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百奇夜行で鬼天烈な。  作者: 留龍隆
粛生の理編
33/38

三十三題目 「わたしの生きるみち」と小野は悩んだ

        #


 目を覚ますと、白い蛍光灯の光が差し込んできた。ゆっくりと身体を起こすと、かかっていた布団が剥がれ落ちる。

 畳に敷かれた布団の上で、身を起こした司は大きく伸びをした。旅館の一室で寝ていたらしく、窓辺に置かれた椅子には、喜一が腰かけて踊場と話しこんでいるところだった。窓ガラス越しに届くじわじわした蝉の声に耳をかたむけていると、踊場がこちらに気付いた。


「気がついたのかい」

「おはよ、踊場さん」

「もうすっかり日も暮れとるがな。小野の娘に比べて、寝ぼすけだぞ司」


 もそもそと這い出た司は、二人の横にあいていた席を借り、あくびをかましてから水を飲んだ。窓の外はたしかに、日が暮れて夜闇の中にぽつぽつと明かりが見える程度だった。遠景なのでしばしの間気付かなかったが、どうやら昼までいた駅前の町を、見下ろしている場所らしい。


「山の上ェにあるちいさな旅館だ。片道三十分もかからん」

「そうなんだ。それにしても、うん。よく寝たら、だいぶすっきりしたよ」

「寝ただけでイチヂャマが抜けるかァ、あほ。御手洗のかけた術は、真取眼を閉じて体内の気を巡らす経絡系けいらくけいを開き、督脈とくみゃくってな背骨沿いの道にて全身へ負荷を分散させるものだったんだ。そこにわしの術を浴びせたから、効率的に排出できたまでよ。まったく、カンサシブになるわけでもねェのに、無茶をするな」

「カンサシブ」

「……ん? ああそうか、お前はあまり、ばあさんの言葉も理解しとらんかったんだァな」


 ひとり納得した様子でうなずく喜一は、どう説明したものか、とうなりはじめていた。水はもういいかい、とコップを差し出してきた踊場にありがとうと返しながら、司は尋ねる。


「踊場さん、じいちゃんとなに話してたの」

「いやなに、僕は折口信夫先生の本で少々学んだ程度で、沖縄のユタなどにはあまり知識がなかったのでね。いろいろお教えいただいたまでだよ。しかし司くんが、本当にユタの血を引いていたとはね」

「ユタ?」

「さて、どっから話したもんだかな。とりあえず踊場の、お前から経過報告でもしとけ」

「ではそうしましょう。ひとまず司くんが調べてきてくれた、慈雨についての情報からだね」

「ああ、どうなったの?」


 梁渾にて加良部から聞き出せた情報は、当時の慈雨の会が活動拠点としていた場所と、日月秀十の実家、および交友関係にあった人物の家である。どれも司たちの地元近くであるため、戻って調べるなどしなければ、と考えていたのだが。


「いや、こちらについては赤馬さんに連絡することとした。あれで聞き込みのうまい人だからね、明日にはいろいろ情報があがってくると思うよ」

「へえ……って、あの人にどうやって連絡とったのさ。ケータイ持ってないよね」

「緊急の時は近所のコンビニにかければ、知り合いの人が取り次いでくれるんだ。交友関係の広い人だから」


 周囲がお人よしにもほどがあるだろうと思ったが、そのような人間関係を築ける力と考えがあってこそ、あのような生活ができているのかもしれない……などと考えていると赤馬のにやにやした笑みが脳裏に浮かんできて、軽薄そうな表情が思い出された。

 いや、やっぱりそこまで深くものを考えてはいないんだろう、とかぶりを振った。好意的な人間がたまたま近くにたまたま多くいただけか。


「で、ここにいないみんなは?」

「廉太郎とサワハくんは風呂。小野くんは、回復はしたもののまだ疲れがあるとかで、夕涼みに出かけているよ」

「逢魔が刻に出歩くのも考えものなんでな、宿の中以外は許しちゃおらんがね」

「そっか。早く情報集まって、会長を探せるといいね」

「鮮度の低い情報であるから、あまり期待しすぎるのもよくないのだろうけどね。現状はとにかく、そんなところさ。あとは」


 踊場が目をやると、腕組みしていた喜一は腕を解き、膝の上に置くと前屈みになって、司に身を乗り出した。


「わしの方か。して、司。お前の聞きてェことは、なんだ」

「え、ああ、うん。……そうだね。っていっても、なんか聞きたいことが多すぎて、どっから聞けばいいのかわかんないんだけど……そうだ。真取眼、つまり淨眼を七無の手に渡さないために動いてきたってことは、じいちゃんはいつ七無の目的を知って、止めようと動き出したの?」

