十八題目 「田舎の旅情」と口論義が囁いた
「なにしてんの、みんな揃って」
「テスト前の最後の息抜きにと思って小旅行に出かけようと思ったのさ。ちょうど僕も免許をとったところだったのでね、温泉地にでも出かけて鋭気を養おうということだよ」
司に問われた踊場は、指先でくるくると車のキーを回していた。風呂場近くの休憩所で膝の高さのテーブルを挟んで向き合う二人の周りに、残りのきてれつ研メンバーも勢ぞろいしていた。
周囲を駆け回るように、湯上りでほくほくしている廉太郎がサワハとコーヒー牛乳の奪い合いをしており、ソファの背もたれに腰かけるようにして口論義が踊場と背中合わせに座っている。司の隣では小野がじろじろと廉太郎たちが跳ねまわる様子を見ており、入浴時間が終わってしまうかもしれないがいいのだろうか、と司は思った。
「というか、旅行にしたって、ここじゃなくてもいいじゃん……」
ちらりと横を見てから口をとがらせて司が言うと、踊場はううん、と顔をあげて司と小野の顔をためつすがめつ見やる。踊場の背後で、口論義がぼそっと尋ねてきた。
「なに、司ちゃん、あたしたちが来たことで何か不服な点でもあるの?」
「……ないよ別に。ないともさ」
明日以降の行動には小野と自分の後ろにこの四人が標準装備されるだろうことを考えるとどうにも目つきが悪くなり険しい表情になってしまう司であったが、口論義はあまり気にした風でもなく携帯電話をいじっていた。
「まあ僕らがここに来た理由というのもね、もちろんこの辺りの温泉が目的ではあったのだけどそれだけではないんだよ。ところで今日は展覧列挙集、一度も開いていないのかな?」
「開いたけど、自分でフォッグマンの件について書きこんだとこしか見てないよ」
「そうかい。新しく書き込みしておいたから、なにかしらきみら二人から反応がくるかと思っていたのだけどね……実はこの川浪という町の隣に位置する穂波田村というところでね、明後日からお祭りが催されるらしいのだよ」
「お祭り?」
ああ、と首肯する踊場にうながされて、司と小野も自らの携帯電話を取り出し展覧列挙集を見る。新しい項目として『祭 穂波田村巫女考』というものができており、二人は内容に目を通した。
「箸休めというか、学校への研究提出のための一件として見ていこうということさ。ここのところ危険な事件にばかり首を突っ込んでいたからね、たまにはこういうのもいいだろう。まあ僕の趣味に走ったものとなってしまったのだが、」
「踊場さん巫女服好きなの」
「そういうフェティシズムではなくてだね。民俗研究の一環としてこうした祭事についての生の情報をフィールドワークで採取したいということだ」
「そうだぜマルドメ。こいつはフェチ的には巫女よりメイドの方が好みだそうだからな」
「おおう、古き良き日本文化、西洋の波に押し流されたカナ?」
「そこの二人、テキトーなことを言わないでもらおうか」
振り返って犬歯を剥くように廉太郎とサワハにぴしゃりと言い放った踊場から逃げるように、二人は司と小野のソファの後ろへ移動した。
「で、きみらは明日以降どうするんだね?」
「あー。その穂波田村、今日小野と一緒に行ってきたばっかなんだけど、」
「今日はいろいろあってあまり見て回れなかったので、明日も行こうかと考えています」
「じゃあみんなで行くとしようか。大して距離も無いようだし、人数的にも僕のカローラで移動できるだろう。ん、どうしたんだい司くん」
「……いや、なんでも」
なんとかして踊場たちと別行動にできないかと行き先を逸らそうとした司の目論見は儚くも無残にご破算となった。
「ま、そうは行ってもきみらは合宿中だし。調査と報告はあたしらに任せてくれればいいのよ」
「はあ」
「疲れたような声出すなよマルドメ。俺だって帰ったらまた追試だからホントはこんな調査してる暇ないのだぜ?」
「いや、きみは対人折衝の術をあまり知らないから調査には回らずともよいよ。サワハくんともども走り回って遊んでいればいい」
「ま、マジで? やったな、降ってわいた休暇だ!」
「やっほぅ、田舎で神社で遊ぶは初めてのコト。ぷーたー」
