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百奇夜行で鬼天烈な。  作者: 留龍隆
合宿因習編
16/38

十六題目 「神社は落ち着きますね」と小野が深呼吸した

        #


 昼食を終えて私服に着替えた司と小野は、丘の下まで降りると町に繋がる橋の傍にあった停留所へ向かい、隣の町まで移動をはじめていた。カレーを食べ終える頃には前納も前線復帰を果たしたのだが、司が小野と出かける旨を伝えると寂しそうに手を振り、その場に留まっていた。彼と蓮向は渓流釣りのコースにしたとのことである。


「そういえば、さっきの話で思い出したよ」

「はい?」


 バスに乗り込み、司の隣に腰かけて白い長袖のワンピースの裾を正しながら腰掛けた小野は、頭の上にのせた日よけの麦わら帽子を膝の上に置いて小首をかしげる。黒い半袖パーカの襟元をぱたぱたとさせて胸元に風を送り込む司は、バスの天井から吹いてくるクーラーの風の方へ頭を傾けつつ小野の問い返しに応じた。


「山の歪みのこと。実はあのあと荒れた山の気を調整するために、御手洗(みたらい)さんが雇われたんだって。そしたら妙なことがわかったからって教えてくれた」

「妙と言いますと」

「うん、なんていうか……あの場における気の流れに、細工を加えられてたらしい。川の流れに石を積んで向きを変えたり、一方向に集中させて強い流れにするみたいに」

「最初から、あの方々は山の気を負に染めて指向性を持たせ、異界を開いて彼岸近くへと渡るつもりだったというのですか?」

「いや、だったら車を止められようと計画が中断されることはなかったはず。でも加良部は完全に今回を失敗と見なして、次回があることを匂わせる発言もしてたんだから、そういう作業をしたのは別の人。――展覧列挙集のフォッグマン事件項目に加良部が書きこんでたスレッドのログとっといてよかったよ」


 携帯電話を取り出し、揺れる車内の中ネットに繋いで展覧列挙集を開く。そして七無と加良部のやりとりの一部を見せると、小野は歯痛に耐えるようなしかめつらで画面を食い入るように見つめた。


「これは」

「うん。こういう、自殺志願者とかが集まるスレだから煽ってる、っていう可能性もあるんだろうけどさ。明らかにこの七無って奴の誘導で、加良部の行動が決定づけられてると見える」

「確かに、わたしや司さんの乱入などのアクシデントでいくぶん予定はずれたのでしょうが、それ以外の部分、場所を峠にすることなどは全てこの人の示唆によるものですね……」


 わかっていてこれらをやったのだとすれば、七無が峠になんらかの細工をしかけた可能性は十分ある。二人は顔を見合わせた。


「気の流れを操れる、ということは呪術師やそれに類する異能の者、ということなのでしょうか」

「そういう人間のつてがあって依頼してるのか、本人が術師なのか、そもそも目的はなんなのか、一切わからないけどね。こういうことと繋がりのある人物であることは確かだと思うから、今後ネットなりなんなりでこの名前見かけることがあったら、一応注意しとこう」

「承知しました。……まあこれから三日間はこんな場所ですし、ネットを見る機会もそう多くはないですけれど」

「それもそうだね。で、小野、寺社を回りたいんだっけ?」

「ええ。すみません司さん、わたしに付き合わせてしまって」

「いいよいいよ。先月はこっちが映画に付き合ってもらったし」


 話をしながら車窓から眺める風景は小さな町をあっという間に通り過ぎると、あぜ道と杉林とその向こうに広がる青空との色合いのコントラストばかりが目につき視界に広がっていく。

 町から離れて自然の広がる中へ踏み込んでいくのを感じると、急に遠くへやってきたような不思議な高揚感がある。正直なところ司は寺社を見て回ることにはさほど興味もなかったのだが、小野がめずらしく弾んだ様子ということもあり、これはこれで楽しめると思い始めていた。

 狭い二車線の林の中を過ぎると、バスは田園風景の中を抜けていく。()波田村(なみだむら)という地名を示す看板が目に入り、十分ほどすると二人は通り沿いの駄菓子屋前にあったバス停にて降車する。去っていくバスの方向を見据える司を尻目に小野は帰りの出発時刻を確かめ、五時三十二分発の車両に乗ることに決める。


