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百奇夜行で鬼天烈な。  作者: 留龍隆
粛生の理編
38/38

終題 「思い想えば呪われて」とだれかと言った

 卒業式が、終わった。

 去年の今頃は冬の一件に巻き込まれてたころだねえ、などという書き出しで、赤馬から祝いの手紙が届いていた。表には「電報」と書いてあり、相変わらずよくわからない人だと、踊場は思った。

 家に帰り、着替えて、クラスや学年の友人と祝いの席を囲み。夜になって解散して、それから、きてれつ研のほうへ向かった。卒業式の日は学校側も一晩、人の出入りがあるのを考慮してか、セキュリティがないらしい。よって、最後の日を、ぶ室にて過ごそうという目論見であった。

 スプリングコートを羽織った踊場は駅の構内から出ると、口論義を迎えに行く。相変わらずの邸宅で、それでなくとも入るのに躊躇はあるのだが、インターホンを押した。少し早めについてしまったか、と思ったが、予想に反して口論義はすぐに出てきた。


「ちょっとまだ着替えとかあるから、玄関で待ってて」

「ああ」


 相変わらず、なぜか室内では和装であるらしく、着物姿で出てきた口論義は、とたとたと奥に戻っていった。上がり框に腰かけると来客用と思しきヒーターはあったので、しばらくじいっと待っているが、思ったよりも長いので、携帯電話をいじり始める。

 するとつい手癖で、奇怪事件展覧列挙集を開いてしまう。トップページに自ら記した「公開停止」の文字を見るまで、気づけないとはなんだろう。


「怪談スレでも見るか」


 気を取り直してページを開き直しながら、踊場はぼんやりと考え事をした。

 これまで集めてきた様々な事件のデータベースとして組み上がったそれは思ったより価値があったらしく、きてれつ研の解体に際して知り合いの大学研究室で話題に出したところ、いろいろ見せてほしいという話になったのだ。

 そこで踊場はその大学への入学後も研究は続けるべきと強く推奨され、なにやらとんとん拍子で受験の話も進み、結局志望していたところではなくその大学を第一志望に書くこととなった。

 卒業してからはまた國學院大學に入り直すこと、研究は続行しなさいとまでレールを決められてしまい、自分の人生においてこうした分野はもう切ってもきれない存在になっていると知り、失笑したのも事実だ。


 元は口論義と共にいるためにはじめたはずのものが、いつの間にか自分の中で欠かせないものとなっている。ふしぎな話だった。

 しばらくそうやって携帯電話をいじりながら考えにふけっていると、画面に影が落ち、首筋になにか息が吹きかけられていると気づき、うわあと叫び声をあげた。


「おにいちゃ、なにしてるの?」

「……ああ、風里ふうりくんか」


 ゆるくうねる、ふわふわとした髪をツインテールにしていて、前髪の奥からどんぐりまなこをぱちくりさせ、踊場を見ている。腰を下ろしているはずの踊場と比べてもちょっと高いくらいの、小さな体躯に黒のワンピースを着ていて、白いタイツに包まれた足でぴょんぴょんと跳ねていた。


「お姉ちゃんを待っているんだよ」

「よんでくる? よんでくる? いますっぽんぽんだったよ?」

「いや呼ばなくていい待っているから。というかあいつ、いまだに和装のときは下着、つけないのか……」

「かざりもねー、こんどきものきるー。おきがえ? おきがえ?」

「七五三……は、女子は三つと七つのとき、十一月だからちがうか。なんの写真をとるんだい」

「おみあいっていわれた!」


 嘘だろおい、と声に出して言って、苦笑いをひきつらせる。


「嘘に決まってんでしょ。風里かざり、お見合いじゃなくてお似合いって言われたのよそれ」


 着替えて現れた口論義は、紺色のハイネックセーターの上に白のダウンコートを着こみながら、風里の頭をぽんとはたいた。おねえちゃ、と言って、風里はホットパンツをはいた口論義の足にすがりつく。