乾杯とでも言いたげに、牛乳瓶を二人して上に掲げた。踊場の言葉には遠回しにとげが含まれていたような気がしたが、おそらくは「対人折衝」の意味がよくわからなかったのだろうと司は小野に話し、彼女は苦笑いを浮かべた。
「相変わらずこの研究会は踊場さんのワンマン研究で成り立っていますね……」
「仕方ないさ。僕には異能が、無いのだから。これくらいしか貢献できない」
卑下するように踊場は言ったが、「しかし僕らの卒業後はきみらのどちらかが僕の役割を担うのだよ」と釘も刺してきた。考えてみれば口論義も踊場も三年生、長くとも秋までで部活動などは引退というのが禾斗目高校の慣例だ。二年生の二人もいるにはいるが、記録や調査に向いた二人とは言い難いため必然的に司か小野に仕事が回ってきそうだった。
「踊場さん、卒業後はどうすんの?」
「県内の大学へ行く。日本文化学科で今と同様に研究をするつもりだよ」
「そっか、もう夏も目前ですしね。進学のことなども決め始めてますか。会長は如何様にいたすおつもりですか?」
「……あたし? あたしも、まあ、大学かな。心理か人文かってとこかしらね」
覇気の無い様子で笑うが、司の記憶が正しければ踊場も口論義も成績は良好、優等生のはずである。選り好みできるだけの実力はあるというのに、妙な反応だなと思った。
「反面教師になる人物と長く過ごしていたのでね。しっかりしなくてはと思うよ、実際」
「反面って、あー赤馬さんか……」
「あの人は去年の今頃『勉強しないで遊ぶん学部、法律さっぱりアホう学部、教授無視して不敬罪学部、さぁてどれにしようかね』などと歌っていたからね。……結果はご覧の有様なわけだが」
「……フォッグマン事件のあの時、出所のわからない銅線とかスクラップになった車とか売って生計立ててたみたいだけど。何者なの一体」
「知りたいかい?」
「いややっぱやめとく」
踊場の情報網と同じで、知っても幸せになれなさそうな臭いを感じて司は退いた。ちょうどそこで腕時計で時間を確認した踊場は頃合いだと思ったのか席を立ち、追従して残り三人も休憩所から出て行く。
「ではお暇させていただくよ、二人とも良い夜を。明日の正午、資料館見学が終わったらこのキャンプ地の入口にある看板まで来ておくれ。車をまわしてくる」
「あれ、みなさんはバンガローにお泊まりにならないのですか?」
「ワタシたち、ここ来る途中山で見つけたの宿に泊まるのコトヨ。えっへへ、なんか地図に載ってなかたし、秘境の宿屋さんかもしれないネー。かわいそーなマルドメくんと小野ちゃん、バンガローのかったい床に寝袋敷いて寝てるの間、サワハたちのんびりぐっすりすやすやよ」
胸を張って大きくVサインを見せるサワハ。秘境という言葉であの村のことが頭をかすめたが、宿は関係ないな、とかぶりを振って司は笑みを返した。
「ていうかよくそんなお金あったよね、みんな」
「そこが偶然にも俺の師匠の娘が出入りしてた宿らしくてな、わりと安くしてもらえた。人間、どこでどう縁があるかわからんもんだなー」
じゃ、と片手をあげて四人はそろそろと去っていく。司も時計を確かめて、入浴時間がだいぶぎりぎりになってきていることを悟った。
「さてじゃあお風呂に……あ、あー……」
時間がないなと思いつつ振り返った視線の先に居た小野を見つけて、司は気付く……彼女が押さえた右腕。小野も入浴時間のことを気にしていなかったわけではなく、意図的にここまで混む時間帯をずらして入ろうとしていたのだろう、と。
司の表情から何を言おうとしているのか読み取ったらしい小野は、少し困ったような顔で時計を見上げて、もう入浴時間が十五分ほどしか残っていないことを確認した。
「入れそう?」
「んー、でもまだ、さっき入っていった方々が出てきていないのですよね」
「入れ違いにはなれないか。どうすんの」
「……事情を話して、教員のバンガローにあるシャワーを使わせてもらいます。中学の間も、体育の授業でプールが始まった時には毎回『火傷痕が敏感で塩素でただれる』と説明して切り抜けていましたので、今回は泉質が問題だとでも言えば大丈夫かと」
「そっか」
「仕方ないですよ。呪いの怪我は、あまり衆目に晒すべきものではありませんから」