「三時間ほどしかありませんし、手早く回りましょう」

「おー」


 この村においては幹線道路なのだろうと思われる道から少し歩き、二本ほど道を逸れただけで店舗や住居の数が格段に減り、代わりに小さな林や田畑が増える様子は司たちにとっては新鮮な光景である。狭い裏道や行き止まりの路地などが存在する田舎道は、冒険心を刺激される。

 一応、周辺地図を持ってはいるものの目的地を知らない司は小野に追従する形になり、手持無沙汰に視界と頭を持て余している分いろいろな物が目に付いた。


「なんだこれ、やきいもジュース微炭酸……だれが買うんだろこれ。あ、前納なら飲むか」


 試しに自動販売機に百円投入し、司はやきいもジュースを手に入れた。もちろん自分で飲む気は起きなかったため、肩から提げていたフラップバッグに納めた。ついでに横にあった菓子類の自動販売機で細いプレッツェルにチョコレートをコーティングした菓子を買うと、小野に追い付くべく小走りしながらぽっきぽっきと噛み砕いて食べた。


「……なんでひとりで遠足気分演出してるんですか」

「食後って甘いもの欲しくなんない?」

「さほど。わたしはそこまで甘食に固執してませんので。でも一本いただきます」


 チョコレートを舐める派であるらしい小野は口の中に入れたプレッツェルを舌先でころころと転がし、司とは違い時間をかけて食べている。司も二本目を食す際はなんとなしにその行動にならい、のんびりと歩いた。時折路肩に祠などが見られ、中をそっとのぞくと狐を模した像が鎮座していた。

 バス停のあった道路からだいぶ離れた位置まで歩いてきて、いつしか二人は川沿いを遡上していた。対岸まで三〇メートルはあろうかという川に沿う道は、林の陰に入れば日差しの強さも忘れられるだけの涼やかな気配が漂う。コンクリートと鉄骨で満たされた街から来た小野にとっては、村と街のこうした細かな差異も珍しい体験となる。司にとっては、懐かしい体験だ。

 やがて進行方向右手に神社が見えてきて、二人は汗を拭いつつ到着する。周囲を林に囲まれた神社は丘の上にあるらしく、石段が長く続いていた。

 早速二段飛ばしで進む小野の後ろについた司はなるだけ歩調を落としてみたが、小野のワンピースは真面目と言って差し支えない裾丈だったために生足サンダルの他は特に何も見えず、不満げな司は前方に届かない程度に舌打ちする。続けて以前、きてれつ研に入会する前も今と同じことをしたのを思い出して、嘆息した。


「……うーん、色々な意味で、あの時と何も変わってないのかな」

「どうしましたー、足を止めて。膝か腰でも痛いのですかー」

「いやまだまだ若いから。失礼なこと言わないでほしいな!」


 既に石段を登り終えて鳥居を抜けようとしている小野に呼びかけられ、腕を振りながら司も駆け上る。駆ける、上る。走る、上る。小走り、上る。早足、上る。歩く……上る……ところが予想以上に段は多く、途中まで数をかぞえていた司も思考に回せる酸素を失い、次第にゆっくりと足を前後させるだけになっていった。

 背を丸めて荒く息を吐き、疲弊を全身で現しながら上りきった司は、既に手水所(ちょうずどころ)で手と口をゆすいで待っていた小野の横へゆっくりと近づいて行き、へたりこんだ。


「お疲れですね」

「……うん」

「足腰鍛え直したので、わたしのペースが早くなっていましたかね」

「……参考までに聞くけど、この一カ月、どんな特訓を」

「いえ、大したことはしていません。週末、二百メートルほどを走って登ったり下ったりしていただけです」

「市内に、そんな長くてきつい坂あったっけ」

「坂ではないです。隣の市との境目に、山頂に神社のある山がありまして」

「二百メートルって標高かよ」


 石段などなんでもないわけである。司は茫然としていたが、しばらくして立ち上がって息を整えると柄杓で水を汲み手と口をすすぎ、なんとか気勢を取り戻す。小野と共に、背後に構える社に向き直った。が、すぐ問題が発生した。


「まずは拝殿で参拝しましょう」

「あ、小銭さっきの自販機で使いきっちゃった」

「……計画的にお金を使ってください」


 狛犬ではなく並び立つ狐の間を抜け、道の真ん中を通らぬように気をつけながら二人で賽銭箱の前に立つ。小野だけお賽銭を投げいれ、鈴をがらがらと鳴らしてのち、二礼二拍一礼。タイミングがずれかけたものの、司は横目で小野を見ながらなんとかやり遂げる。

