第5話:溶解液を吐く魔物と、一切の物理接触を拒む絶対護衛術
魔女の塔での修行(という名の理不尽な耐久テスト)は、時として屋外にも及ぶ。
今日、僕と師匠は魔法薬の素材となる『月光草』を採取するため、塔から少し離れた『腐魔の森』へと足を運んでいた。
薄暗く、じめじめとした瘴気が漂う森の中。
歩くたびに腐葉土が嫌な音を立てるこの劣悪な環境下で、師匠のエレノア・ヴェルベットは、今日も堂々たる歩みを進めていた。
「いいこと、アルド。この森には『溶解液』を吐き出す粘体魔物や巨大蛙が多く生息しているわ」
「はい。強力な酸は、並の防具など一瞬で鉄屑に変えると本で読みました」
「その通りよ。だからこそ、今日の私の装備はこれなの」
師匠はくるりとその場で一回転し、自らの装備を見せつけた。
……装備、と呼んでいいのだろうか。
彼女の体を覆っているのは、黒い革のベルト(ハーネス)のみだった。胸の谷間や腰回りを幾重にも交差する革紐が、白い肌を美しく、かつ扇情的に締め付けている。服という概念はそこには存在せず、急所だけを辛うじて革で隠した『拘束具』のような出で立ちだった。
僕は再び般若心経を脳内で唱えながら、視線を足元のキノコに固定した。
「布の服や金属の鎧は、一度酸を浴びると皮膚に張り付いて重度の火傷を引き起こすわ。だからこそ、極限まで衣服を減らし、酸を浴びてもすぐに水で洗い流せる『素肌』が最も生存率を高めるの。これが対酸性・極地適応理論よ」
「なるほど……! 服を着ているからこそ致命傷になる。逆転の発想ですね!」
僕は深く頷いた。
相変わらず師匠の理論は、一見すると破廉恥極まりないが、魔術的・生存術的観点から見ると恐ろしいほど理にかなっている。(※注:かなっていません)
この身を切るような露出も、すべては過酷な自然界を生き抜くための最適解なのだ。
「でも、いくら洗い流せるとはいえ、酸を直接浴びるのは痛いわよねぇ……」
師匠は上目遣いで僕をチラリと見た。
その顔には「か弱い乙女」の表情が浮かんでいる。
「もし魔物に不意打ちされて、私が酸を浴びそうになったら……アルド、私を庇ってくれる?」
「当然です。僕の命に代えても、師匠の玉の肌には傷一つ、いや、酸の一滴たりとも触れさせません」
僕は胸に手を当てて誓った。
弟子として、師匠を護衛するのは当然の義務だ。
僕の力強い返事を聞いて、師匠は嬉しそうに微笑んだ。
「(ふふっ、計画通り……!)」
師匠の心の声が、なぜか僕の鋭敏すぎる【心眼】を通して少しだけ漏れ聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
師匠はわざとらしく無防備な足取りで、森の奥へと進んでいく。
僕の推測によれば、これは『囮』だ。師匠があえて隙だらけの姿を晒すことで魔物をおびき寄せ、僕の迎撃能力をテストしているに違いない。
ガサガサッ!
その時、前方の茂みが大きく揺れた。
飛び出してきたのは、牛ほどの大きさがある醜悪な巨大蛙だった。そのイボだらけの口の端からは、周囲の草木をジュウジュウと溶かす緑色の溶解液が滴り落ちている。
「ゲコォォォォッ!!」
「きゃあっ! 魔物よ!」
師匠が(少し棒読みで)悲鳴を上げた。
巨大蛙は師匠の白い肌を標的と定め、大きく口を膨らませた。一気に大量の溶解液を吐き出す構えだ。
距離が近すぎる。
師匠の立ち位置からでは回避は間に合わない。
「アルド! 助けてっ!」
師匠は両手を広げ、目をギュッと瞑った。
彼女の意図は明白だった。
『さあ、私を抱き寄せて酸から庇いなさい! そして男らしさを見せつけて、吊り橋効果でドキドキさせなさい!』という、愛の……いや、護衛としての絶対的な信頼だ!
(任せてください、師匠!)