では、と言って去ってゆく小野の背中は、少し寂しげだった。とはいえどうしてやれるわけでもなく、司はせっかく打ち明けてもらえたというのに何もできない自分を歯がゆく思った。進展しているようでなにも変わらないな、と昼間にも思ったことを再び考え、嘆息でもやもやした気持ちを吹き消した。
休憩所を出ると、肌寒いくらいの風が山を駆け下りてくる。バンガローに戻ってタオルを取りに行く途中だったことを思いだした司は駆けだそうとしたが、そこで横合いから声をかけられた。
「司くん」
キャンプ地の入口方向へ点々と続く街灯の下からすっと現れた人影は、司より少し低い目線をきらめかせて輪郭を露わにする。表情の硬い踊場が、片手をあげていた。
「へ? あ、踊場さん? 車の方戻ったんじゃなかったの」
「いやなに、少し皆には待っていてもらった。話しておきたいことがあったのでね」
柔らかそうな自分の髪をくしゃりと撫でた踊場は、少し言いづらそうに司に一歩近づいた。
「じつは、口論義のことなんだが」
「会長?」
「ああ。今日もそうだったが、どうも先月の一件以来あまり元気がなくてね。今回も気分転換にならないかと思ってこの旅行に連れ出したわけなのさ。そういう事情もあるから、少しだけあいつのこと、気にかけてやってくれないか」
心底お願いするように、踊場は司の目をまっすぐに見据えていた。いつかもこんな話をして、その時も踊場は同じような顔をしていたことを思い出し、司は駆けだそうとする姿勢から、身体の向きごと正面を踊場に据えた。
「別にいいけど。会長、そんなに元気ないの?」
「まあ、前回の事件におけるフォッグマン・加良部雪のやり口への嫌悪と、阻止できなかった自分への苛立ちが混ざって気落ちしているというところかな」
フォッグマン事件の折に喫茶店で踊場と話した際に、口論義があの事件に対して特別な思いを抱いているということについては司も聞いていた。なので踊場の意図するところがそこにあるのだろうことはすぐに理解が追い付いたが、しかし細かい事情については聞かなかったためどうにも対応しづらいな、とも感じた。
「フォッグマンの、やり口かぁ」
「ああ」
踊場にその先を語るつもりはないようで、ただじっと司の方を見る。むずがゆくて居たたまれない心地がしたが、真摯に頼んできていることもまた、強く伝わってきた。
「ん。わかったよ。ちょっと会長のことは気にかけるようにする」
「ありがとう。恩に着るよ」
だが踊場は以前にも事情を話すかどうかは口論義が判じるべきとの考えを示していたので、深く立ち入って聞くことは司もしない。踊場の方も含んでおいてほしいという程度の意味合いで口にした言葉だったらしく、了解してくれた司にほっとした顔を見せる余裕ができたようだ。
「すまなかったね、呼びとめて」
「大丈夫。あとはお風呂入るだけだったから。ところでさ、踊場さん」
「ん?」
「単に興味本位で聞くから、言いたくなければそれでいいんだけど……大学、はたまたその先に行っても、今みたいに口論義さんをフォローし続けるの?」
「たぶんね」
ポケットに手を入れてきびすを返そうとしたまま動きを殺した踊場は、いつかだれかにそう問われることを予想していたかのように、即座に返答した。
「僕の生活で口論義がまったく関わっていない事物は、少ないんだよ。だからフォローというわけでは、ないのかな。関わっているのが普通なんだ。少なくとも僕からはそう思って接している。たとえば僕がこうして民俗研究にはまりこんだのも、口論義と過ごしてきたからこそ、だからね。無論、幼馴染で長い付き合いで、しかも僕があいつに……その……惚れているから、というのもあるかもしれないが」
照れくさそうに身じろぎして、一刻も早くこの場を離れたいのか爪先で地面を蹴り始める。そんな反応を面白いなあとからかうような目で見るのが司の常なのだが、今日はなぜだか、どうにも冷めていて、やけに平静な心情が腹の内に染み込んでいた。
「廉太郎さんに会長をとられるんじゃ、とか考えない?」
しかし言葉だけは普段のごとく、明るく言葉尻を跳ねさせて問う。司はこうして冗談交じりに問えば踊場もいつものように廉太郎に対して罵倒と酷評を浴びせて「そんなことありえない」とでも笑うのだろうと思ったが。
なぜか、今日はちがった。
