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5 助言の実行。①

 なんだか、様子がおかしい。

 そう気づいたのは、賑やかな連中が帰って、俺と彼女の二人きりになった時だった。



 買ってきた荷物の片付けを終えた女性達は、そのまま新しい道具を試そうと夕食を作り出し、結局六人で食卓を囲むことになった。もともとここでの夕食作りを予定に入れていたのか、食器の類だけでなく椅子まで購入してくるあたりがシディアらしい。

 シディアが選んできたという甘い食前酒は、甘味を足した水のように薄い酒で、男性陣には不評だったが、黒髪の女性たちには好評だったようだ。二人ともシディアとマグリスが勧めるままに杯を空けている。


 娘は緊張した様子もなく、よく飲み、よく食べ、よく笑う。


 顔色も赤みがさして明るく、以前見たときよりも幾分頬に膨らみが出てきているのを間近で確認して、安堵の息が漏れた。


 それをどこか生暖かい目で見ている連中を、食後に何度か眠そうな仕草を見せている娘を理由にさっさと追い出そうとすると、レインがまだ帰りたくない、ここに泊まる、と言い出した。


 シディアの入れ知恵か?

 素早く睨むが、シディアは小さく肩をすくめて、犯人はあれ、とマグリスの席に置かれた酒瓶を扇子で指す。

 マグリスが好んで飲む、口当たりの良い、強い酒気を持つ酒だ。

 中身は空になっている。

 ・・・いつの間に。


「レイン、帰るぞ」


 グレインがレインの背に腕を回して強制的に連れ出す。紳士的じゃない、とかなんとか文句を言いつつも、腕を払おうともせず大人しく外に出るレインに、グレインはまんざらでもなさそうな笑みを浮かべている。


 マグリスは堂々とシディアの肩に手を回し、グレインに続いて出て行く。

 シディアは肩越しに振り返り、『後は貴方次第』と、声には出さずに唇だけを動かして、激励するような鮮やかな笑みを浮かべて出て行った。


 この拠点にこれほどの人数が集まったのも、これほど賑やかになったのも初めてだ。

 ようやく静けさを取り戻して、一息つく。


 だが。

 ・・・問題はこれからだ。


 扉のところで連中を見送って小さく手を振っている娘の後ろ姿を見ながら、何時の間にか伸びきってしまった顎鬚を撫でる。


 さて、これからどうするか。

 グレインの指示に従うなら、これからこの娘には、同じ寝室で休み、毎日の食事を共にし、生活のほとんどをこの拠点の中だけ過ごしてもらわなければならない。

 フローインは明後日には諮問神官を派遣すると言っていたが、それは、明後日中には婚姻を成立させるということだ。必要な書類は明日、フローインとマグリスが整えることになっている。

 それに明日からは自警団に出なければならない。この街の自警団とは、昔、マグリスが領主になる際に起きた揉め事で関わったことがあるから、入団自体はそれほど面倒はないだろうが。

 留守の間に、純血主義者達が接触してくる可能性もあるだろう。拠点の仕掛けにも手を加える必要がある。


 問題は山積みだが。

 今一番の問題は。

 ・・・この娘に、どう接するか、だ。


 賑やかな連中が帰ってしまえば、二人きり。

 『獣の巣穴』(フィグルイーグ)では仲間たちと共同生活をしていたが、熟練の『獣』(フィグル)である仲間たちと、この娘を同じに扱っていいわけがないことくらいは分かっている。街の人間と『獣』(フィグル)の組み合わせで言えば、シディアとマグリスが該当するが、あれはどちらも普通とは呼べない性格と感性をしていたから、はっきり言ってかけらも参考にならない。

 それでは、どう扱えばいいのか。

 肝心のそれがわからなかった。


 有効な手段も思い浮かばず、娘の動向を目で追っていると、馬車が見えなくなるまで手を振って見送っていた娘が、ゆっくりと手を下ろし、扉に片手をかけて、ふと、動きを止めた。それから、両手で取っ手を握り、全体重を後ろにかけるようにして引く。小さな手が赤くなって、扉がゆっくりと閉まっていく。


 その姿に、衝撃と動揺が走る。

 こんな扉でさえ、この小さな娘には重いのか。

 俺が普段何気なく片手で開閉している扉でさえ、これほど重そうにしているとなれば、この拠点の中のもの全てがこの娘の手に余る、ということになる。

 頑堅さだけを重視して作った拠点だが、全体的にもう少し軽い素材に変えたほうがいいのだろう。

 それに、狩りに必要な道具類を置いてある寝室奥の地下室は、封じておかなければ。俺でも少し重いと思う石扉は、もし万が一娘が入ってしまったら、自力でその扉を押し開けることもできないはずだ。


