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百奇夜行で鬼天烈な。  作者: 留龍隆
犬神使い編
4/38

四題目 「危険は憑き物」と踊場が付け足す

        #


「つかさぁー、メシにしよっぜっ」


 うるさい声で目覚めた司は、前納のテンションにうんざりしながら目をしょぼつかせて時計を見た。昼休みに入ったばかりの十二時四十分で、目を落とすとノートの最後の方はミミズの死骸のごとくうねうねと波打っていた。自分が授業の後半ほとんど寝ていたことを、そこにきてようやく自覚した。前納に言葉を返す。


「今日は、お弁当持ってきてないし学食行くんだけど」

「なんだよちくしょー、最近付き合い悪いぞおめー。おれに一人メシしろってのかよ」

「今日はもう一人いるじゃん」


 前納に言いつつ、(はす)(むかい)という斜め前に座る男を指差す司。途端に前納が不満そうな顔で歯をむき出しにしたところで、のっそりと蓮向は振り向いた。スポーツ刈りで制服をきっちり着こんだ、いかり肩の大柄な男だった。ちなみに大柄だが太っているわけではないその身体は、彼曰く柔道で身に付けたものらしい。


「……なんだ」


 しゃがれたテノールボイスで答えたそいつに、司は笑顔で言った。

「昼ごはんを前納がおごってくれるって」

「おーいおい司、なに勝手に適当なこと言ってやがんだ」

「……おごってくれるのか?」

「なんでおれがテメエにおごらなきゃいけないんだ。おれはだなー、ただ司にメシ食おっぜって提案しただけだっての」

「……で、却下されたのか」「考え中って奴だっ。たぶん」


 前納が言うと、蓮向はおもむろにごそごそと鞄を漁り、次いでひっくり返して中身をぶちまけた。中には弁当箱があったが、開いてみると中は空だった。いや、正確には乾いた海苔の切れ端などが付着していたが、少なくとも弁当と呼べるレベルの食べ物は入っていない。三人全員が押し黙る。

 蓮向は、取り出した時と同じく緩慢な動作で弁当箱をしまうと、立ち上がって司を見る。


「……昨日洗いわすれた。私も今日は弁当がない。学食に行くか」

「あ、蓮向にはこの前おごってもらったっけね。お返しに今日はおごるよ」

「……いや、おごったんだ。返さなくていい」

「そう? じゃあまた今度ね」

「じゃーおれも学食行くよ! たしかイチゴジャム入れた蕎麦ってのあったじゃん、あれ食おっぜっ!」「挑戦は止めないけど引くよ」「……引くな」「引くなっ!」


 三人で連れ立って一階層下へ降りる。二階にある購買の近く、学食コーナーは教室二つ分ほどのスペースで営業しており、昼になると教職員もよく利用している場所だった。

 食券を買うのは前納に、場所取りは蓮向に任せた司は、三人分の水を取りに行く。ところが人でごった返す食堂の中をお盆の水をこぼさないように移動するのはなかなか難しく、帰ってくる頃にはひとつのコップにはほとんど水が残らなかった。悪いな、という気はしたものの、そのコップは前納のものになった。


「おっまたっせー。いやー学食とか購買のおばちゃんっつーのは、よくこんな激戦が日々繰り広げられてっとこで働けるもんだよなどと言いつつ、司が『しすせそうどん』蓮向が『淡々麺』でよかったよなー?」「うん、ありがと」「……おごってくれるのか?」「おごらねーよ!」


 三人がそれぞれ手を合わせ、ばらばらなタイミングで食べ始める。しばらくは無心に麺をすすり続け、空腹を満たすことだけを考える時間が続く。


「……というか、だ。前納、そのジャム蕎麦は、美味いのか?」「意外にも『マズっ!』って言うほどの味じゃねっけどよー。たまにイチゴの果肉のぐにゃって感触と特有の酸味があるってのが全体の風味を損ねてんなー」「まあ総合的に言うと不味いってことだよね」


