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百奇夜行で鬼天烈な。  作者: 留龍隆
犬神使い編
6/38

六題目 「まじないも呪いだよ」と司がつぶやいた

「サワハさんがあんな目に遭ったっていうのに、よくあんなこと言えたもんだよね」

「会長とサワハさんは、研究会ぬきにしても、仲がよろしいそうですから。ああいうこと言っても通じるのでしょう。それにサワハさんも、目的を持ってここにいるそうですし」


 病室を出て駅まで戻る道中、またも司と二人だけになると小野はぎくしゃくしてあからさまに態度が変わり、言葉尻が小さくなって少々会話しづらくなる。横を歩いているためでもあるのだろうが、極力目を合わせないようにしていることもがうかがえた。


「あ、そっか……二人だけだと居心地悪いんだっけ。ごめんね気付かなくて、じゃあここらへんで」

「いやっ、その。あまり司さんにばかり気を使わせるのも、それはそれで心苦しい、のです」

「んー? でも二人だけになることあんまりないし、そこまで気を使ってる覚えもないよ。廉太郎さんなり踊場さんなり、知り合いの人が場にいればちゃんと会話もできるし。まあメールの返信はけっこう遅いから、そこだけ気を使ってるけど」

「……すみませんね、私人差し指でしか操作できないので。どうしても遅くなってしまって」

「冗談だよ。そんなに待ってないし」


 司は笑ってみせたが、小野はなんとも形容しがたい、怒っているのか悲しんでいるのか判然としない表情を浮かべてぷいとそっぽを向いた。軽口叩くのも時と場合を考えるべきだったかな、と少し司は反省した。


「とりあえずこれ、会長にも渡しに行かないとね」


 話題を変えるべく、司はポケットから小さな巾着袋を取り出す。無地の赤い袋で、中には紙片と推察される感触があった。ちらりとそれを一瞥した小野も、カーディガンのポケットに手を入れる。


「しかしこれ、本当にいただいてしまって、よろしかったのですか」

「無料配布ってわけでもなかったし、気にしなくていいんじゃないかな。それに御手洗さんも言ってたでしょ、『気休めのプラシーボ効果みたいなもんだから』って」

「プラシーボ、ですか。しかし、開けてはいけないと言われると、なんともはや」

「御守りはもともと開けてはいけない、ってなってるもんだよ」


 地下への階段を下りつつ、司は電灯の光に袋をかざした。当然、中身が透けて見えるようなことはなかったが、手にしていてほんのりと温まるような気がして、大事そうにしまう。小野はポケットから手を出して、とたとたと階段を駆け下りると券売機へ向かった。司は定期の範囲内なので、巾着袋をしまったのとは別のポケットから財布を取り出した。


「……呪いも、半分は思いこみで現実に肉を付ける、と御手洗さんはおっしゃっていましたね」


 券売機に向かい千円札を押し込み、戻され、しわを伸ばし、戻され、と繰り返しながら、小野が後ろで柱に背をあずけている司に言った。


「人間は何にでも理由と原因を求めたがるから。呪われてると思いこみ、口に出せば言霊も乗る。自分が信じる自分の世界は簡単に真っ暗になり、自然と物事も悪いところばかり目につく。詐欺師とエセ宗教がリーディングで突くのはそういう、誰もが抱える漠然とした不安だ」


 詐欺師、リーディング、という単語のところだけスタッカートがついて、小野の背中に突き刺さる司の視線は強くなった。苦笑いを浮かべつつ小野が振り返って、一瞬だけ顔を合わせると、司はもう笑っていた。


「そして思いは力を成して力は形を為して形は影響を及ぼす。良くも悪くも」

「サワハさんも、思いこみであんなことになった、と?」


 司は定期を、小野は切符をそれぞれ通して、さらに地下へと下る。時間帯としても人影はまばらで、ホームで電車を待つ人も少ない。


「それはないよ、それだけは断言できる。ただそうなると、今度はサワハさんの方になんらかの原因があることになるかな」

「原因」

「呪われるだけの要因、だろうね」


 一メートルほど距離をおいて立つ小野は、司の言葉に顔を上げたが、視線が合うとすぐにうつむく。


「これは別にサワハさんが人から嫌われる人間だ、って意味じゃなくてね。肩がぶつかっただけで殴りかかってくる人もいる世の中だし、誰かから恨みを買うなんて簡単なんだよってこと」

