【一章一話:影語りというもの】
この世には、人の世に紛れ、ひっそりと息づく“不可思議”がある。
それは、時に人を惑わせ、時に喰らい、そして――時に、人へと執着する。
そんな不可思議と対話し、時に闘う者たちがいる。
人は彼らを、「影語り」と呼ぶ。
これは、その影語りとして生きる者たちの物語だ。
「お願いです!お祓いしてほしいんです!お金は払いますから!もう限界なんです!」
「……ちょ、近い、邪魔」
ぐい、と泣きべそをかきながらサラリーマンが手を取って顔を寄せる。その必死な形相から察するに、何やら困っているのは明らかだ。だが、いかんせん勢いが凄まじく、思わず後ずさってしまう。
影語りで構成された会社〈綱干霊障相談所〉。
幽霊、妖、果ては神様まで…恐ろしい“不可思議”に悩まされる人々が駆け込む場所だ。
今日も今日とて、またひとつ依頼が舞い込んできた。
職員の志筑糸弦は、面倒くさそうに曖昧な笑みを浮かべる。
都内から少し離れた小さなビルの一室。
今日、事務所にいるのは職員たった二名。そのうち一人は典型的な怠け者であるため、接客は必然的に糸弦の役目になる。
もっとも、彼自身も接客が得意なわけではないが。
とりあえず落ち着いてもらうためにテーブルに置いてある茶を勧める。
「それで、何が起きたんです?幽霊?妖怪?それとも神様?何に手を出したんですか」
「……そ、れが…。…実は…呪いの儀式を行ったんです」
神妙に男はそう話し始めた。なるほど、呪いの儀式。
こういう依頼はこの会社に来る中でも上位に入る。そもそもそんな危ないものに手を出すなという話だが、オカルト好きには堪らないのだろう。相談は絶えない。「呪いの儀式、というのは具体的に何すか?」
「わかりません。何を呼び出すのかも。たまたま教えてもらって、最近ここらのオカルト好きの間で有名になっている儀式なんです」
そして目の前の男は当時のことをぽつり、ぽつりと語り始めた。
___実は、2週間ほど前、その呪いの儀式の噂を聞いたんです。
結構それが気持ちの悪い内容だったんですが、友人と酒を飲んでいた時に、ゲームで負けたやつがそれをする、という流れになって…。きっかけは定番ですよ。
呪いは5日かけて行われました。
一日目。まず小さな幼虫を暗所で一日過ごさせます。そしてその日の夜、甲虫にその幼虫を食わせます。
2日目。甲虫を一日暗所に置き、そして夜、蜘蛛に甲虫を食わせます。
3日目。同じく蜘蛛を暗所に置き、肉食蜂などに蜘蛛を食わせます。
4日目。一日暗所に置いた肉食蜂をカマキリに食わせます。
5日目。一日暗所に置いたカマキリを、ムカデに食わせます。
この過程で重要なのは、暗所に置くことと、昆虫の種類の中でも肉食を選ぶことです。
そして六日目。瓶にそのムカデと自身の体液を入れて蓋をし、丸一日待ちます。瓶は決して開けてはならず、棚の奥に仕舞います。
それで呪いは完成しました。
本当に、ただの罰ゲームだったんです。友人に毎日メールで確認されていたから、なんとなく続けてしまって。
そしたら、完成したあたりから家で虫の這うような足音がして、キッチンの床に蟻が群がるようになって。それに、最近、虫が妙においしそうに感じるんです。
__ぼ、僕は呪われてしまったんだと気づきました
そこまで依頼者は話し終えると、絶望したような、縋るような表情で糸弦を見た。
糸弦は僅かに目を細める。ぎゅ、と自身の服を握り締め、目の前の哀れな男をみて、ため息をついた。
「…はぁ、なるほどね。…それは疑似蟲毒のようなものだろう。…だが、段階式なだけあってなんとも悪意に満ちている」
そう言って先ほどまでのわずかながらでも配慮のあった接客とは打って変わって、冷たい表情で立ち上がる。
「…悪いが、お前の言うように祓うことがこの会社の理念ではない。お前の望む形になるかはわからないが…まぁ、家くらいはいってやる」
ソファで顔色を失くす男を見下ろし、案内するように告げた。
「お、仕事行ってくんの? いってら~」
立ち上がった瞬間、のんきな声がかかった。声の主は上司の夜清だった。
机に足を放り出し、飴玉をくわえながら手をひらひらと振っている。
「拙者、動きたくないでござる」とでも言いたげなその姿に、糸弦は半ば呆れながら状況を報告した。
「……疑似蟲毒をしてしまった依頼者の家に向かう。何かあればヘルプするから、その時はこの住所に来い」
そう言って、メモを机の上に置く。
夜清はそれをひょいと摘み上げ、飴を口の中で転がしながら笑った。
「はは、ウケる。いいよ。お前がボロボロになってたら見ものだけど」
「はっ、お前が来て足引っ張らなきゃいいけどな?」
糸弦は鼻で笑い、コートを羽織ってドアを開けた。
背後では、夜清の「気ぃつけろよ~」という軽い声が響く。
おどおどと後ろに立つ依頼者を振り返り、「行くぞ」と一言言い放った。




