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秘術使いの理想郷─ヴィルヘルミナの物語─  作者: 智慧砂猫


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第23話「理由が必要だ」

 数秒の沈黙。ヴィルヘルミナは単純な問いを投げた。


「優しい大人ではない、ということは少なくとも、お前は優しいというものを知っているのではないのか」


「さあ、どうでしょう?」


 んふふ、と笑って、煙を吐く。ウォルターは愉快にもヴィルヘルミナという人間の反応を窺いながら、さらりと次の言葉を紡ぎだす。


「優しいというのは人間のアイデンティティであるべきカタチのひとつに過ぎません。いわゆる理想論です。私は少なくとも、その枠組みにはいない。だから優しいとは何かを知っている必要はなく、枠組みから外れている時点で優しい人間ではないと定義付けられるわけです。……おや、ご不満そう」


 言葉巧みに逃げ回るのが飛び回る蠅を思い出して、ヴィルヘルミナは自然と苦い顔をする。理屈で生きた人間にとって最も不快なのが、また別の理屈で生きる人間。互いに反発しあう考え方は、より溝を深める原因になる。


 心から、この男は嫌いだと評価を定めた。


「まあ、なんにしても私はあなたの望みを叶えられるほどの傑物ではありません。正しい人間的な善性を求める気持ちは分かりますが、わざわざ持たないもの、持つ必要のないものまで手に入れる必要なんてあります?」


 問題提起は正しく、ヴィルヘルミナも既に通った道だ。手に入れる必要などないのかもしれない。魔法使いとして大成する者は往々にして感情に疎い。自己中心的で理屈をこね、うんざりするほど研究に一途だ。


 しかし、違う。ウォルターの考え方とは相いれない部分がある。


「知るは欲するに勝るものだ。必要か不必要かで語るものではない。目の前に転がった不可思議な知識は古文書のように紐解き、理解すべきだろう」


 退屈そうにウォルターが煙草を足下に捨てて踏み消す。


「でも英雄はそれ(優しさ)を持たなかった。私たち魔法使いの象徴たるべきアルベルは、その感情を持たず、善行とは縁がありませんでした。大成するのに不要なものをそぎ落とした魔法使いの完成型。まさにロールモデルです」


 ちくり、と痛む。ヴィルヘルミナはまさに当事者だったから。


「かの英雄を私怨で殺害した挙句、神秘を秘匿した弟子の魔法使いは拷問の末に殺されましたが、まあそれも自業自得でしょう。ともすれば、アルベルが殺害されたのもまた自業自得ではありますけどね。たくさん殺してきたそうなので」


 否定できない。同時に、悔しさが滲む。自分の不甲斐なさゆえに転生したのは理解している。だからこそ理解したかった。最も才能が有り、育てたいと自ら誘った弟子に殺されたときの『優しい心を持っていれば』という言葉を。


 善行を積んでもいいと思ったのも、それが理由だ。ヴィルヘルミナには最も難しく、生前の自分が行わなかったことが原因だと断定できたからだ。


 その目的を根底から否定されると、返す言葉が出てこなかった。


「まあ、全てが私の言葉通りに正しいとは言いませんよ。大人になるというのは、あらゆる経験を編纂し、積み重ねてきた結果に則ったものです。そうして大人は自分に都合の良い価値観で生きていく。その先に待つのが怪物の姿だとしてもね」


 俯いてしまったヴィルヘルミナの頭をぽんぽんと撫でて、ウォルターは去っていく。可能性の種は撒いたから、どう育てるかは本人次第だ、と。


「学院に通っていれば、そのうち優しさを知ることもあるでしょう。あなたもよくよく積み重ねて、自分なりの答えを見つければよろしい。そして、もし、あなたが答えを得られなかったときは────魔塔へ来なさい。我々は歓迎しますよ」


 足音だけが聞こえる。遠のいて、いつか消えてなくなる。


 心が痛んだ気がした。今まで感じたことのない痛みだった。


「……雨」


 ぽつぽつと降り始めた雨が、冷たい石畳に吸い込まれていく。やがて本格的に振り出しても、ヴィルヘルミナは動けなかった。理解ができず思考が停滞した。優しくある必要がないとしたら、自分の生まれ変わった意味はどこにあるのだろうか。人形のように昔と同じことを繰り返す意味はない。


 優しくある必要がないのだとしたら、何をして生きれば良いのだろうか。


「おいおい! いつまでも帰って来ないから居場所聞いてすっ飛んできたけど、雨も降ってるってのに何してんだよ!? 風邪引いちまうぞ!」


 駆け寄ってきた誰かの荒っぽい声と、それとは真逆に穏やかで温かみのある雰囲気が、冷え切ったヴィルヘルミナを僅かに現実へ立ち戻らせた。


「……フラン?」


「お。初めて名前で呼ん……愛称! なんだよ、お前もアタシのこと親友って認めてくれたか? ったく、顔には出さないくせに可愛い奴め!」


 腕に提げるように抱えていた自分のローブをヴィルヘルミナに着せる。フランチェスカの魔力で雨を弾く特別仕様で、レインコートの代わりになった。


「なにはともあれだ。さっさと戻ろう、アタシまでずぶ濡れになる」


「……すまない、迷惑をかけた」


 素直に謝られると思っていなかったフランチェスカは、曇りに曇ったヴィルヘルミナの表情を見て何かがあったことは悟っていたが、おくびにも出さず、ただ笑顔を見せて肩を抱き寄せながら歩いた。


「いいってことよ。帰ったらメシを作り直そうぜ」

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