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百奇夜行で鬼天烈な。  作者: 留龍隆
GW俗信編
10/38

十題目 「事件よ来なさい」と口論義が命じた



「ダメだ。もう俺の中にある言葉は全て出しきってしまったのだぜ」

「早く書きあげてください。あ、錯覚の錯の字が措置の措になってますよ。あと栽培の栽も裁断機の裁になってますし、完璧の璧の字は下半分が土ではなく玉です」

「も、もういやだ! やってられん!」

「自業自得だというのにいまさらきみは何を言っているんだい?」

「あほネー、レンタロー。せっかく連休あるの、反省文書くのコトにぜんぶ使うノ?」

「黙れサワハ!」

「廉太郎くんこそ黙って集中なさい」

「……はい」


 先日、犬神使いを追っていた時に司と小野が訪れた喫茶店『アーガイル』に、きてれつ研の面々は集まっていた。窓に面した角の席に座り、廉太郎を五人で取り囲むように。

 囲まれた中で頭を抱える廉太郎の前には、昨日踊場を追って校内を駆け回った際に鉢植えを壊したためさらに増え、とうとう通常時の三倍の量を書くよう義務付けられてしまった反省文の原稿用紙が鎮座していた。四百字詰めにして、九枚である。


「ぐぐ、だが三分の一はお前の責任だぞ、踊場! お前が三枚書け!」

「いやに決まっているだろう面倒くさい」

「そもそもなぜだ。なぜお前には反省文が課されてないんだ! 俺と一緒になって校内を走りまわっていただろうが!」

「僕の素行が良いからではないかと推察するよ」

「ウソをつくな腹黒ショタ郎!」


 レコードの針からはじき出されたジャズの流れる、ゆったりとした時間をかき乱すように、廉太郎は頭を掻きむしって机に突っ伏した。意外に大きな音がしたので、カウンターの中から頭巾をかぶった女性店員が怪訝な顔をして様子をうかがっている。


「……連休初日から反省文書くために集まるとか、どうなのこれ」


 溜め息で手にしたグレープフルーツジュースの入ったグラスを曇らせる司は、温かで穏やかな天候に恵まれ行楽日和になった外を見つめながら、ぼそりとそう漏らした。


「ていうか小野、照る照る坊主を一所懸命作ってたけどさ。晴れちゃうと、フォッグマンとの遭遇率ってぐっと下がるよね」

「……それはわたしも昨夜気付きました。迂闊でした」


 紅茶の入ったカップを傾けていた小野は、口をへの字に曲げて無念そうに顔を曇らせる。


「まあともかくも、これ提出してこないことにはぶ室も使えないらしいし」

「書くの早くするよレンタロー」

「ぐぐぐ。だ、だが考えてみたら連休中はぶ室を使う意味なんてないだろ。連休明けまで猶予をくれてもいいじゃないか」

「やれやれきみは本当に怠け者の典型だね。今やれすぐやれ甘えるな」

「踊場ぁ! テメエいい加減にしやが」

「はいはい早くやる。会議すら始まらないじゃないの」


 あー、うー、と口だけ動かして発音せず、気勢を削がれた廉太郎は再び原稿用紙に向かった。

 しかし時折小野や口論義から漢字の間違いなどについて指摘が入り、そのつど溜まっていくストレスが一定値を越えると踊場に八つ当たりをしかけては口論義に止められる、というパターンをその後も数回にわたり繰り返し。

 三時間が経過して正午を回った頃、廉太郎だけでなくその他の五人もぐったりと疲弊しきった空間の中心に、なんとか九枚の反省文ができあがっていた。司の前にある空のグラスはその数を三つに増やしており、小野や口論義の前にもカップが増えていた。申し訳なさそうに、廉太郎が肩をすぼめた。


「……なんかすまん、みんな」

「本当にすまないという気持ちで胸がいっぱいなら、たとえきみを注視する公衆の面前でも、土下座くらいはできるのではないかな」

「それは御免こうむる」

「畜生でも恩は忘れないというのに、きみは礼をつくし恩人に厚く遇す術も知らないのかい?」

「んだよ。この前も冬の時も、ピンチになったら駆けつけてやったはずだぜ」

「それがきみの仕事だろうに。当然の職務遂行について礼を言うことほどバカなことは無い、と僕は思っているのでね」

「お前ぜったい上司とか向いてないぞ、職場の意欲がどんどん減ってくのが目に見えるようだ」

「職場? 上司? おやおや。きみくらい職場や上司という言葉とかけ離れた人間を僕は他に知らないよ。むしろ一人さみしく起業して失敗してどん底に落ちるのが目に見えるようだ」

