第8話:街への買い出しデートと、師匠を邪視から守る広域・認識阻害結界
魔女の塔での生活は自給自足が基本だが、どうしても不足する魔術素材や日用品もある。月に一度、僕たちは麓の街へと買い出しに出かけていた。
「お待たせ、アルド。準備できたわよ」
玄関ホールに現れた師匠、エレノア・ヴェルベットの姿を見て、僕は思わず息を呑んだ。
今日の彼女は、いつもの『極小ビキニアーマー』や『革紐』といった戦闘・修行用の装備ではない。
一見すると、街の娘も着ているような普通のワンピースドレスだ。
……一見すると、の話である。
よく見れば、そのドレスは背中が腰のあたりまでパックリと開いており、スカートの横には太ももの付け根まで達する深いスリットが入っている。さらに恐ろしいことに、生地自体が特殊な『幻惑糸』で織られているらしく、光の当たり具合によって肌が透けて見えるという、とんでもない代物だった。
「し、師匠。そのお召し物は……」
「ふふっ、似合うかしら?」
師匠はその場でくるりと一回転した。
遠心力でスカートがふわりと舞い上がり、際どいラインが露わになる。僕は慌てて視線を玄関のドアノブへ固定した。
「似合う、似合わないの次元ではありません。街へ行くには、少し……その、大気中のマナを取り込みやすすぎる(露出が高すぎる)のではないでしょうか」
「あら、分かってないわねアルド。これは『光学迷彩』を応用した最新の都市型偽装服よ」
師匠はツンとすまして、尤もらしい理屈を並べ始めた。
「魔術師は街の密集した人混みに入ると、他者の発する雑多な魔力にあてられてしまうの。だから、この『光を乱反射させる特殊な布地』を着ることで、私の圧倒的な魔力波長を周囲の背景に溶け込ませるのよ」
「な、なるほど……! 自らを隠すための、あえての透け感……!」
「そうよ。だから一般人の目には、ただの地味な服に見えるはずよ。……さあ、行きましょうか」
師匠は僕の腕に自分の腕を絡ませてきた。
密着した腕から、柔らかな感触と温もりがダイレクトに伝わってくる。
取得した【絶対空間感知】により、視線を逸らしていても彼女のプロポーションのどこがどう当たっているのか、脳内で高解像度3D処理されてしまうという地獄の副作用が起きていた。
僕は煩悩を封印するための呼吸法を維持したまま、街へと足を踏み入れた。
***
賑わう大通りを歩き始めて、数分。
僕は重大な異変に気付いていた。
(……おかしい。師匠は『一般人の目には地味な服に見える』と言っていたが……)
すれ違う男たちが、全員、文字通り「全員」、首がもげるほどの勢いで師匠を振り返っているのだ。
荷馬車を引く御者も、果物屋の店主も、パトロール中の衛兵でさえも、ポカンと口を開けて師匠の透け透けスリットドレス姿を凝視している。
当然だ。光学迷彩など大嘘なのだから。
師匠の目論見としてはこうだ。
『街の男たちからいやらしい目で見られる私。それに嫉妬したアルドが、「他の男に見せたくない」と自分のマントを私にバサッと羽織らせて、肩を抱いて歩く』という、古典的かつ理想的なラブコメ展開である。
実際、師匠はチラチラと期待に満ちた上目遣いで僕の方を見ている。
しかし、僕の思考は全く別の方向へと着地していた。
(なんという事だ……! 師匠の高度な光学迷彩が、街の強いマナ干渉によって機能不全を起こしている! このままでは、街中の俗物たちの『邪視(いやらしい目)』から放たれる低級な欲望の魔力が、師匠の純粋な魔力結節点を汚染してしまう!)
師匠は強がりを言って平然と歩いているが、きっと内心では、機能不全を起こした偽装服と群衆の視線にパニックになっているに違いない。
弟子である僕が、師匠を護らねば!
(だが、僕のマントで物理的に師匠を覆えば、せっかくの『都市型偽装服』の魔力循環システムを完全に殺してしまう。……ならば!)
