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秘術使いの理想郷─ヴィルヘルミナの物語─  作者: 智慧砂猫


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第19話「正すべきもの」

 ネイロンは、生まれて初めて恐怖を感じた。


 自分はエリートだと信じて疑ってこなかったが、世の中には自分より上がいるのを魔塔に入って思い知らされた。だが、それでも大勢の人間よりは優れた能力を持つことに自負があった。魔塔に入れない人間の方が遥かに多いのだから、と自分を信じてきた。悪い方向には作用したが、純粋ではあったのだ。


 静かに積み上げてきたものは豪快な音を立てて崩れていった。


「ひっ……! ま、待て、殺すな! 俺が悪かったから……謝る、小娘だと馬鹿にしたのは謝るよ! 魔法使いもやめるから、どうか……どうか……!」


 恥も外聞もない。今ある目の前の恐怖から逃れるためであれば、謝罪などいくらでもする。魔法などいくらでも捨てられる。助かるためであれば。


「私は別に、魔法をやめることは強制しない。好きにしろ。だが、己の視野の狭さで他人の可能性までは奪うことは許さない。それだけだ」


 勝敗はついた。圧倒的なまでの存在感による、意識の殺人によって。


 目に映った非現実という名の現実(リアル)がネイロンを幾度と殺した。もう、彼に戦う力はない。誰かを蔑むほどの自尊心さえも粉々に打ち砕かれた。


「さて、それでは……」


 ヴィルヘルミナが自分の肩に手を置き、ゆっくりとなぞるように胸へ運ぶ。じりじりと服が燃えて灰になり、皮膚には大きく焦げた火傷を負っていく。


「は……な、なにをされて、るんですか?」


 ネイロンが恐る恐る尋ねると、ヴィルヘルミナは淡々と答えた。


「このまま結界を解けば、お前は魔法使いだけではなく人間としての尊厳すら失うだろう。子供の好奇心は狂気に最も近い。とんぼの羽を千切るみたいに、お前のことも指先で殺す。背中を突かれて生きるのは辛かろう」


 皮膚が焼け、どろりと溶けたような状態にも関わらず、ヴィルヘルミナは顔色ひとつ変えなかった。そして、ネイロンに傷ひとつ与えず結界を解いた。再び世界との時間が再接続され、あらゆるものが動き出したとき、人々はざわついた。


 突然、黒い天蓋に二人が覆われた数秒後。何も見えなくなったと思った次の瞬間には砕けて、戦いは終わっていた。それも、ネイロンの敗北という形で。


 ヴィルヘルミナはそのまま帰ろうとして、下した相手の肩にぽんと軽く触れる。本人にだけ聞こえるように、すれ違いざまに囁いて。


「一流になりたければ審美眼でも磨くことだな、三流魔法使い」


 言葉など聞こえていないだろう、心ここにあらずといった様子のネイロンを背に勝者は演舞場を立ち去った。生徒たちの歓声や動揺のざわめきなど気にも留めずに、自分の成すべきことを成したと満足して。


「ちょっと。待ちたまえよ、ミナ」


「ん?」


 帰り道、追い掛けてきたアレックスが困惑の眼差しを向ける。


「どういうことだい、あれは。ネイロン教授との決闘で何があったんだ、君もすごい火傷じゃないか。早く保健室にいって手当を────」


「要らない。これは自分でつけた傷だ、治すのも容易いようにしてある」


 胸の傷口に手を置き、今度は肩へ向かって手を運んだ。傷は痕も残らない。


「治療魔法まで使えるのか!? 痕も残らないなんて、かなりの高等技術じゃ……」


「できたらおかしいことなのか?」


「少なくとも学生が使えるような魔法じゃない。それに、」


 目の前にいるのは少女なのか、それとも悪魔なのか。アレックスもまた、ヴィルヘルミナの巨大な存在感が肌にべたりと張り付いて離れなかった。


「あの黒い結界、あれは何?」


「《冥業の帳》という結界だ。外部との時間を隔絶する空間を創り、恐怖を相手の精神に埋め込む。ただし、相手が私より精神的に弱いことが前提だが」


 当たり前のように語っているのを聞きながら、アレックスは『この子と精神的な面で並ぶ人間いるのか?』と首を傾げたくなった。


「言ってることはなんとなく分かるよ。でも、それ以上に不思議だ。結界魔法なんて、使える人間に相当の魔力がないと無理だ。たとえ小規模でも」


「私にはそれくらいの魔力があるからな。だが、私に限った話ではないぞ」


 できる人間は他にもいる。既にヴィルヘルミナは目星をつけていて、自分の弟子にしたいとさえ思っていた。磨けば光る才能を花開かせるには、ただ自己学習や周囲との共同研究だけでどうにかなるものではない。


 優れた師が必要だ。最低でもヴィルヘルミナ自身か、基準を満たす者が。


「君はさ。この学院に通うまでもないほど優秀な魔法使いだ。多分、魔塔主にも並ぶかもしれない。結界魔法を単独で展開するなんて常軌を逸してる。何が目的で、魔法学院なんかに通うことにしたんだ?」


 さて、答えるかどうか。ヴィルヘルミナの異質さに自身の命すら危うく感じるアレックスだったが、返ってきた答えは素っ気ないものだった。


「優しいとは何かが知りたかっただけだ。だが、此処にはなかった」


 自分の理解から外れた思想。優しい心とは何なのか。善行とはなんなのか。学院に来て多くの人間を観察すれば分かるかもしれないと思ったが、生憎とヴィルヘルミナの想像するものとはかけ離れた、思想と道楽に生きる人間たちの世界でしかなかった。学ぶことなど、此処にはありはしないと思った。


「とはいえ、このまま放置する気もない。ネイロンが許されていたのであれば、この世界の魔法に対する認識の設計は間違っている。正さねばならない」


「……はは、大それた目標だね。魔塔主になって世の中を変えようって話?」


 そんなことができるものか。たとえ優れた人間であっても、その優れた人間の中から、さらに優れた一握りの人間。そこから、またさらに選別された一人のみが魔塔主の座をほしいままにする。いくらヴィルヘルミナが常軌を逸していたとして、魔塔主になるのは簡単な道ではない。────と、アレックスは思考する。


 しかし、視野の狭さを叩きつけられる。ヴィルヘルミナは、淡々とした口調でアレックスの幾らか侮った物言いに対して感情を僅かにも波立たせずに言った。


「たかが魔塔主如きの座など興味もない。程度の知れた人間が階級などと下らんものを創り上げ、自分達に都合よく設計した制度に過ぎん」


 遠くを見つめて、ヴィルヘルミナは方針を決めるように────。


「正しい魔法の在り方を改めさせるには力を示すだけでいい。実力主義の社会だと言うのであれば、ちょうど今の私にはお誂え向きだろう」

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