「ねえねえねえねえにあう? にあう?」

「なにが似合うと言ってほしいんだろう」

「さあ。このだっこちゃんの体勢のことじゃない?」


 サイドポニーにまとめた髪をすきながら言って、口論義はじろんと風里を見下ろす。風里は目をきらきらさせながら、はしゃいだ。


「おねえちゃにわたし、にあう?」

「……そら、似合うわよ、妹なんだから」


 やたー、と嬉しそうに言いながら、風里は家の奥へ消えていった。子供の動きは目まぐるしいな、とほほえましいものを見る目で踊場は見やったが、口論義ににらまれてそれ以上目で追うのはやめた。


「……あの子のお見合い写真仮にとったとしても、あんたには見せないことにするわ」

「僕は光源氏か」

「ローラースケートでもはいてきたら?」

「そっちじゃない。馬鹿なこと言ってないで、そろそろいくぞ」


 はーい、と返事を伸ばした口論義がパンプスをはくまで待ってから、踊場は横に並んで外へ出た。二月最後の今日は、寒風が吹きすさんでおり、耳がちぎれそうだった。


「あ、雪」

「え? 本当だ」


 上を見ると、ちらほらと白いものが舞い始めていた。きゃーああああ、と歓喜に大騒ぎする風里の声が家の中から聞こえて、二人ともびくっとした。それから家の中にすごすごと戻ると、駆けずり回っていたと思しき風里が、はい! と元気よく二人に傘を渡してくれた。だが一本だけだった。


「あいあい!」

「なんかそんな歌あったね。まさか、さっきのだっこちゃんの体勢も、実はアイアイだったんじゃないかい」

「そんなばかな……」


 妙なことを考えながら、けれど風里の好意をむげにもできず、二人は一本の傘に狭苦しく互いの身体を寄せ合って、外に出た。なかよくねー、と後ろから手を振る風里に、二人は後ろ手を振ってこたえた。


「仲良くなったものだね」

「あんた、そんなにうちに来てなかったっけ? 二カ月くらい経ったころからこんなんよ」

「なんだかんだで受験など忙しかったから、会うのも久しぶりだよ。それにしても、そうか。二カ月でそんなに仲良く」

「お互い一人っ子だったわけだからね。きょうだい姉妹ってのに、憧れがあったのかもしれないわ」


 踊場の指摘に応じながら、口論義は家の門扉を閉めた。

 両親が慈雨に身を寄せ、口論義の家を離れている間に生まれた子。名は、風の里と書いて風里かざり。風鈴と書く口論義とは、少しちがう名だった。

 面倒なので口論義の祖父母ふくめ周囲は「ふうり」と呼ぶことにしたが、彼女自身の認識はもちろん「かざり」であるので、口論義はそれにならって、きちんと妹をかざりと呼んでいるらしい。


「あんたは逆にどう。お姉さんとかいて良かったって思える?」

「いい情報網だからね、あの人は。問題は顔の良い男を献上しなくては情報をくれないところだが」

「なーんかビジネスライクね。ていうか献上って」

「あの人は三日で飽きるから。……おまけに、それなりの見た目の男だと思って声をかけてみたら、僕の方が狙われたこともある」

「踊場ぁー、そいつの住所教えてくれる? 毎日大量のダイレクトメールと不幸の手紙が届くように仕向けるから」

「結構だよ」


 適当なことを話しながら、駅までの道のりを歩く。かつて六人で入ったファミレス、喫茶店の横を過ぎる。しんと冷えた街の中を歩きゆくうち、白色に周囲が染まり始めていた。なんとかクリニック、という看板が見えて、ふと踊場は尋ねる。


「颯さんと史音さんは、どんな様子だい」

「んーまあ変わりなく。週一回のカウンセリングと日々の服薬でだいぶ落ち着いてきてはいるけど、社会復帰は遠いわ。しばらくは支出かさみそうだし、安いカウンセラー紹介してくれた御手洗さんには頭あがらないわね。あの人のとこで働こうかしら」