「ほぉ、いいところから訊いてくれたなァ。そうだな、淨眼と七無についちゃ、まずわしの生涯について話し始めるのが、一番伝えやすい」

「うわ、長くなりそう」

「必要な話だ。お前がちっちゃいころは、さすがにこんな話もできんかったろ。はて、さて、どこまでお前は知ってたか。とりあえず苗字からわかる通り、わしがばあさんとこに婿入りしたってのァ、知っとるよな?」

「うん。で、ばあちゃんの家系が、霊視とかできる異能者の一族、だったんだっけ」

「その通りだ。それがさっき踊場の小僧に話しとったユタ、沖縄において加持祈祷のような呪術や霊的な力に秀でた霊媒師よ。いろいろあって沖縄でそんなばあさんと出会ったわしは、向こうの家に入り、子を成し、沖縄返還からほどなくしてこっちの方へ渡ってきた。そん時ァ息子の真一朗に一切能力が遺伝せず、平穏に暮らせると思ってたが。お前にゃ、ばあさんの血が強く出たわけだァな。〝サーダカ生まれのシジ〟こっちの言葉にあらためると、霊力の高い筋の生まれ、という意味だ」


 幼いころ幾度か祖母より耳にし、そして先日、汀にも投げかけられた言葉だ。間をおいて茶をすする喜一に、司は納得の声をあげた。


「聞き覚えある言葉だと思ったら、そういうこと」

「はっは。ばあさんは向こうの言葉が抜けきらんかったからな、お前と話がしづらくて寂しいとよくぼやいとったよ。そして、話は少しさかのぼるが、わしがばあさんと出会う前、まだ沖縄にいなかったころ。わしにもお前やばあさんほどじゃァないが、生まれついての霊視能力があった。あいにくとさほど真面目に呪術の道に足を踏み入れちゃァおらんかったが……それでも、七無という男の暗躍は、耳に入ってきとった。危険な呪術師であると、そう聞き及んどった。今から数えて、半世紀以上も前だがな」

「五十年も前から、七無は動いてたの?」

「踊場の小僧から聞いたが、谷峰という町での一件や、穂波田村での一件を思い浮かべてみろ。仕込みは、遥か昔からのもんだろぉが」


 言われて考えてみると、谷峰では四十年前の嵐で降ってきた人魚を用い。神代の一件では、何年も前に呪いの狐が貸し与えられていたというような発言もあった。遥かな昔から、準備を進めていたというのか。この絶え間ない執念にいささかならず恐怖した司が顔を歪めると、喜一も厳しい面持ちでこくりとうなずいた。


「もっとも、呪術師どもの界隈でいくら有名になろうと、奴は巧妙な手口で罰せられることを避けとった」

「え、罰せられることってあるんだ」

「当たり前だろぉが。無法の中にも法はある。呪術や霊力を扱う者たちは、遥か昔、この国に陰陽寮というものができる以前より、歴史の裏で動き続けてきた。この過程で独自のシステムにより異能への立法機関、執行機関としての存在もまた、確立されたわけだァな。だが七無はうまく立ち回り、罪にならんようにことを重ねた。なぜなら奴は呪いの種子を振りまき、様々な事件に加担しとったが、直接手を下したことも能動的に力を貸したこともねェ。鋭い嗅覚で呪いを、異能を欲する人間を嗅ぎつけ、求められるままに力を貸すことで、責任を逃れ続けてきた。――そうまでして呪いを振りまいた理由、それこそが〝反魂計画〟」

「なにが、目的で……」

「詳しくはわからん。生死の境をなくし、死者で世を満たすためなのだろうが……その先にやつはなにを求めているのやら。ともかくも、危険視された七無を止めるべく、執行機関に雇われて霊媒関係の仕事をしていたわしとばあさん、また小野山女魚などが、たびたび奴の起こした事件の後始末を任じられとった。御手洗もさいきんになって雇われの身となってな、いまごろは谷峰とやらで仕事をしとるだろぉよ」

