第3話:厳格な査問官の来訪と、鋼鉄の理性
魔女の塔に、招かれざる客が現れたのは、雲一つない快晴の午後だった。
「――魔術協会・倫理規定管理局、一級査問官のリディア・クリムゾンだ。大魔女エレノア・ヴェルベットに対する『公序良俗に反する魔術行使』の嫌疑について調査に来た」
扉を開けた僕、アルドの目の前に立っていたのは、冷徹な美貌を持つ女性だった。
きっちりと撫で付けた黒髪、銀縁の眼鏡、そして首元までボタンを留めた隙のない制服。手には分厚いバインダーを持っている。
全身から「規律」と「潔癖」のオーラを放つ彼女は、僕を一瞥すると鼻を鳴らした。
「貴様が弟子か。……ふん、目つきが悪いな。師匠の影響で倫理観が麻痺しているのではないか?」
「失礼な。僕は常に清廉潔白、師匠の教えを守り、魔道の真理を探究しています」
「口だけなら何とでも言える。案内しろ。本人の弁明を聞く」
リディア査問官はズカズカと塔の中に入ってきた。
マズいことになった。
確かにここ数日、師匠の研究(と称した露出)は過激さを増している。もし彼女がそれを「単なる露出狂」と誤解したら、師匠の地位が危うい。
だが、僕には確信があった。
師匠の行動には全て魔術的な「理屈」がある。それを正しく説明できれば、この厳格な査問官も理解してくれるはずだ。
「こちらです。師匠は現在、最上階の瞑想室で『聖なる儀式』の最中です」
「聖なる儀式だと? どうせまた、ふざけた格好で酒でも飲んでいるのだろう」
「訂正を求めます。師匠はいつだって真剣です」
僕は重厚な扉の前に立ち、ノックをした。
中から、師匠の気怠げな、しかし艶のある声が響く。
「……誰? 今は大事な『自己対話』の時間なのだけれど」
「アルドです。協会からの査問官が……」
「入るぞ!」
リディア査問官は僕の言葉を遮り、乱暴に扉を開け放った。
「エレノア・ヴェルベット! 貴様の奇行には目に余るものがある! 今日こそはその化けの皮を――」
言葉は、そこで途切れた。
部屋の中央。
魔法陣の上に座る師匠の姿を見て、リディア査問官は絶句し、バインダーを取り落とした。
「なっ、な、な、なんという……破廉恥な……ッ!!」
無理もない。
今日の師匠の格好は、僕の目から見ても『攻め』の姿勢だった。
包帯である。
白い包帯が、全身に巻き付けられている。それだけだ。
だが、怪我人が巻くような無造作なものではない。胸、腰、太ももといった要所をギリギリの張力で隠しつつ、隙間から健康的な肌が大胆に覗く、計算され尽くした『ボンテージ・スタイル』だった。
包帯の隙間からこぼれ落ちそうな豊満な肉感。動くたびに解けそうな危うさ。
師匠は慌てた様子で、自分の体を隠そうとした――わけではなかった。
彼女は一瞬ギョッとした顔をしたが、すぐに妖艶な笑みを浮かべ、わざとらしく足を組み替えたのだ。
「あら、リディアじゃない。相変わらず堅苦しい格好ね。……皮膚呼吸、できてる?」
「き、きき、貴様ぁぁっ!! なんだその格好は! 公然わいせつだぞ! まさか魔女の塔を風俗店にでもするつもりか!」
リディア査問官の顔が沸騰したように赤い。
師匠は優雅に髪をかき上げ、僕の方へチラリと視線を送った。
(どうしよう、昨日の夜に包帯プレイの練習をしてたのがバレたわ……アルド、何とか誤魔化して!)という心の叫びが聞こえるようだ。
任せてください、師匠。
僕が貴女の崇高な理論を代弁します。
「待ちたまえ、査問官殿!」
「なんだ弟子! 貴様もこの痴態を擁護するつもりか!」
「痴態ではない! これは『封印指定・拘束術式』の応用実験だ!」
僕は一歩前に出た。
堂々と、胸を張って言い放つ。
「見て分からないのか? 師匠は自らの膨大すぎる魔力を制御するために、あえて動きにくい包帯で全身を締め付けているんだ!」
「は……? 魔力制御……?」
「そうだ! この包帯一本一本には、微細な魔力伝導回路が縫い込まれている。筋肉の動きを制限し、皮膚感覚を鋭敏にすることで、通常時の十倍の魔力負荷を自身に課しているのだ! いわば、常に重りをつけて生活しているようなもの!」
リディア査問官がポカンと口を開けた。
師匠の方を見ると、彼女も「えっ、そうなの?」という顔を一瞬したが、すぐに「そ、そうよ!」という顔で頷いた。
「さ、さすがは我が愛弟子。よく理解しているわね。……ふぅ、この締め付けがキツくて、少し動くだけでも魔力を消費するのよ」
「嘘だ! そんなデタラメが通じると思っているのか!」
リディア査問官が食い下がる。
彼女は鋭い視線で僕を睨みつけた。
「貴様、完全に洗脳されているな? この女の色香に惑わされ、正常な判断ができなくなっているだけだ!」
「失礼な。僕の判断力は常にクリアだ」
「ならば証明してみせろ! これほどの露出を前にして、男としての『邪念』が全くないと断言できるか!?」
リディア査問官は杖を取り出し、先端を僕に向けた。
「私は精神干渉系の魔法が得意でね。今から貴様に、強力な『魅了』の魔法をかける。もし貴様の精神が師匠への性的な執着で満たされていれば、魔法は増幅され、貴様は鼻の下を伸ばして私に跪くだろう!」
「……ほう」
僕は鼻で笑った。
魅了魔法? 精神干渉?
