五題目 「お見舞いありがとネ」とサワハは笑う
保健室に運び込まれたサワハは即座に止血を施され病院に運ばれていった。口論義は付き添いのために同乗していき、残った司と小野、踊場、廉太郎の四人は「校内で犬に噛まれたりするのであろうか?」と学年主任の教師から質問されたが、どう答えたものかもわからず「野良犬が入ってきたのかもしれません」とお茶を濁しておいた。
物理実験室に戻ってようやく落ち着いた頃には、すっかり日も沈んで部屋の中もすみれ色で満たされている。ぶ室のドアを開ける瞬間には少しだけみんな肩をこわばらせたが、中には何も存在せず、ただ出ていく時の慌ただしさだけが物の散らかった光景として残っていた。
「俺たちは、なにも、出来なかったな」
噛みしめるような廉太郎の言葉は、四人全員の胸に重く響いた。
「……どうにも出来ないことだったのだろうさ。特に、きみの能力など本当に微妙だから少なくとも僕は期待もしてなかった」
「うるさいぞテメエ」
「それに、僕らはそれぞれがそれぞれの目的を持ってここに集っている。覚悟は各々出来ているのだから、気に病む必要はないはずだよ」
遠回しにではあるが少しだけ責任を軽くする言葉をかけて、踊場は椅子を引いた。
「それにしても、やれやれ。『クラリータの黒い怪物』にそっくりの事態じゃないか」
さっきと同じ位置に腰かけて、踊場はなにやら思わせぶりなセリフを吐いた。疲れていたが、司は気晴らしに話をうかがう。
「なに、それ」
「一九五一年、フィリピンで起きた奇怪事件さ。なんだかよくわからないものに噛みつかれるから助けてほしい、と当時十八歳だったクラリータという少女が警官に泣きついたことから発覚した事件でね、クラリータは必死に訴えかけたが、その証言が『男かも女かも外見すら知らない〝なにか〟に噛みつかれる』というものだったため、彼女が麻薬中毒におかされていると判断した警官はクラリータを警察署へ連行したんだ」
「たしかに、幻覚を見ている中毒患者としか思えない証言ですね」
「ところが、クラリータは警察署の一室に入ると『また今度はそこにいる、黒いなにかに噛みつかれる、助けて』と叫び出して、警官が見ている前で実際に彼女の身体に噛み痕が現れた。もちろん、そこには何もいなかったという。触れようとしても彼女の身の回りには何もいなくて、透明の怪物が噛みついているかのように、ただ肌に噛み痕だけが現れたそうだ。……そういえば、世の中には一度ストーブでやけどした人が火の入っていないストーブに手を置いた際にもやけどを負うという、奇妙な事例もあるそうだけれど」
サワハの身に今さっき起こったことと、酷似している事件だった。けれど司はゆっくりと首を横に振って、踊場の説を否定する。
「脳の想像でやけどをするとか、見えない怪物による攻撃とかじゃ、ないよ。他の人には視えなかっただろうけど、確かにあそこには犬神がいたんだ……げっそり痩せてて血肉を求める、飢餓の亡霊だった……動物が苦手な火、ひいてはそこから生まれる鉄の品である刀があったからこそ、今回は追い払えたけど」
役に立つこともあるもんだ、と司は内ポケットを服の上から押えた。
するとその時、バイブ音が響く。踊場はポケットからケータイを取り出すと会話をはじめ、その相手は口調から察するに口論義であるらしかった。踊場は二、三言言葉をかわすと少し耳元からケータイを離して「サワハくんは無事そうだ」と説明し、また会話に戻った。
司が断片的に聞き取れた内容からするとまだショックで眠っているらしいが、縫合はうまくいったのでそれほど傷跡が残るようなこともないらしい。もう少し早く〝視る〟という方法に気づいていれば、と後悔していた司には、これは朗報だった。
「しかし飢餓の亡霊、かい。施餓鬼でも行わなくては治まらないのかもしれないね」