()はまだあるだろう。必要とされているなら、行くのもいいかもしれないね。僕としても、いろいろお話をうかがいたい人であるし。繋がりは保ちたい」

「あっそう。んでもさ、あんたの方が必要とされるんじゃない? 前会ったときも話しこんでたじゃない」

「表の世に出せる研究になるかは、わからないような話だけれどね」


 肩をすくめて踊場は言った。動きに合わせて、傘が上下した。

 口論義は、大学へ行くのをやめた。もともとさほど興味がなかったところへ、両親と風里が家に戻ってきたため、経済的にかなり貧窮してしまったためもあるそうだ。祖父母はおかげであまり機嫌が良くなく、最近では同じ家の中で別居のような状態だ、と笑って話していた。

 だとしても自分は話しかけるし、接して、対し続ける。風里にも手伝ってもらいながら、いつか両親が復調する日を、祖父母とも和解できる日を、作ろうと頑張っている。


「あーあと、踊場。あんたと会わずに、ひと月くらい過ごしてたあいだにさ」

「ああ」

「虚言看破、使えなくなったわ」

「そうかい」




 ぶ室へつくまでに校内を歩くと、やはり部活動をやっていた人間は名残惜しいのか、いくらも人々がうろついていた。肩に積もった雪を払いのけながら階段をあがり、物理実験室を抜けると、『民俗学および奇怪事件展覧列挙研究会』と記した紙がプレートから外され、ただの物理実験準備室に戻っていた。

 もっとも、内装はなにも変わりなく、いつもの机と椅子の並びが二人を出迎えた。奥を見ると、廉太郎とサワハが対面して座っており、二人してよお、と片手をあげた。

 眼鏡を外した廉太郎は、ワックスで立てた短い黒髪が、雪に晒されたためか少ししんなりしていた。厚手の作務衣の上にどてらを身につけており、静かに片手で茶をすすっている。

 サワハは大きな瞳でウインクしながら、ひとつに束ねて胸へ流した髪をくりくりといじくっていた。ファーのついたこげ茶色のコートを着てはいるが、中に着ているのは純白のブラウスのみで、襟を立ててリボンを巻いていた。行儀悪く机に乗せる足を覆うのは黒のスラックスで、くるぶしに地肌が見えるところから察するに、革靴を素足で履いているらしい。


「来ていたのか」

「俺らも思ったより早くついちまってよ。やることもねぇし茶ァしばいてた」

「卒業オメデトね! こぉおさでーんくわーむいんでぃかー」


 なにやらお祝いの文句を口にするサワハに椅子をひかれて、口論義は会長席に座った。すぐ手前に、踊場も腰かける。いつもの、定位置だった。


「さーて主賓が来たし、振る舞わせてもらうぜ。特製紅白まんじゅうだ」


 ごそごそと唐草模様の風呂敷包みをあさり、廉太郎は重箱を取り出した。おお、とみんながどよめきながら開き、中に納まっていた色鮮やかなまんじゅうを手に取る。湯のみにサワハがお茶を注いで、準備ができた。


