十九題目 「穂波田村巫女考」と踊場が名付けた
承が終わり。そろそろ転です
今回は巫女が純潔がどうとかそんな話
食堂を離れて動きだした車は一路、田淵神社を目指す。あのような対応をなされてしまうといくぶん村人に話を聞きづらい、と思ったらしい踊場はどうしたものかと頭をひねっており、そこで昨日のことを思い出した司と小野が神代なら話を聞けるのでは、と提案したのだ。
「悪い人じゃなさそうだったからね」
「いろいろと神社の由縁などについて教えてもくれました」
「ほう? それは興味深いね。研究資料としてもぜひにお話を伺いたいものだ」
二つ返事で承諾した踊場は車を川の方へ向け、神社を目指し針路をとる。
すると先ほどあのようなことがあったせいで気になりすぎているだけかもしれないが、司が窓の外を見るとさっきまではこちらを見ることもなかった村人が、じろじろとよそ者である司たちの方を見ているような気がしてならなかった。
サワハや口論義なども同じような視線を感じていたのか、身を固くしている。なにやら車内にこの先の散策での自分たちの身を案じる雰囲気が漂い始めるが、退く気になっている人間はまだいないらしかった。
その中でただ一人、廉太郎だけが困ったように溜め息をついていた。
「……廉太郎さん?」
「なんだ、マルドメ」
「へんな溜め息ついてたから、どうしたのかと思って」
「なんでもない。どうせ俺が何か言ったところでなにも変わらんのだから、なんでもない」
不機嫌さを滲みださせながら、廉太郎は立たせた膝に頬杖ついて進行方向を睨んでいた。こう論議がやる気を出したことには嬉しい気持ちがあり、けれどまた事件に首を突っ込むことには難色を示している、そのポーズなのだろうと司は思う。
廉太郎の態度が目に入っていないのか、口論義はのんきに今の光景について推測する言葉を吐き出していた。
「村でも島でも同じだけど、閉鎖空間では独特のコミュニティができていたりするものよ」
「独特か。いいこともあるが、悪いことも無きにしもあらずだね。民俗資料を集めて比較し変化や伝播を推測する際にも、地域差などはかなり大きく出るものだ。そして特色、というのは排他的な要素になりがちというものだよ。孤立は孤独を深める」
「お祭りではありませんでしたが、冬の一件でも少し変わったコミュニティの祭事らしきもの、という点は同じでしたね」
「まあお祭りとは神の来訪であるとか精霊との交感であると考えられ、この世の秩序と異なる秩序に支配される時間だからね。諸外国で言うなればハロウィン、日本ならば近畿地方の地蔵盆や尾張などにあるお月見泥棒など、普段なら禁じられることが解放されるという形で秩序が崩れる。そうすることで疑似的に向こうの世界に近付く、などとも考えられていたそうだ。あの一件も、そうした儀式の意味合いがあったのだろう」
向こうの世界、で異界を連想した司は、自らあのような場所に赴こうなどと考える人々の気がしれなくて不思議に思う。ふとミラー越しに目があった踊場は乾いた笑みを浮かべ、「特殊な凡人はえてして特別なものに惹かれる」とつぶやいた。「もちろん、特別が差別につながることを知らないからだが」と付け足すのを忘れず、ミラーを視界から切る。代わりに移りこんだのは、司の後ろの廉太郎の眼鏡だった。
「はん、アイデンティティをそんなところに頼ってる時点で特別どころか特殊ですらないがな」
「……微妙なものとはいえ能力持ちのきみがそのように言ってもね」
廉太郎が反論すれば、踊場が反駁した。不愉快そうに、どこから取り出したのか竹とんぼを手の中でもてあそぶ廉太郎は、回しもせずに手放したそれを己の微能により回転させ、落ちないが天井にも当たらない程度の回転数を保たせて空中で浮き沈みさせた。
「こんなことができようができまいが、俺は俺だ。こんなもん指の第一関節だけ曲げられるとか、ペンで指の間を突くのが速い特技と同じくらいどうでもいい。たとえば中学の時トランプタワーを立てるのがうまい奴がいたが、そいつは超人気者だった。比べて俺には、無風でも風車を回せるとかそれなんて永久機関、とか騒いでた科学部くらいしか友達いなかったぜ」