「踊場さん、ひとまずはサワハのいる病室の四隅に、盛り塩をするように言っといて。少しは悪いものが近付きにくくなるだろうから。あとは時々、指を鳴らしてリズム取るのもいいかもしれない」
「弾指か。そのあたりは彼女、音楽は好きだしよくやっているがね。特に気をつけるように言っておくとするよ」
「しかしそれでも、また訪れるかもわかりませんし……さっき名刺で拝見した、御手洗さんをお呼びするのはどうでしょう?」
「……祓い料、部費でまかなえる?」
「ああ、そういえば、名刺をもらう際に冗談で祓い料を訊ねたのでしたか」
小野の問いにうなずいて、司は右手の指を三本立ててその後ろに左手で作った輪を四度並べてみせると「プラス、実費」と答えた。口論義などはともかくとして、バイトもしていない司たちには少しお高いことだけはよく伝わる。ところが、
「こういう時に使わんで、部費なんていつ使う」
「いや廉太郎さん、そうは言うけど領収書のナントカ代、ってところどうするの」
「祈祷料三万円也と正直に書けばいいだろ。足りなければ俺も出す」
ふんぞり返ってこう答えた廉太郎に後押しされる形で、結局司はアドレス帳から呼びだした御手洗の番号におそるおそる電話をかけた。ぼそぼそと小声で話す司は畏縮した様子で、犬神の件について説明をした。
するとスピーカーホンを使っているのかと疑いたくなる声量が飛び出してきて、卓を囲んだ三人はびくっと身じろぎして司から離れる。どうやら忠告を聞かず犬神に関わったことについて叱られている様子で、司は平身低頭、自分のケータイに向かってぺこぺこと謝りながら話を続けていた。
五分ほどして通話が切れると、憔悴しきった司は三人に「特別に一人頭ワンコインで受けるって」と交渉結果を告げる。だが三人はお金の面がどうにかなったことよりも、人が叱られている気まずい空気から解放されたことについて安心していたのだった。
「……しかし、どうしてサワハさんが狙われたんでしょう」
「さあね。けど、不審な点がある」
小野の疑問に、司が自分の疑問点を付け加えた。椅子にもたれて横目でサワハの座っていた席を見やり、そこで自分が視たものについて、語った。
「サワハさんは『茶色い毛並みの、レトリバーより大きい犬』って言ってたよね。でもここでさっき視えたのは、白っぽい毛並みの柴犬だった。サワハさんは霊視できないんだし、これって生きた犬による二匹目の可能性も否定出来ないよ? 一匹をずっと使役し続けて恨みと憎しみでどろどろにさせるのは、術者にとってもリスクが大きいと思うし。思念が載りすぎて制御不能になったら、それこそ自分が食い殺されかねないんだよ」
「……当然の結末でしょう」
頬をひくつかせながら、小野は静かに言った。
呪いは人の法に拠って裁かれることはない。もちろん本当の邪術を扱えるような人間はそれほど多くはないはずだが、いずれにせよ悪意を以て人に思念を向けることは、見えない刃をちらつかせることに等しい。
人の法律に記載されていなくとも。この世の法則において、他者の不幸を望むものには、相応の結末が待つ。
今さらながらそんなことを思い、少し感慨にふけって。司は、すっかり暗くなった室内を見回して、自分の荷物を手に取り立ち上がった。
「御手洗さんは今日仕事あるらしいから、明日の午前中に直接病院に出向いてくるって」
「では本日は解散ということにして、私たちも明日また病院にて集合するとしますか」
「明日、土曜日だったか? ああ、なら了解だ。それと、サワハの荷物は俺が届けておこう」
「祓い料は明日徴収ということにしておけばいいのかい」
「うん、それでいいと思う」
それぞれがなんとはなしに肩に重さを感じつつ、その日はそこで解散という流れになった。
