次は捕まるかもしれない
──帰り道が嫌いだった。
行きと同じ道であるはずなのに、まったく印象が違うことが嫌いだった。
日が暮れて暗く見通しが悪いと言うのに、ろくに街灯も無いことが嫌いだった。
友人と分かれてから一人で帰り行く時の静寂が嫌いだった。
なによりも。
追い付かれるかもしれないことが嫌いだった。
中学生の頃の話だ。
自転車で通学していた私にとって、帰り道は酷く憂鬱なものであった。
今でもよく覚えている。
11月の中旬。少しずつ気温が下がり、夏の気配は遠く秋も半ばを過ぎていよいよ冬も見え始めた頃合いだった。
その日は朝からやけに暖かく、前日はしっかりと着ていた上着を脱いで1日過ごしていた。
部活が終わり、そろそろ下校しようとなった時に雨が降り始めた。
雲行きは昼から怪しかったのでいよいよ降りだしたかと思ったが、これから帰るというタイミングでの降雨に友人と愚痴を言いながら帰り支度をしていった。
カッパを着込み自転車を漕げば、気温に湿度が相まって秋とは思えないほどに暑い。
友人と2人、汗をダラダラと流しながら雨の中を走った。
それに気付いたのは友人の家を過ぎて、一人になってすぐのことだった。
自転車に乗った誰かが後ろに居た。
とは言っても、すぐ後ろではない。100m近く距離が開いていた。
後方から追い抜いてきた車に振り返った拍子に視界に入ったのだ。
ただ、目が合ったような気がした。
勘違いだと思い、深くは気にかけなかった。
雨の中自転車を走らせ森へと入った。
森を抜けて坂を下れば家に辿り着くため、この辛さもあと少しだと思った時、ふと後ろが気になった。
何の気なしに振り向けば、先ほど見た自転車が50mほどの近さまで来ていた。
今度は間違いなく目が合った。
帰り道の終わりが近付いていることや雨が激しくなりつつあることも合わせて、ペダルを踏む足にさらに力を込めた。
森の途中にある窪地で再び後ろを振り返った。
近付いている気がしたのだ。
それは間違いではなく、自転車に乗った人影はたしかに大きくなっていた。
20mもない。
雨足が強まっていた。
あれほど暑かったのに、全身に鳥肌が立っていた。
疲れなど考えず、全力で自転車を漕いだ。
森の終わりまで来た時、もう振り向くことは出来なかった。
見なくとも、すぐ後ろに居ることが分かっていたのだ。
じっとりとした視線を背中に感じた。
坂を猛スピードで駆け降りていく最中、視界の端で徐々に追い越そうとしていく自転車のタイヤを捉えた。
少しずつタイヤが迫り、自転車のカゴまで見えたその時、坂を下りきった。
根拠も何もないが、その瞬間助かったと感じた。
のし掛かるような気配が霧散する。
雨が急に弱まった。
大きく息を吐く。
耳元で聞こえた舌打ちに思わず振り向くも、後ろには誰も居なかった。
自転車の速度を落とす。
どっと疲れがやって来た。
──帰り道が嫌いだ。
もう一度逃げ切れると、どうしても思えないからだ。
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