カフカの「城」について
いま、大変苦労しながらカフカの「城」(池内紀訳)を読んでいるところ。いや、もっと勤勉に読めば苦労しない気もするけど。
測量士として城の主に雇われたと称する男Kが、雪深い、まともな交通機関とてない村(その割には電気は来ているし、電話もある)を訪れる。そして、何とか自分がれっきとした雇われ測量士だということを、城に従属する(隷属する?)人々に認めさせ禄を食もうとする。そのため、「審判」の裁判所と同じように存在目的不明の官僚機構を擁する城、というかむしろ、城そのものがその官僚機構そのものなのだが、とにかく、その城に何とか登ろううとしながら果たせない、という小説。筋書きについては以上ご承知のとおり。
おかしいというか、小説としてのおかしさではなくて、この小説の世界のおかしさを幾つか挙げてみる。主人公は測量士を自称しているが、測量士としてなにをするのかは全く明らかにはしていない。小説は、自分が測量士として雇われたということを、あれやこれの方法で役人に渡りを付けて職を得ようとする苦闘に終始していて、結局、測量の仕事などは全く登場しなどしない。
主人公は端から喧嘩腰で、まず彼を測量士と認めなかった木っ端役人の若造に対して自分が城とつながりのある人間であることを示しえた際に、実に奇妙な感想を漏らします。少し長いですが、引用。
Kは聞き耳を立てていた。城は彼を測量士に任じたわけだ。それはKにとって、一方では不都合はことだった。というのは、城では彼についてすべてを承知していることを示しているからだ。力関係をはかった上で、戦いをこころよく受け入れた。だが他方では好都合でもあった。というのはKの考え方によれば、それはKを過小評価していることを意味しており、そもそものはじめからずっと自由あるというものだ。さもおうように測量士として認め、それでもって、これからもおとなしくさせていられると思ったら、大まちがいだ。(白水社カフカ・コレクション「城」12ページ。以下、引用は全て同書)
唐突に、主人公Kと城の関係は「戦い」として定義されてしまう。仕事をもらいに着てこの有様。戦いの争点である「測量士としての任命」について、この直前の部分でKは城から間違いないことを確証されているが、しかし、城を取り巻く閉鎖的な社会からは、彼の任命は正面から受け止められず、だいいち、逗留している村には測量の仕事などなにもない、という。Kの行動は、測量しての仕事に向かうことからどんどん離れ、城の権力をどれほど自分に取り込むかを目的とした、果てしのない陳情の堂々巡りになってしまう。
不可思議なのは、Kがどうしてそこまで城に雇用されたことに拘るのか、という点。ほかにも仕事はあってもおかしくないし、そんな訳の分からない雇用主にかかわり合うのはまっぴらごめん、というのが普通の人間の反応だろうが、Kは、余所ものとして、この小説の舞台の外の世界からやってきたことが匂わされているにも関わらず、外の社会の経験を全く城所の関係に活かすことなく、端から城の権力との徒手空拳の戦いを始めてしまう。この視野の狭さは城と関わって生きている村の人間たち(つまり、この小説の)とどっこいで、村人たちと同様に、城に従属(隷属?)しながら存在している点も、やはり同じ。
実は、読み進めながら、スティーブン・キング的な妄想が頭をよぎるのを抑えられなくなった。村人たちの何人かは、黙して語らないが、かつてはKと同様にかつて城に何らかの仕事や契約で呼び出されてやってきたのだが、意義も意図も不明の官僚機構に絡め取られた結果、何のためにここに来たのかはもちろん、自分の名前すら希薄にしか思い出せない存在になり果ててしまったのではないか、と。
もっとキングらしく置き換えると、生きている人間と見分けのつかないゾンビばかりがして生活してる村にそれと知らずに入り込んでしまい、ゾンビと自分の違いを証明しなければならないが、ひどいことに、ゾンビにそれを理解させなければならない。人間の境位から脱落してしまったゾンビとコミュニケーションするには、ゾンビの存在様式を染まりきらないとならないという、「あーっ、ミイラ取りがミイラに!」的悪夢。