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翌日、病院の最寄り駅のホームに降りた司は、隣の車両から出てきた小野と出くわした。白いワンピースに緋色のカーディガンを重ねた服装は自分の「量販店のパーカとジーンズ」という格好よりは洒落っ気があって、なんだか負けたような気分にさせられた。
地下から地上へ出るまでの間、連れ立って歩いてはいたものの会話はなく、微妙なやりづらさを感じながら病室を訪ねる。見舞い品のリンゴを片手に、ドアをノックした。
患者衣のサワハは左の手首足首に包帯を巻いていること以外はさほど異常は見られず、また〝視た〟場合でも変わったところはなかった。本人いわく健康そのもの、とのことだが一応建前の上では「犬に噛まれた」としてあるため感染症などがないか検査しているらしい。
ただ、ひとつだけ部屋の中で異常と思われたのは、サワハの身体ではなく。四隅に施した盛り塩の頂点が少し黒く変色していたことだった。視線に気づいたのか、先に来ていた廉太郎と司の目があう。だが司の視線はすぐに下にずれた。
「どうした」「いや……あ、廉太郎さん?」「誰に見えるんだ」「廉太郎さん」
廉太郎は青い作務衣を着ていたため、一瞬他の病室の患者がいたのかと思ったらしい。
「だいじょぶよー。ケガ痛いないね。それと司くん、昨日助けてくれたありがとネ」
「そんな、感謝されるほどじゃ。まあ、なんにせよ大事に至らなくて何よりだよ」
「うん。無事でよかたヨー。あ、レンタローそこのリンゴとって」
「あいよ」
窓際の戸棚に腰かけ器用に皮をむく廉太郎は司たちにベッド脇の並んだ椅子に座るよううながして、少しすると司たちの分もリンゴをむいてくれた。ありがたくそれを頂戴しながらも司は盛り塩から目が離せず、結局五分もしないうちに自ら塩を取り換えた。
「……塩、黒くなってるようだな」
「効果はあったってことだけど。同時に、効果が必要だった、ってことだね」
「御手洗さんとやらが来るのはいつだ」
「一時。だからもうそろそろだと思う」
しかしドアが開いてやってきたのは食事で、これがまたいかにもおいしくなさそうなものだった。がっかりした様子でサワハは「トムヤムクン食べたいー」と駄々をこねた。結果、残ったいくつかのおかずを小野が食べさせられる羽目になった。もぐもぐといやそうにしなびたサラダを食べつつ、小野が時計を見た。
「御手洗さんもそうですが、会長と踊場さんも来ていませんね」
「ケータイで列挙集見たらいくつか更新されてたし、踊場さんはまだ情報収集じゃないかな。会長も二人目の現場に寄ってから来るって話してたから、噂の真偽を確かめてるとか」
「敵を早く見つけられるといいのですけど」
「見つけて、どうするの」
「司さんはどうしますか」
問いを問いで返されて、なんだか一方的だなぁと思ったが。よく考えてみて、けどやはり思いつくことは二つくらいしかなかった。
「もう二度とこういう邪術を使わないよう、使えないようにする。そのうえで、ある村のことを知ってないか、もしくは出身者だったりしないかを、聞く」
「ああ、村を探すのが目的だと言っていましたものね」
うなずく司。だがここ数日、列挙集と首っ引きになって情報を調べ続けたのだが、なにひとつとして有力な情報は見つからなかった。大抵見つかるのは「連続殺人事件被害者たちの怨念が残る村」だの「入口にドクロの岩、鳥居、その先にある廃村」だの「この先日本国憲法通じません」だのといったよくある都市伝説系の話で、司の探す情報に合致するものはなかった。
「どういう村なんですか?」
問いを重ねられて、どう答えたものか迷う。
思い出されるのは、日本人の思い浮かべるような田舎の風景だ。そこには都会のように様々な物に溢れかえることもなく、ただ必要なものだけがあるように見えて、
一番要らないはずの〝人の悪意〟が、今にも溢れだしそうな村だった。