「いつも考えているさ。とられかねない、とね。まあ僕の者でもなんでもないわけだが」
「うそ」
否定の意を込めて首を横に振れば、踊場は司の否定に否と断じた。
「あいつは確かにいい加減で、粗野で、不誠実で、面倒くさがりで、ほとほと呆れ果てるような人間だけれどね。――口論義に対しては真面目で、紳士で、誠実で、几帳面で、いい奴だ。もしかしたら、なんていつも考えていることさ。だから僕はいつもあいつの駄目な部分を露呈させようとしているんだ。僕はあいつみたいには、きっとなれないから」
「あいつみたいって、なにさ」
「最初にきみが廉太郎と会った時、あいつは言っていただろう。『危ないものには近寄らない、近付いてしまったら相手を食ってでも生き延びる、そして手が空いてたら真っ先に会長を助ける』とね。……僕は散々あいつを馬鹿にしてきたが、本当はあいつこそ賢いのかもしれない」
賢者は黙して語らない。そう自嘲気味に笑う踊場は、街灯に背をもたせかけて司から視線を外した。司は灯下に移動した為に暗くなって見づらい踊場の顔をよく見ようとしたが、視線を遮るように踊場はあさっての方を向いた。
「あいつは愚直率直素直で正直、できない約束事は口にしない。だから口論義が危険を追うことに難色を示すし、けれど口論義が止めても止まらないことを知っているから守ることに徹する。……僕はちがう。止めようともしない。口論義の望むまま彼女に従い危険を追って、結果彼女を幾度も危険にさらした。だから廉太郎は僕のことが嫌いなんだ。僕とちがって、正当性のある嫌悪、だが」
これ以上を語ることは口論義や廉太郎の事情に触れると思ったのか、それとも自分の内面を晒したくなかったからなのか。早足で駆け抜けるように切らさず言い放った踊場は、一歩街灯からも司からも離れて、キャンプ地の入口へと足を向けた。
「……すまない、愚痴に付き合わせてしまった」
「いいや、呼びとめて聞いたのは、こっちの方だから」
「今のやりとりは、なるべく忘れてくれ。じゃ……また、明日」
「うん」
また時計で時間を確かめて、そろそろ時間がないと思った司は挨拶もそこそこに走り出す。
――みんな、何かを抱えてきてれつ研に集まっている。普通とは異なる世界の一端に触れてしまったために重荷を背負ったり、異能を手にしたり、どこか一般の世界からずれた位置に属してしまっている。
小野と自分はそのことでひとつの目的へ向かわざるを得なくなり、口論義もなんらかの事情のため事件を追うこととなった。同様にそれを手伝う踊場や、廉太郎や、サワハにも、なにかあるのかもしれない。
傷が、埋め合わせられる日はくるのだろうか。くると信じていいのだろうか。
自分で行き場を定めたわけではない司には、信じることで本当に結果が引き寄せられるとも思えなかった。ただできれば、傷が薄められるくらいのことはあってほしい。そう願った。
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退屈そうに、資料館から人の流れが溢れだしていく。水路を張り巡らした涼しげな町、川浪の中心に位置する蔵屋敷を模した資料館にはその町の郷土資料などが多数展示されていたが、当然興味の無い人間にとってはただのがらくた屋敷である。
そこより出てきた小野は水色のブラウスに白いフレアスカート姿で司の前を歩く。とはいえ、普段から踊場よりいろいろと雑学じみた無駄話を賜っていた司と小野だからこそ多少は興味を持って見ることができたが、普通の高校生にはここの見学は苦行と言って差し支えない。やっと解放されたという様子で町に溢れた学生の群れは、昼からの散策などにくり出すようだった。流れに乗って歩く二人も、踊場たちとの集合場所であるキャンプ地の看板前に着く。
「よお、寝袋の寝心地はどうだった? カマドウマ出なかったか? 夜中出歩いて正座させられなかったか? 朝食に出るスイカの漬物は相変わらずだったか? 資料館見て回るとこ少ないのに一時間もすし詰めで嫌にならなかったか?」
すると開口一番、甚平姿にハンチングをかぶった妙な格好でにやにや笑う廉太郎はかつての己の経験を元にしたと思われる合宿の嫌な点をつらつらと列挙した。カマドウマこそ出なかったが、それ以外はすべて該当したため司も小野も閉口する。
