第32話「お前は優しいよ」
「……わかりました、こちらからお伝えしておきます。具体的な決闘の場所や日時についても、私から交渉します。よろしいですか?」
魔塔主が間に入った方が確実だ。ウォルターを頼るのは不満だったが、贅沢は言えない。問題になってしまった以上、ヴィルヘルミナも責任を理解している。
「異論はない。うまく伝えてくれると助かる」
「傲慢なところが素敵ですよ、お嬢さん。では、また明日にでも」
お喋りがいなくなって医務室が静かになる。これといった会話もなく、ほんの少しの沈黙が流れてから、フランチェスカがくすっと笑った。
「なんだ、何か可笑しなことでも」
「いや、お前って無愛想だけど優しいよなって」
「……私が? 優しい?」
驚いて目を見開いた。この娘は何を言っているのだろう、と。フランチェスカは当たり前のことを言っているつもりで、うんうん、と微笑んだ。
「お前さ。いつも分かりにくいけど周りのことばっか気にしてるし、魔法バカなとこあるけど、皆に才能があるって言うじゃん。そんで、いざってときに助けてくれる。別になんのメリットもねえのに手を差し伸べてくれたろ」
ヴィルヘルミナの手を取って、まっすぐ見つめる。
「ありがとうな。アタシ、お前がルームメイトになってくれてよかったって思うよ。でなきゃ今頃、此処にはいない。もっと前に退学してたかもしれねぇ」
満面の笑みが眩い。輝いて見える。類稀な才能を持ちながらも、それを制御できず。誰からも救われるはずのなかった少女が新たな道を見つける切っ掛けとなったヴィルヘルミナは、まさしく恩人だ。がさつで気が強い分、周囲からも敬遠されがちで手を差し伸べられず、フランチェスカはずっと孤独だった。
「お前は優しいよ、ヘルミーナ。これからもそうであってくれ」
「……私は」
誰かに手を差し伸べたことはない。そう思っていた。学院に来てからもずっと、誰かの助けになったつもりはなかった。自分なりの判断で、自分の動きたいように動いてきたつもりだった。何かを成すことに代価はあっても見返りはない。それでも、別にどうでもよかった。アレックスが、フランチェスカが、ただまっすぐ魔法を愛してくれるようになってくれれば。
自分が幼かった頃、ただ純粋無垢に魔法が好きだったように。
「私は優しくないよ、フラン。気まぐれで、自分勝手に振舞って生きてきた。ただひたすらに魔法が好きなだけで、そのせいで大切な人を傷つけたこともある。きっと、そいつは魔法を嫌いだったかもしれない。私は……私は自分の好きなもので、誰かが不幸になるのは好きじゃない」
合理的に判断するのは、それが最低でも間違いでないから。感情を表に出さないのは全部、全部、自分には必要ないと切り捨ててきたから。
世界に生まれ落ちたときはどこにでもいる平凡な性格の人間だったはずなのに、どこかから歯車が狂ってしまった。愛する母親の手を最後に握りしめたのはいつだっただろうか。愛する父親に抱き締められたのは、いつだっただろうか。
何もかも忘れた。忘れていた。温かい心の大切さなど見失っていた。前世の自分は十代の頃には独りだったから、いろんなものを忘れて生きてきた。
『世の中を生きる全ての人たちの殆どが愛情に飢えている。誰からも救われない。誰からも愛されない。誰からも認められない。そんな人たちに手を差し伸べられるような人のことを、優しい人だと言うのだろう』
初めてマーロンに会った日。優しいとは何かを尋ねたときの言葉が脳裏に蘇った。誰からも救われなかった。誰からも愛されなかった。誰からも認められていた気はしたが、そこはそれ。手を差し伸べてもらえた経験はなかった。
否。差し伸べられた手など、気付きもしていなかったのかもしれない。
『ありがとうと言われたら、誰だって気持ちが良いものだろう?』
ああ、気持ちが良い。心が温かくなる。笑顔が眩しく見えて、胸の奥が何かで満たされる感覚があった。今まで感じたことのない感情を嬉しく思えた。
「ヘルミーナ。優しいってのは、自分で思うことじゃない。だから分からないんだよ。優しいが何かなんて基準は皆違う。でも、そのために必要なものは皆が同じだ。相手を想えるってこと。お前にはそれができたじゃねえか」
できた。できたのだろうか。できたのかもしれない。ヴィルヘルミナは自分の中に芽生えたものが、確かに前へ進めるよう道を示してくれたのを感じ取る。
「……私にはやっぱりまだ分からない。だけど、ありがとうと言われて、確かに悪い気はしない。人に感謝されるというのは良いことなんだな」
誰かの感謝を受ける生き方など、一度もしたことがない。礼を言うのは社交に必要なものだからと感情も乗せずに言葉にすることはいくらでもあった。だが、かつて秘術使いとして生きた頃、誰かに愛されたことなど、あったのだろうか?
そういう生き方をしてこなかった。それだけで愛されてなどいなかったし、愛される意味も愛する意味も分からなかった。不要なものだと切り捨ててきた。誰かと肩を並べたことが一度もなかった。心の距離はいつも開いていたから。
「お、おい。泣くなよ、そんな良いこと言ってないぞ」
「……え?」
頬を伝う温かな感触。目から溢れて来る涙が不思議だった。なんのために流れるものなのか。なぜ流れてきたのか。分からない、何も。
だが、どうしてかそれは、良いものだと思えた。
「ただの現象だよ、フラン。私にも分からない。だが、うむ。……お前と友人になれて良かったと、今は思う。此処へ来た意味は確かにあった」
袖で涙を拭い、ニヤッとする。以前よりもずっと感情の籠った顔だった。
「私は帰るが、お前はどうする? 此処で一晩を過ごすか?」
「嫌だよ。センコーと語り明かせんのは勉強の話だけだろ。やってられっか」
「なら一緒に帰ろう。お前のオムライスが食べたい」
「はいはい、作ってあげますよっと。助けてもらった礼をしないとな?」