「……一見、普通の村だよ。法律も通じるし、気のふれた奴が連続殺人を成し遂げたりもしてない。ただ……独自の、土着の因習とかそういうのが、深く太く根付いてた。覚えてるのはそれだけ。村の名前もどの辺にあったかも、さっぱりなんだよね」
「故郷、なのですか」
「そう。そんで、因習とかそういうのに深く関わっていた村の奴は――すべて、呪術師だった」
小野の表情が固まる。司は脅かすように言ってしまったことを少し悪かったとは思ったが、言いなおすつもりもなかった。
否。むしろ、言いなおすとしたなら。村の構成員すべてが呪術師なのだと、そう言いなおすべきだとさえ思っていた。表面的にはただの村、人柄のいい人間たちを装っていた彼らは、その大半が腹の内に黒く淀んだ澱のごとき悪意を持つ、呪いの伝道者だったから。
「ということは、その村には呪術師が何人もいるのですね?」
固まった表情に緊迫した空気をまといながら、小野は隣の司に顔を近づけた。妙なほどの食いつきに驚く司だったが、それはそこ、こんな研究会にいるのだからと自分を納得させうなずきを返す。
「職として人を呪う人は少なかったらしい。でも、この時代で生活の中にもあれほどの呪術性を重視するのは、今から考えると異常としか言えない」
当時の司はしつけやしきたりが少し厳しい、くらいにしか考えていなかったが、こうして現代における〝普通〟の暮らしにまみれてしまった今では、その空間は異常としか思えなかった。
「でも、戻んなきゃいけないんだよね……そこにちょっと忘れ物してきちゃったみたいで」
苦笑いを浮かべてあごを掻いた司は、心底めんどくさそうな顔をした。
小野はただ神妙な面持ちで「見つかったら、私にも声をかけてください」と言った。行くつもりなの、と司が言うと、こくりと首を傾けた。
「私は呪術師の先に目標があるのではなく、純粋に呪術師を探しているので」
「……へえ」
司は、理由を聞くのをやめておくことにした。無言であっても冷たく研ぎ澄まされた表情が雄弁に語っており、それを見た司は「各々が様々な思惑の下にここにいる」との意味を、ようやく理解した。
「そういえば、サワハ。お前まだ〝レンズ〟をつけてあったりはしないのか」
「ん? んーん。レンズひとつだけよ、あとつけてないヨ。とゆーかつけるしてたら言うね」
「そらそうだ。しかしもうちょい、犬神の容姿とか周りに術者がいなかったかとか、細かい情報がほしかったものだぜ」
「無理ヨそんなん。夜目サワハ利かないし」
「念写とか使える奴がいればな」「レンタロ漫画読み過ぎネ」
ぶつぶつと二人で話していた間、廉太郎とサワハも何事か話しこんでいた。そこでレンズ、という単語の意味がわからなかったので、司は首をかしげる。サワハはにっと笑いながら指先で輪をつくり、自分の片目に押し当てた。
「レンズあれよ、サワハの微能力。サワハ遠く見えるケド、条件あるね。まず、透視は出来ないのことヨ。だけど左の手でさわったとこ、レンズ置いとける。そんで片目閉じるで左手かざすと、レンズから遠く見えるの」
「……えーと」
「不可視のカメラを設置出来るんだと思っとけ。で、発動条件が片目を閉じて、開いてる方の目に左手をかざすことだ。もう片方の目を開けると効果が切れる。一度使ったらレンズはその場所に固定されて、効果が切れたらもう使えないがな」
「ストーカーに便利そうな」
「誰でも考えるとは思いますが口に出すのはいかがなものかと」
「だれでも、ってことは小野も考えた?」
「考えてません!」
じろっと横目でにらみつけられ、鳥肌がたった司は軽口をやめておいた。
「……でも、微能力って言ったから。やっぱり微妙なところあるわけだ」
「いえす。サワハレンズのぞいてる時、すっごい視力落ちる。距離遠いほど見えなくなるネ」
