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第9話:雨宿りの密室と、体温を共有しない絶対乾燥空間



 ざぁぁぁっ、という激しい雨音が、鬱蒼とした森の木々を容赦なく叩きつけていた。


「うぅ……冷たいわね。まさか、こんなに急に天候が変わるなんて」


 魔女の塔から少し離れた岩山のふもと。

 急な通り雨に見舞われた僕と師匠、エレノア・ヴェルベットは、辛うじて大人二人が入れる程度の、狭い横穴の洞窟へと避難していた。


「申し訳ありません、師匠。僕の天候予測が甘かったばかりに……」

「いいのよ。この『星雫の草』は、嵐の直前にしか咲かないから。……でも、すっかり濡れちゃったわね」


 師匠は洞窟の奥で身を縮め、ぶるりと肩を震わせた。

 今日の師匠の服装は、雨の日の大気中に豊富に含まれる『水溶性マナ』を皮膚から効率よく吸収するためという理由で、純白の薄絹を重ねただけの極めて軽装なドレスだった。

 ただでさえ防御力が皆無(露出が高い)なその布地が、完全に雨水を吸い込んだ結果、どうなるか。


 透けていた。

 布が肌にぴったりと張り付き、滑らかな曲線美や、下着の有無はおろか、水滴が伝う肌の質感までもが完全に可視化されてしまっている。

 彫刻のように美しい大魔女の濡れ姿。それが、薄暗く狭い洞窟という密室に、僕と二人きり。

 普通の男であれば、一秒で理性を雨水に流して獣と化しているだろう。


 僕は必死に視線を洞窟の入り口に向け、外の雨粒を数えることで精神の安定を図った。


「……アルド」

「はいっ! 雨はすぐに止むと思います。それまで、どうかご辛抱を!」

「違うの……。濡れた衣服をそのままにしておくと、気化熱で体内のマナまで奪われてしまうわ。いわゆる『魔力低体温症』よ」


 師匠は吐息を漏らしながら、僕の背中へとじりじりと距離を詰めてくる。

 甘い香水と、雨の匂いが混ざり合った芳香が鼻腔をくすぐった。


「このままでは危険だわ。……ねえアルド。お互いに濡れた服を脱いで、肌と肌を合わせて体温マナを共有しましょう? これは、緊急時のサバイバル魔術の基本よ」

「なっ……!?」


 僕は硬直した。

 衣服を脱ぎ、肌を合わせる? この密室で!?

 確かに、極寒の雪山などで遭難した際、互いの裸体を密着させて凍死を防ぐという救命措置は本で読んだことがある。

 だが、ここは雪山ではないし、何より相手は僕が心から敬愛する師匠だ!


(ダメだ! そんなことをすれば、僕は己の煩悩を抑えきれず、師匠の神聖な魔力回路に決定的なノイズ(色欲)を流し込んでしまう! しかし、このままでは師匠が魔力低体温症に陥ってしまう……ッ!)


 僕は頭を抱え、高速で思考を巡らせた。

 火属性の魔法で暖を取るか? いや、この狭い洞窟内で炎を出せば、酸欠になる危険がある。

 風属性の魔法で乾かすか? いや、濡れた体に風を当てれば、さらに体温を奪ってしまう。


 ならば、どうする。

 衣服を傷つけず、火も風も使わず、瞬時に衣服の水分だけを消し去る方法……。


(……待てよ。水とは、微細な魔力粒子の結合体だ。ならば、その『水の粒子』そのものに直接干渉し、極小の振動を与えて強制的に気化(蒸発)させればいいのではないか!?)


 僕は雷に打たれたような閃きを得た。

 これなら、物理的な接触を一切行わずに、師匠を濡れた衣服の不快感から救い出すことができる!


「師匠、ご安心ください。服を脱ぐ必要はありません。僕が今すぐ、その水分を吹き飛ばしてご覧に入れます!」

「え? ちょっとアルド、火属性はダメよ!? 服が燃えちゃうわ!」


 服を脱ぎかけていた師匠が慌てて制止するが、僕の詠唱はすでに完了していた。


「対象を『半径二メートル以内の全水分子』に限定! 無属性魔法『念動力』の極小操作による、超高周波・分子振動加熱マイクロ・ウェーブ!」


 パチンッ! と僕が指を鳴らした瞬間。


 洞窟内の空気が、ビリビリと微細な共鳴音を立てた。

 僕と師匠の服に染み込んでいた雨水、髪から滴る水滴、さらには足元の水たまりに至るまで、あらゆる水分が「ジュワァッ!」という音と共に一瞬で白い蒸気へと変わった。

 摩擦熱も炎も発生しない。ただ『水』だけが、強制的な振動によって限界点を超え、気体へと昇華したのだ。


「きゃあっ!? な、何これ!?」


 師匠が驚きの声を上げる。

 それもそのはずだ。先程まで濡れ透けで重たくなっていた彼女のドレスは、今やパサパサに乾ききり、柔軟剤を入れ忘れた洗濯物のようにゴワゴワになっていたのだから。


「成功です、師匠! これで魔力低体温症の危険は去り、お互いの服を脱ぐ(物理的接触による煩悩の暴走)という最悪の事態も回避できました!」


 僕は会心の笑みを浮かべて振り返った。

 完璧な魔力制御だ。僕のステータス画面には、新たに【局所気象操作(極乾)】と【水分強奪者】という、砂漠の魔神のような恐ろしい称号が追加されている。


 しかし、師匠の反応は僕の予想とは全く異なっていた。


「……アルド」

「はい、すっかり乾きましたね!」

「乾きすぎよぉぉぉぉっ!!」


 師匠は両手で自分の頬を押さえて絶叫した。


「水分がない! 服の水分どころか、洞窟の湿気も、私の肌の潤いも、ぜーんぶ消え去ってるじゃない! 何この超乾燥空間!? 肌が! 私の砂漠化しちゃいけない部分の肌がカサカサよ! 髪の毛も静電気で爆発してるし!」

「あっ……!」


 師匠の言う通りだった。

 空間内の全水分を強制蒸発させた結果、この狭い洞窟は『湿度ゼロパーセントの超乾燥室ドライ・ルーム』と化していたのだ。

 師匠の美しい銀髪は静電気でフワリと広がり、彼女は涙目でリップクリームと保湿用の魔力水を探してポーチをひっくり返している。


「も、申し訳ありません! 出力の調整を誤りました!」

「アンタのバカァ! せっかくの雨宿りイベントが、なんで砂漠の耐久サバイバルになってるのよ! もう、カサカサして痛い……っ!」


 師匠の抗議の声は、洞窟の乾いた空気に虚しく響き渡った。

 結局、僕は雨が上がるまでの間、師匠の肌にひたすら保湿魔法モイスチャーをかけ続けるという、別の意味で精神を削られる修行を強いられることになった。


 師匠の思いつき(サバイバル術)は常に僕を成長させてくれるが、魔術の深淵に至るには、まだまだ『潤い』に対する配慮が足りなかったようだ。

 僕は己の未熟さを恥じながら、真面目に保湿の術式を編み上げるのだった。



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