「小野のお母さんと、仕事してたんだ」


 司が問えば、思い返すように目を閉じて喜一はつぶやいた。


「数少ない淨眼使いの一人だったなァ。七無が黄泉路を開くべく淨眼を必要としとることがわかってからは、前線からも退かされて機関以外での仕事を主としとったが。……最終的に、己が敵方に淨眼があるのでは計画の邪魔になると判じた七無によって、消された(、、、、)

「なっ、七無に、消された? だって、小野のお母さんは、丙に焼かれたって」

「その丙を使役したのが、七無だ。さっきも言うたろ、自ら能動的に人を呪えば、足がつく。法に触れる。だから奴は地脈による力の道筋を整え、丙を動きやすくしたに過ぎん。負の気を、人の負の思念を嗅ぎつける嗅覚で呪いを要する場を見つけ出し、機と場を用意する。あとは戯曲のごとく、演者のごとく。周りが奴の思惑通りに動き、丙に小野山女魚を殺害させた」


 力の道筋、と聞いて司は思い出す。犬神使い。

 奴の居た廃墟も気の溜まり場ではあったが、それだけならば実害はなかったはずなのだ。そして最期、犬神が標的でなく使役者であったはずの使い手をかみ殺したのは――力の道筋、呪いの辿るべき道を、だれかが正したためではないかと、推測したのではなかったか。

 すべての裏に七無がいる。周囲を害する力で以て。


「あいつの恐ろしいとこはその洞察力、最小の関与で最大の結果を得る慧眼だァな。……そうして七無と関わる中で、お前が生まれた。カミンダーリ成すカンサシブ、ユタの血脈を色濃く受け継ぐ異能者よ。お前のあまりの眼の強さに、わしもばあさんも恐怖した。淨眼以上の眼だ、七無に見つかりゃただじゃ済まねェ。だから名によって封じた。それでなお有り余る力は、へその緒へと分離させて封じた。これで大丈夫だろうと高をくくっておったが……やつの執念は凄まじく、また司の淨眼も抑えが効かなくなりつつあった」

「それで司くんに力を取り戻させた、と。しかし喜一さん、先ほどのように負の気にやられ倒れてしまうほど影響を受けやすくなったのでは、小野くんも司くんもかえって危ないだけではないのですか?」

「ああいや、小野の娘はともかくも、さっき司が倒れたのは、負の気によるものではねェよ。真取眼ほど高位の眼なら、負の気ぐらいはいなせるんだ。考えてみぃ、集団自殺の際の山、あるいは穂波田村での狐、はたまた谷峰の丙。奴らの負の気で、これほどダメージを受けたことァ、なかったろ」


 踊場の問い返しに、喜一はかぶりを振って応じた。次いで、黄泉戸喫よもつへぐいを知っとるか、と続けた。


「黄泉で飲食をすると、あちらの存在になってしまうという考えですよね」

「そぉだ。もともと人間は社会性の高い動物、古来より狩猟採集など、他者と協力して食糧を得ることで暮らしてきた。ゆえに分け合い同じものを食うという行動に、社会集団の一員として認める意味合いがある。同じものを共に食えば仲間というわけだァな。これが転じて、黄泉のものを食せば、向こうの住人と認められる、なんてな考えが生まれたわけだ。ではなぜそのようにあの世をちがう社会集団と考えるかってェと、向こうは穢れの場だからだ」


 立ち上がって窓辺へ移動した喜一は、懐からうるまの煙草を取り出すと火を点け、窓の向こうへ煙を吐き出した。夜闇にまぎれて、紫煙はすぐに溶け消えた。


「伝承にある、イザナミの姿がその象徴だ。バクテリアに分解される途中の遺体を見た昔の人間が、死の向こう側はこうした穢れに満ちとるもんだ、などと考えたんだろぉよ。醜いものは向こうに押し付けようてェわけだァな。だが醜いものってのァ、変化の途中って意味でもあってな。力あるものの象徴でもある。上位存在の穢れは下位存在にとっちゃ天恵だ」

「糞尿からも神が生まれていますしね」

「その通り。単純な話、わしらが排泄した物質は、わしらにとっちゃ穢れだろ。だが下位存在、微生物やバクテリアや虫などにとっちゃ、食糧足り得るわけだ。わしらが受け止めきれんだけで、黄泉の穢れも上位存在からの天恵なのかもしれんよ。……実際、神隠してのァそういうことなんだ」