「うるせえとっととくたばれ踊場」

「黙ってさっさと寿命を迎えなよ廉太郎」


 互いにぐったりと背もたれに寄りかかり、天井を見上げながら悪口と喧嘩を叩き売りしあう様は傍から見ていてかなりシュールに思えたのだが、指摘できるほどの体力は残り四人の誰にも残っていなかった。

 誰ともなく、ぐう、きゅう、と腹から音色を響かせた。廉太郎も踊場も口をつぐんで、腹をさすりさすり携帯電話で時間を見る。


「……ああ腹減った。もう正午過ぎなのだぜ。とりあえずメシ食いに行かないか」

「……ここは軽食しか置いていないようだしね。移動してきちんと食事にすることについては、僕も賛成以外の意見を差し挟む余地をもたない」


 二人の口論にもここで決着がついたと見えて、おもむろにがたがたと立ち上がる。それに続いて四人も力なく立ち上がり、幽鬼のようにふらふらと、各々のお代を置いて店を出て行った。

 ドアベルのからころという高い音に混じって、さるぼぼのそれに似た頭巾をかぶった女性店員がありがとうございますー、と頭を下げつつ言うのが聞こえ、ドアが閉じると共にその言葉と、ジャズの響きが断ち切られた。



「カラオケでも行きますか」

「なにその普通の高校生みたいな連休の過ごし方」


 近くのファミリーレストランに入り、定番メニューとして有名なドリアやスパゲティをたいらげた司たちはようやく人心地ついて、これからどうするかについて話し始めた。小野はジェラートをすくっていたスプーンを置くと、正面に座った司に腕組みしてみせた。


「いえ、普通の過ごし方をするのではなく、ですね」

「じゃあ異常な過ごし方すんの?」

「やりたければどうぞお一人でご自由に」

「冗談だよ。話の腰折って悪かったよ」


 午前中に溜まった疲れも、食事によっていくぶんか薄れてきた午後一時現在。司はドリンクバーのエスプレッソを少しずつすすってカフェインを摂取しながら、小野に話の続きを促した。小野もドリンクバーで注いできたアップルティーを飲み、眉間に寄せたしわを薄れさせると提案の詳細を語った。


「昨日までに調べた結果、五件のフォッグマン事件はどれも密室で行われていたわけですが。その中で一件だけ、おかしな点があったわけです」

「おかしな点、っていうと?」

「昨日司ちゃんが帰ったあと三人でちょっとカラオケに行ったのよ。フォッグマンが監禁に使ったカラオケに、ね。で、その時に話を伺ったわけ。監視カメラとかどうなんですか、って。店の人は通路やホールなどでは稼働してますって答えたから、続けて個室についても聞いたの。そしたら、たまに警察の人がパトロールに来ているので個室にはつけてないって言ったのよ」

「それが、どうおかしいと言うんだい?」


 デザートに頼んだチョコレートケーキにフォークを突き刺しながら、踊場が問う。口論義は自分の耳を指差しながら、にやりと笑って説明した。


「話を伺ったのは、小野ちゃん(、、、、、)よ。それを物陰に隠れて聞いてたあたしが微能力で看破したんだけど、結果は『個室にはつけてない』の部分がウソだとわかったわ。つまり、そういうこと。その他の四件――ネットカフェの個室シアター、アパートの一室、ホテル、歓楽街のサービス施設。これらの場所で監視カメラの有無については『無い』との回答が出た中、カラオケだけは監視カメラが回っていたわけよ」