「いえ、そもそも廉太郎さんはあの頃反抗期の荒くれ者でしたから、友達がいただけ奇跡なのですよ?」
「……ちぃ、これだから後輩って奴は。ヘタにこっちの事情に詳しくて困る」
せせら笑いつつ後ろを見やる小野の視線から逃れるように肩をすくめ、どこかで聞いたようなセリフを言う廉太郎は運転席に向けて声を張った。
「とにもかくにも、変わるわけないんだよ。俺も、会長も、小野も、サワハも、マルドメも。能力ったって目の届く範囲にしか効果が無い。それしきで変わるほど世界は脆弱じゃない。特技じみた能力の有無にひがんでんじゃねぇよ、どうせ大したことじゃないんだよ、こんなもん。特別も特殊も信じなきゃ存在すらしてないんだ」
「じゃあきみは一体なにを信じているというんだい?」
普通、普遍、平等、一般。そんな言葉がよぎったのだろうか、踊場は苦々しい顔つきを眉根のわずかな動きだけに隠して運転しているように司は感じた。
廉太郎は実にあっさりと答える。
「手前と会長とお前ら。特別でも特殊でもない、俺の知り合いども。……なんだよ、他に信じるべきものあるのか?」
「……いや、」
言葉を切って、否、声に出さないようにだけ注意して。踊場の唇がたしかに「うらやましい」と動いた。口論義は真横にいたがその動きが見えていたのかどうなのか、身じろぎひとつしない彼女を見ても司には判然としなかった。
皆が黙ってからも進む田舎道は、車で走ると路面の凹凸や傷み様が直接に伝わってきて、ひどく乗り心地が悪かった。窓の外で昨日も見た道路脇の祠が後方に過ぎ去りゆくのを見て、司も小野も神社へだいぶ近付いてきたことを感じ取る。
しばらく道なりに進むと橋が見えてきて、渡りきった向こう側に開けた場所があったのでそこへ駐車する。窮屈だったのか肩を回しながら降りてきた廉太郎は軽く屈伸運動などをして身体を伸ばし、司を先頭に六人は神社を目指し始めた。
「この先の滝の向こうだよ」
「え! 神社あるは滝の中通るノ!」
「……いや、RPGのダンジョンじゃないんだからさ。そんな面白いとこにはないよ」
サワハの見当違いな発言を流しつつ坂を登る。ところが滝の横まで来たところで、村人が三名たむろしているのを見つけた。中年男性と初老の男性、そして巫女装束に身を包んだ女性である。神代だと思い片手をあげて挨拶しようとする司だったが、よく見れば巫女は小じわの多い中年の女性だった。見知らぬ人々である。
無論、向こうからすれば自分たちが見慣れない人間なのだろうとは思ったが、失礼はないように軽く会釈して六人で通り抜けようとする。しかし一瞬だが司と目があった中年男性が、去ろうとする司の背に脅しかけるがごとき声をかける。
「待て」
「はい」
足を止めると威嚇するように肩をいからせながら近づいてきて、中年の男は司の頭越しに奥の神社を見ていた。誰かいるのかと振り返るが、何も見えない。
「お前、この先に行く気か」
「ええ」
「なにがあるか知っとるか」
「お祭りかなにかじゃないんですか」
「知っとるのか」
加齢臭が感じられる程度の距離まで近づかれ、相手は完全に威圧の体勢に入る。昨日まではなにもなかったというのに、なぜ今日だけこうも厳しく追及されるのか。わけもわからず司はうなずき、その対応がますます相手の気に障ったとみえた。
いよいよ男の後ろにいた初老の男性と巫女からも厳しい視線が向けられ、明らかな敵意に司たちは囲まれた。男が一歩踏み出し、歯をむき出した。
「てめえ、この先に通したるわけにはいかんぞ……」
「おうちょい待ったおっさん、荒っぽいことはなしにしてくれ」
と、司と男の間に廉太郎が割り込み、男の動きを制するように諸手を掲げて押し留めるような体勢をとった。小柄で背も低い司より、男は遥かにがっしりとした体格と背丈の持ち主であったが、一八〇センチを越える巨躯の廉太郎のことはさすがに見上げざるを得ない。
見下ろされて男は少しだけ気圧されたようだが、すぐに気を持ち直して目前の相手を睥睨し、突然間合いに入り込んできた乱入者が自分を押し留める腕を払いのけようと、片手をあげた。