「……やりきれないですね。けれどそういうことならば、サワハさんと犬神使いは、接触していなくてはならないのでは?」

「だから、わりと近くにいるんだと思うよ。犬神使いは」


 司の発言にまたも小野が顔を上げかけたところで、電車がうなりをあげてホームの向こうから走ってきた。


        #


 乗り換えせずに五つほど駅をすぎると、会長の家の最寄り駅についた。二件目の現場を回った、と会長からメールが入った時にはすでに御手洗による祓いの儀は終わっていたため、自宅に戻っていてもらったのだった。

 駅から少し歩くとマンションや雑居ビルの多い中で一軒だけぽつりと異彩を放つ日本家屋が見えてきて、「あれなの?」と司が問うと小野はうなずいて、言葉を続けた。


「私はここの喫茶店で待っているので、司さんだけで行ってきてください」

「え、ここまで来たのに?」

「私にはあの家、少々敷居が高いので」


 何か以前にまずいことでもしたのかな、と司は思ったものの、もしそうならば余計に深く立ち入って聞く事情でもないので、首肯した司は一人で家まで近づき、ケータイで電話をかけた。

 入ってよろしい、との返事が聞こえると同時にかちりと鍵の外れた音がして、門扉の引き戸を開けた。玄関まで二メートルほどの距離を飛び石が散らしてあり、その上を歩いて渡ると口論義が姿を現す。普段着にしているのか、なぜか浴衣姿で、不思議そうな顔をする司に気付いたらしい口論義は髪をかきあげて「これ家着」とつぶやいた。


「いらっしゃい。あがんなさい」

「お邪魔します。でもこれ渡しに来ただけなんだけど」

「ああそう? じゃあお茶とお菓子だけ持ってくるわね」


 長居させるつもりらしかった。なんだか田舎のおばあちゃんに似たノリだなあ、とテレビで培った偏見による感想を抱きつつ、司は上がり(がまち)を踏んだ。奥の方へ消えていった会長は若干疲れ気味なのか足取りにおぼつかないところもあったが、あまり気にしないようにして待つ。戻ってきたら渡そう、と思いポケットから赤い巾着袋を取り出しておいた。


「司ちゃーん、麦茶で別によかったー?」

「おかまいなくー。……って、司〝ちゃん〟ってなに、なんなの」

「いやね、学生服じゃなくて私服を見るの初めてじゃない。普段と違うからなんとなく気分よ、気分の問題」


 よくわからない思考だと思った司だが、逆らわずにお茶とういろうの乗ったお盆を受け取る。口論義は司の横に腰かけると、浴衣の着崩れを直して湯のみに手を伸ばした。


「サワハには犬神、憑いてたの?」


 現場にまで情報を集めに行ったりしながらも、気にかけてはいたらしい。お茶に口をつけるより先にそうつぶやいた口論義に、司も即座に返答した。


「いや……一応、狙われてはいたけどそこまで執念深いものではなかったらしいよ。御手洗さんがきれいさっぱり〝縁〟を断ち切ってくれたから、しばらく悪い気に近寄らなければ徐々に影響下からは逃れられるって」

「そう」


 お茶を冷ますためか安堵によるものか、ほうと溜め息をついて口論義はお茶をひとくちすすった。そんな彼女の眼前に、忘れないうちにと司は赤い巾着袋を差し出した


「で、これが祓いの時に御手洗さんがくれた御守り。開かないように。でもこれ三つしか作れないらしくて、そしたら廉太郎さんと踊場さんが『ひとつは会長に、だって会長なのだから』だって。ちなみにもうひとつはサワハさんに、最後のひとつは小野が受け取ってた」

