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百奇夜行で鬼天烈な。  作者: 留龍隆
合宿因習編
15/38

十五題目 「合宿スタート」と司が声を弾ませる

合宿因習編スタート。


「中間と期末の間ってやけに短いと思うんだよね」


 つい先日、期末で赤点をとった数学の追試をやっと終わらせたばかりの司は、顔をしかめた。両手をポケットに入れたままスケボーに片足立ちしている廉太郎は、贅沢言ってんじゃねえと司の肩を叩いて高校へ続く道を行く。体重をかけられて、司はがくりと膝を折りかけた。


「お前はまだ、きちんと追試終わったからいいだろ。俺なんてまだ物理と日本史の追試残ってるのだぜ? 期末が控えてるってのに中間の勉強に戻らなきゃならないとは、やってられん」


 廉太郎は顔を歪めて眼鏡を拭いた。司は自分よりも苦しんでいる人間がいることに少しほっとした様子で、けれど悟られないように陰気な表情作りを保った。


「ところでマルドメ、お前が背負ってるそのデカくて重たそうなナップサックはなんだ」

「これ? これ全部野菜だよ、野菜」

「ほお、お前が菜食主義だったとは知らなかったぜ」

「ちがうちがう、むしろ肉食だよ。この前ネットうろついてたら『変な村見つけました』って書き込み見つけて、いても立ってもいられなくなってさ。土日で探しに行ったの」


 速度を落として後ろにつくとナップサックのジッパーを開き、中をあらためた廉太郎は「極彩色というか極菜食というか」などとつぶやいて横に並び直した。姿勢を崩していた司はそこで前傾姿勢に持ち直す。


「して、成果は」

「だから、これ」

「……野菜だ」

「うん野菜。書き込みはウソだったらしくて、普通の村だったよ。優しげなおばあさんとお茶のんで帰ってきた。そん時にいただいたのが、この野菜ってわけ」


 司は一応固辞したらしいが、半ば無理やり持たされたらしい。嬉しいような重たいような、わりとかさばるお土産であった。時折地面を蹴って司の横の位置を維持する廉太郎は、わずかに後ろへ重心が傾きかけた司がそのうち倒れるのではないだろうかと考えた。


「家で消費しきれなかったのかよ」

「ん……まあ、ね」

「はん。なんにせよ、こんな時代でもそんな心温まる人情話があるもんなんだな。俺の知るジジババは大体、若人にゃ厳しいと相場が決まってるんだが」

「それ、廉太郎さんの対応が悪いからじゃないの」

「お前の趣味が枯れてるって可能性もあるだろ」

「枯れてるぅ? 別に切手収集の話しかしてなかったわけじゃないし」

「おいおい、こんな時代でもそんなアナクロな趣味してる高校生いるもんなんだなオイ」


 からかいながら愛車で地を滑り、司の振りまわしたボストンバッグの射程外へ出る。けらけら笑って廉太郎はスケボーを舞わせ、共に空中でくるくると舞った。周囲の学生が驚きと物珍しさに目を見開き、廉太郎はその奇異の視線をも好んで受け止めているようだった。


「アナクロって言ったら廉太郎さんこそ。いまどきスケボー乗ってる若人なんて見かけないよ」

「俺の場合は乗るのが好きって以上に理由があるんだ、よっ!」


 跳躍して、足下でスケボーだけがくるりと三六〇度回転する。一体なんの理由が、と司が思っていると、着地の瞬間に端を蹴られたスケボーが歩道の先へ転がっていく。廉太郎は追いかけるでもなく愛車の行く末を眺め、掌を前方に差し出した。


「俺なりの、微能力開発と研究だ」


 廉太郎の視界で掌の向こうにスケボーが隠れた瞬間、手首を右へねじりながら指を閉じ、なにかをつかむような動作をしてみせる。するとスケボーがぴたりと転がるのをやめ、ぐるうり(、、、、)。車輪が逆回転し、次の瞬間には廉太郎の足下まですっ飛んで戻ってきた。