「おいてめえ、舐めた真似しとるんじゃねえ」
怒鳴りかけて、不意に動いた男の手が廉太郎の右腕を掴みにかかる。
「っと」
そこに捲きつけるような動きで廉太郎が腕を回すと、まるで擦り抜けたかのように男の手は遥か下方に流されていた。そして動かし、対応したにもかかわらず、相も変わらず廉太郎の両腕は前面に据えられており。腕を払われた男の正中線へいつでも打撃を加えられる位置を保持していた。その場の人間が全員、あっけにとられた。
廉太郎の体勢を見て「あ」と思った司が振り返ると、小野も少し身構えるようにしている。危険な雰囲気を感じ取ったためだろう。そう、体勢ではなく――それは身を「構えて」いた。
それが単なる体勢でないことを、司は以前小野から聞いて知っていた。一見ただ無造作に両手を突き出して「まあまあ」とでも言いたげに穏便に押し留めるだけの格好に見えて、相手の足下に右足を踏み込み左足は肩幅より少し狭い程度に開いて後方に置いている。
脇を閉め眼前と顎の前へ並べられ柔らかに五指を開いた掌は、そのまま掌底として打ちこむまたは指先を相手の衣服へ引っかけ崩し・投げ・極めへ瞬時に移行するためのもの。
歴とした、倉内流の構えのひとつであった。
「な、おっさん。やめてくれよ、な」
「てめえなに言って、」
素早く、長いリーチを生かして廉太郎は男の肩に掌を置く。突き飛ばすでも殴りつけるでもなくただ置く、だけのように見えて、関節の動きを殺している。相手の拳が飛んでくる予兆を感じて、機先を制し相手の動きも制していた。
足をあげようとしても同じ。男の足下の間合い深くへ踏み込んでいる廉太郎の足が、動こうとする男の足より早く駆動し運動のエネルギー方向をずらし、崩すように払う。もんどりうって倒れた男に、廉太郎は手を差し出しつつ問いかけた。
「ああ悪い、立てるか? いやホントすまないな、うちの師匠なら倒すようなヘタはしないんだが、なにぶん俺ァまだ修行中の身でね。倒さず動かさず攻めさせず防がせず、ってなうちの流派の極意はまだ使えないんだ」
それは相手に一切の自由を許さないということではないだろうか、と司は思った。なんにせよ、そこまで熟達した域に達していないとはいえ、廉太郎と男の実力差は火を見るよりも明らかだった。
なおも敵意をむき出しにして気勢の殺がれた様子のない男は、素早く立ち上がって構えると、廉太郎に襲いかかろうとする。面倒臭そうに、廉太郎も構える。少し右拳を下げ胸元の前辺りに構えると、手首のしなりを利かせて鋭く風を切る音を立てた。
「止まれ」
だがまともに廉太郎のジャブが決まる前に、制止の声がかかって男がぴたりと止まる。先ほどまで怒りに駆られていた男は声の響きが消えるまでに青くなって縮みあがっていたが、血の気が引いたのは別段廉太郎の拳が鼻先をかすめていたからではなさそうだった。
声がした方向は神社で、そちらから廉太郎に負けないくらいに背の高い男が歩いて来ていた。
「祭事の前で気が立っているのもわからんではないが、そのように外部の人に接するのはいかがなものかと思うが、どうだ」
「す、すみません」
「謝罪すべき相手は私ではあるまいに」
諭されて、男は口早に廉太郎と司たちに詫びるとそそくさとその場をあとにした。後ろに控えていた男性と巫女も気まずそうに顔を見合わせると、神社の方から歩いてきた長身の男の顔を見ないようにして頭を下げて、滝の前から離れると坂を下っていく。立ち止まっていた長身の男は、彼らが去り見えなくなるまで見届けてから、司たちに頭を下げた。
「やれ、参ったものだ。すまなかったな、きみたち。こういうクソ田舎だとどうにも排他的になって、外部の人間にはひどく接しがちのようだ。戒めるよう言い聞かせておかねば」
よれたワイシャツに黒のボトムス、下駄というひどくラフな格好の男は、左手をポケットに入れたまま頭を掻いた。輪郭線を覆う無精ひげと短く刈り込んだ頭髪、薄く細められた瞳の下の皺が少々年齢を重ねていることを示していたが、正した背筋とワイシャツの上からでもわかる鍛え上げられた肉体が、そこへ若さも内包していることを認識させた。