 入れ替わりの激しい食堂の中は慌ただしい空気に満ちていて、食べ終わったらさっさと出ていかなくてはならないような気にもさせられたが、三人は箸を置いた後もしばらくぐだぐだと駄弁っていた。担任の牛勿がちょいと頼りなげだとか、数学教師がよく古典教師のあとを尾行してるのを見かけるとか、クラスの女子で何某(なにがし)が可愛いとか、健全な高校生らしい会話だった。

 ふとそこで、司は小野の姿を食堂の入口に見た。だが彼女は食堂で食べるわけではないようで、すぐ手前にある購買にてパンらしきものを購入して去っていった。すると横に座る前納が司の視線を追っていて、手でひさしを作って目を細めていた。


「ん? なんか見えてっかー?」

「いや、研究会で同学年の人がいたから」

「あーあれ、はいはい、この前迎えに来てた奴かー。あれから三日経ってっけど、結局あの研究会入ったのか?」

「一応ね。民俗研究に興味あったから」

「……民俗研究? 奇怪事件がどうとかいう、怪しげなところではなかったのか?」

「学術的な研究もしてるみたいだったよ。フィールドワークもしてるとか。人数少ないけど研究会として認められてるのはそういうところが大きいんだ、って今のあの人、小野って言うんだけど、あいつが言ってた」


 それらを聞いたのはあの日の帰り道だった。無言でしばらく歩くうちに沈黙に耐えきれなくなった司が「どこの中学だった?」などと当たり障りのない話題を振ったのが会話のはじまりだった。

 しかし、あまり多くは話さなかった。というのも、突然話しかけられてかなり慌てふためいた小野は開口一番「すみません!」と謝ったのである。司はなんか自分が告白して振られたような光景に見えるな、と思い、周りの目を気にした。

 目が合った全員があさっての方向を向いていて、涙で景色が滲んだ。ぐっとこらえて上を向き、「なにが?」と力を振り絞った声で尋ねてみる。と、小野はなおも慌てつつ答えた。


「私、その、あまり親しくない人と二人きりだと、あんまりうまく、話せなくって」

「今朝、勧誘に来たときはすらすら話してたじゃん……」

「あれは、台本通りというか。教室にお迎えにあがった時も、聞かれそうなことを事前に予想しておいたというか」


 そういえばちょっと棒読みだったというか、会話がかみ合わなかったというか。などと司は思い返し、小野のテンパり具合に納得した。なら一緒に帰ろうなどと言わなきゃよかったかな、と苦笑いして言うと、即座に「しょっぱなから心象を悪くしたくなくて!」と切羽詰まった表情で返された。司は、自分の苦笑いが少し薄味になったのを感じた。

 回想が終わった。


「まあ、変な人の集まりだったけど、そう問題は無さそう。やっていけると思ってるよ」

「……それは、司も変な人ということになるのではないか」

「なんだとぅ?」

「んでさー、結局なに研究してんだ?」


 前納に話を振られて、司は三日前に聞き及んだ『犬神使い』の話を思い出した。思い出して、もう一度目の前に居る二人に目線をやる。二人とは入学してからこの二週間ほどしか付き合いがなく、オカルトちっくな話をするにはまだ信頼度が足りていなかった。

 ということで、自分や会員が異能を持つことなどは伏せて。近隣で起きた殺人事件と、犬の虐殺事件。ふたつの関連性について自分たちが調べているということを、話してみた。

 結果は、二人とも同じような反応だった。そもそもぐちゃぐちゃに噛まれた死体のことと餓死させられた犬のことなど、食後にするべき話ではない。口元を押えてえずいた二人は、ちょっと恨みがましい目で司を見る。


