第18話「悪魔のように」
誰もが、魔法に自由であるべきだ。学ぶことも、やめることも。全ての人間には才能があり、全ての人間には機会が与えられている。これは奪うことを許されない絶対的不可侵領域だ。誰かの言葉で傷をつけることは許されない。
だが、今の世界はどうだ、とヴィルヘルミナは怒りを覚えた。
強ければ正義か。賢ければ正当か。経験が豊富であれば従うべきか。違う。あらゆる事象には覆る瞬間がある。強いと思われたものが敗れ、正しいと思っていた知識が誤りであり、過ぎた経験はときに選択の幅を狭めてしまう。
「わかっていない。誰も、何も。私が変えなくてはならない」
子供の。それも少女の戯言。男尊女卑は過去にもあった。特に魔物との戦いにおいては女は男に劣るものだと。生物学的にそうなのだと誰かが言った。
果たして、そうなのだろうか? だとすると、今のヴィルヘルミナもそうでなければならない。だが、その実力をいかんなく発揮できたなら。アレックスやフランチェスカがふるいに掛けられ、侮られることもない。
そのための一歩としてネイロンに実力の差を理解させる。どうにもならない壁というものに恐怖を抱かせる。見下した代償を払わせるために。
「来るのが随分とゆっくりだったな、デヴァルの娘。その小さな頭で、俺との決闘でどう勝つかでも必死に考えてきたのか?」
演舞場では、ネイロンが堂々と立って待ち、生徒たちは観客のように離れた場所から遠巻きに見ている。これから起こることを見届けようと好奇心が場を支配する。どちらが勝つにせよ負けるにせよ、彼らには愉快なイベントに過ぎない。
ただ、負けた方は敗北者というレッテルが貼られ、後ろ指を差されて笑われる。それだけが紛れもない事実として突きつけられるだろう。
「ああ、色々と考えた。お前のような魔法使いに学ばせてやるにはどうするべきか。じっくりと時間を使ったよ。その間に名案が浮かんだ」
「……仮にも俺は教職だ、腹は立っても『お前』と呼ぶな。それが立場だ」
忠告をヴィルヘルミナは、わざと受け入れたように返す。
「よろしい、教授と呼んであげよう。では話の続きだ。私の名案というのが何であるかと説明してやろうと思ったのだが────その身に分からせるのが早い」
呆れて言葉も出てこないとネイロンは舌打ちして空を仰ぎ、怒りを自制する。ここまで不遜な態度を取れる子供など初めてみた。きっとこれは自分に与えられた試練のひとつなのだと言い聞かせて、冷静さを保とうとする。
「ふふ、いいだろう。お前に社会の現実を教えてやる。学院に入って間もない世間知らずのお嬢様には、口で言ったところで理解すまいよ」
ネイロンは祈りを捧げて育てられた聖樹を削って作られた杖を持っている。使用者の魔力による効率を倍に跳ね上げる最高級品質の魔導具であり、そう簡単には手の出るものではない。ヴィルヘルミナはそれを嗤った。
「生徒との戦いに持ち出すにしては随分と出来の良い代物を持ち出したな。教授殿には良く似合っているよ。────では始めるとするか」
一方、ヴィルヘルミナの手には何もない。何も持たない。持つ必要がない。戦闘行動において重要なのは本人の魔力以上に、技術である。魔道具もなく完璧に魔法を使いこなせるのであれば、魔力効率は十を一にすることも可能だからだ。
両手を胸の前でがっちりと組み、小さく呟く。
「────《冥業の帳》」
湧き出す水の如く、ヴィルヘルミナの足下から広がる黒く濃い影。ペンキで塗り潰すように広がった影はやがて空へ昇り始め、天蓋を作り、ヴィルヘルミナとネイロン、二人の魔法使いを世界から隔絶する。
「な、んだこれは……!? 結界魔法……たかが子供が!?」
結界をつくりあげる魔法において、その消耗は人間の命をも奪いかねない膨大なものとなる。単身がそれを成すには虫が火の中へ飛び込むような無謀。しかしヴィルヘルミナの秘匿された膨大な魔力は海にも匹敵する。たとえ結界魔法といえど、彼女にとっての消耗は数歩を歩くのと変わらない。
「この結界は外部との時間の連結を断ち切った空間。我々の成長や老化といった概念とも切り離される。結界内部では数年単位で戦い続けたとしても、世界そのものの時間は数分しか経っていない。外部との接続し直すことで、私たちの時間がリセットされると言えば分かりやすいか」
首を擦りながら、傾けてボキリと鳴らす。敵意に満ちた眼光は、狩人のそれだ。ネイロンという男の振る舞いの数百パターンを思考。例えどう動いたとしても、徹底して仕留める構えだった。
「魔法使いの決闘は古代より変わらないのだろう。ルールは単純、どちらかが死ぬか気絶するか、あるいは敗北を認めるまで戦う。さあ、どうする?」
たったの一歩。詰め寄られた瞬間にネイロンの思考は完全に進むべき道を失った。目の前にいるのが少女の姿をした悪魔だと思うようになった。恐怖心は彼にがむしゃらな行動を与え、決まった動作をするカラクリとして杖を差し向けた。
「ふっ……ふざけるな! 俺がこの程度で、臆するわけが────ッ!?」
腕に走った痛み。全身を駆け抜ける衝撃。腕を吹き飛ばされたと直感したネイロンは悲鳴をあげて蹲り、吹き飛んだと思しき腕を押さえた。「腕が、腕が!」とひとしきり叫んだ後、彼は自分の腕があることに気付く。
「あ……馬鹿な、今、確かに……!」
「お前の腕は最初からついてる。私はお前に傷ひとつ与えていない」
緩やかな足取りで近付いてくるヴィルヘルミナの姿が、歪んで見える。極限まで達した恐怖と、放たれた殺気ひとつが死のイメージを植え付けた。自分の腕が飛ばされたという錯覚を引き起こしたのだと理解する。
「ひいぃぃい! あ……悪魔め、この悪魔めが! こっちに来るな!」
杖を捨て、腰を抜かした男は必死に這って逃げようとする。前に出たヴィルヘルミナは逃げ場を奪い、みあげてくる恐怖に彩られた視線を刺すように見た。
「道具に頼らねば戦に立てない。それでは魔力のない人間と、どう違うのだ。制御のままならぬ者と、どう違う。────少々侮りが過ぎたな、ネイロン」




