4ー8 事業の開始 その八
6月初めには、9チームの製造班がそれぞれ試作品である二酸化炭素分離装置を製造した。
使用するエアコンごとに9種類のタイプを作っており、特別仕様にも応じることになっている。
一応、仮のパンフレットも作成し、既に受注体制もできている。
5月には東京で5人を採用し、SAKAZAKI製作所東京支所を作り、そこで営業を開始することにもなっている。
但し、積極的な営業活動は一切しない。
受注はほとんどインターネットで行い、契約書も支所又は仁十久本所で契約するようになっており、顧客のところに出向いて契約をするようにはなっていないのである。
有る意味で殿様商売の様であるが、無駄な経費を削減するために本当に必要な購入者が出向くようなシステムとしたのである。
いずれは受注を専門にする部門が必要となるだろうが、今のところはその体制で動くようである。
そのようなシステムと受注開始の時期について、既にネットで公表しているが、それでも問い合わせの電話は後を絶たず、庶務と契約はその電話の応対に追われている状況である。
6月10日、経❆産業省及び資❆エネ庁経済部の検査官が検査に訪れた。
但し、坂崎が検査についても注文をつけていた。
敷地外からの撮影は構わないが、工場内の写真は一切撮らないこと。
工場内部にある資料は、その内容を含めて一切外部に持ち出さないこと。
従って、写しはメモの類であっても許可しないが、全ての資料が調査対象になっても構わない。
検査官については、一応、入所前にボディチェックを行い、録音及びメモ類の類は一時保管することにする。
その代わり検査が数日又はそれ以上になっても構わず、そのための滞在費はお支払いするし、工場は土日休業であるが、必要であればそれにも対応する。
など、検査を受ける側としては異例の注文であるが、驚いたことに経❆産業省はその条件を全て飲んだ。
おそらくは、最先端技術が海外に流出する事態を懸念しているからである。
こうして、検査官一行は、サ❆ロホテルに到着したのである。
検査を受ける側として一切の供応は控えているが、約束通り滞在費及び食費は全てSAKAZAKI製作所の負担である。
11日午前9時から検査が開始された。
坂崎と誠一が同行して工場内の説明を行った。
9タイプの二酸化炭素分離装置の製造工程を確認し、その製品機能を入念に確認し、検査官が仮許可を出して引き揚げたのが15日のことである。
この間、坂崎と誠一は土日も出勤、勢い、秘書である嘉子と早苗も出勤している。
実のところ、製造設備及び製造機器並びに製品の検査は僅か1日で終了している。
検査に時間がかかったのは、当該機器の動作理論、それに使用されている材料の製造方法など別の側面であり、経❆産業省の役人を相手に三日間の講習を行ったようなものである。
彼らも必死に理解しようと勤めていたようだが、最終的には理解するのを諦めたようである。
例えば、電路に電気が流れると言うことは、その中を自由電子が動いているという理論があってもその理論を現象から受け入れるかあるいは法則として受け入れるしかない。
実際に電子の流れを目で見ることは不可能であるからだ。
彼らも坂崎の理論を法則として受け入れることにしたのである。
何となれば、その理論でしか起きえない現象を目の前で見せつけられたからである。
そうして彼らは国家公務員として知り得た秘密を漏えいしてはならないと言う倫理に縛られる。
彼らが他の企業などに秘密を故意に漏えいしてもすぐにわかることであるし、他に同じものを製造できるような企業が絶対に存在しないからである。
しかも、坂崎の理論体系は膨大であり、それを完全に理解するには研究者でも10年はかかるだろうと言われて、完全に諦めたのである。
彼らが大学でも僅かにしか習ったことの無いフーリェ関数やマクスウェルの磁気理論など多数出てくる数式を前に、素粒子物理学の最先端を行くクォークに関連する理論、更には空間がクォークを取りこんで物質を形成するという理論に至っては、間違いなく理解の域を超えていた。
装置の行程は完全にオートメーション化されており、1時間に9タイプ6個ずつが製造できる。
検査官に見せたのは、それを全て手動で作動させ、製造過程の全てを見えるようにしたのである。
その上でプラントを稼働すると10分に1個の割合で装置が製造され、包装にくるまれて出てきたのが確認できる。
2時間稼働させて各タイプ12個の内から2個をランダムに抽出して製品が機能することを確認させたのである。
経❆産業省の正式な製造認可は、6月22日におりた。
SAKAZAKI製作所は、翌日の23日から正式な受注生産を開始したのである。
製品はタイプにより若干の価格差はあるが、概ね1個5千円程度に抑えられている。
23日の受注開始から数万台規模での発注が相次いだ。
23日の1日だけで16社9タイプ50万台の受注がなされ、25日には全ての契約が完了していたのである。
少なくともこれで概ね1年間分の生産量を上回ることになる。