「どうかしてっぜ、そんな事件起こす奴も、調べる奴も」

「起こす方には賛成だけど、調べる方もそんなに駄目かな」

「……不謹慎、というものだろう。まさか、被害者の遺族に聞きこむような、下衆なマスコミの真似ごとはしていないだろうな」

「別に犯行の理由とかに興味があるわけじゃなし、そういうことはしないってさ」


 イチゴジャムが沈んでいて血の色にも見える蕎麦の残り汁を見つつ、司は答えた。前納は口元から手を離すとそれをあごに添え、苦しげな顔をいぶかしげな表情に変えると司に問いかける。


「あん? そらまた、へんな話だなー。たとえば推理小説とかニュースの事件にしたってよ、読者は動機が知りたくて見るもんだろー?」

「動機がなんなのか知りたいのは、視聴者が納得して安心したいからじゃないの。理由不明、原因も不明じゃ、自分の身にも降りかかるかもしれないから。いつだって人間が一番こわいのは、正体不明のものだから」

「……幽霊の、正体見たり枯れ尾花、か」

「あの研究会は枯れ尾花の追求が目的なんだよ」

「枯れ尾花じゃなくて本物の幽霊だったらどうすんだ」

「大して珍しいもんじゃないから、キャッチ&リリースだ」


 水をひとくち飲んで司は席を立とうとした。そこへケータイがバイブ音と共に着信を知らせる。会員用メールだった。


        #


「大して面白い情報もないから、ギャザー&リリースね。解散」


 お茶をひとくち飲んで口論義は席を立とうとした。そこへ踊場が湯のみ片手に声をかけて押し留める。


「口論義、正確にはリリースに日本語のニュアンスでいうところの『解散』の意味は無いよ」

「うっさいわねショタ郎。言葉なんて通じればなんでもいいでしょが。かたつむりをでんでん虫と言おうとまいまいと言おうとどうでもいいでしょが」

蝸牛考(かたつむりこう)を読んで出直してきてもらおうか。柳田先生に謝れ。あと僕は小太郎であってショタ郎ではない」「身長一六〇超えた?」「まだ」「永遠(まだ)、ね」「今なにやら悪意のあるニュアンスが伝わってきた気がするのだが」


 部屋に入ってきた司は入口のところで立ちすくんだまま、二人のやりとりをぼーっとながめていた。その様子に気付いた小野がお茶を淹れて司の席を示してくれたので、そろそろとそこに座る。またも一番下座である。ちなみにお茶くみは上手く出来なかったため解任させられた。


「……まあ普通、ほいほいと情報が集まってくるわけないか」

「私の方でも片っ端から当たってみてはいるのですが、どうにも」


 やはり知り合いがいるところではそれなりに喋れるのか、つらつらと小野も現状を述べてくれた。ただ話題をこちらから振らなければ「対象に司以外の人を含めて」で話すことの方が多いのも事実だった。ちょっと寂しく思いつつ、お茶をすすってせんべいに手を伸ばす。


「こっちも知り合いに当たってはいるんだけどさ」

「何も入ってきませんか」

「少し畑が違う、というか事後処理の方が専門の人だから。あ、一応名刺預かってきたから、渡しとくね」


 内ポケットに入れていた手帳に挟んでおいた名刺を、正面の小野に手渡す。名刺交換を執り行う企業戦士のように丁重に受け取った小野は、書かれていた名前を見て首を傾げた。


「おてあらい……おお?」

御手洗御御(みたらいみお)って読むんだ」

「偽名ですか?」

「本人は職業用の名前だと言ってたよ。拝み屋やってるから結構その道に詳しい。ただ、詳しいからこそだろうね、邪術には関わるなって忠告された」

「でも、関わるのでしょう?」

「うん。だから『わかった。ところで祓い料いくらだっけ?』って聞いたんだけど殴られた」


 後頭部をさすりながらせんべいをかじり、司は笑った。小野もくすりとして、お茶をすする。


「みんなはどうやって情報集めてるんだっけ」

「会長は噂に耳を澄ませて、その中から真偽を聴き分けて選別しています。踊場さんはネットで情報を募ってますね。で、私はぶらぶらしています。もともと惹かれやすい体質なので」

