第65話「風の中の答え」
伝説の大魔法使い。全ての者が目指す魔法の極致。彼こそが世を安定させていたのだと思い知らされた人々は、アルベル・ローズラインを亡国の英雄であり、怪物とも例えた。たとえ性格的にあまり好きではないと感じた者でさえ、その高みに辿り着くことを目標として名を挙げた。
信じてもいいのだろうかとリロイは疑った。亜空結界も、生徒たちを守る防御壁も繊細で美しく、とても真似できるものではない。尋常ならざる魔力とヴィルヘルミナの神業に等しい魔力のコントロールがあってこそ成立するものだ。
「……これほどの人間が実在するとは、とても信じられない。なぜ、僕に……いえ、その後ろにいる子たちにも打ち明けたのです?」
「さあ。信じたかったのかな、私のことを見てくれるって」
照れくさそうに頬を指で掻き、後ろで驚きに固まっている三人の友人を見る。なんとも顔が熱い。自分らしからぬことを言うようで恥ずかしかった。
「アルベルは立派とは言えない人間だった。命を狙う敵だったとはいえ大勢を殺めてきた。たとえ本意でない者だとしても容赦なく。それが良くないことだと知っていながら、そうするのも仕方ないことだと見捨ててきた。────私は、自分が嫌いだ。あの頃の私とは違う、新しい自分になりたい。そのために打ち明けた。お前たちなら私を信じてくれる。私と言葉を交わしてくれる。私ができなかったことを、私にはなかったものを与えてくれる。だから……そう、だからなんだ」
ローブを脱ぎ捨て身軽になり、リボンタイを外す。ボタンをふたつ外して胸元を楽にすると、ヴィルヘルミナは両手を翳した。翡翠色の風が手の中で渦巻き、弾けると周囲に強い風を巻き起こす。
誰も瞬きをしなかった。そして確かに見た、手の中に現れた大きな杖を。
「だからもっと教えてほしいんだ、私にたくさんのことを。でも、そのために隠し事はもうできない。私はヴィルヘルミナ・デヴァル。かつてアルベルだったに過ぎないひとりの小娘だ。だから、どうか、よく目に焼き付けておいてくれ」
聖樹を削って作られた翡翠の宝玉を奉る杖。リロイには一目見て、それが異常な杖だと分かった。杖そのものに強大な魔力が宿り、ヴィルヘルミナの強さをさらに押し上げている。まさに伝説級の代物と言えた。
「後悔はない。これで離れていくというのであれば、それも仕方ない。だがそうならないことを祈るよ。────さあ、そろそろ始めようか」
ようやく戦いが始まる。リロイは指に嵌めたダイヤの指輪を撫でた。きらりと輝き、魔力が満ちていく。ヴィルヘルミナの使う杖同様に魔法の性能を底上げするものだが、杖と比べれば格落ちだ。どう足掻いても届かない。
「……僕から行きましょうか、ヴィルヘルミナさん?」
「どちらでも構わない。お前の望んだ未来の可能性を見せてやるさ」
「ふふ、そうですか。では胸を借りるつもりで戦わせて頂きましょう!」
構えた手から魔力が翡翠の色を纏って旋風を放った。ヴィルヘルミナはその場から躱そうとしない。立ち尽くしたまま、杖を向けて魔力壁を張って防ぐ。
「(動く必要もないということですか。ならば、少し仕掛けてみよう)」
腕をすくいあげるように動かして空に掲げる。周囲に巻き起こった風は廃都の瓦礫を高く持ち上げて、ヴィルヘルミナの真上に振らせた。さらに、リロイが追撃を試みる。まっすぐ構えた腕。伸ばした二本の指先が標的を捉えた。
「────果ての大鷲、ストリボーグの贄。鋭い爪を喰い込ませ、獲物を屠る空の牙を突き立てよ! 《貫く旋風》!」
魔法使いの中でも上位に位置するリロイが放つ詠唱込みの風属性魔法。直進する魔力を帯びた風は鋼鉄の矢の如く、高い貫通力を以て敵を穿つ。ヴィルヘルミナを相手にして、詠唱無しでは防御壁を突破できない。ならば瓦礫による空襲で魔力配分を僅かに崩し、貫通力の高い魔法で防御壁を破壊する。選択は最善。他にないと考えた。勝利できるとは思わなかったが、掠り傷くらいは与えられると。
「詠唱魔法か、素晴らしいな。よくぞ、その場所に至ったものだ」
ヴィルヘルミナがニヤリと笑う。翡翠の杖が、強く光り輝いた。
「ならば相応に魅せてやろう。お前が辿り着く先を、我が颶風を以て示そう」
炸裂するような風だった。何もかもを吹き飛ばす風だった。空から降り注いだ瓦礫の雨も。直進する矢のような旋風も。何もかもを巻き込んで粉砕する。対象を人間以外に絞った絶妙なコントロールで、リロイには掠り傷ひとつ付けない。遥か遠く目視できない距離にある的の中心を射抜くような非現実的な正確さ。
アルベル・ローズラインだからこそできること。そう確信させた。
「これで少しは信じてもらえたかな、リロイ教授」
「……はは。仮に嘘だとしても、これを見て信じない人間はいないでしょうね」
近くに転がった瓦礫に腰掛けてリロイは笑いながら溜息を吐く。
「あなたが邪法使いでなくてよかったと心から思います。僕から教えることは何もない。むしろ教わるべき立場ではないですか」
極致の魔法使いの知識は誰もが求めるものだ。たとえリロイのように真面目で実力主義の社会を嫌うものであっても、あらがえない魅力がある。
だが、ヴィルヘルミナは申し訳なさそうに笑って────。
「申し訳ないが弟子は取る気はないんだ。分かるだろ?」
「はは、痛い思い出のようですね。残念ですが仕方ありません」




