0. 目覚め
長く眠っていた物語です。
まさかの語り部『猫』を得て、ようやく芽吹きました。
拙いですが、よろしくお願い致します。
目を開けたら、視界いっぱいの肉球。
ぷにぷに。眼福。
・・・いやいやそうじゃない。どういう状況なんだ?
我が家はペット禁止のマンション住まいで、犬も猫も飼っちゃいない。
それに、視界の下方からチラチラのぞく・・・舌?
なんだか自分で自分の肉球を舐めているような・・・
妙な感覚だ。
ーーああ、そうか。この肉球も舌も、自分の意志で動かしてない。見ているだけなんだ。
なんで?夢なのか?
夢ってこんなにリアルなものか?
動物を飼ったことのない俺には、猫(推定)の視界に自分のヒゲが入るなんて想像したことすらない。そんなことまで夢で見られるのか?
ーー夢なら自分の体くらい動かせないかな
ふと思いついて左前肢とおぼしきそれにグッと力を込める。
グッ、グッと強い抵抗を受けながら、左前肢(仮)が顔から離れる・・・のもつかの間。あっという間に肉球舐め再開。
どうやらこの本体の意志の方が強いようだ。
ーーどうしたもんかな。
悩んでみても、まさに手も足も出ない。
しばらく状況を観察してみることにする。
しかし、観察に徹してみるとなかなか面白い。「VR毛づくろい」とかがあったらこんな感じなんだろうか?
・・・なんて考えている内に、触覚までが繋がってきた。
舌が撫でる肉球は、思っていたより少し固い。
周りの毛が鼻先をくすぐる。
肉球に伝わるザリザリとした舌の感触。
ーーそういえば猫の舌はザリザリしてるんだっけ?
それに色々な匂いがする。
知っているような、知らないような・・・なんていうか、田舎のお祖母ちゃんの家のような?
・・とは言っても実祖母の家は同じく都内の団地住まいで、田舎の家なんて画面越しにしか知らない。
普段より強く感じる土や草の臭い。それに薬っぽさが加わる。それが、不思議と不快さや異物感がなくて、なぜだか懐かしいように感じた。
「VR毛づくろい」は続いていた。
どうやら猫で間違いないらしい。
肉球はピンク。毛色は白・・いや、ブチ?黒に茶に・・じゃあ三毛かな。
毛づくろいは前肢、顔、首から背ときて、柔軟体操のように後肢を抱えはじめた。ぴーんと張った両後肢の間に、ふよふよ揺れる尻尾が見える。
ーーへぇ、自分の尻尾が動くのってこんな感じなんだ。
だんだん自分の五感が身体に馴染んできているみたいだ。
ーーこれ、大丈夫なのか?
とふと不安になった。
ーーもう、戻れなく、なる?
母と妹の顔を思い出して、胸をギュッと掴まれたような焦りを感じた。
もはや、夢じゃない確信があった。
無理だ。こんなに知らないことを夢で再現できる想像力は俺にはない。
夢以外にこの状況に説明をつけるとしたら?
ーーまさか、転生した?
他に可能性を捻り出そうとしてみたが、俺の知識と想像力では限界だった。
はぁ〜〜〜
猫のくせに大きなため息が出た。・・・傍目にはあくびに見えたかもしれない。
同時に、もはや意識と身体が完全に連携しているのを自覚した。
ーーやっちまったなぁ〜
思わず額に手を付くと、ぷに。と弾力ある現実が応える。・・・脱力して、その場に大の字になって目を閉じた。
ーー「へそ天」とか言うんだ。この体勢。
そんなどうでもいい事を思い出した。
人間の、高校生だった俺は、死んだんだろうか?そんな記憶は全く無いけど。
最後の記憶は・・・高二の二学期、文化祭が終わって、定期試験の初日の朝、少し寝不足で単語帳なんかチラ見しながらの通学路。
塀の上に、猫がいたんだ。くわぁ〜と豪快なあくびをして、ティッシュ箱みたいな形になってる体に首を埋めて、気持ち良さそうにウトウトやり出した。
「猫は気楽でいいよなぁ」
そんな事を呟いた。そこまでは覚えている。
でも別に、飛び出してきたトラックに轢かれたとか、突然足元に妖しい魔法陣が発生したりしてない。異空間で神様っぽい人に会ったりとかも無かった。
・・・なかった、はずだ。
何しろ肝心の記憶がないのだから、確信の持ちようはない。
でもまさか・・・まさか、な?
『猫は気楽でいいよなぁ』
あれのせいってことはない・・よな?
そんなんでほいほい生まれ変わってたら、人生どこが落とし穴だか分かったもんじゃない。
ーーはぁ。
でもまぁなんにせよ、どうもこれだけは確らしい。
どうやら俺は今、猫である。
いや、ここは言わねばならぬ。
ーー吾輩は猫である。名前はまだ(知ら)ない。