「惹かれやすい……?」

「小野ちゃーん、そっちは結局なんか見つかったの?」


 踊場との言いあいをやめた口論義が、むすっとした顔で頬杖をつきながら言った。踊場の方はなにやら机に突っ伏してしまっていたが、そちらには目もくれずに口論義が続ける。


「あたしたちの方はさっぱりなのよ。これってやっぱ、雇われ呪術師の仕業であってもうすでに東海地方からはトンズラされてるってことかしらね」

「私も特別なにか見つけてはいません。しかし、雇われの仕業なら二件目を続けざまに行うような愚は犯さないでしょう」

「ああ、昼に送られてきたメールのあれね」


 司が反応して、ケータイを取り出してみる。内容は二件目の殺人事件についてで、今度の被害者も噛み殺され肉を食いちぎられた痕跡があるとのことだった。ちなみに横あいから画面を覗いて文章を読んだ前納と蓮向は、口元を押えるとそそくさとどこかへ去って行った。その後の行方は、杳として知れない。

 口論義もケータイの画面を見ながら椅子の背もたれに身体を預け、ぎしぎしと船をこぐように体重移動させながらつぶやいた。


「というか、最初から二件やるつもりだったんじゃないの? 餓死させるのに三日ってのは、ちょっと短すぎると思うし」

「……術者の方が死んだのだという見方はないのかい」


 なぜか鼻声の踊場が突っ伏したままくぐもった声を出す。口論義は眉をひそめて、「それもあるかも」と囁いた。


「人を呪わば穴二つ。呪いで攻撃するのも鍛えた右ストレートで攻撃するのも、同じようにリスクはあるものなのだからね。殴るのであればちゃんとした拳の固め方と殴り方を身につけなきゃこっちの骨が折れるように、呪いにも作用反作用の法則が存在する。反作用の受け流し方を知らなければ……」


 踊場が言葉を切ると同時に、口論義がせんべいを二つに折った。折った半分は踊場の方に差し出され、じとっとした伏し目がちに口論義をにらんだ踊場は、噛みついてそれを受け取った。


「じゃあもう事件は終息してるかもしれないの?」

「いや、そうとは限らない。最悪、術者も無しにさまよう呪いとなっているかもしれない。そうなれば文字通りに鎖の解かれた狂犬だ、被害がもう少し続くかもしれないね」

「まあ事態がどうにか転がるか、(まさかり)(ひめ)がなんか見つけるまでは静観しておけばいいだろ」

「まさかり? ってか、誰?」


 司が振り向くと、入口のところに長身の男が立っていた。ワックスで逆立てた黒髪に黒縁メガネをかけ、指定の白っぽいセーターを着た、ここの会員の中では踊場に並んで真面目そうな格好の男だった。


「で、まさかりって、なに?」


 続けて問うと、冷たい目をした小野が長身の男をにらみつけていた。


「……スケボーは取り返せましたか、廉太郎(れんたろう)さん」


 呼ばれて、男はきょとんとした顔の後、にやにや笑って小野に近付いた。一八〇はありそうな長身を屈めて、ガラの悪い不良のごとくポケットに手を入れたままステップを踏む。


「あ? ははーん。はーはーん。ひょっとしてまだこのあだ名は伝わっていなかったか? そうかそれは悪いことをしたな。だがお前だって俺のあだ名をこうまで広めやがったのだから、おあいこって奴だと思うのだぜ」

「どこがですか。どこがおあいこだと!」


 珍しく声を荒げる小野から飛びのいた廉太郎は飄々とした態度で悠々と歩いて通り、司の隣の隣に位置する席に座る。そこは口論義にほど近い位置で、早速前に置かれた茶菓子に手をつけた。食べながら、司に片手を上げて見せる。