 その後は回廊沿いに右側からぐるりと拝殿の裏へ回り込み、本殿をしげしげと眺める小野について回った。


「ん」

「どしたの、小野」

「いえ、奥にある枝社(えだやしろ)の方が綺麗な気がしまして」

「枝社って、本殿とちがう神様を祀ってるところだよね」

「それだけではないこともあるそうですが、概ねその認識で間違ってはいないかと。しかし、ふうむ」


 境内をしばらく歩きまわり、この神社の古事や由来の書かれた看板を見て、司と小野は一休みしてからまた石段を下った。帰りの方が膝に負担がかかることに気付いた司は、存外己の身体が脆いのかもしれないと悲しい気持ちになる。

 元の道に戻ってきて、再び川沿いを歩く。次の目的地は橋を渡り、向こう側に見える小さい山のふもとにあると小野は言う。


「この村は稲荷信仰の厚い場所のようですね」

「さっきからたまに見かける祠にも、狐の像があったわけだ。でも、狐にはあんまいい思い出ないんだけどなぁ」

「どうしてです? 可愛いじゃないですか、きつね」

「化かされたことあるんだよ」

「本当ですか」

「ホント、だと思う。昔――そう、今探してるあの村にまだ住んでた時。山の中歩き回ってたら知らない大人に出くわしたんだよ。小野には話した通り、呪術師ばかりの閉鎖的な村だからよそ者なんてそうそう入れないはずなんだけどね」


 久方ぶりに思い出を堀り起こした司は、腕組みして考え込む。次第にもやのかかったような記憶に辿りつき、頭の中の映像を言葉にしてはっきりさせようと試みた。


「その大人が『ここはどこ』って言うから……なんて答えたんだったかな。とにかく村について話した。そしたら、『稲荷ー』とか叫び声あげてどっかに行っちゃって……そのあと歩いてたら知らない村が見えて、祖父母から自分の村を離れないよう言われてたから慌てて引き返した」

「……なんとなく先は読めましたが、続きをどうぞ」

「うんまあよくあるパターンだったよ。知らない村のことは誰にも言わず黙ってて、村によそ者が来なかったか訊いてみてもそんなの見てないって言われて、あとから山の同じ方向に歩いて行っても二度とそこには辿りつかなかったとさ、おしまい」


 化かされて同じところをぐるぐるとさまよう話、盛大な宴の中へ迷い込んだと思いきや、ふと目覚めると酒も食事も雑草や生ごみだったという話など、狐や狸に化かされてひどい目にあうこととなる話は全国に散見される。

 それだけ狐は知能の高い生き物と認知されており、人間を騙せるほどに高等な頭脳を持つと扱われる動物なのである。


「というわけで、この眼じゃ幽霊は視えても、化かすのは見破れないみたいなんだよね」

「……わたしみたいなのと一緒に行動していると、また化かされるかもしれませんよ」

「ああ、そっか。そういう異常事態にも巻き込まれやすかったりするか」


 小野の異能察知の微能力は、異能の持ち主を察知するのみならず異能により問題の起きた場にも引き寄せられやすくなる効力をも持つ。普段のように自ら進んで事件を追う際には有用この上ないスキルだが、今のような平常時にもトラブルを招いてしまうかもしれないというのはいただけない。


「山に近付きすぎなければ、大丈夫だとは思いますけれど。妙な事態になってしまった場合は、対処に協力をお願いしておきます」

「まあ、歪みがみえるとか明らかにまずそうなことが起きたら、すぐ伝えるよ」


 安請け合いしつつも実行可能なことしか提示せず、できることできないことの境目をはっきりさせた上で司はうなずく。小野も応じてうなずき、二人で橋を渡る。さわさわと流れる透明な水は彼方まで続いており、川を形作る流れの一部を辿ると進行方向の右側で斜面に向かってまっすぐ伸びているのが見えた。

 滝でもあるのだろうかと思い、司が急ぎ足で小野を追い越し斜面をのぼってみると、(しか)り。豪快な水量というほどではないが、十五メートルほどの高さから降り注ぐしぶきが辺りにひんやりと心地良い水気を振りまき、空気を冷やすようにかき乱していた。