「神隠しって、歪みの向こうに消えることじゃないの?」

「そりゃァ一般の世界での〝神隠し〟だ。わしが言うのは、呪術師などのいる世界における神隠しよ。黄泉からの影響を受けすぎたものが、彼岸グソーに至ってしまう。ニライカナイへ近づいてしまう。こうした状態を〝神隠し〟と呼ぶ。……いいか司。お前が受けた影響は、負の気なんざ目じゃねェ。黄泉から現れた存在、死霊による場の穢れ。こいつをフタバというんだが、それが変質し、お前の中ではイチヂャマ、つまり呪いとして現象と表出しとる。あまり触れ過ぎればマブイにも影響が出る、そうなれば……お前も神隠しに遭い、向こうの世界へ渡ってしまう可能性がある」


 火を消して吸殻を灰皿に落とした喜一は、司をねめつけるようにしながら言った。


「だから穢れに必要以上に触れるな。深く強くみようとするな。お前の眼は瞰通しちまう。穢れを取り込み溜めこんじまう。人の身を保ちてェなら、引き際を知れ。わしの話は、こんなとこだ」


 最後の煙を漏らした喜一は、質問に答えようとでもいうつもりなのか、視線を踊場と司へ巡らして口をつぐんだ。踊場は特別尋ねることはないようで、膝の上に置いた手をひとつ打ちあわせただけだった。司はまだ、解消されない疑問点があったので、静まった喜一に問う。


「いまの話って、小野には」

「話したよ。取り乱しこそしなかったが、内心いろいろ思うところがあるわな。一人で考える時間を、少し与えてやった方がいいんじゃねェか」

「……そっか。じゃあ最後に一つ。人の身、で思い出したんだけどさ」

「なんだ」

「ばあちゃんは、どうしてむごい死に方をしたの?」


 二本目の煙草に火を点けようとしていた喜一は、喉の奥でうなるような声を押し潰し、フィルターを握りつぶす。踊場は司の言う意味がわからず、しかし踏み込んだ話題であることは察して、そわそわと身じろぎした。司は喜一から目を逸らさなかった。

 だが喜一の眼力の重たさは、ここから逃れたいと思わせるに足る密度でのしかかってくる。なおもひるまず対峙し続けると、わずかに圧力を緩めた喜一は、二本目から煙をのぼらせた。


「あのときにも言うたぞ。『お前にゃ関係ない』これで終わりだ」

「家族だろ。なんで隠すのさ」

「真一朗に聞いちゃおらんのか、二目と見られる死にざまじゃなかったってことァよ。あいつの最期は……わしらの胸の中にしまっとくと決めたんだ。あいつの最期はお前だけじゃなく、誰にも関係ない。わしにすらな。恨みの矛先を向けるべき相手もハナからいない。わしから言えるのは、こんだけだ。もう忘れとけェ」

「でも」

「どうにもならねェことを」


 激しい語調で遮り、うつむき加減に司を見据え、喜一は口の端をひん曲げて、歯の根を軋ませた。


「伝えたくはない。思い返したくもない。反省して生かせる事柄なら、お前が知ってて得をすることなら、あの電話の時に言うとるさ。だが、ばあさんの死は、そういうもんじゃない。人の身ではどうにもならんような大きな流れってもんが、この世にゃ厳然として存在し続けとる。理解せず流されることの、なんと気楽なことか」


 語尾を、溜め息に流す。


「けれど、人の身を越えようとしちゃァいかん。困難に挑む英雄の意志は、時として化け物を生む。七無のようにな。とはいえ、わしはすべてに諦めろと言うとるのではないぞ。己が限界を知れということだ、限りを越えた働きをするな。その代わりにすべきこと、できることァ……もうお前は、わかっとるはずだな?」


 おだやかな言葉は、小野や口論義、踊場と廉太郎にサワハ、赤馬などの姿を思い出させた。


「うん」

「人らしくあれ。ばあさんはそうやって生きた。そうやって死んでった、じゃない。ちゃんと生きたんだ」


 煙が、夜空にのぼっていった。


        #


 今後については食事の折にでも話そうと喜一に言われ、風呂からあがってきた廉太郎、サワハとすれちがってから、司は夕涼みに出ていったという小野を探しにいった。中庭に面した戸を抜けると、低いとはいえ山の上まできたためか、夏だというのに空気にはどこか冷やかさが宿っていた。近場を歩いているはずなので、うろうろと辺りをさまよってみる。