実際、「城」の舞台となる村の人間たちは、どこか行動やコミュニケーションの仕方がおかしく、出来の悪いコントのようにしか見えないのにどうやら本人たちはそれが普通で、真剣ですらあるらしい。そして、Kもまた、多少あきれている風もあるが、奇矯なこととは受け取っていない風がある。俗悪なたとえ話が続いて恐縮だが、たとえば、なにかのテレビゲームにでてくるゾンビ(よく「ぁー」とか言いながらフラフラ噛みついてくる奴)がたまたまプログラムの結果、意味不明で笑える行動をとっているとする。今どきだとさすがに見かけないが、廊下の角に引っかかって高周波のバイブレーションを放っている、とか。いや、「バイオハザード」の一作目にもそんなゾンビはいないかもしれないが。DS版買って確かめてみようかな。あ、でも、「デッドライジング」で一体くらい見かけた気がする。あいや、とにかくまあ、そういう不出来なのを見たら、「ゲームのゾンビだからなハーハーハー」と笑い事で済ませることもできるし、不完全なゾンビのアルゴリズムや当たり判定に「本物のゾンビっぽくない」(怒)といらだつこともできる。「城」の村人たちの印象も、そういうものを見たときに感じる奇妙な感じに近いものがある。つまり、どこかあからさまに模造っぽい、ということ。本当の世界のものではない、というような、不自然な感じがする。今あげたゾンビの例では、「お約束」がゲームの完成度の限界とともに露呈してしまっているので、貪欲にも「お約束」をまな板に乗せて二番底を味わうプレイに移行して意地汚くゲームを享受しているしているわけだ。同時に、ゲーム世界内部のレベルではこうした明らかな「ゲーム内世界の条件に照らして物理的にあり得ない状態」に超越的にトラップされたゾンビはその異常さをプレイヤー「キャラクター」にスルーされ(そして我々「プレイヤー」には都合よく利用され)、あえなく射殺されるか切なく無視される(ぁぁーー)、ということになる。このときのスルー具合が、Kが村人たちのおかしさを正面から見ない身振りにどこか似ているのだ。
ゲーム的な感性に引きつけて読み説きたいと思っているわけではないので類推はこの辺でやめて本題に戻る。Kは城との「戦い」に明け暮れていて、たとえば二人の助手のあからさまに幼児的な振る舞いをまともに考えない。この助手というのは双子のようにそっくりで、しかも、一人ではなにもできないので、常に二人でKの命じる仕事をするように命じられている。引用しよう。なお、ミッツィとは、Kが逗留する村の村長の妻だ。
「早くも仲間割れをはじめるのか。(中略)二人してすぐに執事に電話しろ」
二人は電話口に走っていった。電話をつないでいるーーもみ合っていて、わき目には滑稽はほど職務に熱心だ。つづいてKとともに明日、城に行きたいと申し入れた。」
「しばらく目を離していた間、助手とミッツィには、明らかに問題の書類が見つからなかったのだ。ふたたび書類を戸棚に入れたいのだが、全体がかさばってしまってうまくいかない。そこで助手たちが思いついた方法を、いま実行していた。戸棚を横倒しにして書類を全部詰めこむと、ミッツィともども三人で扉の上にすわりこみ、じわじわと押さえ込む。(中略)このとき助手たちが「やった」と叫んだ。戸棚の扉がようやく閉まった。ミッツィがうれしそうに二人を見やった。(119頁)
もし、コントでもないのに以上のような行動をしていたら、頭の中身を疑うのが普通だと思う。笑いとグロテスクさの演出のための描写と理解されているが、これがコントとして成立するのは読者に対してだけであって、村民たちにとっては、どうやらさほど奇矯ではないらしい。
Kは使えない助手に苛立ち、最後にはクビにして追い払うのだが、何でこんな奇妙な奴らが当たり前に生活しているのかということは考えない。この村の連中がどこかおかしいのだ、ということを、Kは全く考えない。せいぜい、田舎の、外の世界を知らない連中が、井の中の蛙大海を知らずで威張っているくらいにしか、思わないようなのだ。だが、村民たちのおかしさは、その程度の尋常さではない。みぶりの滑稽さ異常に、城がほとんど超越的なほどの力で生活に食い入っていて、すべてのことが城の役人たちとの関係、権力的な関係でしか考えられない病に、陥っているのだ。
やや対照的なのは、Kとかかわりを持つ女たちだ。外の世界への憧憬や、自らの城との戦いをもとにした相対的な視線をもち、自分たちの世界の奇妙さについて語りはするが、しかし、彼女たちの理解が、世界の把握が、生活から身をもぎ離すかにみえる瞬間にたちまち強力な呪縛でもって打ち砕かれ、城の歪んだ支配の外への出口につながりそうな糸はたちまちごんぐらがった玉にまきとられてしまう。そして、それは、女に支えられて城と戦うKにしても同じことなのだ。
