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第10話:密着必至の社交ダンスと、一ミリの接触も許さない絶対斥力のステップ


 大魔女ともなれば、王侯貴族から夜会に招かれることも少なくない。

 魔女の塔の広いエントランスホールに、優雅なワルツの旋律を奏でる魔道具オルゴールの音が響き渡っていた。


「さあ、アルド。高位魔術師たるもの、社交界での振る舞いも完璧でなければならないわ。今日はダンスの特訓よ」


 ホールの中央に立つ師匠、エレノア・ヴェルベットは、蠱惑的な笑みを浮かべて僕を招き寄せた。

 本日の彼女の装いは『夜会用のイブニングドレス』だという。

 しかし、その実態は恐るべきものだった。背中は腰骨のあたりまで完全に露出しており、スカートの片側には骨盤まで達しようかというスリットが入っている。さらに、胸元は薄いレース一枚で辛うじて支えられているという、歩くたびに大事故が起きかねない布面積の少なさだ。


「し、師匠……いくら夜会とはいえ、そのドレスは少し……防御力が低すぎるのではありませんか?」

「ふふっ、分かってないわね。ダンスというのはただの遊戯ではなく、パートナー同士の魔力を調律し、周囲に圧倒的な『格』を見せつけるための高等儀式なのよ」


 師匠は優雅にステップを踏みながら、またしても尤もらしい魔術理論を展開した。


「互いの肌が触れ合う面積が広ければ広いほど、魔力回路は深く共鳴し合うわ。だから、このドレスは『魔力調律の効率』を極限まで高めた、夜会における最強の戦闘服と言えるのよ」

「な、なるほど……! 見た目の優雅さの裏に、それほどの計算が……!」


 僕は深く感銘を受けた。

 常に魔術の真理を追求する師匠の姿勢には、本当に頭が下がる。

 だが、同時に僕の背筋には冷たい汗が流れていた。


「さあ、右手で私の手を取って。そして左手は、私の腰にしっかりと回しなさい。……隙間が空かないように、ぴったりと密着してね?」


 師匠が潤んだ瞳で僕を見上げ、両手を差し出してくる。

 その言葉の意味を理解した瞬間、僕の脳内でけたたましい警報が鳴り響いた。


(ば、馬鹿な! 今の師匠の腰は、布が一枚もない完全な素肌だぞ!? そこに僕の未熟な手を直接添え、あまつさえ体を密着させるだと!?)


 そんなことをすれば、どうなるか。

 僕の心拍数は爆発的に跳ね上がり、体温は急上昇し、魔力波長は『煩悩』という最悪のノイズによって大暴走を引き起こす。

 結果として、師匠の純粋な魔力調律を台無しにしてしまうだろう。

 これは、僕の魔術師としての『自制心』を極限まで試す、恐るべき抜き打ちテストなのだ!


(受けて立ちましょう、師匠! 僕の理性が、貴女の色香ノイズに屈することなど絶対にない!)


 僕は一歩前に出た。

 そして、師匠に気づかれないよう、体内の魔力を極限まで練り上げる。


「術式展開――風属性と土属性の複合魔術! 『磁気浮遊マグネティック・フロート』並びに『絶対斥力アンチ・グラビティ』!」


 カチリ、と僕の両手に不可視の魔力場が形成された。

 僕はその状態のまま、師匠の右手を取り、もう片方の手を師匠の滑らかな腰へと――正確には、腰から『一ミリメートル離れた空間』へと配置した。


「えっ……?」


 師匠が小さく声を漏らす。

 無理もない。僕の手は、師匠の肌に『触れているように見えて、実は一切触れていない』のだから。

 プラスとプラスの磁石が反発し合うように、僕の手のひらから放たれる微弱な斥力が、師匠の肌との間に見えないクッション(防壁)を作り出している。


「さあ、師匠。曲に合わせてステップを!」

「あ、ええ……」


 僕たちはワルツの旋律に合わせて踊り始めた。

 ターンをし、身を寄せ合い、見つめ合う。

 だが、どれほど激しく踊ろうとも、どれほど師匠が僕の胸に体を預けようとも、僕たちの間には常に『絶対の一ミリ』という空間が維持されていた。


「(な、何これ!? アルドの手の感触はあるのに、体温が全く伝わってこないわ!?)」


 師匠の顔に焦りの色が浮かぶ。

 彼女は僕の理性を崩そうと、わざとバランスを崩すフリをして、その豊かな胸を僕に押し付けようとしてきた。

 しかし、無駄だ。

 彼女が体重をかければかけるほど、僕の展開する『斥力』も自動的に強まり、スッと見えない壁に押し返されるのだ。


「甘いです、師匠!」


 僕は華麗なターンを決めながら叫んだ。


「貴女の意図は完全に読み切っています! ダンス中の不意な接触による『魔力の乱れ(色仕掛け)』を誘発しようとしたのでしょうが、僕の絶対斥力結界の前では無意味です! 僕たちの魔力は今、一ミリの干渉も許さず、完全に独立して並行調律されています!」

「ち、違うのよ! 私はただ、普通に抱きしめてほしくて……っ!」

「素晴らしい負荷テストでした! さらにステップの速度を上げますよ!」


 僕は完全にゾーン(無我の境地)に入っていた。

 師匠の動きをコンマ一秒先読みし、引力と斥力を完璧に操作することで、一滴の汗も触れ合わせることなく、社交界の歴史に残るであろう超絶技巧のステップを踏み続けた。

 外から見れば、息を呑むほど密着した情熱的なダンスに見えるだろう。だが実際には、細胞一つすら接触していないという狂気の物理法則が働いているのだ。


 やがて、曲が終わりを告げた。

 僕たちはフロアの中央で、優雅なフィニッシュポーズを決めた。当然、距離は一ミリ空いたままだ。


「ふぅ……完璧な調律でしたね、師匠」

「…………」


 師匠は、真っ赤な顔で肩で息をしていた。

 しかし、その表情は充実感とは程遠い、行き場のない怒りと絶望に染まっていた。


「……アルド」

「はい! おかげで、魔力制御の新たな極地に――」

「バカァァァァッ!! 社交ダンスの醍醐味を全部ぶち壊しにしてんじゃないわよ!!」


 師匠は、見えない斥力の壁を力任せに蹴り飛ばし(当然、僕には当たらない)、泣きそうになりながら寝室へと走り去ってしまった。


 僕はその背中を見送りながら、首を傾げた。

 あれほど完璧な魔力調律を成功させたというのに、なぜ師匠は怒っているのだろう。

 僕のステータス画面には、【絶対座標固定】と【斥力の支配者】という、あらゆる物理攻撃を無効化できそうな最強クラスの防御スキルが刻まれていた。


 やはり女心と社交界の作法は、魔術よりも奥が深い。

 僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、一人静かにワルツのステップを復習するのだった。


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