「ちょっと待ってくれないか口論義。きみひょっとして一人で歓楽街などに出向いたわけではないだろうね? しかもそんな……いかがわしいところに……」


 目に見えてうろたえる踊場。口論義はわけがわからないという顔でそんな彼を見つめ返し、なおも慌てる踊場に廉太郎が咳払いを届かせた。


「会長の虚言看破は一人じゃ使えないことを忘れてないか? それと、無駄な心配はするな。俺がガードしていたからな」

「なに? そうなのかい……それはどうもありが、いや待てやっぱりきみがいればそれはそれで別種の危険が及ぶ気がしてならない」

「ばぁか。そんな場の雰囲気にかこつけてことに及ぼうとするかよ」

「ふん。さかりのついた犬の言葉など信用できないね」

「お前だって似たようなもんだろ。どうせそのうち場の雰囲気でカッコつけてことに及ぼうとするんだろ」

「おや、なんだいそのどや顔は。一世一代の掛詞(かけことば)がうまくいったと思っているのかい?」

「なんだとテメエ」

「……あの、みんな置いてけぼりなんだけど。二人で話すのそんなに楽しい?」


 横合いから司に言われてはっとした二人は「別に」とハモって顔を見合わせ嫌悪感を滲ませながらそっぽを向いた。司は呆れ半分楽しさ半分といった面持ちで口論義の方を向いて、応じた口論義は止まっていた話題を再びはじめた。

 司はそのあと小声で小野に「あれで気付かないってどうなの、会長」と話しかけ、小野はその言葉に首を横に振り「男性はみんなあんな感じだと思っているようです」と憐れんだ声音を出しつつ廉太郎を見た。


「おほん。つまり、カラオケにはフォッグマンの姿が映っていたわけ。当然映像は警察の方にいってるんでしょうけど……ここであたしたちが考えるべきことは、なぜその他の点では徹底して自分の犯人像を隠すようにしているフォッグマンが、一件だけ姿をさらしていたのか、よ」

「すっかりうっかりしっかりちゃっかりド忘れしてたと違うカナ? もしくは姿見せつけるを一件だけやっといて、印象を固定するのコト」


 ドリンクバーで色々混ぜた結果、不気味な茶色に濁った液体をおいしそうに飲みながら、サワハがわりとまともな考えを口にした。口論義は一瞬あっけにとられたもののすぐに真面目な顔に戻り、携帯電話を開くとメモ帳に「印象固定による捜査かく乱のため、またはうっかりしていた?」と仮説を打ちこんだ。

 隣からその画面の文字を呼んでいた司は、けれど、と前置きして五人から注目を集める。


「そういう目的にしては見つかるリスクが高すぎる気がするけどなぁ。だってカラオケでの出現って三件目でしょ? 一件目で姿を晒すなら、まだ警戒がはじまってないから問題ないけど。三件目ともなれば捕まる可能性も高くなるんじゃないの?」

「あれだ、リスクを冒して実行することに快感を覚えるような、タチの悪い犯人なんだろ。今のところの俺たちの推論じゃ〝フォッグマンは複数犯〟としてあるんだから、一人くらいそういうメンバーがいたって可能性はある」

「そりゃ可能性は捨てきれないけど、複数犯だからこそ、暴走思想な奴を実行犯には数えないと思うよ。個人の行動結果が全体の活動過程を停止に追い込みかねないなら、メンバーから外して切り捨てるはず。一応、リスク冒す前に法を犯してるんだから」

「いえ、話しかけて同意を得た上で連れて行くのですから、扉を接着して監禁状態にする手前までは法を犯しているとも言いきれませんよ。そういう事情もあってこそ、警察も捕まえづらい犯行と言えるのですから」

「というかだね、見つかるリスクは高く犯行を阻止される可能性は高いとしても、だ。リスクを冒して快感を、という犯行にしては、法を犯しているレベル自体があまり大きくないためにスリルもいまひとつなのではないのかな」

「そのへん、変態サンならわかんないヨー。サワハたち思う快感とあの人たち思う快感、ぜんっぜんちがうから」


 考えるほどによくわからない事件だった。情報も少ない上に、辿りついた事件の結末がもしも「よくわからない性癖のよくわからない変態愉快犯数名による逆放置プレイでしたハアハア」などというオチだったら、ゴールデンウィークを潰してまで追った自分たちの労力を思って死にたくなること必至だ。

 連続していた犯行が止まってすでに一週間が経過しており、司が開いた展覧列挙集のリンク先にあるニュースサイトなどでも「沈静か、潜伏か」「警戒網突破できません」「連続軟禁厨、更新停滞中」などと書き込みがなされて騒ぎが下火になりつつあり、新しい情報もあまり入っていない。