 周りの人々は朝っぱらから目の前で繰り広げられた怪異現象に目をぱちくりさせていたが、風の仕業と思いこむことにしたのか、廉太郎と司を避けるようにして通り過ぎて行くのみ。突拍子もない出来ごとで司のあたまが理解に追い付いていないのを楽しげに見ていた廉太郎は、またスケボーの上に飛び乗ると足下を見つめた。

 スケボーは、平地にもかかわらず勝手に動き出した。


「え、なにその、えええ?」

「なに驚いてんだ、前にも魅せたろ」

「いや覚えがない」

「犬神使いの時、俺が弥七のごとく風車投げたじゃないか。見てなかったのかよ」

「アレ回してたの念力だったの?!」

「念力とはちがうぜ〝回天竺(オートジャイロ)〟だ。字面は回天と天竺をかけて、回天竺。間違えてくれるな」

「いや技名なんて知らないし」


 かぶりを振った司の反応に驚いたのか、廉太郎はスケボーから落ちるようにしてずっこけた。しばしその場に立ち止まって斜め上を見、自分の記憶の中をさかのぼっている。


「……あれ、一度も紹介してなかったか? そういやどたばたしてたしな、忙しくて忘れてたようなのだぜ。まあともかく、回天竺(オートジャイロ)だ。創部以来初のPKだと言われたほどレアな微能力だという、回天竺(オートジャイロ)だ」

「そんなに大事なことじゃないから二回も言わなくていいよ……」


「技名無いとつまらんだろ。お前の霊視力にも名前考えてあるんだぞ。幽霊を追い、しかしてその境遇に弔いの念を示し、彼らの死を惜しむ者すなわち〝追惜者(ゴーストーカー)〟! ちなみにこれはゴーストを追うという意味でのストーカーと彼らの念に応じる相手という意味でのトーカーが入っておりさらに漢字表記では『追悼し惜しむ者』で追惜者(ついせきしゃ)となりストーカーから転じての追跡者とかかっている」


「……なんでそういうのだけ無駄に凝ってるの」

「カッコいいからだ。あと、周囲に隠して能力を使用しなくてはならない状況になった時『幽霊を視る力を使え!』とは言えないだろ?」

「たった今さっき派手に衆目にさらしてたじゃん回天竺(オートジャイロ)

「ほら、こうやってすぐ日常会話にも組み込めるし、周囲は俺たちが何言ってるか理解不能だ。仲間内で通じる暗号みたいだな」

「……、」


 理解不能というか意味不明。話が通じないと見て司は閉口した。廉太郎は自分の主張に間違った点があるとは思えないのか首をかしげており、しかし悩むのにすぐ飽きたのか、立ち止まっていた足を再び地を蹴ることに使い始めた。司は彼が本当に上級生なのか内心で疑いつつ、重たい荷を背負ったままのそのそと後ろを歩いた。


「でも、PKが珍しいのはよくわかる。実際、本物を見るの初めてだったよ」

「だろ。きてれつ研の中じゃ、会長の虚言看破(トゥルー・オア・フォールス)も小野の超常決戦(スーパーナチュラル)もぱっと一般人に示せる能力じゃないからな。その点で俺のはわかりやすい。猿でも凄さがわかる」


 次々に自分の名づけた技名を連呼する。語の前に人名が付いていたためかろうじて司にも理解が及んだが、そうでなければ異邦の言語のごとく右から左へ受け流されていたと断ずることができた。

 朝っぱらから無駄なことに思考時間を割いている、と思えてきた司は心身に疲労を感じ、両肩にかかるナップサックの重みが倍くらいに感じられるようになってきた。だがまだ学校までは五〇〇メートルほどある。前を行く廉太郎のわりと広い背中を見て、司は荷を下ろした。


「じゃ、その猿でもわかる凄さでこの荷物運んでよ、っと!」

「ぐお」


 いいかげん重たさにやりきれなくなってきた司はナップサックを廉太郎に投げつける。しかしさすがに日ごろ鍛えているだけのことはあり、廉太郎は体幹がぶれることもなくずっしりとした重みを受け止めた。あぶねえと口では言っているが、背後からの不意打ちでこの有様ではこいつに危機的状況など一生訪れまいというのが司の見解だった。