「先輩ってこういう時いやですね、こちらの内情を知りつくしていますから」
「まったくだね」
「サワハたち湯上り卓球して寝るはふかふか布団で朝ご飯も旬の物尽くしだたネ」
「妙に若い上に美人な仲居さんも多かったわね」
あくびをかます口論義はそんなことを言って、停まっていたカローラにもたれる。白のカーディガンニットと淡い橙の花柄が入り乱れるチュニックブラウスがどこか淑やかな印象を与えるが、緩くウェーブのかかった茶の髪に隠れる容貌が少し気だるげで、いつもの明るさがないことこそがおとなしいイメージを確定しているように思われた。元気が無い、というのを目の当たりにして、司は昨夜の踊場の話を実感する。
「仲居さんとも卓球したぜ」
「そそ、仲居サン若いからかノリよかたヨー。卓球勝負、接待プレー一切ナシの手加減無用ね。レンタロ以外ボッコボコ」
「ははは、俺も〝必殺死神の舞〟がなけりゃ負けてたかもしれん」
ワインレッドのチューブトップにローライズジーンズという、ラフだが刺激の強い格好のサワハは、ハーフサイドアップにして編み込みも入れた髪をくりくりといじくりながら、廉太郎を指差して軽快に笑う。
司より遥かに付き合いが長い以上、おそらくは口論義の不調に気付いているであろう廉太郎とサワハは、それでもなるべく普段のように接していてあまり不自然さがなかった。廉太郎は踊場と同じ理由で人一倍口論義のことを気にかけているし、サワハもふざけているようで人の心の機微には敏感である。誰も気負うことも気に病むこともなく、過ごせている。良いメンツが揃っているんだな、と司は安心したような気がした。
「カミソリサーブだかなんだか知らないが、卓球の話はそこまでにして車に乗ってくれ」
運転席から顔を出してボディを叩く踊場は、藍色に空色のストライプが入ったポロシャツを着ていて、休暇を家族サービスに費やす父親のごとき雰囲気を醸し出していた。せっかく悦に入ってエア卓球に勤しんでいた廉太郎は、鈍く押し潰すような視線で踊場に目を剥いた。
「んだよ踊場、俺の魔球技の前に為す術も無く負けやがったくせに、卓球王の俺に命令か?」
「消える魔弾、とか叫びながら撃ち返す振りして浴衣の袖口に球を隠すアレを魔球と呼べるのかい?」
「消える魔弾だけじゃない。王子サーブもハイジャンプ魔球も隠し玉も使っただろ」
「……まて、隠し玉って……」
ひとつ明らかに卓球では反則と思われる技名をぼやきながら、よっこいしょと廉太郎が後部ドアを開けて荷物と共に窮屈そうに収まり、司と小野とサワハが後部座席に乗り込む。踊場も追及が面倒になったのか前を向いてハンドルを握り、助手席が口論義となった。
「ふん。では出発するとしよう。丘を降りたら、橋を渡って道沿いに行けばいいのだったね?」
「ええ、バスの道のりはそうでした」
道の最終確認を受けながら、踊場は静かに車を発進させた。
走り始めてすぐに司は思ったが、速度こそ抑え気味と言えるものの揺れも少なく快適な運転で、とても免許を取りたてとは思えない技術だった。
「踊場さん、本当に取りたて?」
「らしーね。取れたて新鮮ぴちぴちヨー」
「……にしては安定した、上手い運転というか」
「先月のあの運転で命が縮まる思いがしたからね。これくらい安全安心に運転したくもなるさ」
とほほと溜め息をついたのは、司と小野を除く四人だった。あの時、高速道路で接触して半壊したキャラバンを駆って、教習で路上を走ったことすらない踊場が雨の峠を追いかけてきたことは記憶に新しい。捕まる心配と事故を起こす恐怖とでいっぱいにもかかわらず、よくよく運転したものである。
「踊場のことは信頼してるけど、あれはじわじわと精神を削られる恐怖だったわ」
「会長、俺のことはどう思ってるんだ?」
「ん? 廉太郎くんは信用、かしらねえ」
「……マルドメ、どっちが良い意味合いだ?」
「一長一短でしょたぶん」
口論義のセリフについて小声で尋ねてくる廉太郎に耳打ちして返し、窓の外を見た司は遠のく川浪の町が後ろに流れて行くのを確認して窓を開けた。静かだった車内に、アスファルトを踏みしめる車体が切り裂く風の音が流入した。
「今日って、なに観に行く?」