 拠点の改造計画を立てている間に、なんとか扉を閉め終えた娘が、ゆっくりと振り返った。


 潤んだ黒い瞳に、俺の姿が映る。

 小さく首を傾げた娘が、何かを言いたそうに僅かに唇を開く。

 が、その赤い唇をためらうように震わせ、声を出す前に閉じてしまう。


 なんだか、様子がおかしい。

 大きくて黒い瞳は今にも泣き出しそうなほどに潤んでいるし、閉じた唇は僅かに震えている。頬は赤く染まっているから、具合が悪いわけではなさそうだ。


 ・・・急に二人になって、怯えているのだろうか。

 それが一般的な反応だということは分かっている。これまで怯えられなかったことの方が奇異だ。おそらく、シディアという他者の存在があったから、俺と平然と対峙出来ていたのだろう。

 分かってはいるが、苦いものが込み上げてきて、そっと視線を外す。

 

「あの、旦那さま?」


 目つきが悪いという自覚はある。せめてあまり怯えさせないように直視を避けたつもりだったのだが、そこで娘がおかしな行動に出た。


「旦那さま、旦那さま? 旦那さま!」


 ぱたぱたと軽い足音を立てて近づいて来たかと思うと、服の裾を掴んで引っ張り、何度も俺を呼ぶ。

 体格差から必然的に見下ろす形になりながら、逸らしていた視線をむけて、息をのむ。

 娘の小さな顔には、なぜか嬉しそうな、満面の笑みが浮かんでいる。


「だんなさま」


 恐れも怯えもない、甘い声。

 そんな声で、嬉しそうに呼ぶこの娘が、自分の妻になる。


 ・・・ぞくり、とひどく奇妙な感覚が走った。


 その感覚の正体を確かめる前に、服の裾を握っていた小さな手が離れていく動きに、なぜか残念な気持ちが湧き上がってくる。


「わたし、今すごく眠いので。さきに、あせながしてきて、いいですか?」


 脈絡のない自分の不可解な感覚に戸惑っているうちに、酒気のせいか、少し赤くなった目元を擦りながら、娘が尋ねてくる。

 食事の時からひどく眠そうにはしていたが、今はしゃべるのも億劫そうで、体が左右に揺れていた。

 棚から体を洗うための粗めの布と水気を拭うための布を取り出して渡してやると、礼を言って足音を立てながら洗い場に入って行く。


 と、思ったら、それほど時間がたたないうちに、髪を布で包み、着替えた娘が出てくる。

 早すぎるだろう、と思いながら見ていると、そのまま寝室に入っていく。それから、またすぐに泣きそうな顔で戻ってきた。


「だんなさま、わたしのねるところがないです」


 きた。

 けれど予想に反して、娘は戸惑いもなく、ただただ、悲しそうな瞳で見上げてくる。

 眠いのに、眠いのに、眠いのに。

 大きな黒い瞳が、ひたすらに眠気を訴えてくるのを見て、ふと、笑いたくなった。


「寝室の寝床で寝ればいい」

「でも、ひとつしかないんです」


 むずがるような娘の言葉に、わざと大きく頷いて見せる。


「なら、半分にすればいい」

「半分・・・?」

「それなら、二人とも寝れる」


 娘は目を丸くした後に、なるほど、というように手を叩く。


「そっか・・・、そうですね、半分こにすればいいんですね! それじゃ、おやすみなさい」


 嬉しそうに笑って就寝の挨拶をして、いそいそと寝室に入っていく。

 よほど眠かったのだろう。

 すぐに聞こえ始めた寝息に、また笑いたくなった。


 食卓の上には、酒瓶が二本。

 食前酒にシディアが買ってきた甘い酒は、俺もグレインもマグリスも、そしてシディアも最初の一杯以外、飲んでいない。レインは途中からマグリスのお気に入りの酒に手を出していたはずだが、食前酒の酒瓶も綺麗に空になっている。


 どうやら、俺の妻になる人は、酒に弱いらしい。

 明日になったら、今日のことを覚えているのだろうか、と一抹の不安を覚えたが、それも杞憂に終わった。


 目覚めるなり、声にならない声で絶叫した娘が、寝床から転げ落ちそうになったのを腕を掴んで止めると、耳まで真っ赤になったまま、小さな声で言う。


「あ、ありがとうございます、だ・・・旦那さま」


 ・・・覚えていてくれて、よかった。




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