「ではいただくとするかい」

「ちなみにひとつだけ、まるっとハバネロが入ってるやつあるから気をつけろよ」

「お茶も一杯だけせんぶり茶ネ」

「……お祝いの席じゃなかったかしら」


 などと、常の通りのやりとりをして、結局のところ冗談であったらしく、まんじゅうもお茶も味の良いものであった。

 冷暖房の効かない部屋であるため、ドアを開け放して暖気を取り入れながら。四人で向かい合い、かつてのように、語らった。


「そっか。会長は、能力失くしちまったのか」

「やっぱり、必要に応じて発現しただけの能力だったのかもしんないわ。いまじゃ、他人の噂に耳を澄まして人間関係把握したりすることもなくなった」

「んで、サワハのやつは生まれつきのもんだとして……俺の能力もいつかなくなったりすんのかねぇ」


 ペン立てに差しこまれていた風車をじっと見据え、ぐるぐると高速回転させる。


「逆に進化する可能性もあるかもしれないわよ。どんな物体でもその場で回転させられるようになる、とか」

「使いどころあるんだかねぇんだか。ま、あってもなくても大差ねぇし、そんなことより修行だ修行」


 腕の筋力を誇示するように袖をまくりあげながら、廉太郎は興奮した様子で言った。サワハはそれを見てうあー、と困ったような声をあげて、聞きたくないのか耳を手で覆い隠した。


「聞いてあげてヨ、会長サン踊場サン。レンタロもうずっとワタシ相手に話すするそれしかないノ。修行だ修行だ、って」

「倉内流の話じゃないの?」

「それなんだよ会長。実は夏に習得した無拍子を稽古中に使ってみたら、なんか見込まれたらしくてな! 奥伝について学ぶことを許可されたのだぜ!」

「え、それはきみが後継者などになる可能性も、出てくるということかい……」

「お、そうかもな。師範代とか呼ばれちまうのか? いやあ照れくさいな」

「きみに後続が育てられるのかいささかならず心配な気がするが……見込まれたということは、でもそういうことなのだろうね」


 自分で言ったにもかかわらず、納得できないげんなりした顔で踊場は言った。なんでそんな顔してんだよ、と廉太郎に首をかしげられたが、お茶をすすってごまかした。口論義が話題を継ぎ足し、机に頬杖つきながら問うた。


「けど廉太郎くん、受験とかはどう考えてるの?」

「ん? いやまったく。成績ガタガタだしかといって推薦なんざ、部活がこれじゃとてもとれねぇし」

「ワタシは国際系の学科あるするとこいくヨ」

「ああ言ってたわねそんなこと。マルチリンガルとか目指してるんだっけ」

「はいね。やっぱ言葉達者なるするは大事よ」

「お前がそれ言うのか」

「やなこというネ……その気になれば標準語しゃべれるってば。でもまー、狙ってる大学、あるの県外なのヨ。会長サンたちこの辺残るなら、会いにくくなるねー」

「来年の話でしょ」


 遠い目をして口論義が言うと、身を乗り出したサワハが熱弁した。


「去年からいままで一年、あっというまだたよ。赤馬サンいなくなって、今度は会長サンと踊場サン。残ったのは……レンタロとワタシの二人きり(、、、、)、ここでおしまいとはネ」


 そして残念そうに締めくくりながら、机に伏せった。他の三人もしんみりしてしまい、踊場がお茶をすする音だけが妙に大きく響いた。窓の外に積もる雪は、終わりゆく二月を飾るように、やむことなく降り注いだ。

 雪風の音に耳を澄ました数瞬、踊場が、少し口を開いて、話し始めようとしたところ。ずかずかと足音が近づいてきて、会話のはじまりは中断された。とくに話すほどでもないことだったのか、踊場の頭の中には一切話す内容が残らなかった。

 ショートブーツから伸びる長い足に黒のタイツ、膝丈のデニム地スカート。起伏の少ない体型にフィットした、薄紅のスウェットに赤褐色のハーフコート。

 いくらか伸びたつややかな黒髪は、肩を越えて肩甲骨に届かんとしていた。その髪を振り乱すように頭を下げて、あげたときには眠たげだが、意志の強そうな目が光る。


「おまたせ、しました! お二人とも、ご卒業、おめでとうございますっ」


 紙袋に入った贈答品のようなものを差し出して、小野香魚香は現れた。

 一番近かったので廉太郎がその紙袋を受け取るが、バケツリレーのようにして踊場、口論義のほうへ受け渡し、座ろうとする小野をすぐさま押し留める。そして、四人で顔を見合わせてから、サワハが包みを取り出す。合わせて、口論義がクラッカーを鳴らした。呆気にとられた小野に包みを抱かせて、