「よう新入りくん。なんだっけか、マルドメサカサとかいうんだったか」

「逆さじゃなく司」

「じゃあマルドメと呼ばせてもらおう。俺の名は――」「廉太郎さんといいます」「――そう廉太郎……ちがう俺の名は」「かの有名な瀧廉太郎さんとそっくりな外見をしていたために小学校で音楽の教科書が開かれた瞬間からそのあだ名になったとのことです」「由来までご説明ありがとうよ。だが今はこの通りメガネも変えて髪型もオールバックはやめた。そして俺の名は」「廉太郎くん勝手にあたしの茶菓子食べないでくれない?」「ああ、悪かったな会長。だが俺の名は」「堕メガネ、スケボーなら僕が生徒指導部に言って捨てておいてもらったよ」「俺は堕メガネじゃねぇ! っつーか踊場テメエこのショタ郎くんよぉなにしてくれやがんだ俺のスケボー!」「レンタロー、サワハの食べるか?」「微妙に会話を前に戻すなサワハ!」


 急にやかましくなった。

 そしていつの間にやら司の隣にもう一人増えていた。

 長い黒髪のうち、後ろ髪は全て束ねて毛先を上に向けバレッタで留め、サイドのもみあげの辺りは三つ編みにしているという少々風変わりな髪形。肌は小麦色で東南アジアのエスニックな雰囲気を漂わせており、大きな鳶色の瞳と視線が合うと、にこっと笑って頭を下げた。着ているセーラー服の胸当ての辺りが緩い、というか胸当てをしていなかったので、司は内心もうちょい屈んで、とか思った。


「……あー、収拾つかなくなる前にご紹介しておきます。こちらのメガネの方が廉太郎さん、こちらのタイ人っぽい方がサワハさんです。どちらも二年生」

「だから廉太郎じゃないと……」

「ハイ。よろしくネ、マルドメくん」


 サワハは胸の前で軽く手を合わせて挨拶してきた。司もつられて頭を下げたが、


「いや、マルドメ違うし」


 とりあえず訂正しておいた。


        #


「しかし今度はモノホンの呪術師探しなんてやっているのか。どうなることやら、だな」


 どこからか取り出したみたらし団子をもぐもぐやりながら廉太郎はつぶやく。会員が全てそろった部屋の中はどうにも狭苦しく感じられて、司は肩を縮めていた。


「また冬の事件の時みたく俺が出張ることになるのは、正直御免こうむるぞ」

「心配せずともきみの出番はないようにしてあげるつもりだよ。そも、きみは何につけてもやりすぎるきらいがあるからね」


 腕組みした踊場はじろりと横目で廉太郎を見据えて言う。そんな彼の態度をせせら笑い、廉太郎は食い終わった団子の串をゴミ箱へと放った。


「甘いことを言うな踊場、人は人を食って生きるものだぜ。強くなければ生きてはいけん」

「優しくなければ生きる価値がない、とも言うだろうこの単純生物」

「そうだ俺はシンプルに生きている。危ないものにはなるだけ近寄らず、万一近付いてしまったら相手を食ってでも生き延びる。そこで手が空いてればお前らだって助けてやる。だが俺の腕は二本しかないのだ」

「いやなら抜ければいい」


 踊場が冷たく突き放すと、廉太郎は頭を掻いてそういうことじゃなくてだな、とぼやいた。騒がしくなったと思ったら途端にぎすぎすした雰囲気になったので、司は本当に居たたまれなくなってはらはらしていた。ところが、サワハも小野も大して気にしていないようで、呑気にお茶をすすっている。口論義は笑って静観していた。

