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  未知との遭遇。⑤



『今日という日は、常に昨日の延長でしかない。ただ生きてさえいれば、必ず明日は今日の延長として現れる』


 そんなことを言いながら、何にも執着せず、何にも心動かされず、空虚に目だけをぎらつかせていた男の姿を思い出す。


 『獣の巣穴』(フィグルイーグ)で頂点を示す『四獣』(カルテフィグル)の称号を最年少で名乗り、他の四獣と共に数々の逸話を打ち立て『獣』(フィグル)たちの畏怖と憧憬の象徴として君臨していたその男は、他者を寄せ付けず、いつも何かに餓えているようにみえた。


 その面影を、満面の笑みで愛妻に寄り添う目の前の男に重ねようとして、やめた。

 重なるわけがない。

 妻となる女性を見初めた途端、人格も何もかも崩壊して、新たな人間として生まれ変わったのだと豪語するマグリスに昔の面影を求める方が間違っている。


 厄介なのは、自分が伴侶となる女性と出会えた喜びを周りにも体感させようとするところだ。

 さらに性質が悪いのは、それを強行できるだけの立場にいるという事実。

 権力という意味でも、資産家という意味でもあり、俺達が逆らえない数少ない人物の一人ということもある。


 そして、その男に見初められ、見ているこちらが気の毒になってくるような求婚の数々を見事にかわしながら、最後には自らマグリスの懐に入ってきたシディアは、それ以上に厄介な存在だった。


 俺達が唯一、逆らってはならないと決めた、決めさせられた存在。


 その厄介な二人によって半ば騙された形でこの場にいる現状は、厄介なことこの上なく、不快でたまらない。


 目の前には、着飾った小さな黒髪の娘が座っている。


 呼ばれた場に娘を伴ってシディアがやって来た時は、思わずマグリスを振り返って睨むとにやり、と笑われた。娘を席につかせたシディアも、楽しげに目を細め満足げに微笑みを浮かべている。


 ・・・やられた。

 まさか、こんなに早く手を打ってくるとは。

 いや、今朝会ったときに、特に式典も来客の予定も無いのにマグリスが正装していた時点で疑問を持つべきだった。


 舌打してしまいそうになるのをこらえて娘のほうを窺うと、あの大きな黒い瞳に、はっきりと自分が映し出されているのを見て、小さく息を呑む。


 自分が他人に与えてしまう威圧感は、理解しているつもりだ。

 きっと、この娘にも怯えられてしまうのだろう。

 もうすぐ、この透き通るような黒に怯えが浮かび、二度と俺をまっすぐに見ることはなくなる。


 こうして視線が絡むのも、これが最初で最後。


 娘の瞳に怯えが浮かぶところは見たくないというのに、そう思うと自分から視線を外すこともひどく惜しい気がして、静かにその瞳を見つめていると。


 少し緊張した様子の娘が透明な瞳にまず浮かべたのは、驚きと懐かしさ。

 そして、それからすぐに嬉しそうな微笑みを浮かべてみせた。


 無意識に強張っていた身体から、ゆっくりと力が抜けていく。

 初対面で怯えられないどころか、嬉しげに微笑まれたことがあまりにも意外で、とっさにどうすればいいのか判断がつかず、無言で席に着いてしまった。


 ・・・ここは席に着くのではなく、この場から立ち去るべきだったのに。


 にやり、とシディアが笑みを深めたのを見て、自分の失敗を悟るが、いまさら席を立つわけにも行かない。


 その後は、何かと厄介な夫婦があれこれ話しかけてくるのに、娘が愛想よく答えるのを聞きながら、早くこの時間が終ってくれないかと、ただひたすら待っていた。娘の方はやがて緊張していた様子もなくなり、ぼんやりと此方を不快にさせない程度に観察してくる。


 周囲に対する興味が少し。

 最初の奇妙なまでに感動したような、嬉しそうな様子は今はない。どこか落ち込んできているようにも見えるが、よく分からない。他人の感情の機微に鋭敏なフィリウスなら、気の利いた会話のひとつも投げかけて、少しは娘を楽しませてやることが出来るのだろうが、俺には出来ない芸当だ。


 生憎、元からの性格とやたらと育った図体と染み付いた無表情のせいか、言葉を交わす前に逃げられることが当たり前になっていたから、こういうときに何を話していいのかも分からない。

 怯えずに話しかけてくるのは、たいていそれなりに腕に覚えがあるような、要するに荒事に慣れた連中ばかりで、相手の様子を見ながら会話を盛り上げる必要など全くなかった。


 ・・・そういえば。

 どうして、この娘は怯えないのだろう?


 初対面の人間から必ずと言っていいほど向けられる警戒と怯えの入り混じった色が娘の黒い瞳には全く浮かんでこないことに気付いて、少し首をかしげた。

 あえてまっすぐに娘と視線を絡めてみても、娘の方はなぜか少し悲しそうな雰囲気になりながらも、特に怯える様子はない。


 ・・・珍しい。

 いや、初めてかもしれない。


 そう思った途端、視界の端にたちの悪い満足気な笑みを浮かべているマグリスが映った。

 嫌な予感がしてシディアの方に視線を向ければ、マグリスに対して何か合図を送っている。


 企みをやめさせようと睨みつけるが、音もなく鼻で笑われた。


 示し合わせたように同時に立ち上がるマグリスとシディア。

 それに続いて立ち上がろうとした娘を、つい視線で追うと、シディアが快心の笑みを浮かべた。


「今日から君は彼の家で暮らしなさい」


 しまった、と思った時にはもう遅い。

 マグリスの一言で、娘の身のふり先が勝手に決められてしまった。


 娘は、大きな黒い目を限界まで見開いて、驚きを表している。


 この様子なら、俺がこのまま黙っていても、娘の方から拒むことは間違いない。

 そう思いながら、なぜかその確信がひどく不快で。

 娘が何か言おうと口を開きかけたのと同時に、気づけばそれを遮るように立ち上がっていた。


 先に歩き出せば、慌てて娘もついてくる。


 どうせ、マグリスのことだ。

 これほど強引に娘を連れ帰らせるのは、シディアが望んだという他にも何か思惑があることは間違いない。

 あとでシディアの分も含めて2発殴ってから全部聞き出してやる、と心に決めながら、彼らの思惑通り、娘を自分の拠点へと連れ帰った。


 ・・・後から思えば。

 途中で席を立つなり、その場で断るなり、娘を連れ帰らずに済ませる方法はいくらでもあったのに。

 それら全てに目を瞑り、娘を連れ帰る選択をしたのは。


 ・・・間違いなく、俺の意思だった。



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