「向こうにポンプで水汲み場もある。ちょうどよかった、喉乾いてた」

「? 司さん、さっき自販機でなにか飲み物を買っていませんでしたか」

「あれは飲み物っていうか奇食に近いから……」


 ペットボトルでもあれば汲んで帰れたろうにと思ったが、重たくなるのでどうせ面倒になるだろうとも思った。崖によって日陰が作られた空間は、滝の流れ落ちる位置を中心に五メートルほどが池のようになっていて、浅瀬には踏み込むこともできそうだった。

 日差しの中、歩いたり駆け上ったりで火照った身体を冷やしたいと思った司は、スニーカーとくるぶしまでのソックスを脱いで、ベージュのスラックスの裾をまくると水面に続く濡れてなめらかな岩の上に立った。片足ずつそろそろと水につける。とぷんと沈み込んだ爪先、土ふまず、かかとの順に、ぞぞっと冷たさが這いあがる。


「うあ、つめたい。気持ちいいけど」


 さぷさぷ、静かに音をたてながら浅瀬を歩く。前屈みになって両手を水に浸せば、腕をまとうように流れていた汗もすぅっと引いていった心地さえした。


「深呼吸してるだけで身体の不調が消えてく気さえするよ」

「いかにもうさんくさい効能の説明みたいですね」


 冷えた手先で首元も冷やしながら顔を上げた司は、そんなことを言う小野に手招きした。


「小野も入ってきたらわかると思うよ? サンダルだしいいじゃん、入れば」

「ですか。では、少しだけ失礼して」


 無造作に、小野はサンダルのままで濡れた岩の上へ踏み出した。


(え、いやサンダルはスニーカーと違って脱ぎ履きしやすいだろうから『いいじゃん』って言ったのであってそのまま踏み出すのは危ないと思うんだけど――)


 という司の心の叫びが身体動作となって右腕を上げかける間に小野は「ひゃん」と抑揚の無い声でつぶやき、二歩目の左足を滑らせると麦わら帽子を浮かせ、驚愕に目を見開き、司の右腕をかすめて着水した。


「……わ、わ! 小野、え、あの」


 腕を突っ張って完全に身体が沈むことを防いだとはいえ、じゅぶんと跳ねた水は小野の服をほとんど満遍なく濡らしていた。次いで水面に落ちそうになった麦わら帽子を、司は伸ばした右腕でキャッチした。

 気まずい沈黙の中で滝の水音だけが二人の間を満たす。なんと声をかけたらいいかわからない司は気休め以下であることは承知していたが、ハンカチを片手に取り出して屈みこむ。小野は身じろぎひとつせず、左手両膝を水の中に落とし、右腕で胸をかばったようなポーズのまま固まっていた。


「えっと、その、小野、だいじょうぶ」

「……いいえ、あまり大丈夫じゃないです」


 なおも小野は動かない。傍から見たらだいぶ滑稽だろうな、などと司は要らない考えばかりが頭を巡り、肝心なはずのこの状況に対処する思考がさっぱり出て来なかった。


「……あの」

「は、はい」

「司さん、何かタオル的なものはお持ちですか」

「ごめんハンカチしかない……」

「左様で。では向こうをむいていていただけますか」


 小野の言葉の意図するところが一瞬わからず、司は戸惑う。しかしうつむいたままの小野のうなじと耳元が、日焼けなどではない理由で赤くなっていることに気付いて慌てて後ろを向いた。


「ハンカチ、お借りします」

「うん」


 後ろ手に差し出したハンカチに、小野の冷たい手が触れた。ハンカチを受け取り、小野は白いワンピースに染み込んだ水をしぼってから身体を拭いている、という様子が司の脳裏に容易に想像された――目を閉じて雑念を振り払う。滝のそばとしてはありがちな行動だ、とまたどうでもいいことがまぶたの裏をよぎった。

 ややあって、溜め息が司の耳元に届く。


「……やはりだめですね。とてもじゃないですが、これで往来は歩けません」

「え!?」

「なんですか、そのひっくり返った声」


 ハプニングに驚き少しだけ喜ぶ心情と、このままだと貴重な残り二時間を無為にしかねないという思いの二つがぶつかりあい、司に変な声を出させていた。


「どうしましょう……」

「あ、とりあえず、これ羽織って」


 いつになく弱気な小野の声音を背後に聞きながら、司は自分の着ていた黒の半袖パーカを脱いで手渡す。下着だけでなくシャツも着ておいてよかった、と内心でさっき着替えた時の自分を褒めつつ、パーカが受け取られるのを待つ。おそるおそるといった様子で小野がパーカを借りて、十秒ほどして「いちおう大丈夫です」と声をかけられた。急いで司が振り返る、