低く落ち着いてはいるが張りのある声にも、まだ老いを感じさせることはない。弁解するわけではないが、と前置きしてから、男は彼らの対応の理由について話した。
「特に明日明後日にある祭事は干支の一回りごとにしか行わない特別なもの。外部の方には参加をご遠慮願っているもの故に、ついあのような対応になる。重ね重ね非礼を詫びなくては。申し訳なかった」
「いや、こっちこそすんませんね、村の人転ばせるような真似して」
「ところで、ここの神社の巫女さんであるところの神代さんはいらっしゃいますか」
廉太郎の謝罪に続けて小野が問うと、頭を下げていた男は怪訝な顔をして六人に向き直った。
「はて、神代のご友人の方々かな」
「友人というほどではありませんが、先日ここで色々とお世話になりまして」
「それはそれは。……ふむ、だが神代は明日の祭事のため禊ぎを執り行うべく山の方へ籠っている。あいにくだが、余人を近づけるわけにはいかん。御用向きは祭事の終わりし明々後日以降としていただけるか」
「ああいえ、御用というほどではなかったので。ただ、わたしたちは学校の合宿予定でこちらにうかがっているので、明後日には帰らなくてはいけないんです」
「なるほど、では神代に逢うことも叶わんわけだな」
納得した様子でうなずく男は、少し考えてから司たちを手招きし、昨日も訪ねた拝殿横の階段を下りた先にある平屋の方を指した。
「せっかくこちらまでご足労願ってなにももてなさず返すのでは神代に叱られかねん。お相手が私のような男であることは申し訳なく思うが、茶でも出そう。神代の家を勝手に使うことになるが、まあ私も一応はここの関係者だ、さほど問題あるまい」
先導して歩く男は、振り返りざまに司たちに名乗った。
「古川義助。私も、神代の友人だ」
昨日もお邪魔した場所で今日は仲間と卓を囲み、もてなしてくれる相手も違うというのはどこか芝居じみた感じがして、司には奇妙に感じられた。
「少々待たせたかな」
お盆に載せたやかんと人数分のグラスはわりと重たそうに見えたが、左手をポケットに入れたまま右手だけで盆を持った古川は行儀の悪いことに足でふすまを開け部屋に入ってきた。
「いえいえ、お気づかいありがとうございます」
「家事接待は少々苦手なものでな。特に若い方々のお相手はなにを話せば良いのやら」
「なんでもいいすよ。たとえばほら……あんた、家事は苦手でも武道の心得はあるいみたいじゃないすか。それについてちょこっと教えてもらえませんかね」
なぜかちょっと嬉しそうな廉太郎がそんなことを言って話題を振ると、座りこんだ古川はいやはは、といたずらを見破られた子供のように無邪気な笑みを見せた。実年齢は三十そこそこと見えたが、笑うと少年のような印象に若返る。
「きみやきみのお師匠さんほどではないと思うがね」
「そうすか? 体幹のしっかりした歩き方してるし、下駄の底も平らにすり減ってた。相当しっかりした重心をお持ちのようで」
「そこまで称賛を受けるほどではない。その昔剣を、嗜む程度にな」
今も続けているとしか思えないほどに筋骨隆々とした男だったので、素人の司でも明らかな謙遜だということがわかった。廉太郎はそれを聞いてなお興奮冷めやらぬ様子で、今にも舌舐めずりしそうな顔をしていた。
「……悪い癖ですね」
兄弟子のいやらしい表情に対して、小野は気持ち悪いものを見たような目でこそこそと司に愚痴を言う。言い咎められたことに気付くと、廉太郎は唾を呑みこんで、仏頂面で黙した。
「悪い癖ってなに?」
「あの人、倉内流の鍛錬のおかげでだいぶ更生して、自分より弱い人をあしらうことを覚えましたけど。未だに強そうな人とは戦いたがるふしがありまして」
「……ああそういうこと」
戦闘を行う廉太郎を司が見たのはさっきの一回と犬神使いの時の一回、合わせて二回だけだが、その都度廉太郎は必要に駆られてしぶしぶという顔で面倒そうに戦っていたためてっきり〝修行の果てに戦いの虚しさを知った〟とかそういう境地なのだろうと司は理解していたが。
単に自分より格下の相手では燃えない、と、それだけのことだったようである。