 暗闇にみるものがあるかもしれない、そんな時刻が過ぎていく。崖の近くへ伸びる坂を少しくだり、曲がり角にある休憩所まで来て、司はぼんやりとした小野の姿を認めた。石清水いわしみずの滴り落ちる石臼の横にあるベンチに腰掛けていて、木々の葉により生まれた影の中で、薄暗さを身にまといながらたたずんでいた。

 小走りで駆けてきたものの、次第にペースを落とし、ゆっくり歩み寄る。小野は司に気付くと首をかたむけ、いそいそとベンチにスペースをあけた。司は、あまり距離を置かず隣に腰かけた。


「具合、どう?」

「わたしはさほど辛くありませんでしたので。司さんが、早い段階で目を閉じさせてくれたおかげでしょうね。むしろ具合を心配するのは、わたしのほうですよ」

「こっちは問題ない。御手洗さんの術は、一時的に穢れの負荷を眼以外に置いて、あとから排出しやすくするためのものだったらしいんだ。だから谷峰のときみたいに寝込むこともなく、ちょっと寝ただけですっきり元気」

「よかったです」


 心底ほっとしたのか、小野は常の姿勢を崩し、上体を折り曲げて深くひと息ついた。おおげさな、と思いつつも、こちらを見る小野の目が優しげで、こちらにも温かな心地を呼びこんでくれるのを感じると、無碍むげに切って返すのも難ありだと判じられた。立場が逆なら、自分も同じような顔をして、同じような言葉が出るだろうと、そう思えたから。


「あまり無理をなさいませんよう。強すぎる力に振りまわされるというのでは、あまりにも悲しすぎますから」

「真取眼を完全に開いて使うようなことがなければ、大丈夫だよ。じいちゃんと合流できたから、わざわざ無理するほどの状況は、もうないだろうしさ」

「だったら安心なのですが。それにしても、意外なところでわたしと司さんにも、繋がりがあったのですね」


 喜一のことが話題に出たからか、ふと話題にのぼるふしぎな縁。そういえばそうだね、と返して、司は横に流れる清水に手を差し入れた。小野の表情が、冷めた。


「喜一さんに、うかがいました。昔の母のこと、七無のこと。いろいろ聞いてしまって、少々頭がこんがらがってます」

「あ……ごめん。空気読まずに、そっとしておかないで」

「いえ、いいんです。本音を言えば、最初人影が近づいてきたとき、まだ一人でいたいのに、などと考えたのですけど……近づいてきたのが司さんだとわかったら、安心してしまいまして。一人でさびしく悩むことを選んでいたはずなのに、悩みがすっと頭から抜けてしまったんです。おかしな、話ですよね」

「おかしな、なのかな。いや、よくわかんないけどさ。ただ、それ聞いていま単純に、うれしいよ」

「なにがですか?」

「そんな、悩みがすっぽ抜けるくらい、心配してくれたのかと思って」


 返せば、呆けたような顔で小野は司を眺め、次いで頬を赤くした。風で木々の葉が揺れ、残り火のような西日が差し込んだせいでは、ない。言葉にしてしまってから、自意識過剰だったか、などと反省した司も、頬に熱を覚えた。きっと自分も同じように顔が赤いにちがいない。

 きり、と音がしそうなほど、しっかりとした表情を取り戻した小野は、短く咳払いをすると、司との間においた距離を詰めながら、膝の上に片肘ついて、そっぽを向くように頬杖をついた。呼吸ひとつおくと、ようよう言葉を積めた。


「いつも、いつでも、そばにいてくれた人ですから」

「小野」

「司さんだけじゃなく、会長や踊場さん、廉太郎さんにサワハさん」

「……ああ、そういうこと」


 ちょっと寂しい気もしたが、うなずきと共に口をへの字にして司は黙った。

 小野は言葉を切ると、あさっての方を向いたまま、肩を寄せてきた。驚く司だったが、言葉を飲みこむと、自分も肩を寄せた。互い、寄り添ったまま、次の風が吹くまでそうしていた。