「ほら、早く念力で飛ばして運べばいいじゃん」

回天竺(オートジャイロ)だって言ってんだろが。そもそもそういう使い方はできん」

「念力なのに?」

「おいおいここにゃ微能力者しか集まってないと会長も言ってたろ? 俺の能力も効果対象が『元から回す用途で作られた物体を一度に一つだけ』、動かす方法も『左右どちらかの〝回転〟のみ』。距離制限は『俺の視界内限定』、重量制限と回転速度は『俺の腕力で動かせる範囲』とまあ、とかく制約が多い能力なんだ」


 きてれつ研に入会して以降、一年かけてあらゆる実験を試した結果これだけの条件が存在することを知ったらしい。苦労のわりに報われない微妙な能力だったことを、司でさえいささか不憫に思った。


「不毛な一年だったね」

「失礼だなお前、〝風車を回せるだけのPK〟だった一年前と比べたらだいぶマシだろが」

「たしかにそれはショボい。……まあでも、せいぜい、毛が生えた程度というか」

「うまいこと言ったつもりか」


 廉太郎の吐息が曇った色合いを帯びた。

 ごろごろとPKにより回転するスケボーの車輪が、上に乗る廉太郎と彼の背負わされた野菜入りナップサックを少しずつ学校へと近づけていく。楽をすることができた幸運に感謝しながら司は背筋を伸ばした。下あごを突き出してげんなりした顔を向ける廉太郎はのびのびとウォーキングをしている司を恨めしげに見つめて、ナップサックを背負い直す。


「で、こんな大量の野菜をどうするんだ。お盆にはまだ早いぞ」

「馬とか牛つくるのに茄子と胡瓜以外の野菜ばっか集めてどうすんのさ。お盆のためじゃないんだよ。ていうか、さっきからボストンバッグ持ってたのに、まだわかんないの?」

「ぷち家出か」

「まさか、会長じゃあるまいし」


 言った途端くしん、と背後から吹き出したような音が聞こえたので、二人そろって振り返る。

 鼻の下を手の甲でぬぐいつつ、こちらに気付いた口論義が手を振った。


「やっほぉ。司くん大荷物ねぇ。そういや、今日から学習合宿だっけ?」


        #


 私立・禾斗目(のぎとめ)高等学校では一年生の六月に隣接する県の山間部にあるキャンプ場で学習合宿を行うことが習わしとなっていた。

 無論、ここで言う「学習」などというのは名目上のものであり、キャンプ場近くにある小さな町で文化資料や民俗資料の見学などをする時間の他に学生を縛るものはあまりない。金曜日から週末を挟んで三泊四日の行程は、学生にとっては羽目を外して学友と遊ぶまたとない機会として認識されている。

 ――学校からゆらり揺られること二時間半。広い駐車場に停められたバスより降り立った司が見たのは、ケーキの上に乗せられた砂糖菓子の家のごとく小高い丘の上に立つちんまりとしたバンガローの数々だった。


「着いた、ついた」


 キャンプ場は中央に百人単位で入れそうな炊事場を構え、周囲を取り囲むように木で組まれたバンガローが立ち並ぶ。三方に山の景色が連なる、のどかでゆったりとした時間の流れる空間だった。

 そして振り返れば、丘の下には水路が張り巡らされる箱庭のジオラマじみた町が姿を現す。これだけでもこの四日間に対する期待が否応なしに高まり、周囲の同級生とうきうきした心持ちが共有されてゆくのを感じた。


「……皆、はしゃいでいるな」


 同い年とは思えないほどにどこか老成した雰囲気を持つ蓮向に言われると、なにやら悪事をとがめられたようで司はぎくりとした。が、逸る気持ちを押え切れない自分をまだ子供なのだろうと思う一方、この気持ちを味わえないなら大人になるのもなんだかなあ、と思った。