「ところでお祭りというのは、なぜ部外者は参加ができないようになっているのですかね」
踊場は巫女がいなかったことを残念がっていたようだが、気を取り直して本来の目的だった民俗研究のための聞き込みをはじめる。
この話題に触れれば古川でも先ほどまでの村人のように豹変するのでは、と危惧していた司はいきなり本題に入った踊場を見て驚いていたが、意外にも古川は気分を害することもなく、ああそれか、と丁寧に応じる態度をみせた。
「かなり歴史のある祭事だが、元は男子禁制の祭事であったと聞いている。特に旅の男性、外部の男性は厳しく排除する傾向にあったそうだ。十二年ごとにのみ行う神聖で特異な祭事であることも排他性を強める一助となっていたと見えるが、いつからか排他性は強まり村人のみの行事となっていったらしい」
神聖、排他性、とつぶやいた口論義はなにか思うところあったのか、まるで授業中であるかのように片手を挙げて古川の説明に質問を差し挟む。。
「それ、巫女の神性を保つため、ってとこから始まったのかしら」
「巫女の……そうかもしれんな。少なくとも、一因ではあるだろうと私は思っている。神社の文献にもそのような記述は存在していた」
古川の答えに得心がいったのか、ふんふんとうなずき口論義はメモを取る。
口論義の質問の意味がよくわかっていない司、サワハ、廉太郎には、無理解を察した踊場が説明した。
「先ほども述べたが村や島といったコミュニティは閉鎖的になりがちだ。結果、身近な人とばかり契ることとなりその集落では血が濃くなる。要は徐々に、近親同士の行為に近付いていくわけだ。昔の人もそれが良くないものを家系に呼び込むことは知っていたからね、当然解決法を探し求める。……ところで全国に子宝の湯というのは存在するが、あれの由縁の一説は知っているかな」
温泉の由縁や由来など、動物が傷を癒しているのを見て浸かってみた、などという伝承ぐらいしか知らない司は首を横に振る。横を見れば廉太郎とサワハもちんぷんかんぷんと口にしており、踊場は話を続けた。
「風呂屋であかすりや髪すきを行う職業を三助といってね……まあ現在はあまりよく思われない言い方なので浴場の従業員さん、などの呼称が良いのだろうが、僕はそういう意味で使うのではないからそのつもりで。その、三助の方も今では日本に一人しかいないが昔は色々なところに居たそうだ。三助は男性の職種でその昔は遊女という女性の職もあったのだが、こちらは途中から売春化していったため禁止された。そして三助に話を戻すが、まあ男性の職種なわけだが、かつての風呂屋は男女混浴も数多くあり、」「いいネそれ」「いいなそれ」「黙れ話を聞け」
黙って聞いていたサワハと廉太郎がほぼ同時に下心丸出しの発言をしたため踊場は眉間に皺を寄せてぴしゃりとはねつけた。
「……数多くあって、だ。不妊で後継ぎに恵まれない女性がそういうところへ来たとしよう。けれど不妊というのは男性側に問題があることもある。たとえば……機能しないとか、機能していると見えるが子種はないだとか。そういう場合でも、良家の場合は男の面子を立たせるために固く秘して、後継ぎを生ませるために画策する。その策のうちの一つが、三助による援助に頼るものだという説がある」
援助という言葉にもたせた含みは、さすがに全員理解した。一人くらいうぶな反応してもいいのに、と思った司は小野の方を見てみたが、澄ました顔をしていて特に恥じらったりする様も見られずがっかりした。
「だが、んなもん、家の中の侍従なりに頼みゃいいんじゃないのか」
「後々使用人の子だなどと露見したらそれこそ大問題だろう。そして良家の娘など、外に出る機会はそうそう無い。旅先ならば知る人もなく噂の広まることもないと考えた、苦肉の策だったのだろうと思うよ。……偶然にあやかった子宝を宣伝文句とした看板が立つのが先か、裏ルートからそのような仕事を斡旋する人間が先か、はたまた真っ赤なウソなのか。繰り返し言うが、あくまで一説にすぎないのだけれどね。ともかくも、後継ぎはどんな場所でも望まれる」