「なるほど、ね。まあサワハと小野ちゃんが受け取るべきなのはわかるけど……それ言ったら司ちゃんこそ持ってないとダメじゃないの? 霊媒体質でもあるんでしょ?」

「こっちにきたら、この前みたいに刀で追い払うから大丈夫」


 巾着袋を入れていたポケットから、メスのように細い小刀を取り出す。するとちょいちょいと指で示して、手にとっていいか、とジェスチュアで尋ねる口論義。司はおもむろに刀を差し出した。

 きし、と音を立ててヒノキと思われる鞘から抜くと、刀身はわずかな曇りを帯びた鈍い輝きを晒す。柄にほど近い辺りには細かく丁寧に九字を刻んであり、かつてはしかるべき使い道の下にあったのだろうことが推察された。


「山に入る時、獣を追い払うために金物を持ち歩くべきだ、っていうのは本当だったのねぇ」

「古い品みたいだから、あんまり荒っぽい使い方はしたくないんだけどね」


 返してもらって、またポケットへしまう。ようやくお茶に手を付けた司の前でつまようじに刺したういろうをかじる口論義は、片手のうちで赤い巾着袋をころころもてあそんだ。


「現場行ってきて、なにか見つかった?」

「なーんも。あたしが細かいとこ探すの苦手だからかもしんないけど、きれいさっぱり。血の痕跡もきちんと消されてたし、犬の毛一本見つかんなかったわ」

「幽霊なんだから毛が落ちてたりはしないと思うけど」

「そういえばそうね。ただ、近くの店の人の話聞いてたら、あの日現場にはたしかに、疲れた男の人が入っていくのみたんだって」

「へえ」

「でも現場から出てくるのも見たっていうのよ」

「……え?」

「店の人、警察にも同じこと話したらしくて、目下捜索中だそうよ。その、サワハがマッサージしたって男の人」

「じゃあ、サワハさんが〝レンズ〟をつけた男が死んだんじゃなくて」

「サワハが〝レンズ〟をつけた男こそが、あの二件目の殺しの犯人ね。二件目は、犬神の犯行なんかじゃなかったのよ。あたしも昨日の夕刊見て気付いたんだけどね……記事の情報が一件目の時は『複数の歯型』だったのが『頸部への裂傷』だけになってたの。よっぽど背が低い相手ならともかく、直立してる成人男性という、急所の首を狙いにくい奴を相手取るなら。犬はサワハにした時のように、すぐ噛みつける低いところから攻撃して、首を狙えるよう引きずり倒すはず」


 司の視た犬神の容姿と、サワハが視た犬神の容姿が食い違っていた理由がようやく判明した。

 おそらく、サワハが視たのは〝レンズ〟をつけた男が、背を丸めてその場から立ち去ろうとした瞬間だったのだ。犬神の一件が頭に残っていたサワハは、思わずその姿を大きな犬だと勘違いした。


「日本の警察は事後の行動力に関してはまだまだ高水準だから、さほど間をおかずに捕まるんじゃないかしらね。ともかく、二件目は犬神は関係ないただの殺人事件だわ。ホント、余計な手間とっちゃった! 早く犬神使いを見つけないと」

「となると、一件目が起きてから昨日までで、サワハさんが接触したことのある人を洗ってく作業かな」

「そうなるわね。なにかのきっかけで、サワハに対して害意を持ったと見なすべきだから。けどあいつ店のお手伝い含めると不特定多数の人間と接してるから、順番にあたるだけでも一苦労だわ」


 やれやれと肩をすくめる口論義に、苦笑いを返す司。けれど口論義はつられて笑うようなことはなく、隣の司に流し目を送りつつ、上体を逸らして後ろに手をついた。


「本来の目的もあるけど。サワハを傷つけられてるのに、このまま黙ってらんないのよ」


 奥歯を噛みしめた表情は、小野が時折見せる表情に少し、似ていた。


「……でもそれは、司ちゃんには関係ないか」

「え?」

「ちがったかしら?」


 突然しゅんと感情がなりを潜めた口論義は、司に向き直ると人差し指で額をこづく。


「本音言うと、昨日もきみには犬神を視認できたようだし、協力を仰ぎたいと思う。でも半分以上私情が入ってきてるから……降りたければ降りても構わないわ。降りたからって情報提供をやめるなんてのもない。協力関係だからね。むしろ昨日サワハを助けてもらった分で、ずいぶん借りができちゃってるもの」