「この事件、あたしたちが犬神使いを追ってた頃がピークだったっぽいからね……」


 つぶやいた口論義も深く溜め息をつく。六人とも、この事件には手のつけようがないかもしれない、と思い始めていた。調べるほどに意図不明な点が出てきて、進んでも進んでも道に分岐が現れるようだ。

 しかし。


「……けど他に近場で追える事件はありませんし」

「やれやれ、進む道に変な輩が潜んでいないことを望んでやまないよ」


 ――その意志だけは、六人に共通していたので。追うことをやめるわけには、いかなかった。

 それぞれが様々に持つ事情のため。不可思議なことには片っ端から首を突っ込んでみなければ、追い続けることはできない。

 追い続けなくてはならない、とそう思っていた。

 六人全員が、他人からしたらどうでもいい、自分にとってのみ重要で、捨てきれない事情を抱えていた。


「やるしか、ないんだよね」


        #


 ネットがあてにならなくなれば、いよいよ足を使う他は無い。どこの古い刑事ドラマだ、と廉太郎から不満の声はあがったものの、六人はもう一度五件の現場を回っていくことにした。しかし大人数で行動しても怪しまれ警戒されるので、ファミレスを出たところでグループ分けを行う。歓楽街などに踏み込む方は何が起こるかわからない、ということで戦力を回すべく、廉太郎と小野が行くことになった。

 すると小野が、そわそわしながら微かに聞こえる声で司に言う。


「……司さんは、こちらに来てくださいませんか」

「へ? なんで」

「皆まで言わせるおつもりですか」

「え……いや、廉太郎さんいるし、そういうのは」

「は?」

「……、」


 聞き返されて、固まってしまった司。小野はじとっとした目で、いぶかしむように司を見た。


「……なにか勘違いしていませんか。歓楽街も先日一度回ったのですが、わたしたちではあまり大したものが見つけられなかったからこそ、司さんを呼んでいるのです」

「え」

「ですから、霊視でなんらかのモノを見つけていただけないか、と。わたしはそういうことを言っているのですよ」


 何を考えていたのやら、と嘆息する小野に向けて、司は焦り顔に笑みを張り付けた。

 けれど笑みは少しずつ乾いていって、剥がれおちて遂には消えた。表情をくもらせた司に不思議そうな顔を向けた小野は、司の弱弱しいつぶやきを耳にすることとなった。


「……あんまり人に視ろ、って言われるの、好きじゃないんだけどね」

「? それは、どういう」


 またも聞き返すと、司は口に出してしまっていたことに驚いた様子で、しどろもどろになりながらも困り顔に笑みを繕った。


「いや、いいや。なんでもないよ、なんでも」


 本人が言う以上突っ込んで聞くわけにもいかず、とりあえずなにかの琴線に触れたことだけはわかったので、小野はごめんなさい、と言った。ますます困った顔をする司は一歩退いて、しばし言葉に迷ったあげく、小野と同じようにごめん、と言った。


「……おーいお前ら。話がまとまったならさっさと行こうぜ」

「あ、うん。じゃあ行こう、小野」

「は、はい」


 切り替えは早いのか、ころりと態度を変えて司は歩き出す。小野もそのあとを追って、廉太郎と三人で一件目の現場であるネットカフェにまで赴いた。



 個室シアターも完備しているだけはあり、ネットカフェは誰か一人が身分証を出して会員証を作らないと利用できないようだった。会員証を作るのが面倒だと発言した司は、その作業を廉太郎に任せた。実際に名前を書くのが面倒というのもあったが、それ以上に廉太郎の本名を見てみたかったからでもある。ひょこひょことカウンターを覗くように動く司を、男性店員は面白いものを見るような目で微笑みながら見据えていた。小野がそんな店員をじっと見ていた。

 わくわくしながら後ろに陣取った司の気配はしかし、武の道にて殺気などと相対し続けてきた廉太郎には簡単に察知された。廉太郎は後ろを向いてぎろりと司をにらみつけると、一八〇近い大柄な身体を駆使して視界を阻んだ。一六五センチほどしかない司ではこの防御をかいくぐることはできず、ついに本名を見ることは叶わなかった。