「ふえー、面子も機能もタたないはたいへんネー。そんで、お話が子作りのなのはわかたから、それが巫女さんに繋がるする理由教えてヨ」
「……きみはもう少し言葉を選んでくれ」
さらりと下世話なセリフを言ったサワハに頭を抱えた踊場は、ようやく話を元に戻す。
「今のは良家の後継ぎの問題だが、村でも島でも同じように後継ぎは求められる。だがあまり村内で契る人々が多いと、血が濃くなる。それを防ぐためにとった方法は、先の子宝の湯の噂と同じようなものさ。外部からの血を入れることだよ」
共感呪術、と呼ばれるものがある。接触したもの同士にはリンクがあり、なんらかの相互作用があるとするものである。たとえばとある狩猟民族では、獲物の足跡に矢を突き立てることで獲物の足へダメージを与えることができる、と考えられていた。他には類感呪術と呼ばれるものは似たもの同士に相互作用があるとするもので、全世界至るところの呪術文化でこれらを重視してことを行うものが散見される。
そして豊穣とは、生まれること。その類感からかつての儀式において巫女は娼の役も担い、男性との契りにより豊作への道程を表したとも言われる。だが神に仕える巫女は神と契るべきであるとされ、次第にそのプロセスは失われ巫女は純潔を保つようになっていった。
「結果、その昔生じていた外部からの血を引き入れる行為が巫女に影響を及ぼすことのないように、特に祭事の間は外部の人間を入れない文化が生まれたってことかしらね」
口論義が締めくくり、踊場も同意を示すようにうなずいた。古川は感心したのか大きくうなずき、踊場と口論義を交互に見比べた。
「博学なものだなきみたちは」
「まだまだ浅いですよ。学ぶべきことは多くあります」
「いやいやそれだけ語れるのならば、神代がいたらさぞ喜んだことだろう。奴も民俗学などに多大な興味関心を持っていてな、常日頃から空いた時間には勉学に励んどった」
「僕も大学で研究の道に進もうと考えています」
「それは素晴らしい。神代は大学にこそ行かせること叶わなかった故、今も独学で学んでおるのでな」
「大学に、行かせる?」
まるで保護者じみた発言に、全員が首をかしげる。口を滑らせた風でもない古川はにこりと笑い、「歳の離れた妹のようなものでな」と言った。
「私は土地の管理で生計を立てているのだが、諸事情の下に神代の後見人のような立ち位置となっている。出来得る限り奴の願い通り大学へも通わせてやりたかったが、私にも奴にも為さねばならぬ職務がある故村に留まることと相成った。そのような経緯だ」
「地主ですか……」
「大したものではない」
地主は金持ち、という先入観から気後れした司が言うと、古川が右手で指差した窓の先、彼方の山のふもとにある乾いた色合いの大地が、司たちの視界の中央に映る。なにかが育てられている様子の無い、完全な空地であった。
「有効活用のできん土地を広く所有してしまっただけのこと。本業も他にあったが」
「今はやめてるんですか」
「やめざるを得ん理由があり、やむなく。今の暮らしも悪くはないがね……ああ、そういえば祭事について聞きたいのだったか」
矢継ぎ早に司が会話を重ねたためについつい伸ばし伸ばしになっていた話にようやく回帰し、踊場がメモを片手に真剣に聞き入った。古川は顎を撫でながらぼんやりと窓の向こうを見据え、祭りの内容について語りだした。
「先ほどお話の中でもあったが、ここでも巫女は豊穣を祈願するため人々から崇められてきた存在だ。稲荷大明神を祀る、ということは神代から聞いたかな」
「ええ一通り」
小野が答え、振り返るが、踊場も口論義もある程度の知識は持っているようで続けるよううながす所作を見せた。廉太郎とサワハはあまり興味が無いらしく、部屋の中を見渡したり携帯電話を取り出して「圏外……」とぼやいたりしている。司は昨日説明を聞いたこともあってか多少なりとも興味は湧いたので、古川の話に耳を傾けることとした。
「左様か。では枝社の方へ祀るものが何であるかは知っているか」
「枝社……は、食べ物をお供えする際にそちらへ置く習慣があると聞きましたが」