「実際の祭事は明日だそうだから、準備風景を見ることと寺社巡りが主となるかな。僕は色々聞いて回るつもりだがきみらに作業の手伝いを強制する気はないし、昨日のつづきと思ってのんびり見て回れば良いよ」
「あたしは踊場について回るわ」
「おお、んなら俺も行こう」
「それならサワハも」
「ではわたしも」
「え、えー? あー、うー……」
流れに乗せられるように全員一緒に行動することになってしまった。もう一度二人きりになれるチャンスだったのに、と歯噛みしながらも無理に小野を誘うのは悪い気がして、仕方なく司も賛同の意を込めて手をあげた。
「なんだよ結局全員一緒なのか。じゃ昼飯もみんなでとろうぜ」
「なにか食べたいものあるの人ー、挙手!」
「通り沿いで最初に見つけたお店でも構いませんよ」
寺社巡りをメインだと思っているらしい小野は食事にはさほど興味が無いようで素っ気ない返事だった。それを聞いて小野と司に挟まれて座るサワハは腕を振り上げ、狭いので二人の肩を弾いて、慌てて腕を縮めてから小さく指先をちっちっ、と振った。
「むー、小野ちゃんそれつまんないノ。地元名産品食べるしなきゃ旅行寂しくなるでしょ?」
「なら最初から訊くなよお前。そもそも、ここの名産品はなんだってんだ?」
「地名の由来なりました穂波田、つまり広い田んぼからとれるお米がうまい! とパンフレットには書いてあったネ」
「よほど書くことがなかったと見えるね……。でもたしか、油揚げなど大豆製品も多いのではなかったかな?」
「あ、それも書いてあったのコト。畑のお肉はおそなえものってするみたいヨ。なむなむ」
「稲荷信仰だろうからなむなむじゃないわよサワハ」
「あは、タイは仏教の人多いのことだったからどーもクセが抜けきらないネ」
蓮の花を模した合掌をしながらサワハはそんなことを言い、てひひと笑う。
やがて車は田園地帯の中を進んでいく。そう言えば昨日はあまり村の人に遭遇しなかったことを思い出しながら司が窓の外を望むと、今日は幾らか人影が歩いていた。昨日は来訪した時間も午後遅くだったからだろうか、と適当に納得しながら、司は顔を引っ込めて窓を閉める。人影はあったが、走る車の方を見ている様子はなかった。
バスの通る幹線道路の左手に見えた穂波田食堂というところへ停車して、六人は引き戸を開けた。昼にもかかわらず少々薄暗い店内には四人掛けのテーブルが四つと、カウンター席が七つ。客の姿は自分たちの他になく、テーブル席に周囲の椅子を引き寄せて腰かけた六人は、あまり愛想のない店主が立つ厨房内の天井付近に貼り付けられたメニューを見た。
「穂波田定食六つ」
「あいよ」
注文を受けると裏手から店主の妻と思しき四十かそこらの女性が現れ、忙しなく二人で店内を切り盛りしはじめた。カウンターの端には大きな炊飯器が置かれており、白飯はおかわり自由であるとの旨が書かれていた。
水とおしぼりを持ってきた女性は司たちの風貌から年齢を読み取ったのか、「学生さんでご旅行?」と尋ねてくる。ええまあ、と踊場が返事をすれば「年長者の方は大変ね」と踊場の横に座る廉太郎を見た。踊場が目をぱちくりさせた。
しかし身長といい少々老けた見た目といい服装といい、確かに廉太郎の方が年上に見られそうではあったので仕方がない。すると上機嫌で廉太郎は女性に問う。
「いくつに見えます、俺」
「そおね、大学生くらい?」
「いやはは、くっくく」
首をかしげた女性が去っても、廉太郎は踊場を見下ろして笑っていた。踊場は不愉快そうに水を呑んで机に頬杖をついていた。
運ばれてきた定食は近くの川でとれたニジマスの塩焼きと、豆腐のステーキとやら言う品がメインとなるものだった。薄く切った豆腐の両面に出汁をとったとき卵を塗って焼くことで準備が整うといわれ、六人分の食事が揃うと食べはじめた。豆腐は味が濃く喉越し柔らかな品で、司は肉のステーキより案外こちらの方がいけるかもしれない、などと思った。
一緒についてきた味噌汁に浮かぶ油揚げも分厚くて風味豊かな一品であり、もしサワハの説明通りお供え物として作られる品であるなら、それだけに留まるのはもったいないと思わせるだけのものであった。