「ていうか、廉太郎さん本名で知られるの嫌なわけ?」

「嫌なわけないだろ。もう数年呼ばれてないしな、誰かには知っといてほしいさ」

「じゃあなんで隠すの」

「その〝誰か〟は少なくともお前じゃないんだよ」

「……なにそのロマンチスト発言」

「男はいつでもいつまでもロマンチストだ」


 司には理解しかねる思想を語った廉太郎は、すれ違う女性を避けながら指定された部屋のある三階へと上がっていく。料金は一人頭いくら、ではなく部屋一つごとでいくら、となっているようで、階段を上がりながら「あとできっちり割り勘な」とも廉太郎は言った。だが「反省文作成の手伝いでとんとんでしょう」と小野に言われて黙った。

 三階の階段から非常灯の見える奥まで進み、右手にシアタールームがあった。ちょっと薄暗い部屋は中に入ると外の音も聞こえない。ドリンクバーもあるので、一日映画漬けになれそうな環境だな、と司は思った。同時に、やらしいことにも都合良いな、と思ったがそれは口にも態度にも出さなかった。

 腰に手を当て部屋を見回した廉太郎は、天井の隅にある黒い半球状の物体を見つめながら、司に背を向けたままでぼそりと囁いた。


「監視カメラもここのはハリボテらしいぜ。少し暗めの照明といい、外に音の漏れない密室環境といい。やましいことするにはうってつけだな」

「すぐそういう考えに結びつけるのはどうかと思うなっ」


 自分の考えを読まれたように感じて生まれた内心の焦りを隠しきり、臆面もなくさらっと言ってのけた司。この反応が予想外だったのか、廉太郎は怪訝な表情を浮かべて両手を広げながら振り返った。


「なんだ、マルドメは少しも考えなかったのか?」

「ちょ、やめて捕まえないで襲わないで」

「この手はそういう意味じゃねぇ! 肩をすくめただけだ肩を!」

「ああそう……ならいいけど。あいにくと、ここでなら一日映画漬けになれそうだな、とか思っただけだよ」

「ちっ、純情気どりが。ロマンスでも見ちまったら、行きつく結果は同じだと思うがね」

「そんなことないでしょ」


 やましいことは一切考えてませんよ、と。表情だけはそうアピールして、純朴という体面をなんとか取り繕うことに成功したと思しき司は部屋の中を見渡して、なにか見つからないかと探し始める。廉太郎はまだ司の態度に怪しいところがないかを探していたが、やがて目を逸らすとしゃがみこんで床のほこりをふーっと吹いた。


「……そういや、なんか視えたか」

「今のところなにも。そもそもこの事件、霊的なものが出てくる気がしないし。物的証拠探した方がいいよ」

「はてさて。警察の手が入ったあとじゃ何も見つからんとは思うが。できるだけ探してみるか」


 廉太郎がソファに近付き、部屋の中の物色をはじめた。それに付き合おうとする司だが、振り返ると小野がいない。どこへやら、と思ってドアを開けて顔を出すと、階段からこのシアターにくるまでにあったDVDやBDのコーナーで立ち止まっていた。


「なにやってんの」

「え? ああ、その。観たい海外ドラマのシーズン2があったので、パッケージだけでもと思いまして」


 見つめているのは、なにやら兄弟で悪魔や悪霊祓いの旅をする感じのドラマだった。つい先日は本物の悪霊祓いをやったのに、と思わないでもない司だったが、タイトルとあらすじは知っていたのでうなずいておく。


「海外ドラマって結構長く続いてるやつ観ちゃうと、しばらくハマりっぱなしだよね」

「まったくです。抜けだせないといいますか、完結するまではハラハラさせられ通しで」

「うちは母親が韓流ドラマに手を出してたから、そっちの方よく観てたけど。そうやって言うとやっぱり『おばさんくさい』とか言われてさ、弱ったもんだよ」

「ははあ、そういう、ものですか」

「小野は韓流とかはあんまり?」

「まあ……そうです、ね」


 少し歯切れの悪い様子で、小野は笑った。続けて、辺りを眺めて言う。


「それにしても個室シアターでドリンクバーもあるなんて、いいですね。一日映画やドラマ漬けになれそうです。この作品はシーズン6まであるので、一日では消化しきれないでしょうが」

「……あーうん、そうだよね」


 本心からそう語っていると見受けられる小野の目に見つめられると、司はなんとなく、やらしいことにばかり思い至った自分を恥じた。ついでに廉太郎も恥じるべきだと思った。


「ドラマもいいけど、映画とか。そうだ、メロドラマとかロマンスものは観ないかな?」

「ロマンス、ですか。有名どころはともかく、最近のものはそれほど。むしろアクションなどの方がわたしは好みでして、CGもワイヤーもなしのとある映画であった、四分ぶっ続けのシーンなどは鳥肌がたちました」


