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秘術使いの理想郷─ヴィルヘルミナの物語─  作者: 智慧砂猫


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第35話「最高にクゥールな男だ!」

「ミナ、また何かしたの?」


「馬鹿言うな。少々野暮用があって頼んでいただけだ」


 ホームルームは簡素に終わり、先に演舞場へ行くようにアレックスに伝えたら、待っているウォルターに近寄り、煙草の臭いにムッとする。


「まだ学院内で吸ってるのか?」


「生徒たちが残ってるのにやめてください、評判が悪くなるでしょう」


「なればいい。魔塔主ともあろうものが煙草など……」


「年寄りみたいなことを言いますね……。まあ、それは後回しで」


 これ以上の小言は聞いていられないとウォルターが遮り、教室に自分達だけが残ったのを確認してから本題を口にする。


「決闘の日取りが決まりました。場所は魔塔の地下にある試験場です。主に戦闘用の魔法開発などに使用される広い場所で、構造物としての強度も確かだと断言しておきましょう。今日の放課後、時間はありますよね?」


「急だな……。今朝、アレックスと文房具店へ行く予定だったのだが」


 ウォルターが目をぱちくりさせて驚いた。


「あなたが誰かと買い物なんか行くんですか」


「間違ってはいないんだが押されて断り切れなかった」


「ですが、何がなんでも今日だと、今朝押し切られてしまって」


「お前も私とそう変わらんようだが……まあ、構わないさ」


 学生の身分なら予定などいくらでも都合が利く。極端に早めることによって、デヴァル家に介入の隙を与えようとしない。わざわざ魔塔までやってきて『小娘を今日中に寄越せ。たかが子供だ、時間の融通くらいできて当然。来ないのであれば、決闘に背を向けたことにする』と強引に迫ったのだ。


 ウォルターも、不服だが相手が相手なだけに無碍なこともできなかった。


「なんなら欠席扱いにして今からでもいいんですよ?」


「授業くらい出席させてくれないか。……楽しくなってきたところなんだ」


 頭の中にはフランチェスカとアレックスの笑顔が浮かぶ。同室としての付き合いも馴染んできた、最も仲の良い友人。少しうるさいが退屈しない底抜けの明るさを持つ同級生。なかなかどうして悪くない、と微笑む。


 ウォルターは疲れたように息を吐く。


「あなたでも、そんなふうに笑えるんですね」


「駄目なのか?」


「いえ、そういう印象が無かっただけです」


 黒い小さなボードを片手に肩をとん、と叩いてウォルターはニコッと笑う。


「では放課後にお会いしましょう。私は少々、準備がありますので」


 くるりと背中を向けて教室を出て行こうとするウォルターが、一度だけ小さく振り向くようにヴィルヘルミナを見てボソッと呟いた。


前のあなたも(・・・・・・)、今みたいだったら違ったのかな」


 何か言った、とは思った。だがヴィルヘルミナは上手く聞き取れなかった。ただ、どこか寂しそうな顔を一瞬だけ浮かべたウォルターに、あれもまた苦労の多い奴なのだろう、と感想を抱いて演舞場へ向かった。


 静かな廊下。重なって響く靴音。小さな体が生きている。それなりに平和に過ごしている。かつて生きていた男の人生は、とても生きているとは呼べる代物ではなくて、まるで無機質が服を着て歩いていると言ってもおかしくなかった。


 あのときは幸せだったのかな、と。ふいに窓に薄っすら移った自分を見て、ヴィルヘルミナは思考に浸りながら歩いた。ひたすらに魔法を愛したがゆえに、他の何にも見返りを求めず、振り向きもしない。誰かの笑顔を見て何も感じなかった日々。日常にある色は、ただ塗りたくっただけで、そこにイメージはなかった。


「贅沢、なのだろうな。私らしくもないことばかりしてる」


 最初は何かの罰だと思った。以前の自分の力を持っていたことだけが不幸中の幸いで、与えられた少女の体も、孤独な境遇も、かつての自分が積みあげてきた悪が崩れて圧し掛かったに過ぎない。だから今回くらいは真面目に生きてもいい。人間らしさと言うものを学んで、昔の自分とは違う生き方をしてみようと。


 なのに、今はどうだろうかとヴィルヘルミナの足はゆっくり止まった。


「……幸せになっていいはずがないだろうに」


 今の小さな手にも、血がべったりと付いて見える。そうするしかないような時代であったとして、許される行為ではない。命を奪い続けてきた。なのに、どうしてこうも幸せな気分になっているのか。なってしまっているのか。


 ぎゅっと手を握りしめて、また歩き出す。きっと、この小さな体は、かつての間違いを正すために与えられたものなのだ。神が気まぐれに設定した転生によって生まれた致命的なバグなどではなかったのかもしれない、と。


 演舞場に着くと、皆が真剣な顔をして魔法の基礎を学んでいる。体の内側で生成される魔力を体外に放出する、という魔法の基盤となる技術。これができなければ、魔法使いにはなれない。ヴィルヘルミナは遅れてやってきて、努力する者の真剣な表情を眺めながら────。


「あ、痛っ」


 こつん、と額に何かが飛んできた。ひりひりする額を擦り、足下に転がった何かを拾う。包みに『元気の出るキャンディ』と書いてある。何かそういう成分でも入っているのだろうか、と中身を開く。


「何を勝手に食おうとしてんだ、てめえは」


「むぐ……。私に投げたのなら、私のものでは?」


 目の前には、とても教授とは思えない男がいる。まだ三十代くらいで、ポンパドールをテカテカさせている。強面の顔と学生チックな服装は教授というより不良だ。初めて会う人間にとって、あまりにも威圧的な外見だった。


「ソイツは俺の昼飯なんだよ。返せ、コラァ」


「えっ、口の中に放り込んだものを……?」


「天然なのか馬鹿なのか知らねえが、新しいのを買って返せつってんだよ!」


 怒られているのに、なぜか絵面が面白く感じて緊張も何もない。ヴィルヘルミナは舌でころころと口の中で飴玉を動かしながら嫌そうに目を細めた。


「教授殿は生徒に昼食を買いに行かせるのか。しかも飴玉とは驚いた」


「うるせえな、今月は金がねーんだよ。なんなんだ、お前?」


「ヴィルヘルミナ・デヴァル。魔法学院の一年だが」


「知ってるわ! どういう神経してんだって言ってんだよ!」


「では次は教授殿が名乗ってくれないか。まだ全員の顔と名前が一致しない」


 まったく動じないヴィルヘルミナに諦めて、男はがっくり肩を落とす。それから気を持ち直して、ばしっと胸を張りながら自分の胸にどんと親指を立てて。


「俺はジョー、ジョー・ブルース! てめえらが二年になったら戦闘術コースで教える予定になってる最高にクゥールな男だ!」

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