「蓮向は気分盛り上がらない?」

「……いや? 先ほどから一切笑みを隠せていない」


 巌のように硬い表情からはあまり笑みを見て取ることはできなかったが、そこも合宿の雰囲気の為せる業か。司はさほど気にせずそっかそっかと笑いを返した。


「んん。定番だけどやっぱり、空気がおいしいって言いたくなるよね」

「……そうだな……しかし、ああ。賛同したいのは山々なのだが。こいつを見ていると、どうにも私はおいしい、などという言葉の使用を控えたくなる」


 バスから降りたって司の横に並んでいた蓮向は、心からの嫌悪と共に吐き捨てた。

 もちろん言葉の矛先は司に向いているのではなく、肩を貸して支えていた前納がでろんと身体を屈曲させてぐったりしているのを見て言っているのだった。普段よりもなおしんなりと丸まった天然パーマの髪が、時折ひくひくと蠢いている。


「う……うう……は、蓮向……おれの、おれの鬼太郎袋は……」

「……ジャージの上着のポケットに入れていただろう。おいやめろ、袋を口にあてがって息をするな、なにやら違う用途に見える」


 ちなみに鬼太郎袋とはバスなどで座席の前ポケットに入っているビニール袋の俗称であると司は蓮向から聞いていた。用途はゴミ入れなどにも対応しているが、主だった利用法については説明を割愛された。とはいえ予想はついていたので司もあえて尋ねるような愚は犯さなかった。


「ぜえー、ひゅー、ぜえー、うぷ」

「……おい司の前で吐くな間抜け。向こうのバスの陰へ行け」

「ぬるいバナナなんか食べるからそうなるんだよ」

「ううう……ひっでぇ……こいつら、ホントにおれのともだ、うおうううう」


 完全に車酔いでダウンした前納は前傾姿勢のまま人の間を縫ってバスの陰へ走り、末路を想像するのもいやだった蓮向と司はバスに背を向け雄大な緑の山々を見ゆる眺望を楽しんだ。


「いい景色だね」

「……ああ」


 ぴんよろー、となにか鳥の鳴き声が響きわたり、清涼な心地になった。二人して深呼吸などしてみれば、蒼に霞む連峰から漂ってくる涼しく快い空気が肺を満たし、前納のことは一瞬で慮外に消えた。


「いこっか」

「……ああ」


 班分けでも三人で同じ班なのだが待つのも面倒に感じ、二人は前納を放っておいて炊事場へと向かった。




 班決めは他の組と合同で行われ、司の六組は三組と混ぜた上で分けられた。結果、司のくじ運によるものか小野の悪運によるものか、二人は同じ班で四日間行動を共にすることとなっていた。そわそわと待っていると、退屈な注意事項の読み上げが終わってすぐ、小野がクラスメイトだという他の女子を引き連れてやってくる。

 薄赤の女子用ジャージの前を開いて白いシャツをはためかせ、ショートパンツからすらりとのぞく白い脚を見せつける小野は相変わらず短めの黒髪をいじくりながら隣の女子を紹介した。

 さほど背が高くは無い小野よりさらに背が低く、一五〇センチあるかないかと見える少女は倉内千影くらうちちかげと名乗り、頭を下げた。頭の上下にあわせて左側だけまとめあげて結った髪が跳ね、大きなどんぐりまなこがぱちくり。彼女は小野とは違い、黒いタートルネックのシャツをジャージの中に着ていた。


「どうもです!」

「あ、どうも」


 勢いの良さに押され、思わず司も頭を下げた。無闇に元気が有り余っていそうな印象を受ける少女だったが、特に興味を惹かれるわけでもなかったので挨拶もそこそこに作業へ移る。