「小野ちゃんこそ、御手洗さんとこの弟子入り、おめでとう」


 口論義が祝いの言葉を述べた。



        #



 小野たちの戦いが終わり。

 そこでようやく梁渾には、御手洗を含めた執行機関による先遣隊が辿り着き、すべてが終幕していたと知った、らしい。彼らがやることになったのは予定されていた千人所引の磐石の再封印ではなく、被害に遭った――といっても自業自得だが――慈雨の構成員十数名の、救助活動だった。彼らはひどく憔悴しきっており、また濃度の高い穢れを浴びていたため一時重体のものもいたそうだが、最終的にはほぼ全員が快方へ向かった。

 これほど軽微な被害で済んだのは、加良部が(あの状況でもまだ梁渾に居残っていたらしく)穢れの比較的少ない場所へ全員を誘導していたことと、一瞬とはいえ牛蒡種にさらされた際に、気と共に穢れをも司が持っていったこともあるらしい。自分が心配していたことが、逆に人々を救っていたと知ったら、どう思うんだろう。小野は考えて、夜空をあおいだ。

 同様に穢れを浴び、それどころか神の入れ物へと変じようとしていた自分も、大層危険な状態であったらしく一カ月の入院を余儀なくされていた。とはいえ二週間で動けるようにはなり、さらに一週間経ったいまは残る日数を消化するだけであり。


 早いところ、病院の外に出たかった。そして、御手洗に会いたかった。

 司のその後について知るはずの御手洗は、梁渾と黄泉について収拾をつけるために多忙を極めており、また他の人から入ってくる情報もどれが真実でどれが虚構かわからず、小野は精神的に参ってしまっていた。


「はあ、あ」


 だから誰もいない屋上にいるのが、好きだった。八月の、終わり。夏の暑さが振りまかれたあとの時間は、夜風に吹かれるくらいでちょうどいい。


「眠れないのかね」


 背後にある、屋上の出入り口から声をかけられた。ベンチに座っていた小野は首だけ振り返ると、上がってきた白衣の人物――医者ではなくただの無職であるところの赤馬に、ええ、と返した。


「煙草ですか」

「院内は禁煙なのでね。風下で吸うから勘弁しておくれよ」

「べつに、構いませんけれど」


 入院して初日に訪ねて来てくれたらしいこの男は、その後は一切顔を出してこなかったので、実際に会うのは先月谷峰に行く際に車を借りたとき以来だ。


「おひさしぶりですね」

「一カ月ぶりかな? なんにせよ、きみらもよくよく、おつかれさんだったね」


 暗闇に、怪しげな面相の赤馬が浮かび上がって、また照らし出していた火が消える。赤い点だけが浮かんで、白い煙に包まれた。


「これほどの大事になった事件の中心に、まさか大した異能者でもないきみらがこうまで深く関わることになるとは。フォッグマン事件を追っていたときには、考えもしなかったねえ」

「あのときはまだ、ただの単一の事件だと思っていましたしね。すべての事件が繋がっていて、その背景に自分たちが迫っていくだなんて、考えもしませんでした」

「だろうね。去年、きみが完全に入部していないころはまだ、こんなに多くの、大きな事件に関わることはなかったのだし。やはりきみの異能察知は、微能力なんて揶揄できるものではなかったということか」

「そもそも、わたしの淨眼がわたしの願望で変質したものなのかもしれませんね」


 口論義が望んで、虚言看破を手にしたように。小野の場合は、元から有していた能力を、自らの目的に辿り着けるよう都合よく改変した結果が、あの異能察知だったのかもしれない。いまはそのように考えていた。