僕の思考は一瞬で加速した。
普通なら、師匠に飛びついて地面に転がり、自分の背中で酸を受けるだろう。
だが、それは三流の護衛だ。
飛びついた衝撃で師匠の柔肌を傷つけてしまうかもしれないし、何より、あの革紐だけの装備に僕が直接触れてしまえば、僕の理性が吹き飛んで護衛任務どころではなくなる。
ならば、どうする?
答えは一つ。
『指一本触れずに、師匠を安全圏へ退避させる』ことだ。
巨大蛙が、致死量の溶解液をブチ撒けた。
緑色の飛沫が、スローモーションのように師匠へと迫る。
「術式展開――『遠隔操作魔法・改』!」
僕はオイルマッサージで極めた、視覚に頼らず魔力のみで対象を精密操作する技術を解放した。
不可視の魔力の手が、師匠の体へと伸びる。
だが、肌には直接触れない。触れるのは、彼女が身につけている『革のベルト』の部分だけだ。
「えっ? きゃあっ!?」
次の瞬間、師匠の体はふわりと宙に浮き上がった。
見えない手によって首根っこと腰のハーネスを摘み上げられた師匠は、まるでUFOキャッチャーの景品のような間抜けなポーズで、酸の軌道上から垂直に三メートルほど吊り上げられたのだ。
「ジュゥゥゥゥッ!!」
師匠が先程まで立っていた地面を、猛毒の酸が溶かしていく。
完璧な回避だ。
「よしっ、今だ!」
僕は【気配遮断(極)】をオンにしたまま、一瞬で巨大蛙の懐へと潜り込んだ。
魔物からすれば、目の前にいた獲物が突然宙に浮き、もう一人の獲物が完全にレーダーから消滅した状態だ。
パニックに陥る巨大蛙の顎の下に、僕は渾身の魔力を込めたアッパーを叩き込んだ。
「粉砕ッ!」
ゴギャァッ! という鈍い音と共に、巨大蛙の巨体が宙を舞い、そのまま背中から大木に激突して動かなくなった。
戦闘時間、わずか二秒。
我ながら、無駄のない完璧な動きだった。
「……ふぅ。ご無事ですか、師匠」
僕は魔力の糸をゆっくりと緩め、宙吊りになっていた師匠を安全な地面へと降ろした。
彼女の肌には、酸の飛沫はおろか、僕の指紋すら一切ついていない。完全無欠のパーフェクト・ガードである。
「…………」
「師匠?」
地面に降ろされた師匠は、革紐を直しながら、なぜかワナワナと肩を震わせていた。
「アルド……」
「はい。見事な囮作戦でした。師匠が引きつけてくださったおかげで、無傷で撃破できましたよ」
「……なんで、普通に抱きとめてくれないのよぉぉぉぉぉっ!!」
突然、師匠が僕の胸ぐらを掴んで(革紐姿のまま)激しく揺さぶってきた。
近い。胸の谷間が目の前で揺れている。僕は必死に目を逸らした。
「な、何を怒っておられるのですか!? 僕が直接抱きしめたりしたら、その衝撃で師匠の衣服……いえ、拘束具がズレてしまう危険があったではありませんか!」
「ズレていいのよ!! むしろズレるのを期待してたのよ!! なんで私、荷物みたいに空中に吊り上げられてんのよ! 恥ずかしすぎるでしょ!!」
「は、恥ずかしい? 魔術的な合理性を重んじる師匠らしからぬお言葉ですが……」
「うるさいうるさいうるさい! あんたのその変なスキル、絶対使い方間違ってるからね!」
ポカポカと僕の胸を叩く師匠の顔は、酸の恐怖ではなく、羞恥心と怒りで真っ赤に染まっていた。
僕はその理不尽な暴力に耐えながら、自分のステータス画面に【念動力(極)】と【鉄壁の護衛(非接触)】という新しい称号が追加されているのを確認した。
やはり実戦は素晴らしい。
師匠の奇抜な装備と行動パターンを予測することで、僕の魔法技術は日々限界を突破していく。
僕はさらに精進することを誓いながら、涙目の師匠を背負って(直接触れないように間に自分のマントを挟みつつ)、帰路につくのだった。