 拳をぎゅっと握って語る小野に、もう司は何も言えなかった。

 そこで背後からなにやってんだ、と廉太郎に声をかけられて、司はかぶりを振ってなんでもないと答えた。それなのに首をかしげて近付いてきた廉太郎に苛立ち、八つ当たりで拳を突き出したが、ガードすらされずに腹筋で跳ね返され余計にみじめな気分にさせられた。


「なんだよ、なんかしたか俺。ところで特別あの部屋、変わったところはないようなのだぜ? 警察に回収されたって可能性も否めないが、他の部屋と見比べても壁とかに傷があるわけでもなし、きれいなもんだった」

「……結局、そんなオチですか」

「そのようだな。ん、ところでなんだ、そのパッケージは」

「観たかった海外ドラマのシーズン2です」

「鉞姫のくせに、アクション映画以外も観るんだな」

「失礼なことを言わないでください蹴り折りますよ」

「怖ぇよ、どこを折るんだよ!」

心体(しんたい)

「おっかねえ」


 笑いながらローキックを避ける廉太郎と、むきになってそれを追う小野。きょうだいのような仲睦まじい光景を眺めてみじめな気分を忘れようと切り替える司は、とりあえず何もなさそうであるということを展覧列挙集に書き込みしておこうと思い立ち携帯電話を開く。


「っと、しまった。電池切れかぁ」


 昨夜はサワハ宅から帰ってきて風呂に入りすぐ寝てしまったため、充電をし忘れていたのだった。二人のどちらかに携帯電話を借りようとしたが、他人の機種など扱いにくいだけだと気付き、余っているパソコンスペースでも借りようと適当に空いたところを探す。人が来たら番号ひとつ間違えてましたと言って逃げられるように、両隣が空いたところを選ぶことにした。

 ゴールデンウィークということもあってかネットカフェは盛況で、三つ並んで空いているスペースはなかなか見つからなかった。三階にはどうも見当たらないので、二階にまで降りる。するとちょうど三つ並んだ空きスペースを見つけ、真ん中に入り込んだ。


「これなら片方が埋まっても、もう片方まで埋まって逃げられなくなったりしないよね」


 誰にともなく言って、向かうと、パソコンは電源が点きっぱなしだった。もしかしてトイレに立っているだけだろうか、と一瞬不安には思ったものの、表にあった札は「空席」となっていたため気のせいだと断ずる。

 そうなってくると他人の動向が気になるのは人の性で、インターネットを開くついでに司は履歴の部分を見てみることにした。ずらりと並ぶ履歴に、乾いた笑いが漏れる。


「ダメだよ、ちゃんと履歴もキャッシュも消しておかないと」


 つぶやきながら、検索履歴などを辿ってみた。人の恥部を覗いているようで、背徳感が――


 ――などと言えたのは、一秒前までだった。


「……なに、これ……」

 並ぶ履歴は、自殺サイト。掲示板。死に至る方法。仲間を集う会。

 幾重にも重ねられた、絶望と諦念へ誘う道筋だった。思わずうしろを振り返ったが、誰もいない。まだいるかもしれないと思い、靴のかかとを踏みつぶしたまま一階へ降りたが、今降りて行ったような人影はない。考えてみれば自分が降りてきた際にも一階へ降りて行く人を見ていないのだから、当然なのだが。


(……けど、あそこは……)


 どうしようもないほどに、真っ暗な情念がひしひしと感じ取れる空間だった。死に迫る道筋を己で見極めるべく、歪んだディスプレイ越しに見ゆる世界の形が気配としてあの場に染みついていた。嗚咽を漏らしそうになり、どうしようかと惑いつつ、結局、司は。


(……でも、何もしない、何もできない)


 と、自分で自分を、結論付けた。

 諦めと、無関心で――胸を満たして。深呼吸の後、二階のスペースへと戻る。逃げ帰るように、上の階へ。一階のカウンターにいた店員の視線よりも、さっき感じ取ってしまった黒い思いに司は見入られていた。