「思うことは呪うこと、かね」

「はい。だから、自らの無力を呪うことで、わたしはあの能力を手にしたのでしょう……おかげさまで、いまは普通の淨眼しか使えなくなったようです」

「……丙水子、だったか。彼女は、どうなったんだい」


 赤馬は、小野を試すように名を出した。反応しかけた小野だが、努めて冷静に、彼女は、と言葉を紡ぐ。

 いまだに、丙のことは単語として出るだけでも、胸が締め付けられる。辛さに、わななく。けれどすべては終わったことで、あとは、小野が気持ちの整理をつけるかどうかの段階であった。


「彼女は……機関で拘束されています。ただ、水子を手に入れる以前に失踪して、届は、一応出されていたようなので。七年が経過した時点で失踪宣告がなされ、死者として認識されているようです」

「七無は死者の反魂の計画を成すべく、生きた死者を用いていたということかね。皮肉、というべきかね……」

「ええ。そして、それでもこれほどの大事に加担した者について調べないわけにはいかないので、いろいろな調査機関が手をまわした結果、わかったことがあるそうです」

「ほお」

「七無には、子供がいた、と」


 谷峰に居を構えていた八尾七無の計画のはじまりは、約五十年前だという。そして前の丙午の歳も、約五十年前と言える。この一致が示しているのは、七無の人間への絶望か、なんなのか。


「だからどうということもないですし、ではなぜ水子を憑かせたままにしていたのかなど、真相なんて全てが黄泉の闇の中ですけれど。……とにかく、丙の身柄はしばらく機関で拘束されるようですが、本人の意識はなかった、いわゆる心神喪失の状態に近いとのことなので、今後の処遇はまだ決まっていないのだとか」

「難しい、問題になりそうだね。死者の扱いということは、名すら持たないようなものだろうし」

「いちおう、資料の中に本名も見つかってるそうですけどね。小柄こづか、だとか」

「丙の力を御するための名だろうね。名に負いしことで己のうちに納め、かつ弱めるための字を選んだのだろう。しかし……その名自体が示すのは、刃だ。研ぎ澄まされた切っ先納める鞘は、とうとう、見つからなかったか。なんにせよ、これできみと彼女の接点も、終わりだね」

「……いえ。終わってなど、いませんよ」


 煙草の吸殻を携帯灰皿に押し込めていた赤馬のところへ歩いてきて、出入り口のドアに背を持たせかけた小野は、言った。


「あの人が、わたしが、生き続ける限りはなにも終わりません。呪うことはありませんが、わたしはあの人の行く末を見つめ続けるでしょう」


 小野の瞳は、遥かに遠くをあおぎ続けた。赤馬は二本目の煙草に紙マッチで火をつけると、煙をみながら離れ、屋上を囲うフェンスより下を眺めた。


「なるほど、ね。して……近況報告は以上にするとして、小野くん」

「はい」

「良いしらせと悪いしらせ。どっちから聞きたいね」

「今日ここに来た本題、それですよね」

「ああ。調べてくるのに手間取ってしまってね、ろくに見舞いにも来なかった埋め合わせは、これで勘弁してくれんかね。で、どちらからにする? どちらも、司くんについてだがね」

「では良いしらせから」


 せっつくように小野に催促され、唇から煙草を離した赤馬はわかった、と口にして小野を振り返る。その表情は、月下にいるから暗い、というだけではなく、とても良いしらせを伝えにきたようには見えなかった。

 つまりこの良いしらせも、前フリでしかないのだろう。本題は、悪いしらせのほうだ、と覚悟をした。


「司くんは生きている。失血がひどかったが、最初に見つけたのが御手洗女史だったのが幸いだった。いまは怪我も癒えて、こことはべつの専門機関病院で入院生活だ……ここまでは、いいかね」