 見れば、袖は通さずに司の言葉通りパーカを羽織った小野は、留められるボタンの位置が低いために隠しきれない胸元を左手でかばい、パーカの裾から出した右手でスカート部分を引っ張って、服が透けることを極力回避させていた。

 かなりめずらしいことに顔を赤くしてあさっての方を見る小野は、恥ずかしげに司に問う。


「あの、隠せてますか」

「ばッチりダよ」

「また声裏返りましたけど」


 見たい下心と他人に見られたら嫌だという感情の板挟みにあったがための声である。なンでもナイ、とこれまた裏返った声で答えた司は、辺りに人気がないことを確認し始めた。


「隠せているなら、ひとまずこれで移動しましょう……できれば神社の人にバスタオルかなにかを借りたいです」

「そうだね……けどごめんね小野、入ったらって誘ったばっかりにこんなことになって」

「気にしないでください、冷たくて気持ちいいのは事実でしたよ」


 濡れそぼった前髪をかきあげて、小野が司に笑いかける。それだけで救われたように、司も笑みを浮かべた。

 放っておくと肌に吸いついて透けてしまうワンピースの裾を引っ張りながら、ゆっくりと歩いて神社に近付く。ここでも狛犬の代わりに狐の像に迎えられ、敷石の続く先にある社務所に司が走る。神主が男性であればバスタオルを借りてから小野を近づけようと思っていたが、幸いにも御守りなどを売る場の奥に居たのは巫女だった。

 細い筆でひと撫でしたような鋭く払われた眉尻と、茶の色合いを帯びた虹彩鮮やかな瞳が司に向けられ、ばたばた走ったことをとがめられたと司は思った。歩調を正し近付く。巫女は千早をまとい長い黒髪に檀紙を巻き結えた格好で、場が場であることもあってか清浄で荘厳な雰囲気をこちらに与える。司が話しかけると、軽くお辞儀をした。


「あの、すいません」

「はい」

「あっちにいる連れが向こうの滝で身体を濡らしてしまって。タオルかなにか貸してもらえますか」

「タオル?」


 司が何かを買うため近付いてきたと思っていたのか、目的が違うと知るや否や巫女は急にくだけた語調になって司に聞き返した。そして司の向こうで立ち尽くしている小野を捉えると、「待ってて」と言い残して売り場から消える。

 裏手の出入り口からタオル片手に現れた彼女は司と同じくらいの背丈で、ハンドタオルを二枚抱えて小野のところへ歩いて行った。


「さ、どうぞ。あららぁ、びったびたになっちゃて」

「あ、ありがとうございます」

「気にせんでもいいわよ。こんな格好じゃ道を歩くこともできんでしょ」


 年の頃は二十半ばほどだろうか。面倒見の良いお姉さんという体で会話をはじめた彼女には、もう先ほどまでの荘厳な雰囲気はかけらも感じ取れなかった。追い付くように近付いた司は身体を拭くべく小野が脱いだ少し湿り気の残るパーカを片手に、また後ろを向く。


「あらら。こらあかんね。他の色ならともかく、白だから透ける」

「やはり拭いてもダメですね……」

「下着の色わかっちゃうわ。レースの薄いみ、」「やめてください」

(水? 緑? ……海松(みる)?)


 聞き耳をたてられる距離だった司には少々刺激の強い話題だった。背後から後頭部の辺りをぶちぬく殺気の視線が当てられていることに気付くと、さすがに思考を巡らすことも中断せざるを得なかったが。


「ちょっと乾かさないと着れんわよ、これ。そだ、天日干しだと時間かかるし、裏にある乾燥機使う?」

「いいんですか?」

「構わんよ。同じこと二、三回あったから慣れとるの」


 唇を閉じたままで笑う巫女に、小野は申し訳なさそうに眉尻を垂らした笑みを浮かべた。

 後ろを向いたまま、司は話が進んだことを察して声をかける。


「小野ー、こっちはどうすればいい?」

「しばらくそうしていてください。司さん、聞き耳なんて立てて」

「不可抗力だって」


 それに肝心なところは聞きそびれた、と肩を落とす。巫女はそんな二人の様子を見てさもおかしそうに笑みを深めた。


「お茶くらいは出したるからこっち来なさい」


 先導して歩き出した巫女に続くと、社務所の裏手にある階段を下りて平屋造りの家が見えた。生活スペースとしての場所であるらしいそこは、すぐそばにある神社の放つどことなく気が引きしめられる空気と違い、生活感が滲み出るごく普通の家庭に似たにおいがした。