「早く、会長に戻ってきてほしいです」

「そうだね」

「七無のことは、許せませんけど。それでも、それ以上に、生きてる人の方がわたしには大事なんだと、気付きました」

「そっか」

「司さんが、大事だって気付きました」

「そうなんだ…………え、」


 肩越しに隣を見やると、気の無い素振りで反対を向いていた小野が、じっと、こちらを見上げていることを認めた。濡れそぼったまなじりと、上気した頬の朱色、潤い帯びた唇が目に入った。


「遠い気が、したんです」

「な、にが」


 努めて平静を装い、司は問い返す。身をもたれさせるようにしてしまっていた小野は、ここにきて自分の格好に気付いたか、あわてて元の位置まで引き返していった。司の心音も、波が引くように静けさを取り戻した。


「え、ええと。自分の目が、霊や歪みを捉えたときです。わたしは、自分の眼にもこんな力が宿っていると知らなかったので、いままで司さんの領域に踏み込むことはありませんでした。けれどこうしてこの眼で世界を見渡してみると……こんな世界に司さんはいたんだ、と、これまで平然と接してきたあなたが、遠い世界の住人だったように、理解したんです」

「べつに、幽霊もなにも、遠くはないんだよ。見えない隣人、ってやつ。たまたま、それが視えるだけ。視えちゃったから、せめてできることはしようと思って、関わってきただけだよ」

「司さんは、強いですね」

「強くなんかないよ」

「強いですよ。ひとりきり、だれにも干渉せず生きていくのは、本当はとても楽なんです。だから、積極的に関わろうとした司さんは、強いんだと思います」

「小野だって、ひとりきりになろうとしてた廉太郎さんに関わったり、してたじゃないか」

「あれはあの人の駄々に付き合ってあげてただけです」

「そうかなあ」

「そうなんです」


 むっとした気色を感じて、司は追及を避けた。風が、ときたま吹いている。触れあっている肩だけが、やわらかで温かだった。


「……だから、いま、戸惑っているんです」

「なにに」

「司さんは、好意ってなんだと思いますか?」


 質問は彼方へ逸らされて、新たな疑問を投げかけられる。司はどうしたものかとしばし口元に手をやって考えたが、考えるほどに隣に腰掛ける小野の体温ばかりが気になって、答えに窮する。


「その人に対する評価……っていうのはちと浪漫にかけるっていうか、無機質で殺伐としてるよね。なんだろ、でも自分にとって心地いい、近づきたい相手への思いなんじゃないかな」

「……ですよね。わたしも、結局は〝評価〟という言葉が最初に出てきます。好きか嫌いか、なんて簡単に口に出しますけど、一時の感情だけで決まるのなら、好意なんて薄っぺらなものほかにない、ということになってしまいます」

「言っとくけど、こっちは薄っぺらなつもりはないよ。一時の迷いがこんなに長く続くわけないんだからね」

「わかってます。……いや、わかってないのかもしれません。わたしは、好意というものの大きさ、重さというものを、感じたことがありません」


 親にはきっと、愛されてはいたんでしょうけど、と付け足して、身じろぎした。ほんのわずかだが、司の肩にかかる重みが増えた。


「そういえば、小野のお父さんって、こういう活動についてなんて言ってるの」

「強いていうのなら、なにも。お父さんはわたしを大事にしてくれています。だから、話したくない。だからこそ、わたしは異能察知の能力についても、教えていません」

「お母さんの仕事のことは知ってるんだよね」

「ええ。だからといって、なにもできません。あの人は異能とは縁もゆかりもない、ただの商社で働く一般人で、母と知り合ったのは本当に偶然だったそうですから。母の職業について偏見を持つことがなかった点だけは、普通ではなかったみたいですけど。ただ、偏見はなかったものの、理解もなかったようでして。どこか、あやふやな、半信半疑ともいえない……身も蓋もない言い方をすれば、まともに向き合っていない、どうでもいい対象だったのでしょうね。異界のすべてが」

「そりゃ、ごもっともだよ。みえない人には、本当の理解は得られないよ」

「そういうのでしたら、先ほどわたしが司さんを遠い、と感じてしまったことについても、ご理解いただけますか」

「まあ、そうだね。遠いのかもしれないや。でも思うに、みえるみえないは、なんていうか、生活様式とか文化のちがいとかと、同じなんじゃないか」


 触れられないけどそこに確かにある、文化や様式。生まれ育った土地のそれに馴染んだ人間が、ある日急に別の土地にいって、まったく別の様式に触れる。

 きっと、しばらくすれば慣れは訪れる。そういうものなんだろうと納得もする。でも、真に理解することは、たぶんない。人間は、異なる常識をふたつも身の内に収めていられないからだ、と司は思う。