 スペースに戻ると、ディスプレイには未だ煌々と、黒地に赤文字の無機質な画面が映されていて。居並ぶ死を連想される発言の道に、けれど司は興味をひかれて、ついつい辿ってしまう。

 ――履歴の最後にあった掲示板には、『夕べから奇異』という人物、つまりこのスペースで検索をしていた人物と『七無』という人物の会話が残っていた。三週間ほど前に立ったスレッドをさかのぼると最初は他にも人がいたようだったが、二人のあまりにも真剣な会話に興を削がれたように次々と立ち去って行って、最後に二人が残っていく様子がうかがえた。


「夕べさんはしたいことをするべきですよ」「したいことがわからないんです」「ではまずしたいことを見つけたいんですよ」「うう……自信がありません」「落ち着いてゆっくりやればいいんです 慌てないで」「ネタにマジレスかっこ悪い」「ネタをネタと見抜けない奴は(ry)」「みなさんはしたいことなど無いのですか?」「話題転換かよ」「逃げんな七無」「私はとりあえず逃げてほしくないです 私自身は逃げたりしてしまうでしょうが、みなさんには逃げてほしくない 夕べさんは今向き合おうとしています 逃げずに」「長文ワロタ」「今北産業」「ネタに マジレス かっこ悪い」


 ひたすら続く第三者による挑発、怒りを煽る発言の中、ぽつぽつと夕べが語る言葉に七無は真摯に耳を傾けていた。そうしていく内、次第に人は減っていき、一週間ほどするとその場は夕べと七無の二人だけが会話を繰り広げる空間となっていった。

 もちろん見ているだけで発言をしていない人間などは残っているようだったが、発言をしない、というよりも場の雰囲気に呑まれて『できない』という方が正しそうだった。

 すると他者の発言がなくなった辺りから、七無の発言に、妙なものが混ざりはじめることに司は気付いた。


「終わらせたいのですか」「はい ぜんぶ」「しかし一人で終わることに意味はないですよ」「止めるんですね」「そうではありません」「じゃあなんですか」「あなたはぜんぶ とおっしゃった」「それがなんなんですか」「募ればいい 人を そうでなくてはぜんぶではありません」「それは」「あなたと同じ思いの人は他にもいます その人たち含めてぜんぶ ではないでしょうか」「私の中のぜんぶ です 私の人生についてです」「それもいいでしょう でもあなたは一人じゃない 同じ思いでいる人がいて その人たちも同じ終わりを求めていることを考えてあげてくれませんか」


 スクロールする手が徐々に早くなっていく。この会話の結末がどうなるのか、このスペースをあとにした人がどうなるのか、司は恐ろしく思いながらも気になって仕方がなかった。

 そしてまた、それ以上に。ここにいた夕べという人の会話相手である七無が、恐ろしくて仕方がなかった。いとも簡単に相手から自殺の意思を引きずり出し、幇助(ほうじょ)していく。

 二週間前の会話にまで追い付いた。


「その人たちで ぜんぶ です」「同じ思いの人と共に行くべきですか」「あなたがそうすべきだと思うなら それがぜんぶ です」「ぜんぶ は人員を選ぶべきですか」「本気の人であればそれが ぜんぶ の構成には相応しいです ただ できれば女性のみが望ましいかと」「場所についてはどうでしょう」「峠など なるだけ俗世との境目がよろしいかと思われます」「移動手段は」「なんでもいいです 車でも」


 ともすればこの会話の流れに司も引きずり込まれそうで、ようやくそこで理解する。この空間(スペース)に満ち満ちていた黒い念は、この七無によって振りまかれたのだと。元からあったとはいえ夕べの持っていた考え、思念をここまで膨らませたのは、全て七無だったのだと。

 会話はいよいよ、本日の記録に入った。


「私は終われるのでしょうか」「ひとりでは終われません みなさんは一人じゃなく ぜんぶ です ぜんぶが集まる時になれば終われます 私も協力します」「七無さん 終わる方法はどうすればよいでしょうか」「ぜんぶ で方法についてもお考えください 私はみなさんの自由意思を奪う気はありませんので ただぜんぶを構成するのは 以前も書きましたが女性のみが望ましいかと」「いろいろありがとうございました」「いえ 私もいずれ ぜんぶになろうと思っていますので」「ありがとうございました」「では」