「その通り。あちらには本殿の祭神とは別のものを祀っておる。荒魂と言う奴であるな。神代はこれを鎮め、災厄なく事が運ぶよう祈ることをお役目としている」
「基本的に巫女さん以外はお祭りに関われないのですか」
「ああ、そうだ。巫女と一部の村の上役のみで執り行われる儀であるよ。古来より身分の高い人間と謁見できるのは同様に身分の高い者だけであったように、巫女や狐も神と直接に相まみえることは無礼にあたるとされて遣わされたものだ。そして人ならぬ者の跳梁跋扈する彼の世を見るべく、人の俗世を離れて山に環る。こうしてこの社が建つのも山だが、山麓というのはそれだけで神性の高いものと考えられ、神に繋がる場、はたまた山自体が神とする考えもあり、この村にはそれが伝わっている」
「山岳信仰ということ?」
口論義の疑問に、古川の目尻が柔らかく垂れた。人にものを教えるのが楽しいというのは、踊場にせよ古川にせよ知識人に共通の感覚であるようだ。
「修験道ではないのでそこまで露骨なものではないがね。山裾から広がるこの村一帯の土地の神の祠が置かれているのが山というだけのこと。そも、崇めるという字にも山という字は入っている。山々は高く、人の下界を見下ろす場。壮大な自然に対し畏敬の念を示す、山以外も対象に含む自然崇拝ということだろう。その内から出ずる動物もまた、人間にとっては脅威であり、畏れるべき対象だ。動物は人間の本能と情念を現し、かつて居た自然の在り様を人に思い出させる」
古川は窓の外の眺望に思いをはせていると見えた。それにしても、ただの土地管理者にしてはいやに詳しいと司は思う。
「ひょっとして、古川さんが神主かなにかですか」
「いや、いや。私は単なる土地の管理者、神社とは一切の関係が無い。むしろ、実のところ私も外部から来た人間なのでね。なにやら語ってしまったが、祭事への参加が許された人間ではない。実情や詳しい内容については伝聞でしか知り得ておらんのだ」
「外から、来たんですか」
「……遠い、昔のことだ。何世代も前に先祖が住んでいたこの地に帰ってきたというだけのこと。今や出て行く気も起こらん、この地で生涯を終えるだろう」
古川は西日の差しこむ部屋の中で、静かに笑った。
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「神代さんとやらに会えなかったのは残念だったが、古川さんからのお話も僕には十分に興味深いものであったよ」
一時間ほどお邪魔していくつか話をうかがってから、司たちは田淵神社を離れて村の方へ戻るべくカローラを停車したところまで帰ってきた。古川によれば狭い村落特有の情報伝達速度で今頃は古川・神代の知人であることが伝わっているから、村の散策に際しても特に問題は起こらないだろうとのことである。
ただ念を押すように、明日明後日の祭事には来ないようにと言われた。踊場は残念がっていたが、口論義は一度トイレに立って戻ってきてから、考え込んだ様子で黙り込んでいた。
「どうするノ踊場サン、あとの今日のご予定はー」
「問題がないのであれば他の神社を見て回りたいところだね。伝承などについてもう少し詳細なデータを集めた上でこの辺りの地域の他の伝承と比較検証して、レポートにまとめる」
「終わったら帰りに川浪で道の駅に寄ろうぜ。ワサビアボカドアイスっての一度食べてみたいと思ってたんだ」
「なんですかその食物兵器」
小野が不気味な食べ物を想像してしまったのか吐き気を催した顔で廉太郎から距離を取る。当の本人はというと聞いていないフリをして意にしない様子でがま口財布の中身を確かめている。前納と趣味が合いそうだと、司は友人の天然パーマを思い出す。
「しかし喉が渇いてきたのだぜ」
「さっきお茶飲まなかったの?」
「他人の家の茶は微妙に口に合わん」
「レンタロ、あっこに滝あるヨ滝」
「生水はよせよ」
「あ、ならちょうどいいものあるよ」
ごそごそと、フラップバッグに入れたままだった缶ジュースを取り出して廉太郎に渡す。司はわりと勢い強く投げたが、さすがに鍛えた反射神経で受け取った彼はやきいもジュースというその奇怪な飲み物を手に硬直し、司に投げ返そうと構えを取る。
