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秘術使いの理想郷─ヴィルヘルミナの物語─  作者: 智慧砂猫


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第43話「人間であること」

 強い怒りの滲んだウォルターの瞳に、ヴィルヘルミナはぞくっとする。思わぬ表情を向けられて、自分が殺されたときのことがフラッシュバックした。


「わ、私はただ……奴の言うように……ルールに従っただけだ」


「それでも。あなたは本当にそれでいいと思ったんですか?」


 返す言葉がなかった。どう返していいのか分からずに俯いてしまった。


「まあまあ、ウォルター教授。決闘は終わったんだから怒るのは後にしませんか。あちらも殺す気だったんですから、おあいこでしょう」


「……そうですね、アレックスさん。あなたの言葉には同意しておきましょう」


 アレックスは正直なところ何が起きているのか、さっぱり分からなかった。しかし、だからといって険悪な雰囲気を放置はできずに割って入り、心臓は緊張に鼓動がばくばくと速くなった。


「もしウォルター教授が話したいのでしたら、私がバルロアさんと移動します。腕の傷も酷いので、はやく手当しないと治療魔法でも痕が残りますから」


「お願いします。バルロア、あなたもそれで構いませんね?」


 困惑しながらも、バルロアが頷いて立ち上がり、アレックスを連れて屋敷へ戻っていく。二人きりの時間ができると、ウォルターは未だに俯いたまま感情が処理しきれていないヴィルヘルミナに冷たく言った。


「私は、優しい人間で在る必要などないと思っています。ですが、一線を越えてはならない。それは人間が持つべき最低限の〝当たり前〟ではないですか」


「……でも、奴は私を殺そうとした。だから私も奴を殺そうとしただけだ」


 精一杯の弁明。絞り出した言葉が、ウォルターをなおさら怒らせた。


「ほんの少しでも常識的な優しさがあれば殺そうとはしない。誰も死なずに済む方法があるのに、わざと目を背けることがあなたの言う優しさなのか?」


「そ、れは……違う、けど……」


 大人に怒られて委縮するヴィルヘルミナは年相応の少女だった。どれほど積み重ねてきたものでも、間違っていたと分かると言葉に詰まる。ただ、何がどう間違っていたのかに、まだ至れていなかった。


「いいですか、ヴィルヘルミナさん。あなたは間違いなく人間として成長しています。感情の薄かった頃のあなたはいないんです。もし、それでもあなたが新しい自分を見つけられなければ、魔塔へ来たらいい。そのときは私が違う道を教えてあげます。優しい必要なんてない。でも私は、あなたに人間ではあってほしいんです」


 優しく微笑み、肩に置いた手は穏やかに触れている。先ほどまで怒っていたとは思えないほどに、温かい表情を見せた。


「ヴィルヘルミナさん。あなたはきっと、自分以外の人生をも背負っているつもりでしょう。他人の命を奪うことに責任を負っていると。でもそれは違います。……人生は殆ど一度きりです。二度目があるとしても、最初の自分とは違う誰かなんです。あるはずだった未来を奪うことの責任を背負える人間はいないんです」


 顔をあげたヴィルヘルミナは今にも泣きそうだった。自分の中にあった価値観が否定されて、どうすればいいのか分からなくなった。正しいことがなんなのか。自分の根幹にあったものを失った気がした。


「では、私はどう振る舞えばいい? 今まで奪ってきた命はなんだったんだ?」


「……あなたは自分なりに背負おうとしてきたはずです」


 するっ、と肩から離れた手。ウォルターは遠くを見つめながら。


「ある男の話をしましょう。たくさんの人の命を奪ってきた男の話だ」


 ヴィルヘルミナが腕で涙を拭い、話に耳を傾けた。


「しかし、その男には事情がありました。優れた魔法使いだったので、たくさんの人間が、その男の持つ知識や知恵を欲して奪おうとしたからです」


 男は立派な魔法使いだった。その代わり、孤独だった。愛情を知らず、友情を知らず、雨に濡れた石のように冷え切っていて動じない。


 そんな男も、やがて歳を重ねると二人の弟子を取った。自分の創り上げる魔導書を継がせるために。そうして共に時間を過ごすうちに二人の弟子と親子もさながらの関係を築いた。だが、それは全て欺瞞のような時間で、男は大切な弟子のひとりに殺されてしまった。なんの抵抗もできずに。


 理由はたったひとつ、男がこれまで戦って命を奪った魔法使いの中に、弟子の両親がいたからだ。そして男は、その罪に対しても大きな感情は抱いていなかった。殺されても仕方ないという顔をして現実を受け入れた。


 殺した弟子はようやく復讐を果たしたと思った。師匠の男を殺したあと、その男の机にある二冊の本を奪い去ろうとした。永久に男の魔法が誰にも継承されないようにしようとした。そのとき、一方の本が魔導書ではないことに気付く。


「────男の書いていた本の一冊は魔導書ではなく、これまで命を奪ってきた者たちの名前が、ただひたすらに書かれていたのです。人の名前を覚えるのが苦手だった男が、殺した人間の顔を忘れても名前は忘れないように書き連ねていたものでした。男はそうする他ないからそうしただけで、殺したいわけじゃなかったから」


 ヴィルヘルミナは、目を見開いて驚いた。涙も渇き、言葉だけがぽつりと。


「それは……アルベルの……」


「ええ。アルベルはそういう男でした」


 ウォルターは言葉を途切れさせたヴィルヘルミナを横目に言った。


「背負えるはずもない責任の取り方が分からず、せめて名前だけはメモしていたんでしょう。覚えておくことが僅かでも贖いになると思っていたのです。……そういう時代だ。千年前は誰もが残酷な時代だったので」


 悲しそうに、悔しそうに、ウォルターは唇を噛み締めた。


「でも今は違う。誰かの命を奪うことが正しさに繋がる醜悪な時代ではない。今の時代では、人の死に大小などありません。些細な理由で命を奪った瞬間から、あなたは怪物になるしかない」


「……誰も殺すなということか。相手が殺意を持っていても?」


 ウォルターはゆっくり首を横に振った。


「殺さねば終わらないのであれば、それは仕方ないかもしれません。ですが、そこまで行けば、もはや相手は怪物です。容赦はしない方が良い。────あなたなら、その善悪の差が分かるはずでしょう?」

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