 たしかに司は、さっきの口論義のように怒りに燃えることができるほどサワハと親しいわけではない。まだ昨日会ったばかりで、赤の他人より少しは知ってる、という程度でしかない。

 とはいえここで降りるほど、非情なつもりはなかった。……先に選択肢を与えることで平等性を意識させ良心に訴えかける、という心理操作を受けたような気もしたけれど。


「なまの情報が欲しいしね。乗りかかった船から降りて泳ぐ気はしないよ」

「そ。じゃあ今後ともよろしく」


 にやっと笑う口論義を見ているとやはり人を使うのに慣れていることが感じられたが、今はそれでもよかった。司にとってはこの一件も、本当に危険な領域に踏み込むための、足がかりにすぎないのだから。


「あら、メールね」


 テレッテッテー、となにかの効果音と思しき着信音が発せられた浴衣の袂からケータイを取り出し、口論義は画面をためつすがめつ覗きこむ。


「会員メールだわ」


 ほれほれと画面を見せつけられて、発信者の名前が「踊場ショタ郎」となっているのが確認できた。言われて、司もケータイを手に取る。病院にいる間サイレントにしていたので、着信に気付けなかったのだ。


「なになに……二件目の犯行は人間によるものでほぼ断定、ってこれ今話してたやつじゃない。踊場の奴も情報遅いわね。情報板も書きこんでるみたいだけど」


 そのあとにも少し文章が続いていたようだが、口論義はすぐケータイをしまった。つられて司もしまいこみ、手持無沙汰になった右手でういろうをつまんだ。口論義はというとあごの先をつまんで、首をかしげている。


「んん? 踊場は情報板に書きこんでるってことは家に帰ってるみたいだし、廉太郎は土曜の午後は道場行ってるし。ここに案内してきたのって、もしかして小野ちゃん?」

「あー、うん。家の前まで来たんだけど、入らずに引き返した」

「ふうん、そう。なんだ」


 なんだ、のあとになにか言葉が続きそうに思えたが結局口論義はなにも語らず、お茶の最後の一滴を口の中に落とすと、湯呑みを置いて立ち上がる。


「おかわり要るなら持ってくるけど」

「いやどうぞおかまいなく。というか、玄関先なのにだいぶお邪魔しちゃったから。そろそろお(いとま)させてもらうよ」

「そう? 悪いわね、なんか急かすようになっちゃって。ういろうくらいしかないけど、またいつでもいらっしゃい。あと、これありがとう、って御手洗さんにお伝えしといて」


 口論義は巾着袋を振ってみせた。立ち上がって、土間で靴の爪先をとんとんと叩いた司は、返事をしつつうなずいた。


「わかったよ」

「ところで御手洗さんとはコネクションができたと考えていいのかしら」

「うーん、まあどうなのかな。あの人、それ渡してくれたのもそうだけど、基本的にお人好しなせいでなんだかんだ怒りながらも最後まで面倒見てくれる人だから。一度知り合っちゃえばけっこう太めのコネができたと言えなくもないかも」

「……よくそんな良心的な性格で、詐欺師と本物が入り混じったオカルト(そういう)業界で生き残ってるものね」

「兼業っていうか本業で、カウンセリングもやってるから。どっちかっていうと『憑かれた憑かれた』って言って来る人の中でも、そっちを求めてる人が多いらしいんだよ」

「……世も末ねぇ」

「憑かれたとか思っても、口にしなきゃひどくはならないのにね」


 そんなことを話しあって、司は口論義邸をあとにした。


        #


 往路を少し戻り、先ほどの喫茶店『アーガイル』の前に着く。ドアに嵌めこまれたガラス窓から中を覗くと、奥の席にちょこんと腰かけた小野が、西日を浴びながらカップを口へ傾けているのが見えた。