この数日、僕がどんな環境で修行してきたと思っているんだ。
目の前で紐のような下着姿の美女(師匠)に迫られ、同じベッドで石像のように朝まで耐え抜く日々。
僕の精神防壁は、もはや要塞レベルだ。
「やってみるがいい。僕の師匠への敬意が、そんな低俗な術で揺らぐものか」
「言ったな……後悔するなよ! 術式展開――『桃色の幻影』!」
リディア査問官の杖から、ピンク色の光線が放たれた。
それは僕の脳内に直接作用し、理性を溶かし、目の前の女性を魅力的に見せる強制暗示の魔法だ。
普通の男なら、一撃で理性を失い、猿のように襲いかかってくる強力な術式。
だが。
(……ん? 何だ今の?)
僕の視界には、そよ風程度のノイズが走っただけだった。
脳内で警報が鳴る。『微弱な精神汚染を検知。自動防御システム作動。――排除完了』。
先日習得したパッシブスキル【状態異常無効】が、瞬時に魔法を無効化したのだ。
それ以前に、比較対象が弱すぎた。
リディア査問官は確かに美人だが、着衣だ。隙がない。
毎日、致死量レベルのフェロモン(師匠)を浴び続けている僕の耐性菌のような精神にとって、この程度の刺激は「白湯」のようなものだった。
「……それで? いつ魔法を使うんですか?」
「は……?」
リディア査問官の手が震え始めた。
「き、効いていない……? 私の全力の魅了魔法が……完全にレジストされた……?」
「まさか、今のが全力ですか? 師匠が寝起きに放つあくびの方が、よほど精神破壊力がありますよ」
僕はあくびを噛み殺しながら言った。
これは事実だ。師匠の無防備な寝顔の破壊力に比べれば、作り物の幻影など児戯に等しい。
リディア査問官は後ずさり、青ざめた顔で僕と師匠を交互に見た。
「ば、化け物か……。これほどの色仕掛け(環境)の中にいながら、鋼鉄の理性を保つ弟子……。そして、それを育成するために自ら肌を晒し続ける師匠……」
「お分かりいただけただろうか。これがヴェルベット流の『修行』なのです」
「……撤退する!」
リディア査問官は踵を返した。
その背中は、未知の恐怖に震えていた。
「報告書には『異常なし』と書いておく! だが覚えておけ、こんな修行は長続きしないぞ! いつかその反動で、世界を揺るがす変態が生まれることになるからな!」
捨て台詞を残し、嵐のような査問官は去っていった。
静寂が戻った部屋で、僕は安堵のため息をついた。
「ふぅ……なんとかなりましたね、師匠」
「え、ええ……。ありがとう、アルド」
師匠は、なぜか複雑そうな顔をしていた。
包帯の隙間から見える肌が、ほんのり桜色に染まっている。
「(……他の女の魅了魔法が効かなかったのは嬉しいけど……私の色仕掛けも『修行用の負荷』として処理されてるってことよね……?)」
「師匠? どうされました? やはり包帯の締め付けがキツすぎましたか?」
「……ううん、なんでもないわ。ちょっと、やけ酒飲んでくる」
「お供します。酔った師匠の介抱もまた、動じない心を養う修行ですから!」
「あんたなんて一生石像になってればいいのよバカぁ!!」
なぜか師匠に枕を投げつけられたが、僕はそれを【心眼】で見切って華麗に回避した。
理不尽な怒りもまた、弟子の試練。
僕の魔術師としての道は、まだまだ険しいようだ。