「意味ないじゃん」
「ふっふー、ところが研究重ねたサワハびっくり仰天。その欠点克服したネ」
ひょいと廉太郎に向かって手を伸ばしたサワハは、メガネを奪い取ると自分の眼前にかざした。まさか、と頬をひくつかせてあまりにもくだらない解決策を予想した司は、二秒後に予想が的中してしまってがっくりした。
「視力落ちる、ならメガネで視力矯正ヨ。ちなみにオペラグラスのぞくすればもっと遠く見えるね」
プライベートを守るべく、うかつにサワハにふれられることは避けねば、と心持ち後ろに司は退く。サワハは残念そうな顔をしたが、すぐにいたずらっぽく笑って、左手を伸ばした。手首に巻かれた包帯が少し痛々しく見えたため反応に遅れ、額にタッチされてしまう。
「ぐあ、しまった、もうお風呂もトイレも行けない」
「おう、昔のアイドルさんね?」
「いやアイドルでもお風呂は入ってたでしょう」
小野の的確なつっこみにサワハはころころと笑った。ふと司は「こんな研究会にかかわったせいでケガしたのに」とサワハを案じるような、自分たちを貶すような思考を浮かべてみたが、彼女も彼女でまたなにか目的があってのことだろう、と即座に自分の思考を掻き消す。
ただ、サワハがそんな陰惨なものに興味を示す人柄に見えなかったためにそうした思考が浮かんだことも、また事実だった。
と、ドアを開けて病室に入ってくる者がいる。どきりとして身をすくめる司は、振り返る直前に視界に入ったサワハがまったく怯えていないのを見た。
「やあ、サワハくん。つつがなく息災かい?」
入ってきた踊場はダウンベストにネルシャツを合わせた格好で、右手にはバスケットに納めたマスクメロンをぶらさげていた。サワハが目を輝かせる。司は小野と顔を見合わせて、駅前の見舞い品屋で共同購入したリンゴを見やる。値段の差が激しく、なんか負けたような気持ちにさせられた。
「踊場サン。ども昨日はお見苦しいとこお見せしましたネ」
「いやいや、気にしなくてもいいよ。むしろ防護策もなく調べ回らせている僕らにこそ、落ち度があったといえるのだからね。本当にすまなかった」
「赤馬さんがいた時の安心感、というよりも油断みたいなもんが俺らの中に染みついてるのかもしれんな。卒業した人に頼るわけにもいかないが、なにか方法を考えねば」
「金に糸目をつけないなら、今日お世話になるっていうその御手洗さんにお願い出来るのだけどね。あいにくと僕らは部活動ではなく同好会レベルの扱いで、降りる費用は少ない。それに学生の身の上ゆえ個々人としてもさほど潤沢な資金があるわけではないからねぇ」
じゃあそのメロンは一体、とつぶやきを漏らしてしまったのは司のみで、小野は司から目を背けて口を真一文字に結んでいた。踊場は笑って「実家から贈られてきたのさ」と返してきたのでそれ以上は何も言えない雰囲気だった。つっこんで聞いてはいけない事情があるらしい。
「口論義も今は情報収集と同時に、対抗策などを探しているそうだ」
「策っていうけど。素人が術を使おうとか、そういうんじゃないよね」
「難しいものは使えないですし、使いません。私たちだって現代に伝わる術がどれほど過程を失伝しているか、間違った過程の術がどれほど危険かくらいは、知っていますから」
「必要に駆られれば危険なものを使うことはあるが、僕らもリスクは負いたくないからね。何事にも適当さというのは大事だよ」
「ならいいんだけど。そういえば、踊場さんは今日なにしてたの?」
「僕かい? 僕は犬神使いについてもう少し詳細な情報を募っていたよ」
メロンの入っていたバスケットの底に敷いてあった布を取り払うと、ノートパソコンが入れてあった。この隠し方になんの意味が、とは思ったもののもはや指摘するのが面倒に感じて、司は黙って立ちあがった画面を見た。サワハのベッドを囲んで五人でのぞきこむとかなり狭苦しかったが、我慢して間を詰める。