 ドアベルの音が頭上から背後へ流れていくのを耳にしつつ、司は店内に入り込む。カウンターの中ではさるぼぼの頭巾のような帽子をかぶった背の低い女の人と、中肉中背の仏頂面をした男の人、二人がせわしなく動いており、司に目を留めると席へ案内しようとしたが、手を振ってそれを断ると小野の正面に移動する。


「あ、司さん。おかえりなさい」

「いやおかえりではないと思うけど……だいぶ長居しちゃったから、待たせたね。こんなことなら連絡して、先に帰っておいてもらえばよかったかな」

「さほど問題はありません。元から、今日の午後は家に戻らずその辺をぶらぶらと歩きまわる予定でしたので」

「犬神の情報を探して?」

「情報を探して、というわけでもないのですが……ええと、なんといいますか」


 言葉を探す小野。スムーズに会話するにはまだまだ経験値が足りないことを自覚している司は何も言わず、小野がまた話しだしてくれるのを待った。その間にカウンターから男の方が出てきて注文を尋ねたので、司はアイスコーヒーを頼む。


「とりあえずこれから、私は現場周辺を回ろうかな、と思っています」

「そっか。こっちはどうしようかな……足で探すことには賛成なんだけど、実はすでに一件目のところと犬の遺体が発見されたところには一人で出向いたんだよ。で、二件目は人間による犯行の線が強いってさっき踊場さんからメールが来たわけで。犬神探しのためなら向かう意味があんまりない」

「一件目とわんちゃんの場所には、なにかありましたか?」

「ううん。なにが起きたかもわからないうちに死んじゃったからだろうね、一件目の現場には幽霊の痕跡すらなかった。犬の遺体の場所には、恨みが積もり積もってたけど遺体が供養されたからか次第に怨念も薄れてきてる感じだったし。犬神自体も力は弱まっていくはず」

「でもこのままだと、犬神使いの勝ち逃げになってしまうのでは」

「残念ながら」


 珈琲用に置かれている角砂糖をひとつ取り上げて、端からかじる司。がっくりと肩を落とす小野は自分の前に置かれた紅茶に手を伸ばして、角砂糖ひとつ入れるとゆっくりと、時間をかけて、飲みほした。


「……許せません」

「そりゃあね」

「不条理です。悪逆無道が、このまま放置されてよいのでしょうか」


 手にしたティーカップが、強く握りしめられる。小野の中で弾けた感情がなんなのか、司にはまだ詳しくわからないが。非道なことに素直に憤ることができるのは、いいことだと思えた。


「……方向性をまちがえなければだけど」

「なにかおっしゃいましたか?」

「特になにも。事情は人それぞれ、考え方もまたしかり、と思っただけ」

「人を呪う人間の考えなど理解が及びません」


 つっぱねる小野に、司は少し思うところがあった。

 思うまま、口にする。


「さっきも話したじゃん。人は簡単に人を呪う、って。小野は誰も恨まず呪わず、罪だけを憎んで生きて来れたの?」

「方法として呪うことと、思いとして呪うことは、また意味が違うでしょう。殺したいと思うことと、実行してしまうことの間に、大きな差があるように」

「いや。物理的な殺人とちがって呪いが法で裁けないのは、そこに差がないからだよ。呪いは最悪、思うだけで実現してしまう。生き霊くらいは知ってるでしょ? ただ思うだけでも呪いは成立する。より強めるための装置に過ぎないんだよ、儀式や道具は。本当に強い力があれば、睨むだけでも呪いになる。相手に害意を感じさせれば、それがマイナス方向へと思考を惹き寄せて悪いことが起こり易くなる」


 司の言葉を聞いて小野は黙り込む。別段追い詰めるつもりでこんなことを話したつもりではなかったのだが、一つの方向からしか物事を見ないままでは、人は人を呪いやすくなる。どういう事情の下に小野が呪術師を追うのか司は知らないが、同じ存在になってしまって良いことはひとつもない。


「ならば誰も、人を呪うことを裁けないではないですか?」

「小野は裁く気で追ってんの?」


 病室に居た時の逆転だった。問いに問いを返して、司は運ばれてきた珈琲を口に含む。正直口論義のところでもお茶を呑んできたので水っ腹になっている気がしたが、そこは角砂糖をかじってごまかした。

