21 魂の暗夜と最後の選択
聖堂の隅に設けられた牢獄で、エミリアは一人膝を抱えて座っていた。希望という名の光が、すべて消え去ってしまった。
家族は人質に取られ、愛する人は自分を偽りだと思っている。そして自分は人間ではなく神の転生体……すべてが嘘に感じられた。
「もう……どうすればいいのかわからない」
涙が枯れ果てても、心の痛みは続いている。
その時、牢獄の中に幻想的な光が差し込んだ。
「エミリア……」
振り返ると、愛の女神アフロディータが微笑みながら立っていた。
「女神様……」
「ついに、選択の時が来ましたね」
アフロディータが優雅に近づく。
「あなたには二つの道があります。神として完全な愛の力を与えるか、人間として不完全でも真実を生きるか」
エミリアの心に迷いが生じた。
「神になれば……みんなを救えるのですか?」
「はい。愛する家族も、皇帝も、この世界のすべての人々を救うことができます」
「でも……」
エミリアの胸に複雑な感情が渦巻く。
「神になったら、私はもう人間ではなくなる。陛下との愛も……」
「神の愛と人間の愛は違います。神は万人を平等に愛しますが、特別な一人を愛することはありません」
それは残酷な真実だった。神になれば皇帝を救えるが、同時に彼との愛は失われる。
「私は……私は人間として彼を愛したい」
エミリアの声が震える。
「これは偽りじゃない。たとえ運命に導かれたとしても、私の気持ちは本物です」
母親の言葉が心に蘇った。「本当の愛は、相手のために自分を犠牲にすることじゃない。共に幸せになること、それが真実の愛よ」
「お母様……」
エミリアが立ち上がる。
「私は神の力に頼らない。人間として、彼に真実の愛を伝えたい」
アフロディータが感動したような表情を浮かべた。
「その覚悟があるなら……最後の力を与えましょう」
女神の手が光り、エミリアの心に新しいレシピが浮かんだ。
「真愛のスフレ……」
それは命を代償とする究極の料理だった。作り手の生命力をすべて注ぎ込み、食べた人の心に真実の愛を伝える奇跡の料理。
「でも、それを作れば……」
「あなたは死ぬかもしれません」アフロディータが厳粛に告げる。「それでも?」
エミリアに迷いはなかった。
「たとえ死んでも、彼に私の愛が本物だったと伝えたい」
牢獄の小さな窓から見える星空が、まるでエミリアを祝福しているかのように輝いていた。
「お母様……私は自分の心に従います」
その夜、エミリアは最後の決意を固めた。人間として生き、人間として愛し、人間として死ぬ覚悟を。
夜明けとともに、彼女は行動を起こすつもりだった。
一方、別の牢獄に閉じ込められたアドリアンも、一人で苦悩していた。
「エミリア……君は本当に神だったのか……」
しかし、心の奥底では確信していた。彼女の料理に込められた愛情、一緒に過ごした時間の温かさ、すべてが本物だったと。
「たとえ神であっても……僕は君を愛している」
皇帝も、自分の本当の気持ちに気づき始めていた。人間だろうが神だろうが、エミリアはエミリアなのだ。
翌朝、ルシフェルが牢獄にやってきた。
「どうです? 神の力を解放する気になりましたか?」
「いいえ」エミリアがきっぱりと答える。「私は人間として、最後まで戦います」
ルシフェルの表情が歪んだ。
「愚かな……ならば力づくで」
しかし、エミリアの瞳には諦めではなく、静かな決意の炎が宿っていた。