「長い時間をかけて、たとえば外国人でいうなら帰化するくらいまで染み込ませれば、あるいは理解に近いものが得られるだろうけどさ。実感できないものには、心の底の底で疑問が残り続ける。なんで? って」

「帰化、ですか」

「ちなみにできてない奴がここに、いる」


 自分を指して司はいった。そっぽを向いていた小野は気付くのに遅れて、横目で司のジェスチュアを視界に入れると、肩を震わせた。


「とても、そんな風には」

「小野たちは感じなかったかもしれないけど。異能満ち満ちた世界から、急に普通の世界に連れて来られてさ。八年経って、やっとこさ一生のうちで過ごした異能世界と普通世界の割合が、半々になってくれたとこだけど……実感を得るには程遠いよ。人々の行動とか、様式とか、いろんなものを見るたびに、心の底でちがいを感じてる。疎外感が芽生えてる」


 神社の道で、真ん中を走る人を見て。山を見て、荒らされているのを見て。細々としたことで、さほど大したことはない、と人から言われてしまうようなものばかりだが――「大したことはない」と言いきれてしまうことが、まず異常に感じられた。幼かった司にとって異界は身近で、けして粗末に扱ってはならないものだと教え込まれてきたのに、外に出てくれば皆が皆、異能を異常として爪弾きにしていた。

 喜一を恨む気持ちがなかった、というのは先ほど述べた通りだった。ただ、外の世界が不思議だったし、悲しかった。同じ民族で、同じ国に生きていたはずが、なぜこうまでちがうのだろう、と。疎外感にさいなまれてきた。


「そう、だったんですか」

「そうだよ。だから、受け入れてくれて、必要としてくれて、うれしかった。小野への好意も、そこが発端」


 明確に言葉に表すことには、まだ少し硬さが残ったものの。正直な気持ちを伝えれば、小野は戸惑いを露わにした。気にしすぎないで、と言っても、浮かんだ表情はぬぐい去れなかった。重たいと思われたのかな、と心中に暗雲が立ち込める。


「わたしの恋は、なんなんでしょう」

「好意?」

「や、好意ではなく……いえ、好意です。好意ですよ、そのとおりです」


 言い聞かせるように何度かいって、横目ではなく、真正面から司に向き合い、ベンチに両手をついて、身を乗り出してきた。


「わたしは、好意というのは相手についての、感想だと思うんです」

「感情じゃなくて、感想?」

「はい。これまでの相手を見てきた結果生まれる評価と、感想が入り混じったものかと。……わたしは、友人というものは、廉太郎さんや倉内さんなど、いままで何人かいました。そして友人とは、厚いという字の方の厚意で成り立つ対等な関係なのだと、そう思うんです」

「そうかもしれない」

「けれど、たとえば恋人などという関係は、互いが互いへの感想と評価、すなわち好意を差し出し合い、代価として、相互にある程度の強制力を持てる、気がします。対等だけれど、どちらもがどちらもに対して優位である、というような」

「……なんかこむずかしいことになってきたけど。要するに、あれか。小野は、縛られたくないって、そういうこと?」


 ええ、とうなずき、司の顔色を見た。


「身勝手をいって、いいですか」

「どうぞ」

「……少しは迷ったり悩んだりしてくださいよ、もう……」

「えと、ごめん」

「いいですけど。きっとそういうところが――わたしにとって」


 ベンチにおかれた手が、きゅっと握られた。手の甲にさするような温かみが触れて、司が目を落とす。すぐそばに、小野の頭がある。さらさらと流れる前髪の奥から、こちらを見つめている。出逢ったころより、髪が伸びたな、なんて、いまでなくてもいいようなことを思った。

 まばたきする瞳が、呼吸に合わせてかすかに上下していた。口が閉じ、白い喉元が動き、息を呑んだことがわかる。次に開かれた口から、震える声音があった。


「大事です。大切です。きっとわたしは、司さんが、好きなんです」


 ささやきは、ひしめく葉と枝の音の隙間を縫って届いた。

 司が、息を呑んだ。幾度かしばしばとまばたきを繰り返し、小野の言葉を呑みこんだように、喉から胃までが重く、けれど次の瞬間に歓喜に変わる感覚のうねりを察した。お腹の底から、じわりとしみだして、全身が熱くなる。