城の高級官僚と言われているクラムの愛人で、そのクラムが村で仕事をするときの貴人用の宿屋で酒場の女給仕をしていたフリーダに、Kは、戦いを始めたとき同様唐突に出会ってまもなく恋におち、汚れた酒場の床で一夜を共にした後、婚約する。クラムから愛人を奪った格好で、クラムはそれを知っているのかどうかについてははっきりした描写はない。これがまた不気味で、クラムと言う存在がはそれだけ人間離れして感じられるが、とにかくこの事件は村全体に知れ渡り、Kはこの振る舞いのためにさまざまな警告や謗りを受ける。フリーダの叔母である、別の酒場の女将はKが城とのつながりを得て有利に交渉するためにクラムの愛人を手に入れたと言うのだが、Kは、これに対してフリーダを本当に愛していると答える。
だが、それはKの本音なのかどうか、わからない。むしろ、女将の指摘に真実が含まれているようにも思えるし、第一、K自身が、何を考えて城と戦っているのかよくわかっていないらしいのだ。そして、Kを愛したことで城の権力の世界から逃れる可能性を掴んだフリーダもまた、身の回りの事象全てを城とその権力を代表するクラムとの関わりでしか把握できない、この小説世界の住人の病を痙攣的にぶり返す。引用する。
フリーダは元気に一声叫んだが、Kがためらいながら《うん》というと、またぐったりした。Kとのかかわりを通して、全てが自分にとって有利なほうに向き出した、といってやる気持ちがしなかった。彼はそっとフリーダから手をひいた。二人はしばらく黙ったまますわっていた。やがてフリーダが口をひらいた。Kの腕のぬくもりが、いまや自分には、それなしにはいられないものであるような口調で言った。
「ここでの生活はもう我慢できない。もしいっしょにいたいのなら、わたしたち、ここを出ていかなくては。どこか、南フランスとかスペインに出ていかなくてはならないわ」
「出ていくなんてできない」
と、Kが言った。
「ここにとどまるためにやって来た。だからここにいる」
それから矛盾を含んだまま、こともなげに、まるでひとりごとのようにつけ加えた。
「ここにとどまりたいというほか、このひどい土地に、どうして惹かれたりするんだろう」
さらにまた言った。
「きみだってここにとどまりたい。ここはきみの土地だ。ただクラムがいないので、それでとんでもないことを考えるのだ」
「クラムがいなくてはいけないかしら?」
とフリーダが言った。
「ここはクラムのことばかり。クラムがいすぎる。クラムから離れるために、ここを出ていきたい。いないのはクラムではなくて、あなたなのよ。あなたのために出ていきたい。みんなが私を引っぱりまわす。あなたに満たされることがない。むしろ綺麗な仮面が引き剥がされるといい。安らかに、あなたと暮らせるように、むしろこのからだが惨めになるといい」
フリーダの言葉から、Kはただひとつのことだけを聞き取っていた。
「クラムは今も、きみとかかわりがあるの?」(221―222頁)
わけがわからないだろう。ほとんど錯乱している。ここの二人の会話は、お互いが何を言っているか自分でまったくわかっていないのに、言葉の端々に的外れに反応しあい、そして、言葉で触れ合うたびにお互いを失っていく。そして、婚約したどうしの二人の将来のことであるはずなのに、クラム=城を軸にしてしか、会話を前進させられない。こうしてみると、確かに、神を前にして自分たちの結婚が正しいことか慄く男女のようにも見える。しかし、その神の代わりに支配するのは機能不全で自らの目的を説明することのできない堕落した官僚機構なのだ。
二人の錯乱に戻って見直してみると、もっとも奇妙に浮かび上がるのは以下のことだ。つまり、二人とも、この城と村以外の世界があることを知っている。知っていて、脱出してしまおうと思えばできるのに、はっきりした理由もなくその自由を正面から検討することもなく捨て、城への隷属を選択する。フリーダは雪に閉ざされた寒村ではなくて、もっと温暖な地中海地方に住むこともできると考えている。そしてKは、この村にとどまる理由などないことを思い出しかけている。アリアドネの糸を、女が繰り出したのだ。だが、会話が逃走を明確に示唆した瞬間に、いきなりKは城との関係にだけ舞い戻ってしまう。喜劇的なシーンの多い小説の中で最も悲劇的な色合いを湛えているのは、この会話と思って間違いないと思う。