 うつむいた小野にそれ以上声をかけることはせず、司は左手にある窓の外を見やる。うごめく人並の中には、ごくたまに幽霊もまぎれこんでいるはずだ。けれど生者と差がないように視えてしまう司は、滅多なことを口走らないように気を付けて、この〝普通の〟社会では生きてきた。

 人と違うということは、人と違う世界を見ているということである。


「思いこんで口に出せば、世界は自分が望む通りの見方の角度を示すけど。裏を返せばそれは多角的な見方を示してくれないってことだよ」

「……なんだか、宗教じみた物言いですね」

「あいにくと特定の宗教を信奉するつもりはないね。それに誰もが呪いあってるこの世の中で、一人だけ聖人君子になれとか言うつもりもない。ただ自分が人を呪うにあたっては、相応の覚悟をして。責任が伴うんだってことを覚えておいた方がいい」

「…………、」


 口論義はサワハが傷つけられたことに憤っているだけだった。しかし小野の表情は、時折寒気がするほど冷たく、硬く、凍りつく。並々ならない事情の下にそういう顔をしているのであろうことは司にも想像はついたが、リスクは知るべきだと、そう思った。塞ぎこんだ小野が何を考えているのか司には計り知れないが、同じように小野も司の考えを知ることはない。互いに、自分の内を開示しない限りは。

 小野は左手で右腕をぎゅっと押さえ、どこか懇願するかのような顔つきで、司に言った。


「では……ではどうすればいいんです。呪い返す(、、、、)ことは、そんなにダメでしょうか? 司さんは、色々と呪術師を知っているから、そういうことが言えるのですか?」

「……ちがうね。死んだ人が視えるんだよ? 老衰以外で死んで、恨みつらみを辺りへ振りまく少年もいたし。嘆くだけ嘆いて、話を聞こうともしない母親もいたし。もう一度現世に戻りたいと、こっちの身体に入ってくる奴らもいた――他人を呪うのは、そういう連中だけで十分だと思う。そいつらには、もう失うものが何もないから。思いだけしか持たないならばそれを燃やし尽くした方がいい。でも生きてる人はだめだよ、失う物が多すぎるはずだから」


 人を呪わば、穴二つ。たとえそれが正当防衛であっても、他者を害するために〝まじない〟を〝呪い〟へ変換した時、人が大事なものを取りこぼすのを司は幾度も目にした。そのたびに御手洗に、教えられた。『恨むも憎むもしょせん人には止められない、だけど呪うことだけは思い留まれ、留まれなくても思いだせ、手放したくないものはないのかと』


「……それとも、今自分の近くにあるもの全てが、呪いを成就させることに比べたらどうでもいいものなの?」

「そんな、ことは」

「じゃあやめた方がいいよ。人を呪わば穴二つ、っていうのは、踊場さんの言葉を借りるなら作用・反作用の法則だ。呪えば呪った分だけ術者も蝕まれて、大事なものを失ってる。そしてそれはたいてい、取り戻すことは叶わない」


 締めくくり、司はカップを空にすると立ち上がる。残る小野はカップの底をじいっと見つめて、どうしようもない自分の気持ちがぐるぐると心中で駆け回るのを押えた。


「……呪術師、なんて……」


 言葉の終わりは、形にならなかった。形に、しなかった。




Name:口論義風鈴こうろぎかざり

Hobby:読書(と言いつつ読むのは月刊ムーおよびホラー漫画)絵画(ただしベクシンスキーみたいな絵)

Weakness:和菓子全般(手から出せたらいいのにとぼやく)

Specialty:ブラウン管テレビの電源が入っているか否かを消音状態であっても部屋に入る前に察知できる

Skill:〝虚言看破トゥルー・オア・フォールス〟言葉の真偽を察知する。ただし音声媒体で・対象が口論義を強く意識していない時のみ発動する。また「本当のことを話さない」は嘘に入らない。

Notes:「ふーりん」と呼ぶと烈火の如く怒る。



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