「基本的には普段交流の無い他のクラスと交流と深めるのが目的だそうですが。わたしたちに限ってはいつも通りですね」

「いいんじゃない? 正直、班分けされてるって言っても、炊事の時と資料館見学くらいしか一緒に動かないし」

「ですかね。自由時間はどうしましょう」

「んんー、どうしよ。班で回ってもいいけど」


 本心あらずの言葉をぽいと投げ捨て、小野の反応を横目でうかがう。


「はあ、班ですか。しかし班とは言いますが……一人足りないような」

「足りない一人はバス内の余興で落語やっておひねり代わりにもらったぬるいバナナ食べて酔ってぶっ倒れた」


 反応に困った様子で小野は小首をかしげ、得心いったのか首を縦に戻す。四月に司を勧誘に来た際に前納と一度会ったことを思い出したのかもしれなかった。


「なんにせよ一人足りないのですね」

「すでに班行動って形じゃないかもね」


 班で動かないように少しずつ話題を誘導しつつ、司はあくまで平静を装って小野に提案を持ちかけようとしていた。何も気づかない小野はじゃあ、と口を開きかけたが、そこに蓮向と倉内が発言をかぶせる。


「……このテーブルだ」「通り過ぎますですよ」


 なんてタイミングが悪い、と思った司だが、まだあとで機会はあるだろうと思い溜め息と共にテーブルを囲む。先に持ってきていた野菜の入ったナップサックを開けると、小野も「司さん、菜食主義でしたか」と聞いてきた。

 早速、肩を並べて野菜の皮むきからはじめる。言わずもがな、メニューは定番のカレーである。米炊きは得意中の得意と豪語する蓮向に任せ、付け合わせのサラダは妙に刃物の扱いがうまい倉内に任せた。


「さて、四日目は午前の内に撤収して帰るらしいから実質三日間。小野は結局どのコースに?」

「司さんが勧めてくれましたし、同じ下町散策コースにしましたよ。それに登山や渓流釣りは、夏休み前に倉内さんと行きますので」

「あの子、アウトドア友達なの?」

「いえ、友達と言いますかなんと言いますか」


 友人ではないと言い淀むような人物と同じ班で、しかもアウトドアに行くのだろうか。変な疑念が湧いたが、他クラスにおける小野の動向にいちいち干渉するのも好ましくない。司は適当に流し、今日以降の散策について話す。


「それで、どこ行こうね。ちょっとバスに乗っていくとロープウェイがあって、展望台公園とかあるらしいよ。どう?」

「山の上ですか。景色が良いのは大変結構ですが……また〝歪み〟が視えたりとか、しませんよね」

「え、ああ。大丈夫、だと思うけど」


 車に乗って山の上に来ることで、先月の事件を思い出している小野は(かげ)りのある表情を見せた。半ば誘拐じみた目に遭ったことで外界に対して恐怖心を覚えるようになったのだろうか、と司も少し落ち込んでうつむく。すると視線の先に、小野の白い脚がまぶしげに映る。眼福、とは口に出さず司は思うに留める。


「まあ鍛え直しましたし、今度は油断、しませんけどね」


 が、その発言ひとつで視線の先にある脚線美が(まさかり)の異名を誇る凶器だったことを思い出し、すっと冷やかな気配を感じて視線だけを上げるとなにやら小野が司のつむじの辺りを凝視していた。頭の高さと間合いから見て踵落としを加えられる距離だと判じた司は、半歩間をおいて笑みを取り繕った。


「で、展望台公園なども良いとは思うのですが……わがままを言わせてもらえるのなら、わたしはまず下町周辺の寺社などを見て回りたいのです」

「寺社?」

「ええ、下の町だけでなく、バスに乗って少し先の集落にある寺社にも行こうかと。小さい規模ですがお祭りなどを催しているそうで」

「そんな情報しおりとか町のパンフレットにも無かったけど、一体どこから」

「ネットです」


 一応はきてれつ研の学外活動の一環として報告するためにも是非、と続けた小野は、手元の人参をくるくる回して包丁で皮を剥いた。ピーラーで削ぐように皮を剥いていた司は小野の言葉に応じ、合宿のしおりに同梱されていた周辺地図をぼんやりと思い浮かべ、手元から意識が逸れたために左手人差し指の表面をさっくりと削いだ。


