第29話「無視できない事情」
許可が下りた、とヴィルヘルミナは判断する。実際に邪法使いを倒すために育てられる魔法使いたちがいる以上は、殺害以外の方法で止める手段などない。生け捕りにできれば運が良い。それほど敵も強いことをウォルターは言っている。
だから、やりやすい。ヴィルヘルミナにとっては殺さない方が難しい。ネイロンのように心をへし折れる〝普通の人間〟ならば、魔法による武力制圧など必要もないが、邪法使いになった者の精神状態はまともであるはずがないのだ。
他人の命をどうとも思わず、なんらかの目的で徒党を組み、非人道的な実験を繰り返す思考の複雑さは対話でどうにかなるものではない。千年前の魔法使いたちの中にも邪法使いと呼ばれる者たちと同様の存在はいくらでもいた。
「気を付けてくださいよ。彼らは魔力を多く持つ人間を好んで攫う傾向があります。あなたも例外ではありません。一筋縄ではいかないこともあるでしょう」
ウォルターの忠告など然して気にすることではない。一度は死んだ身、次に命を奪われるのだとしたら、それは自身が弱いからに他ならない。であれば受け入れるまでだとヴィルヘルミナは当然のように受け止めた。
「御忠告どうも。お前も、子供の前で煙草を吸うのくらいはやめておけよ」
「……それは失礼しました」
やれやれ、といった顔で煙草を足下にぽとりと落として踏み消す。ヴィルヘルミナは、その瞬間に振り返ってぎろっと目を細めて睨む。
「学院は子供の学び舎だ。煙草の吸殻を放置する馬鹿な真似をするつもりなら、少々反省を促さねばならないが?」
「あはは、まさか。きちんと拾いますよ。ええ、拾いますとも」
仕方ないなあと笑いながらきちんと回収する。他人にまるで興味もなさそうに見えたヴィルヘルミナが気を回しているのを見て、ウォルターは意外に思う。
「あまり関心がないように思っていましたが」
「多少の常識くらいは備えているさ」
うんざりした溜息を吐く。ウォルターの考えていることなど大体は分かっている。相手にするのは時間の無駄だと、それ以上は喋ろうともしなかった。
「(今の魔塔など覗くにも値しない。何を企んでいるかは知らんが、これ以上、奴の企みに関わることはないだろう。だが、今はそれよりも……)」
気になるのは邪法使いが潜り込んでいるということだ。気配を消し、学院内部のどこかに身を潜めて獲物を探す者たちの狙いは、自分達の実験材料。豊かな才能を持ちながら、まだ未熟で戦う術を知らない子供たち。
「(私の時代にも、似た連中の存在は耳にしていたが、千年経っても人間の本質にある残酷さは変わらないものだな。柄ではないが目の届く範囲で手助けくらいはしてやろう。……フランチェスカが狙われないといいんだが)」
別に誰が傷付くことになろうと、知らなければ心が痛むこともない。だがフランチェスカは別だ。知り過ぎた。自身の愛弟子と姿を重ね、無意識のうちに手放したくないものになるほど、短い間でも近い距離が関係を構築した。
なんとなく胸の内がざわつきながらも教室に戻ろうとしていると、ふと離れた木陰に誰かの姿を見つける。丸い眼鏡をかけた青年が蹲り、ぐすぐすと泣いていた。頬にはあざがあり、殴られたのだろうか、とヴィルヘルミナは近寄ってみる。
「おい、お前。ここで何をしている?」
「うわっ。……あ、え? 君は?」
「お前は質問に質問で返すのが礼儀なのか」
青年がヴィルヘルミナの不快そうな顔に怖くなってどきっとする。
「ち、違う。ごめん。ただ、授業中なのに僕以外に誰かいると思わなくて……」
「そんなことは聞いてない。ここで何をしているのか、と聞いたんだ」
「あっ、えっと……」
言葉にするのは恥ずかしいのか、気まずそうにモジモジする。はっきり言わないことにヴィルヘルミナは面倒くさそうに踵を返す。
「もういい、聞くだけ無駄だった。帰る」
あっさりと。無理に聞き出そうとも思わないし、勿体ぶるのは聞こうと思えない。切り捨てられたと思った青年は、縋るように背に叫んだ。
「い、いじめられてたんだ!」
「……それで?」
「何もできなくて、泣いてた」
青年は悔しそうに俯きながら、名前を名乗った。
「僕は二年のクルト。成績は悪くないけど、特別良くもない。見た目はガリ勉っぽそうなのにね。気が弱くて、だからいじめられてる」
「それは大変だな。解放されることを祈っているよ」
じゃ、と小さく手を挙げてさっさと立ち去ろうとするヴィルヘルミナに、クルトは足を止めてもらおうと話を続けた。
「二年のレオ・グランサムって子に因縁をつけられたんだ。いつも取り巻きの二人を連れ歩いてて、気に入らなかったら教師でも生徒でも暴力を振るうし、服従させようとしてくる。さっきまでは僕がいじめられてたんだけど、割って入ってくれた子がいて助かったんだよ。女の子だったから心配で……」
下らなさそうにヴィルヘルミナはふんっと鼻を鳴らす。
「自分より生物的に弱い相手に助けられて、何をへらへらしている。心配ならさっさと助けにいけばいい。それとも、また誰かに助けてもらおうとでも?」
言い返せないクルトが、また悲しそうに俯く。
「わかってる。わかってるよ。でも、僕には助けられない。とても強そうな女の子だったけど、レオはただ暴力的なだけじゃなくて魔法使いとしても……」
「ああ、わかったわかった。聞きたくない。その女子の名前は分かるか?」
同じ二年なら、演舞場に戻って煙草でも吸っているであろうウォルターに伝えておくのも悪くない。自分が割って入る手間が省けるだろうと尋ねた。
だが、名前を聞いた瞬間に、その考えは突風に襲われたかの如く消え去った。
「────レオがフランチェスカって呼んでたよ。綺麗な金髪の子だった」