「でも」


 そして指先まで熱さが届こうというときに、小野の発した言葉がすっと頭を冷えさせた。


「わたしは、ずっと死んだ人のために動いてきました」

「……うん」


 重ねられていた手を握り返そうとして、指先に込めたはずの力を、そっと抜く。すると、司の表情からなにか読み取ったか。小野は申し訳なさそうな顔で、うつむく。


「友人はいましたけれど。そういう感情で人を見たことがありませんでした。いえ、いまも正しい感情であるのか、判別つきません。友人と、恋人の境目がわかりません。互いの告白があればいいんでしょうか、それとも、身体が触れなければだめでしょうか、身体が触れても、ちがう場合もあるのでしょうか」


 わかりません、と。告白のときと同じくらい、小さなささやきで司に問うた。


「生きてる人と関わることが、難しいです。こわい。でも近付きたくて、一緒にいたくて、生きていきたい。それでいて、死んだ人(お母さん)のためにも、生きていたい。ですから」


 縛られたくない。ということなのだろう。

 生きてる人にかかりきりになってしまいそうだからか、それとも……復讐を、呪いを咎めることのできる立場の人間がいるというのが、嫌なのか。どちらもか。相手が司である以上、後者の気持ちも大きいのだろう。そう推し量って、やるせない気持ちにさせられた。

 悩む表情を見かねてか、小野は、重ねていた手を引こうとしていた。

 司は、はねのけるように腕を上げると、強く、離れようとしていた手首をつかんだ。


「信じるよ」


 離れまいと口をついて出たのは、そんな言葉だった。


「……なにをですか」


 せきを切ってしまいそうな声で、いう。


「小野は、きっとだれも傷つけない、って」

「また、それですか? 傷つけますよ、だれをも。わたしはそういう人間です。司さんのことだって、傷つけるかもわからない。だからこわいんです。なにもかもこわい、こわいんですよ……呪おう呪おう復讐をしよう、なんて考えているうちに、わたしの中で他者を傷つけることが正当化されて、暴力へのハードルはどんどん下がっていて、わたしは力におぼれていて、」

「それでも」


 言葉尻をとらえて切って、司は小野の手をとった。


「生きてる人に関わりたいんだろう。大事だって思えたなら、ないがしろにしちゃだめだ」

「だって」

「こっちだって同じだよ。周りの人が異文化の人ばかりに思えて、死んだ人にばっかり関わってきて、いつしか生きてる人に関わることが、こわくなってた」


 こわばりをのぞかせる小野の前で、司も独白する。自分にできることだから、とやっていたわけではない。まっとうに世界に関わることができなかったから、死者と関わることを選んできた。死者の念を尊重し、生きている人の訴えを、甘えだと思ってきた。


「でもいまは生きてる人のためになにかしたい。小野になにかしてあげたい。だから縛りはしない」

「呪おうとしても、ですか」

「前も言った。きっと、最後まで足掻いてからじゃなきゃ、小野はやらないって。信じるよ、だから約束するよ。小野をだれより優先する。一緒に、いたい」


 絞り出すような必死の訴えかけは、自らの内から出てきたとは思えないほど大きく熱い感情に満ちていて、言い終えただけで息切れしそうな自分をかえりみた司は、こんなに、と思った。こんなに、自分は小野を好きなのか、と。そして自覚が大きくなったとたん、相手の反応が怖くなる。

 小野は、ふるっと一度、体を震わせた。次いで顔を下に向け、はあとひとつ嘆息すると、ゆっくりと顔をあげた。

 泣き笑いのような、複雑な面持ちで、こちらを見ていた。


「……じゃあ……お願いします。……わたしを、優先してくれるのなら」

「うん」

「まずはちょっとだけ、支えていてくださいますか」


 司の肩に頭をあずけた小野は、ちいさかった震えを少しずつ大きくして、握った手から力を抜いて、しなだれかかってきた。


「頼っても、かまいませんか」

「だいじょぶ」

「……ありがとう」


 受け止めて、ひとしきり彼女の感情に任せて、なされるがまま座りこんでいた。

 夜が、忍び寄ってくるまで。


ニライカナイっていうとモスラ2を思い出す。


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