「あいだっ」

「……下手(ベタ)な」


 相の手のごとく、火熾しをしていた蓮向に突っ込まれてしどろもどろになる司。小野はなにをやってるんですか、と潤んだ唇から嘆息をこぼして包丁を置き、手を伸ばしてきたので司の心臓がどきりと跳ねた。

 そして小野の手は――――司の手を通り過ぎて、手の下にあった野菜に血が落ちないようにどけた。瞬時に司の心臓が平常運転に戻った。


「早く水で傷口洗ってください。絆創膏持ってますか? ない? じゃあ水回りでの仕事じゃなく火熾しの方に移ってください」

「うん……」

「……司お前、一瞬期待した目をしたのは一体なんだったんだ」

「ごめん触れないでその辺」

「……まさかお前、治療してもらえると考えたのでは」

「ごめん触れないでその辺!」


 痛そうに人差し指を伸ばしたまま刃物のそばを離れ、蓮向と位置を代わり背を丸めて火に向かう。飯ごうで米を炊くことは得意だと言っていただけはあり、蓮向が居た短時間でかまどには煌々と焔が揺らめいていて、黒い飯ごうが火に巻かれている。

 しばし憐憫の情がこもった目線で司を見据えていた蓮向はやがてはあと誰に向けたかわからない溜め息をつくと、司に火の番について講釈を垂れた。


「……あとは薪を絶やさず入れすぎず。ほら、並べて円錐の形にしてあるだろう。その円錐の高さで火力を調節する。初めちょろちょろ中パッパ赤子泣いてもフタとるな」

「なにそれ呪文?」

「……なんと。今の時代では通じないのか」

「蓮向、なん歳?」


 言いながらたまに火を団扇であおぎ、火が弱まることのないようにする。蓮向は司と交代で水回りに立ち、たっぷりの水を湛えた鍋を飯ごうの横に置いた。


「あれ、もう煮るの」

「……最初からお湯を用意しておいて、玉ねぎなど野菜をある程度炒めたらすぐに鍋に入れる」

「お湯って沸かすのに時間かかりますからね。炒める段階より早く煮る準備をしなくては」

「小野―、サラダできましたですがー」

「……ん。こんな野菜は、あったか」

「倉内さんが近くでとってきた山菜ですよ。軽く炒めて塩をふればサラダの一部にちょうどいいです」


 アウトドアに特化したメンツが集まっていたようで、三人で良いチームワークを見せ始めている。火の番を任された司は一人、寂寥感にさいなまれた。内心で寂しさに呻いて空を見上げ、トンビが弧を描いて気ままに飛ぶのを見ると自分が余計みじめになり、任された仕事だけでもしっかりしようと思い直すと、火に向きあった。


 ぐらぐら煮えるお湯を取り巻く焔は刻一刻と姿を変えて、まるで獣の姿を象るよう。


(こうして火の前に座るなんていつ以来かなぁ)


 記憶をたどり、そもそも家族と出かけたこともほとんどないことを思い出した司は、自分の記憶の中にある焔の揺らめきの出所がなんだったかを思い出す。

 幼い日、自分が住んでいた村。寒村であり発展という語句の例外がごとく昔のままの趣を残す場は、たかだか十年前でも未だ囲炉裏の火を囲んでいたのだ。

 そこまで思い至って、あらためて周囲を見渡す。


(そういえば友達と遠出は……はじめてだ)


 こそばゆい心地がして頭の後ろを掻き、司は誰にともなく笑った。




Name:前納夕雄まえのせきお

Hobby:笑点の視聴、街頭寄席(無許可実行。たまに捕まる)

Weakness:奇食

Specialty:殻に入ったままのゆでたまごと生たまごの違いを当てられる

Skill:小野曰く、「無い」

Notes:前の席の男。



Name:蓮向凛仁はすむかいりんと

Hobby:日曜朝枠の番組視聴(彼の今季一押しは「企業戦士マンダムNEO」)

Weakness:マトボッククリ

Specialty:池で手を叩くと超高確率で魚類が跳ねる

Skill:小野曰く、「何かある」おそらくは上記の特技。

Notes:斜向いの隣人。


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