02. 魔法使いとの出会い
現れたのは、人畜無害そうな青年だった。
いやいや前世(仮)の高校生より十歳近く年長なので、決して侮るつもりはないのだが、白髪白髯で海千山千の老爺の登場を想定していたので、勝手に肩透かしを食らったのだ。
髪は薄茶、目は緑、容姿は・・・整ってはいる、のだが、なんというか「ザ・美形」という感じのアクというか凄みがない。ものすごく普通・・・と言うよりは、自然だった。
自然といえば、身にまとう雰囲気もそうだった。五感が過敏になったこの身体でも、身構えたり警戒する間もなく、それこそ彼自身が猫のようにするりと入室すると、テーブルの側に立った。
そして猫のアゴに手を伸ばす。
ぐるる・・・
甘えるように喉を鳴らしたのは本体の意識だろうか。とりあえず目の前の青年は、危険な相手ではないようだ。
ーー・・・よし。
決意も新たに、おれは再度話しかけてみる事にした。
「んなぉ?」
ごくり。緊張の瞬間。
青年は小首を傾げた。
「ネル、お腹が空いたんですか?ちょうど食事の支度ができましたよ」
がっかりしたおれの意識とは裏腹に、身体の方はくぅ・・と小さく腹の虫が鳴ったようだ。
青年はくすりと小さく微笑むと、俺に向けて腕を伸ばした。俺の身体は導かれるように自然に、目の前の相手に飛び乗った。ちょうど、青年の左肩に両前肢を載せ、尻を彼の腕で支えられるような格好だ。
風の具合か、ふわりと実に食欲をそそる匂いが鼻腔をくすぐり、腹の虫が再度主張した。
ーー猫も腹の虫って鳴るんだな。
「ネル、君もしかして、食事の迎えに私を呼んだんですか?」
面白そうに笑いながら、青年は優しく背を撫でてくれた。
ーーうーん。これ、気持ち良いな。
「おや?君、もしかして・・・」
何かを言いかけて、思案げに途切れた言葉にギクリとする。何しろ俺は、普通の猫の振舞いも、こちらの常識もサッパリな上に、化け物扱いされかねない事情を抱える身だ。
だが青年の態度も背を撫でる優しげな手つきも変わらず、そして途切れた言葉は続かなかった。
そうこうする内に、食事をする部屋に運ばれた。廊下の突き当たりの扉を開いたそこは、先程の部屋と対照的に三方に窓がある角部屋でとても明るく、二回りほど大きかった。
中央に、同じく二回りほど大きいテーブルと、椅子が六脚、ゆったりと置かれている。
用意された食事は二食・・・・・。
先程から食欲を刺激して止まない良い香りは、焦げ目も魅惑的な厚切りのベーコン。同じ皿に、往年のアルプスアニメのようなとろりとしたチーズがかかった人参と芋らしきもの。隣の鉢には葉野菜と豆らしきものの入ったスープ。そして柔らかそうなロールパン。いずれも湯気を立てている。
ティーポットが置かれ、ハーブティーらしい香りも漂っている。
・・・俺は嫌な予感がした。
先程の食事の対面に、もう一食が用意されている。品数は二皿。
ひき肉らしきもの。水。以上。
・・・・・・・・・。
当然、猫缶仕様な食事の前に、俺は降ろされた。
ーー嘘だろう、おい。
いや、右も左も分からぬ異世界に、しかも猫の身で突然放り出されて、腹が鳴るなり食事が出てくるなんて、この上なく幸運なのは解っている。理解はしているが・・・
あのご馳走を見せられた上で、これ。・・・当然のように猫舌仕様なので湯気も立っていない。
ーーいや、待て。猫まっしぐらという位だ。猫的にはご馳走なのかもしれない。
「にゃあ」
猫になろうと、通じなかろうと、礼儀は大切である。
覚悟を決め、口をつける。
ーー・・・・・・ 味がしない。
正確には、味は、ある。肉と、豆っぽい味が。
だけど塩気とか風味とか旨味とか・・・そう、味付けが、ない。
ベーコンの匂いに引き寄せられたあたりで薄々嫌な予感がしていた。そう、香りの好みが人間の頃と同じなら、当然、求める味も同様だろう。
しかし、今は猫の身の俺である。
一昔前は日本でも、犬猫に人間の残飯を与えていたらしいが、今や人間向けの味付けが動物に害あると周知されている事くらい、飼ったことのない俺ですら知っている。
そして、良い飼い主と悪い飼い主がおり、目の前の青年が前者なのだろうことは、この短時間でよく分かった。動物の扱いに長けていることもそう。そして動物の健康を気遣ってであろうこの食事もそう。
だが、であるが故に、
ーー・・・一生、猫缶生活?
自分でもどうかしていると思うが、「猫になってしまった」こと以上に、ものすごくショックだった。打ちのめされる程に。
思わず項垂れてしまっていた視線が、対面の食事から漂う香りに引き寄せられるように上向き、そして、向かいの青年が食事の手を止めていることに気付いた。
ーー・・・しまった。
せっかく用意してくれた食事に、あからさまにがっかりしてしまった。失礼この上ない。
心から詫びるような気持ちで、しかしどう表していいか迷いながら視線を上げると、青年は不快そうでもなく、それでいて心配そうにでもなく、何やら興味深げにこちらを見ていた。
「ネル君、君、こちらの食事を食べたいんですか?」
即座にぶんぶん首を縦に振りたくなるのを、必死でこらえ、目にあらん限りの気持ちを込めて訴えた。
ーーそちらを食べたいです!すごく!
目がギラついていたんだろう自覚はあった。
青年はしばし考え込むように小首を傾げ、そして、頷いた。
新しく皿を用意すると、自分の物から少し取り分けてくれる。その際、ベーコンは小さく切り、スープも冷めやすいように薄皿に用意して具をつぶし、パンをちぎってくれている。
・・・なんという細やかな配慮。離乳食か介護食のようだが、スプーンも持てないこの身ではありがたい限りだ。
そして、ついに念願の香りの源が、目の前に供された。
ごくりと喉を鳴らす。
俺は目一杯の感謝を込めて青年と目を合わせた。
「んにゃあ」
猫なりに先程よりワントーン弾んだ声になったのが自分でも分かった。
いざ、実食。
ーー・・・・・・!
いや、言葉にならない。
すわお預けという、落として上げての効果はあるかもしれないが、それを抜きにしても抜群に美味しかった。特にベーコン。いや芋にしても豆にしても、なんというか、素材の味が濃い。
いやでもやっぱりベーコンか。冷蔵技術がなければ加工肉なんて塩の塊と大差なくても仕方ないだろうに、これは紛れもなく俺の知っている、そしてかつて食べた事ないほど美味しい逸品だ。
素材だけじゃない、スープの具や、蒸しているだけかと思った人参や芋にも、何やら旨味が染み込んでいる。
ーーこの青年、デキる!
・・・いや何目線なんだと言われれば、猫目線だから申し訳ないんだけども。
あっという間に完食してしまった。
「にゃあ〜」
心からの感謝を込めて鳴くと、青年はクスクスと実に愉快そうに笑った。