僕は歩きながら、誰にも気づかれないように極小の詠唱を行った。
「術式展開――精神干渉魔法『幻影』及び『広域認識阻害』!」
僕を中心に、不可視の魔力の波が街の広場全体へとドーム状に広がっていく。
僕が構築した術式は極めてシンプルかつ、強引なものだ。
『この結界内にいる全ての人間が師匠を視認した瞬間、脳内の視覚情報を強制的に書き換える』という、国家反逆レベルの広域洗脳魔法である。
(書き換える対象は……そうだな。絶対に誰も邪な感情を抱かない、街の風景に溶け込む無害な存在がいい)
カチリ、と術式が完成し、起動した。
「……あら?」
隣を歩く師匠が、小首を傾げた。
先程まで、道行く男たちの熱視線を一身に集めていたはずなのに、突然、全員がスッと興味を失ったように前を向いて歩き始めたからだ。
「ちょっと、アルド。なんか急に、みんな私を見なくなったんだけど……」
「ええ。僕が少し『調整』を行いましたから」
「調整?」
その時、行きつけの魔道具屋の店主が通りかかった。
師匠は自分の魅力を見せつけるように、わざとらしく胸を張り、色っぽい声で挨拶をした。
「こんにちは、親父さん。今日もいい天気ね」
「おや、アルド君じゃないか! 買い出しかい? ……ん? そっちの【屈強なドワーフの重戦士】は、新しい護衛の傭兵かい? 立派な髭だなぁ!」
「は……?」
師匠の顔が引きつった。
「ど、ドワーフ? 重戦士? 髭? ちょっと親父さん、どこ見て……」
「いやぁ、そのゴツい鎧と、丸太みたいな太腕! アルド君も頼もしい仲間を見つけたねぇ。じゃあ、また店に寄ってくれよ!」
店主は師匠の豊満な胸(幻影では分厚い鋼鉄の胸当て)をバンバンと陽気に叩くと、去っていった。
師匠はその場に立ち尽くし、ワナワナと震えている。
「あ、アルド……。今、アイツ、私のことドワーフって……」
「ご安心ください、師匠!」
僕は胸を張り、ドヤ顔で報告した。
「師匠の偽装服が乱れていたので、僕が術式を上書きしておきました! 現在、半径五百メートル以内の全ての人間の目には、師匠の姿が『身長一メートルの、髭もじゃで屈強なドワーフのおっさん』に見えるよう、脳内へ直接映像を送り込んでいます!」
「なっ……!?」
「これなら、どんなに露出の激しいドレスを着ていようとも、誰一人として師匠に劣情を抱くことはありません! 師匠の純潔と魔力は、僕が完璧にお護りします!」
完璧だ。
これぞ究極の護衛術。
僕のステータス画面には、新たに【精神支配(広域)】と【幻影の王】というとんでもない大魔王クラスの称号が刻まれていた。
「……信じられない」
師匠は膝から崩れ落ち、石畳に手をついた。
「私……今日のために、新作の勝負下着まで着てきたのに……。アルドに嫉妬してほしかったのに……。それが、髭もじゃのドワーフ……」
「おや、師匠? どうされました?」
「アンタなんか……アンタなんか、一生ドワーフとデートしてればいいのよぉぉぉっ!!」
師匠は涙目で立ち上がると、ドスドスと重戦士のような足音(幻影のせいだが)を立てて、塔の方へと走り去ってしまった。
「師匠!? 待ってください、まだ『月光草』の買い出しが……!」
僕は慌てて後を追いかけた。
すれ違う街の人々は、「おや、アルド君。今日はドワーフの重戦士と追いかけっこかい? 元気だねぇ」と微笑ましく見守ってくれている。
街の平和と師匠の魔力は守られた。
しかし、女心というものは、魔術の真理よりもはるかに複雑で難解なようだ。
僕はさらに深い魔術への探求を誓いながら、髭もじゃのドワーフ(絶世の美女)の背中を全力で追いかけるのだった。