 すると、二人の会話に決着が出る。


「……要はいつもの確認だ。止めてもお前らはやめん。ならば、俺は危険が迫れば真っ先に会長を助ける。それだけは譲らんということを示しておきたいということだ」

「こちらもいつも承知の上だよ。けれどきみがいつ抜けるのも自由だ、ということは示しておきたかったということさ」


 へっ、と笑って廉太郎は顔を背けた。くっ、と笑って踊場はうつむいた。じっとその光景を見ていた司は、ぼそりと小声で正面の小野に問う。


「なんなの、これ」

「大体、見ていればわかるでしょう」


 小野に耳打ちされた。そして小野は廉太郎、踊場、と順に指差して、最後に奥に座る口論義を差した。 一、二秒してことの次第を察した司は、また身を乗り出してぼそぼそと訊ねる。


「えー、その、一方通行?」

「会長は何も気づいていません。ただ、二人は本当は仲が良いんだろうなー、と本気で思いこんでいらっしゃるだけです」

「……面倒な。どっちがKなんだろう」

「いえ、どちらも自殺などはしないと思いますが……」


 有名な三角関係の話に当てはめつつ二人が話していると、とりあえず廉太郎と踊場の間で話がまとまったのを見計らってか、口論義が手を叩いた。


「はいはい。じゃあ司くんに紹介してなかった会員の残り二名も集まったし、お互い自己紹介してもらいましょうか」

「その前にちょといいカナー?」


 司の隣でサワハが手を上げていた。はい、と指差して口論義が発言権を与えると、跳ねるように立ち上がって腰に手を当てた。いちいち動きが活発な少女である。


「……サワハ、犬さん見たかも」

「犬さんって、まさか犬神?」


 司が聞くと、サワハはんーと首をひねって「ユーレイじゃないカモ」と言う。そして自分を指差し、なにやらジェスチュアをまじえて説明をはじめる。


「あいー。昨日夜仕事してたらネ、お客さん疲れたの人来たのよ。それだけならいつも通りいる人の一人だけど、ドーモ変だったから終わったあとちょっと〝視て〟みまシタ」

「……仕事? 見る?」

「おう、そいえばマルドメくん会う初めてネ。サワハの家マッサージやってるよ。タイ古式マッサージ。そんでそんでサワハ、遠く見えるのヨ」


 ちょっとサワハが片言なせいで言葉の理解が追い付くのに時間がかかってしまう司。じき慣れる、と助け舟を出しながら、踊場が補足説明をした。


「彼女は自宅のマッサージ店を手伝ってる。そして能力としては、遠隔視(クレアヴォヤンス)が使えるんだ。日本風に言うなら遠眼鏡、千里眼という奴さ。まあサワハもやはり能力には少し微妙な部分があるのだけど……その説明は今はいいだろう。続けよう」

「あい。踊場サンありがとネ。そんでえーと、サワハお客さん疲れてる見て、マッサージして、帰ってったんだけど気になったの。だからちょと遠く視てみたけど、そしたらお客さん血まみれだたヨ。慌てて追いかけて、路地裏いて、救急車呼んだね。……ダメだたけどね」


 がっくりと肩を落として、サワハはうつむいた。感情表現が直接的で間に不純物を挟まないような奴なので、そういう態度をされると一気に部屋の空気も寂しいものになった。口論義は咳払いして、立ち上がると部屋の中を移動してサワハの肩を叩いた。


「自分を責めちゃダメよサワハ」

「はいね、わかてるよ。……ただサワハ視えたのちょとだけネ。茶色い毛、レトリバーより大きぃ身体、背中だけ視えてすぐどっか行ったよ」


 なおもサワハはしょぼくれている。なだめるように接する口論義は、しかし頭の中では色々考えているようだった。目はあさっての方を向いていて、恐らくは今までの情報と照らし合わせて考えているに違いない。