「といっても、今回の事件についての情報はあまり得られなかったのだけどね……とりあえず信憑性の高そうな会話ログをピックアップしてみた。そうしたら、少々先の話に戻る形になって申し訳ないんだが、『犬神使い』の術についての情報が寄せられたよ」
「術について?」
みんなで固まっているため小声で話す司に、踊場は大きくうなずく。上からのぞきこんでいた廉太郎のあごに頭突きをかます結果となったが、謝る素振りも見せずに説明を続けた。
「思えば、世間に伝わっている犬神の作り方はあまりにもお粗末だと思わないかい? 埋めて絶食で恨みを残して殺す。そんなことをすれば犬が恨むのは術者自身に決まっているだろう?」
「まあ、そうですね。ならば顔を隠して実行し、写真で術の対象としたい者を見せつけながら、という手をとるのはどうでしょう?」
「うん、写真でも対象者の毛や爪でもいいけど、媒介として関連性を持ったものを使うのは確かに有効だと言われているよ。実際『夜に爪を切ると親の死に目に会えない』などという伝承は、日本人が自分の肉体の一端にさえ霊性を信じておりそれを他者に取得されることは自分の一端を握られることだとの認識があったためなのだしね。けれどそれは『正確な方法ではない』……わかるだろう? 正確ではない方法は、呪詛を己に返すこととなる」
「天に唾する者には因果応報というわけだ、なっ!」
さっきの仕返しか、後ろの廉太郎が踊場の頭頂部に強烈な頭突きを放つ。踊場が勢いのままキーボードに突っ込んだために、画面に「くぁwせdrftgyふじこlp」と意味のわからない言葉の羅列が打たれた。画面から顔を起こした踊場は、涙目で顔をしかめる。
「いたたた……それで、だ。要は、この犬神使いはちゃんとした呪術師である可能性が高まってきたということだよ。三件も連続して行う辺りは少々不審なところだけれど、少なくとも術者に呪詛返しが来てるわけではないみたいだから、ねっ!」
背後に振り抜いた踊場の肘打ちはひょいとかわされて空を切る。廉太郎はにやにやと笑いながらベッドのそばを離れて、今度は踊場のメロンにナイフを入れた。まな板もなしに、空中で器用に刃を進ませている。
「レンタローも踊場サンもケンカするケガするダメよー。特にレンタロ、あんた強いから手出すのダメね、踊場サンよりもっとダメ」
「やられっぱなしでいろと言うのか。そんなこと言う奴にはメロンは渡さん」
「いや僕のメロンだろそれは。なぜきみが我がもの顔でカットしているんだい丸メガネ」
「全国のロイドメガネ保持者に謝れ。あと俺のメガネそんなに丸くないし」
さくさくと手際よくぺティナイフでカットしていく廉太郎をしばらく踊場はにらみつけていたが、刃物を持ってるところに殴りに行くのも双方危ないと判じて、そのまま画面に目を戻す。
「……情報は徐々に集まりつつある。よって、これから僕らは恐らく本物の呪術師とやり合うことになるだろう。それは、そこのメガネはともかくとして、それぞれが各々の事情の下に望んで臨むことではある。けれど――おっと、この先は口論義のセリフなのでね、そのように心して聞いてくれ」
少し背筋を正した司たちに、息を吸った踊場は、よく通る声で代弁した。
「――『会長のために働け』。以上だ」
Name:サワハ
Hobby:和風小物集め・子供と遊ぶこと
Weakness:トムヤムクン
Specialty:『白猿ハヌマーン』のモノマネが異常に上手いが忘年会でしかやらないと決めている。あと家業のタイ古式マッサージ。
Skill:〝気色食む目〟設置型の微能力。左手の力場を付けることでその対象に付随する遠隔視。ただし発動時に対象からその場所へ貼りつくため常に付いて回ることは出来ない。
Notes:「サワハ」の発音は「短歌」と同じ