「 さ よ う な ら 」


 ――その発言を最後に、夕べは掲示板とこのネットカフェを去って行った。

 最後まで読み切って放心状態になった司は、唾を呑み下してから座イスの背にもたれかかり、うっかり触れてしまったパンドラの箱をにらみつけて頭を抱える。集団での自殺をほのめかすようなこの文章は、さすがに見過ごしておけないレベルのものだった。


「……会員証作るところで幸いだった。このスペースの利用者だった人の登録時の身分証に書いてある住所とか、個人情報を警察に辿ってもらえばいいよね」


 それでうまく解決するとは到底思えないが、司にできるのはその程度だ。むしろ、自分としては過干渉すぎるとさえ感じた。

 階段に向かい、再び一階に降りて、あくまで平静を装いながら司は暇そうに空中を眺めていた男性店員に「出て行った人いませんでした? いいなこの人、と思ったんですけど、ちょっと声かける前に行っちゃって」と訊ねた。店員は跳ねるように司に向き直り、笑顔を浮かべた。


「出て行ったのは、お客さんたちが来た時に入れ違いで降りてきた女性だけですけど」

「え、それは、もうお支払いも済ませて?」

「はい。233の部屋の。あ、これ言っちゃダメか」

「2、3、3……?」


 おどけた様子で男性店員は言ったが、司の表情はみるみるうちに硬くなっていった。

 233は階段近くにあったのだが、降りてくる際にちらっと見えたスペース内には女が一人、画面に向かって真剣に将棋を指していた。まだ、支払いを済ませているはずがないのだ。

 司の反応に気付いていないのか、店員はさらに続ける。


「ま、今日は朝から他に誰も(、、、、、、、、、、)出て行ってないんで(、、、、、、、、、)、見間違えはないですよ。みんなゴールデンウィークなのに、行くとこないんですねえ」


 その言葉にぎくりとして、司は訊ねる。自分の入ったスペースの番号を、思いだしながら。


「あの、245って、今日だれか使ってましたか……」

「245? いえ、今日はまだ誰も」


 きょとんとした顔で言い返されて、司は完全に、あてが外れた。


(おそらくその女性――『夕べ』は、さっき小野と一緒に廉太郎さんのカードに頼った時みたく〝代表者のカードに頼って入る客〟のふりをしてここに入ってきたんだ。カードが要るのは入場時だけ、出る時は支払いだけすればいいんだから――)


 夕べは司と同じように、三つ並んで空いたスペースに入ることで言い訳が可能な状況を作り、カードを作ることなくここを利用していたのだ。

 これでは店員や警察に伝えたところで、意味が無い。むしろ司による悪質ないたずらだと言われてしまうかもしれない。

 意味の無いことに時間を割いた、と苦笑いを浮かべ、あとずさりしてその場を去ろうとする司。そこへ三階からどたばたと足音が聞こえてきて、店員と一緒に階段の向こうを見上げるとメガネがずり落ちた状態の廉太郎が四段ほど飛ばしてずしんと着地してきた。


「電話があったぞ、マルドメ!」

「え、ちょ、誰から」

「会長からです!」


 背中に張り付いていたのか、廉太郎の陰から姿を現した小野が答える。店員は暴れないでください騒がないでくださいと対応に忙しそうだが、完全に無視した二人はシアター四十五分の利用料金をきっちり支払って、店の外に飛び出す。


「急ぐぞ、まただ!」

「え、あの、どういうご用件で」

「また監禁です!」


 周囲の目がこちらに向くのも気にせず、小野がそう叫んだ。突然の展開についていけず、思わず司は首をかしげて、


「……えええ? ぐえっ!」


 そのまま首根っこを引っ張られて、二人に駅まで引きずられていった。



Name:踊場小太郎おどりばこたろう

Hobby:民俗学研究とそれに伴う旅 廃墟画像収集

Weakness:ジャム入りの蕎麦(学食にある)ドクペ(購買にある)

Specialty:レインボー・名古屋撃ち

Skill:〝俗信の運ぶ音(ロアズ・アーク)〟微能力ではなく、長年の研究により手に入れた膨大な知識。しかしだいぶ偏っている。最近はドロケイとケイドロの全国分布について調べている。

Notes:実は一時期廉太郎を本名で呼んでやろうと粋なはからいをしたのだが呼ばれても本人は気づかなかった。これも現在の険悪な仲を形作る要因のひとつである


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