ところが肝心の米はというと少しばかり貧相で味の痩せた、とても名産などとは呼べそうにない代物である。司が周りを見回すと皆も同じことを思っているのか、どこか物足りなさそうな顔で箸をつけていた。
奇妙なことは、そのあとに起こった。
食事を終えて会計に移り、店を出る前に踊場が「明日はお祭りだそうですが」と切り出した途端に、レジを打っていた女性が険しい面持ちで「あんた」と声を震わせたのだ。引き戸に手をかけ店を出ようとしていた四人も足を止めるほど、腹の底へ響く声音であった。
「あんた、祭りはよその人は参加できんよ」
一息に語られた言葉には妙な重みがあって、踊場もその剣幕に押されたのかはあ、と曖昧に溜め息を返すしかなかった。女性は苦々しげな顔つきで、なるだけ顔をうつむかせて司たちの方を見ないようにして、吐き捨てるように続けた。
「この村には宿もないし、今日はお祭りの準備でみんな忙しくしとるから」
だからお帰り、と言外に示されている心地がして、司たちは落ち着かない雰囲気に呑まれる。行こう、と言いたげにサワハと小野が司の袖を引いていたが、司は女性の方から目を離せず、同様に踊場も固まっている。
「隣の川浪の方が、にぎわっとるから」
だから、お帰り。
急に妙な威圧感を発していた女性はそれきり、ふいとそっぽを向くと店の奥に消えて、代わりに店主がまた出てくると厨房に残ってぼんやりとアナログテレビを見つめていた。これを好機と見たらしい廉太郎に首根を掴まれ、司と踊場は店を出る。
「なに固まってんだ、お前ら」
「いやなんか、急にこわい雰囲気になったから」
「……こうした村落ではよそ者は好かれるか嫌われるかどちらかだからね。祭事などは踏み込まれたくない領域だったのだろう」
「でも、あの女の人嘘言ってたっぽいわよ」
先に店の外に出て引き戸の脇にある壁にもたれていた口論義が、慌てた様子の司たちに声をかけた。支払いの立て替えを踊場に頼みいち早く店の外にいた口論義は、女性の意識から外れていたために虚言看破の発動条件が満たされていたらしい。
「え? けど、うそってどこが」
「……祭りへの参加、できるかできないか。どういう理由で隠したのかは知らないけど、参加自体はできるみたいね」
よっと身体を起こしてカローラに近付いた口論義は、助手席に乗り込むと茫然としている五人を手招きした。
「なんだかわからないけど、変わったことが見られるといいわね」
少しだけいつもの調子を取り戻したのかにへら、と笑みを浮かべる口論義は、まぶたをそっと下ろして腕組みした。
司だけ服装描写忘れた
たぶんダブルパーカー。
Name:赤馬実乃里
Hobby:焚き火、喫煙、花火
Weakness:葉巻(特にボリバーの、と答えるがそれしか吸ったことがないだけ)
Specialty:鉄切れと石と雑草で火熾しができる・狼煙の技能
Skill:平和の絵柄。霊視能力。命名(例によって廉太郎による)元はごくたまに吸っていたピースより。司のそれとは違い対話などもでき、また赤馬は神道をバックヤードに持ち防護策を施しているので憑かれにくい。
他にも自身が〝穢れ火〟と呼ぶ火炎により霊を追い払うことなども可能。さる神道思想においては火は情念の乱れを誘うものであり、浄化の意味合いだけではないのだという。
Notes:高校入学時は化学部に入ろうとしていたらしい。そこから紆余曲折を経てきてれつ研へ。変な人脈を駆使して楽しく暮らしている。御手洗とも知り合いらしい。
Name:御手洗御御
Hobby:怪談集め、伝説や伝承の実体験
Weakness:黄金糖
Specialty:百物語しようとすると一話目で怪異を呼び寄せる(病のように避けようがないという意味で『職業病』だと司は言う)
Skill:霊視能力、祓い、浄霊、結界、呪詛返し、式神、etc……おおよそ世間で霊能力と呼ばれるものは大概行使できる。しかし本業は臨床心理士で、霊能者であるにもかかわらず「この世の不思議の大半は思いこみ」と断ずる。
Notes:目取真祖父の旧友の子。なるだけ司が厄介事に巻き込まれないようにと面倒を見ることを頼まれている。しかし仕事があるためなかなかうまくいっていない。事後処理担当の多い役回り。本人のお人よしな性格も相まって苦労している。