 赤馬は、言葉を切る。もうこの先は良いしらせではないと、暗に伝えるように。


「では悪いしらせを」


 けれど小野はうながした。赤馬はもう煙草に口をつけるいとまもなく、小野の真摯な視線に答えてくれた。

 重く低い、言葉だった。


「……簡潔に言おう。きみは司くんに会うことはできない、ということだ。入院している間だけではなく、今後の一生において、ね」


 小野には、背負いきれないほどの。



        #



「働くのは四月からだっけ?」

「ええ。しばらくはアルバイトという形で、御手洗さんの事務所に置いてもらうことになりました。家から通うには少々遠いので、住みこみという形になります」

「そっか。あたしも早いとこ働く先探さないとね」

「会長、スーパーでバイトしてたんじゃないのか?」

「八月に慈雨探しのためバックれかましたせいで、とっくにくびになってるわよ。その後も家がごたごたしてたし、職探しの暇もなかったっての」


 けらけら笑いながら、口論義は重たい話題をあっけらかんと口にした。けれどこの場のだれも、それに対して同情の目を向けることはない。ただ強いなあ、と思うだけだった。

 小野も、この歳で自分の人生の行く道をまったく知らなかった世界に変えてしまうことについて、父親と激しい論争になった。

 その道のために妻を失っている父は、小野が思っていたよりも遥かに、呪術などの魔道について懐疑的であり、一時は勘当されかけた。しかしそうした問題で祖父母に対して同じように悩みを抱えていた口論義からアドバイスを受けながら、なんとかこうして住みこみバイトの許可にまでこぎつけたのだった。


「手に職っていうか、目に職っていうか? やっぱ能力があるから登用されたのかしらね」

「まあ、そうですね。淨眼使いは希少だそうで、数年は御手洗さんのところで修行ですが、その後は機関のほうに異動することもあるかと」

「出世街道爆走しちゃうのネ」

「それがそうでもないそうです。ああいう世界でもキャリア組などはいるそうで」

「なんだい、急に生々しいというか、現実味のある話になったものだね……」

「異能はびこる世界の話とは思えねぇな」

「結局どこもそんな感じみたいですよ」


 だとしても、小野はその道へ進むと決めた。だれでもない他でもない、自分の意志で先を見た。

 振り返るべき後ろには、ここにいるみんながいる。みんなが、思い出と共に背中を守ってくれている。そう感じたからこそ、小野は進むと決めることができたのだ。

 司を、追っていくために。


「そういや小野ちゃん、あれからずっと、髪伸ばしてるのね」

「そういやそうなノネ」


 二カ月ぶりくらいで会ったためか、やはり女性陣は気づいたらしい。廉太郎はそうか? と疑問符を浮かべ、踊場は気づいたけれど言わなかっただけのような顔をした。ああ、と言いながら小野は自分の髪に触れ――ゆっくりと微笑んでから、みんなの顔を見た。


「願掛けです」



        #



 春になった。雪解け水の流れる山道はけっして歩きやすいものではないのだが、登山靴で地面を踏みしめる司は、ゆっくりとした足取りを崩さず、己のペースで登る。


「司、早く来ねェと置いていくぞ」

「待ってよじいちゃん……ていうか車いすなのになんでそんなすいすい坂登れるの」

「鍛え方が違わァ。重心移動と体幹の力を利してのぼりゃ、足が動かんでも支障はねェ」


 ぎりぎりと車輪を回転させながら、喜一は司の二十メートルほど先を行く。身体が暑い、と感じながら、司はなんとか坂を登りきる。先に来ていた喜一はもう休憩を済ませたのか、またぎしぎしと音を立てながら、坂道を先行していった。


「うわ、休ませてくれないとか。ったく」


 あとで走って追いつこう、などと、マイペースを保つことをやめにした司は、近くにあった岩に腰を下ろすと、ふっと左手に広がっている景色を目にした。

 あの一件で機関の人間以外には閉鎖された梁渾は、いまも調査の手が入り続けている。眼下に見ゆる梁渾の町、その向こうに広がるすり鉢状の崖、森。すべてが昨年の八月のときと変わらないが、ただ、あのころとちがってずっと人が多い。

