そのような危ないことをさせるわけがないだろう。お前はAになるまで待ちなさい」

「できませんわ。こればかりは譲れません。生死に関わることなのですから!」

 わたくしは絶対に譲るものですかとお父様を初めて睨みました。はしたないことをしていると理解していますけれど、どうしてもこれだけは譲れないのです。

 それにお父様はわたくしが付いていってはいけないなどという条件は出しませんでしたもの。この勝負、絶対に勝ち取りますわよ。

「ああ、カタリナ。お前は本当に我が妻に似ている。一度言い出したら聞かないことまでそっくりだ」

「わたくしはお母様に似たことは誇らしいですわ」

 わたくしがそう言いましたら、お父様はこれでもう何度目かの溜息を盛大につきましたのよ。どうしてかしら。お母様に似ているのですもの、きっとお父様も嬉しいはずですわ。

「ああ、わかったよ。お前には負けたカタリナ。彼を認めよう。但し、ラージオーガを単独で倒せなくとも、Aに昇格するまでお前を守り続けることが条件だ。それと、もしなにかあっては困るからな。影をつけさせるぞ。儂もこれだけは譲れん。大切な一人娘だ、それだけはわかってくれ」

「お父様っ有難うございます! わたくし、きっと無事に戻りますわ!」

「そうしてくれ。すまぬが儂は疲れた。シグムント伯、しばらく休ませてくれ」

「それがよろしいですな。グラージ、ステムール公を案内してくれ」

「畏まりました」

 ふらふらと見た目にお疲れのご様子のお父様に、わたくしも少し反省いたしましたけど、ですがこれで許しを得ることができましたわ。

 あとはあの御方にランクをAまで上げていただけば万事解決ですわね。

 あら、そういえば。わたくしあの御方のお名前まだ存じ上げませんでしたわ。まずは自己紹介からしなければいけませんわよね。わたくしったらうっかりしていたわ。さっそくお会いいたしませんと。

 シグムント伯の執事に連れられてサロンを出て行かれるお父様を見送ると、わたくしはシグムント伯にあの御方の居場所をお聞きしましたの。




「さむっ」

 唐突に俺は悪寒がした。報酬をもらうまで使用人の部屋で休んでいたんだが、嫌な予感がまたやってきやがった。

 なにか、どうやっても絶対に逃げられない蜘蛛の糸に絡め取られたようなそんな既視感。

 俺は瞬時にここに居てはいけないと思い、座っていた椅子から勢いよく立ち上がった。やっぱり報酬を辞退してすぐにここを立ち去ったほうが良いと思ったんだ。そのことをシグムント伯の執事に伝えようと部屋を出ることにした。

「あら」

 急いで扉を開けたんだが、声が聞こえてもう遅かったと悟った。なにをやってたんだ俺は。

「やっぱり運命なのかしら。わたくしが開けようとしたら開きましたわ」

 公爵家のご令嬢がのほほんとそんなことののたまって花が綻ぶように笑った。いや、そんな微笑を向けられてもな。嫌な予感しかしないんだ、これが。

「わたくしはカタリナ・ステムール。聖ジャナンナ皇国の公爵家の一人娘ですわ。貴方のお名前はなんですの?」

「フリック・アルベントン……冒険者をやっています」

「まあ、フリック様とおっしゃいますのね。お名前も素敵ですわ」

「は、はあ。恐悦至極に存じます」

「そんなに硬くならないでくださいまし。わたくしの旦那様になるのですから」

 ……駄目だ。俺はもう終わったな。このご令嬢にはおそらく何を言っても変わらない。

 俺は遠い目をしながら、カタリナ様が嬉々として俺との今後を語りだしたのを聞いていた。どこが清楚な美人なんだ。俺の目は相当な節穴だったらしい。これはとんだお嬢様だ。なにがとんでるのかというと、言わずもがな頭が飛んでるんだ。

 もっと早くにこの伯爵邸を出ていれば、いやそもそも紹介状なんて破っちまえば良かったんだ。

 こんなことで俺の人生が決まるなんて誰が想像したんだ。できるわけないだろうよ。

「わたくしに出会ってしまったのが運の尽き、いえ違いましたわ。運命の始まりでしたのよ」

 そう嬉しそうに綻んで宣告してきたご令嬢に俺は眩暈を起こした。

 翌日俺は公爵様にこれでもかというくらい睨まれながら、足手まといでしかないカタリナ様を連れて旅立っていった。とりあえずはギルドへ行って達成報告をしないとな……。

 そんで。なんだかんだで二年経って、もうすぐ俺はランクがAに上がりそうなところまできてるんだが。着々と人生の墓場に踏み込んで行ってる感が否めない。どうしてこうなった。

 けれどな、こんなとんちんかんなカタリナも、ずっといると可愛く見えてくる不思議。今じゃ公爵令嬢を呼び捨てなんだからな。

 きっと俺は毒されたんだろう。

ここまで読んでくださった方、本当に有難うございました。

※貴族女性の出歩きは、この世界の聖ジャナンナ皇国では、小説内のような設定にしてあります。

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