 鍵を開けて玄関からあがりこんだ司と小野は「お邪魔します」と同時につぶやき、ひたひたと廊下を歩いた。巫女は奥まで進むと右手に折れて、脱衣所と思しき場所へ小野を案内する。


「着替えも貸しとくわね」

「すみません、なにから何まで」

「困った時はお互い様、ってぇ奴よ。あとそっちの君は、そこの居間でくつろいどって頂戴」

「はい」


 脱衣所の手前で左に折れると、ちゃぶ台の周りに二枚の座布団が置かれたこぢんまりとした居間に入っていた。窓を見ると西側に面しており日が差し込んでまぶしく、先ほど司が渡った川の下流が遠方に流れゆくのが見えている。


「粗茶しか出せんけど堪忍してね」

「いや、お構いなく」

「あ、座布団一枚足らんわ。ちょっと取ってくる」


 盆に乗せて運んできたグラスとやかんをちゃぶ台に置くと、ぱたぱたと歩いて他の部屋へ移動していく。よく動く人だな、と司は思いながら、やかんから三人分のお茶をそそいだ。


「うーん、ちょっと座布団見当たらんからクッションでいいかしらね」


 戻ってきた巫女はピンク色のクッションに腰かけると、司がお茶を注いでいるのを見てありがとう、と笑った。


「来客自体が珍しいもんでね。二人はなに、キャンプかなにか?」

「学習合宿、って奴で。下流の方にある川浪(かわなみ)っていう、バンガローのあるところに学校で来てんです」

「あー川浪! あの辺りだとたしかホタルも見れるんじゃなかった?」

「らしいですね」

「私も昔は観に行ったもんよ。今じゃ忙しくてここから離れられんのだけどね」

「巫女さん、ですか」

「ん。だいぶ歳だから神楽以外はそろそろ引退しなきゃならん巫女さんよ。遅れたけど、私は神代珠百(かじろたまお)

「どうも。……え、と、丸留司(まるどめつかさ)です」


 冷たい麦茶で唇を湿らせながら、他人の家の麦茶はどうにも味が違う、ということを再認識する司。適当な世間話を振る中で名前を聞かれ、とっさに以前使った偽名で応じる。少なくとも「つかさ」という名に関しては普段から小野もそう呼んでいるし、目取真という苗字さえ名乗らなければ支障は無い、と司は思っていた。

 そんなこんなで愛想笑いと共に司が間をもたせることに苦労していると、廊下を強く踏みしめる音が断続的に迫ってきた。


「あ、の! すいません、これ、この服!」

「なんか問題起こっとる?」

「問題といいますか、これ」


 入口から顔だけ出して神代を手招きする小野は、しきりにうつむいて自分の格好を見ている。一体どうしたのだろうと司が腰を上げてみると、はっとした小野はすごい勢いで脱衣所に逃げ出した。


「小野?」

「あ」


 慣れない服を着た小野はもたもた廊下を歩いているうちに司に追い付かれた。

 すると、白と赤の対比が司の目に美しさを直接に叩きつけてくる。

 白衣と緋色の行燈袴。屈んでいるためか袴の切れ目はわずかながら開いており、小野は壁に手をついて身をよじりながら司を振りかえる。襟足も折り返して毛先を上に向け、髪留を付けているためうなじが綺麗に映える様は、普段と違う艶っぽさを感じさせた。


「私の服だとサイズ合わんかと思って。備え付けの巫女装束からSサイズの選んどいたけど、あかんかったの?」

「サイズ無視して普通の服でいいです」

「私は仕事上それが普通になっとるのよ」


 司の後ろから顔をのぞかせた神代は首をかしげてそんなことを言い、小野は反論していたが、司はと言うと今日はめずらしい小野を色々見れたなあとしみじみ感じ入っていた。


「もう、司さんもなんとか言ってください!」

「え、ああ。いいんじゃない、かわいいし似合ってるよ」

「またあなたは、すぐそういうことを……」


 戸惑っているもののきっちり着ている辺り、小野も気に入ってるのではないかと思ったがあまりからかいすぎるのも危険だと判じて、司は黙って小野を上から下まで眺めまわしていた。……それはそれでやめてほしいと頼まれるまでさほど時間は要らなかった。



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