「……んー、現状だとあんまりわかることが……そういえばあれよね、たしかサワハの能力って、」


 口論義が言いかけたところで、司は頬に風を感じた。

 左を見ると、ドアが開いている。だが誰もいない。たてつけが悪いのか、と思い立ち上がって閉めようとする。

 すると――――ぬるり、自分のすねの辺りを撫ぜるようにして何がが動いたのを感じた。藻が生え虫の死骸が浮くプールに裸足で飛び込んだような感触と、香ばしく腐りきった、濃厚な膿のような臭い。嫌悪感に耐えきれず口元を押えて、自分の足下を見る。何もない。振り返っても部屋はいつもと同じだった。ただ、人の居ないはずの部屋から物音が聞こえた時のような気味の悪さだけが沈殿している。

 既視感のある光景だった。否、いま感じているこれは視るだけのみならず聴覚以外の全ての器官が反応している。

 そうだ。見るのではなく、視る。今更そんな対処法に気付いて、そして、


 司は少し、遅かったと気付く。


 くちゅ、くちゅ。

 こねる音が響いていたのは、サワハの手首だった。え、と声を上げて手首を上げようとするが、動かない。下から引っ張られていると気づいて、首を曲げて手首を見ることにする。

 じくじく、血が漏れ出していた。噛み傷の痕は人間のような楕円ではなく、そう、まさに犬のような、少し角ばった形をしていて――じゅばっと一気に裂かれた。部屋の床にばたたた、血が飛び散る。桃色の肉が露出して、繊維の細かい断裂まで見て取れたところで、司は目を逸らし聴覚からも意識を逸らす。


「ぎ……ぅ、いいあああああああっ、っあああああああっ!」


 甲高い悲鳴を上げて、サワハは手首を押えこんだ。だがそこには既に犬はいない。次に噛みついたのは、齧りがいのありそうな足首だった。くるぶしまでの靴下しか履いていなかったために、素足をそのまま噛まれる。そのままだと、千切られる。ぶちゅぶちゅと、赤い斑点が床に散る。ごりり、真皮も筋肉も黄色い脂肪も貫いて、白い骨の表層を齧られる。神経に歯の先が触れるたび、痙攣しながらサワハが叫ぶ。


「――え、どっ、これ、なにっ?」

「どいて!」


 懐に手を入れて、司は御守りを握りしめる。もう片方の手で困惑する口論義を押しのけ、御守りを抜き放ちながらよく目を凝らした。

 はっきりと今度は見えた。いたのは、白っぽい毛並みの柴犬。げっそりと痩せて肋骨が浮いた腹部と、脂肪を使いはたして筋だけが残った足。黄色みがかった白に濁ってどこを見るともわからない瞳とだらしなく開いた口の端から、茶色いなんらかの液体がこぼれ出ている。床に落ちた液は血とまじりあって、表面に油のような汚い泡を浮かせてそれが弾けると悪臭を発していた。

 御守り――御守り刀を、司は逆手に持つ。三寸ほどの刃は針のように鋭く細く、なんらかの仕込み刀と思しき品だった。それを振り下ろし、犬が無防備に晒していた首筋に突き立てる。思ったよりも硬い感触が肘まで伝わり、刃が半分ほど埋まっているのを見た司は、左手を振り上げて刀の柄頭に叩きつけた。釘に金槌を打つ要領で、刃はより深く突き刺さる。司は思い切り手首をひねって傷口をえぐると、今度は両手で自分の方へと引いて、傷口を押し広げた。

 サワハとは違い、血も、何も、出なかった。ただ犬は歯を食いしばって刃先から逃れると、開いたままだったドアから尻尾を巻いて出ていった。残された司はどっと尻から床に倒れると、震える指先で、懐に御守り刀をしまった。手先が狂って刺した指から流れた血の玉を、舌でなめとって飲み下す。


「サワハ、ねえサワハ!」

「さ、サワハさん!」


 ショック状態で歯を打ちならすばかりのサワハは完全に気絶しているようで、口論義と小野の呼びかけにも応じない。自分の血の味でこみ上げてきた吐き気を押えながら、司は足を引きずって保健室に人を呼びに行った。


グロ注意。


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