「お前これ冷えてないだろうが」
「えー、もっと他に言うことあったと思うんだけど……あと口さみしいならこれもあげるよ」
「絶対そのチョコ菓子溶けてるだろ。だいたいそういう菓子食うとさらに喉乾くだろ」
呆れたような廉太郎だが一応貰えるものは貰っておく主義なのか、ごそごそとポケットにしまいこむ。余計に菓子が砕けると思ったが、どうせこれ以上状態が劣化することはないと判じて黙っておいた。
「甚平ってどこにポケットがあるのか、構造がよくわかんないな」
「男子にとって制服のスカートのどこにポケットあるのかわからんのと同じようなもんだ」
なるほど、と納得する司に、運転席に座った踊場が呼びかけてくる。そろそろ出発のようで、小野とサワハと口論義も車に乗り込むところだった。
「明日は来られない以上今日中にできることはしておきたい。そろそろ出発させてもらうよ」
「あっと、出発するんならその前にちょっといい?」
「どったんマルドメくん、忘れ物置いてくるでもしたカナ?」
「えと、ちょっと……華摘みに」
「キジ撃ちとも言うな」
廉太郎に妙な注釈を付けられながら、駐車した位置から離れて木陰のあたりにある公衆トイレへ歩いて行く。古川の話を聞きながら話の合間にお茶をいただきすぎたせいである。会話で置いてきぼりを喰らうとどうにもグラスに手が伸びるクセをどうにかした方がいいと思った。
公衆トイレは少し曲がって車からは見えない位置に入口があり、影にあることもあってひんやりと沈んだ空気が溜まっていた。そちらへと進み、わりと小奇麗な場所だったことにほっとしながら男女のマークの区別をつけようとする。ところが田舎のおおらかさというものか、特に男女で分かれているわけではないようだった。
「……まあ誰も来ないよね」
ちょっと迷ったもののそろそろ限界に近かったため、急いで中に入ろうとする。後ろから他の皆が連れ立って来たりしないことを願いつつ、司の足は勝手に進む。
と。
ぐにゃり、景色の一部がひんまがって、その位置を透した先が蜃気楼に包まれたように、ふやふよと頼りなげにゆれる。あれ、と異常に感づいて戻ろうとした時には、既に遅い。ぐわぐわと異空間が広がりを見せ、司の右側を塞いだ。
一か月前の峠での出来事がフラッシュバックして、感覚の中に既視感が攻め入る。この〝歪み〟により異界へ消えた加良部のことが頭をよぎり、近づいてはならないと身をすくませた。……第六感は直前まで何も感じ取っていなかった。つまりこの異常は今この時に発生したものだ――理解がそこまで及んで、ようやく退避しようとするが――歪みの数が急速に増えて行き、ヘタに動けば中に呑みこまれそうだと思うと足が動かない。
おまけに。
空中に、亀裂が入る。黒いマジックですうっと線を引いたように、そしてそこからぬめぬめと這いだすように、塗りつぶす黒の色合いが空間の色彩比率を傾かせていく。はじめて見る事象に驚いていると、その塗りつぶされた陰のようなものも、数を増やして司に迫る。
その存在は影を剥い出た人間のごとき異形で、第六感の警報と霊視による判別は可能だったが、声も聞こえず臭いはなく触れることもできない。これら特徴から、霊体なのだと気付いて対処すべく小刀を抜こうとした時、司の腹部へ鈍痛が走り、指先からも力が抜けて痺れに表皮の感覚が囚われる。
こんな、急に。
「……ゃ……ば……」
言葉が形をなさず、助けを呼ぶことも叶わない。呆気ないほどの短い時間で全ての気力を根こそぎ奪われた司は、自分を取り囲む異形と異常から身を丸めようと構えて、そこで意識を失った。
――豊作を祈願する場合には田畑で舞い、踊り、奏で、さも豊作があったかのように振る舞う。これがおでんの語源でもある田楽(田楽は曲芸見せのような側面もあり、その中で高い一本足の竹馬のようなものに乗る芸がありそれが串刺しのおでんに似ていた)のはじまりであり、次第に田楽は田畑の中から出て大自然と人の世界との境界たるひもろぎなどに位置する神社にて行われ、より直接的に「祀る神様」へ祈るようになった。
風呂屋のくだりは作中で踊場もいっておりますが、あくまで一説です。