 春の日差しにあてられて、司は蒸し暑くなってきた頭にかぶる、フードを脱いだ。遠方を見る分には要らないと思い、左目にかけていた片眼鏡モノクルも、外してポケットにしまう。……穢れを見過ぎた眼のダメージは最小限に抑えたのだが、それでも耐えきれなかったか、視力への後遺症として残っていた。あれほどの危険域へおもむいてこの程度で済んだのは奇跡だ、と御手洗に頭を殴られた、そのときのコブのほうもまだ残っていた。少し頭をさする。


「司、早くせんか」

「わかったよ」


 呼ばれて、溜め息と共に片眼鏡をかけ、山道を登る。先には、祖母の墓があるらしい。死に目に会えず墓参りもできなかった理由について、そろそろ教えてくれるとのことだ。別段、祖母が教えたくなかったのなら教えないままでも構わないと言ったのだが、ここまで踏み込んでしまった以上、消化不良は残すなとの祖父のお達しだった。

 穢れと怪我の治療に専念し、二カ月ほどで元の体調にまで戻った司だが、もう元の高校生活に戻ることは不可能だと宣告されて、こちらの世界に踏み入れることになり。学校の友人、前納や蓮向とは連絡を取っているものの、少しずつ、常の世界から乖離しはじめている自分を感じるのも、事実だった。


 眼を、撫でる。前をしっかり見据えて、祖父を、人の姿をきちんと見ることができるようになった眼を、思う。

 あの瞬間に――小野を歪みへ戻し、別離の言葉を告げた瞬間に。牛蒡種は、司の身体から消えた。病院で目覚めた司がそのことに気づいたとき、あの日丙と、宿のロビーで話したときの言葉を思い出していた。


『――牛蒡種は、牛蒡の種がつきやすいことと同様に、非常に人体へ憑きやすいことからその名がついているのです。具体的には、牛蒡種であった人が捨てた物を拾うことで、次の人間が牛蒡種となります』 

『待って。牛蒡種、であった、ってことは、やっぱりそうでなくなることも、できるんだね?』

『ええ。しかしその条件は、非常に厳しい。私も、手放すことには難儀を致しました。その条件とは――牛蒡種の人間にとって最も大事なものを(、、、、、、、、)自ら手放すこと(、、、、、、、)。そして二度と振り返らず、触れないこと。再度そのものに触れたとき、術者は牛蒡種の眼を取り戻し、二度と離れることはありませんゆえ』

『大事なもの、を手放す』

『左様で。しかし、人間は往々にして自らの最も大事なものを自覚しておりません。ゆえに、手放すことかなわない――』


 最も大事なもの。

 最も大事な者。


 手放すつもりはなかったが、手放さざるを得なかった。結果、司は牛蒡種を失い、同時に、小野香魚香をも失った。人を呪わば、穴二つ。司の払った代償は、永遠に小野と会うことかなわない、この未来であるらしい。


「……でも」


 終わりじゃない。振り返ってみれば楽しいことばかりだった、だからこそ終わらせたくない。願うだけではいけないと思い、司は、こちらの世界へ進むこととした。

 呪いを解く方法はないのかもしれない。二人はこのまま別れ別れで、いずれ別のだれかを好きになるのかもしれない。大事な誰かが、現れるのかもしれない。

 でもいまの司にとって最も大事な者は、変わらず小野のままなのだ。


 だったら。


 払ったフードの下、司の髪がなびく。二つ結びを成し、結いあげてひとつに束ねた、長い髪が。風に、揺れている。

 髪を、伸ばした。まだこの思いが途切れていない、その証を立てよう。こう思ったとき、自然とそうしていた。

 思い続けることは呪いなのかもしれない。狂おしいほどに自分を、相手を呪い、けれどそこに収まりきらない。途絶える日など想像もつかないけれど、それでも先にある道は、明日は、たしかに眼前に現れる。ならば、より良い明日を迎えられるように。見ているだけでなく動こう、と司は思った。


 道のどこかは、小野と過ごしたあの日々にも続いているはずだから。



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