4-5 事業の開始 その五
前菜が出て、次にポタージュスープが出て、次に温野菜が出た。
順番では肉料理のはずであったが、次に出てきたのは、魚介料理であった。
しかもウェイトレスがメッセージを伝えてくれた。
「支配人がシェフにお願いしてこの料理を頼まれました。
この料理は当店のサービスでございます。」
料理は、オリーブオイルを使ったホタテガイの焼き物である。
塩味の効いたホタテは新鮮なものであり、とても美味しくいただけた。
肉料理は、牛のサイコロステーキであるがこれもとても美味しいものであった。
デザートは果物を飾ったプディングである。
コーヒーが出るときに、シェフがやってきた。
シェフは、白人女性であった。
40代前半ぐらいであろうか。
彼女は最初からフランス語で尋ねた。
「フランス語はおわかりですか?」
「はい、わかります。」
シェフは嬉しそうな顔で言った。
「私は、当店のシェフでフランソワ・ミレーユと申します。
本日はおいでいただき本当にありがとうございます。
お料理の味はいかがでしたでしょうか?」
「大変、美味しくいただけました。
スープはカレー風、温野菜はボージョレー風ですね。
そうして、魚介料理はアンダルシアを模したものですがベルヴィニャンのものでしょうか。
肉料理はルルドの郷土料理のようでしたが違いますか。」
女性シェフは目を輝かせた。
「素晴らしい。
そこまでお分かりの方は中々にいらっしゃいません。
支配人からはアンダルシアでも有名なオマール海老の料理を出せないだろうかと頼まれたのですが、生憎とオマール海老はここでは中々手に入りません。
イセエビは有ったのですが、それでは海老の味が強すぎてアンダルシアの味は出てこないのです。
止むを得ず、淡白なホタテを使いました。
アンダルシアではこれをシチリア産かセビリア産のオリーブオイルだけで焼くのですが、多分、日本人の方には両方のオリーブオイルの匂いはきつすぎます。
私は、フランス産のオリーブオイルを使いました。
それでもなおきつい場合もありますので、若干のハーブも使っているのですが、見つかってしまったようですね。
ハーブの種類がお分かりですか?」
「ええ、多分チェコのアンゼリカではないでしょうか?」
シェフは嬉しそうに微笑みながら頷いた。
「その通りです。
ヨーロッパではケーキにはよく使われ、料理には滅多に使われないのですが、ベルヴィニャンでは色々な料理に使われます。
無論、日本ではほとんど使われないものですが、よくお分かりになりました。
ベルヴィニャンに行かれたことがありますか?」
「いいえ、有りません。」
「そう・・・。
でもよく御存じなのですね。
貴方がシェフになったならきっと素晴らしい料理を作ることでしょう。
マドモアゼル篠塚、貴方にもお聞きしましょう。
以前、貴方のお顔をテレビでよく見かけました。
確かニュースキャスターの方ですね。」
「はい、そうです。
NFKのキャスターをしていました。
でも、今は、SAKAZAKIの社員です。」
「ああ、そうなんですか。
貴方と彼はどんな関係ですか?
恋人、それともステディ?」
「恋人になりたいとは思っています。」
シェフは大きく頷いた。
「貴方と彼はとてもよくお似合いです。
彼を逃がさないようにね。」
シェフはそう言ってウィンクをした。
「今度、また二人で来てください。
お二人が来たら、絶対に期待を裏切らない美味しい料理をお出しします。」
シェフはそう言って、辞去して行った。
入れ替わりにマルケス支配人がやってきた。
「入れ替わり立ち替わり、申し訳ございません。
実は、坂崎さまと篠塚様にお願いが有って参りました。」
「はい、何でしょうか?」
「私どもでは、通常お客様にはお願い事はいたしません。
ですが、近い場所に住んでいらっしゃる坂崎さまであればと敢えて申し上げます。
是非私どもホテルスタッフとご一緒に写真を撮らせてはいただけないでしょうか。
そうして、もしお許しをいただければ、坂崎さまがいらしたホテルということでホームページにも掲載をいたしたいのですが・・・。」
すがるような目つきの支配人である。
「やむを得ないですね。
支配人から特別料理をお出しいただいた手前、お断りするわけには行かないでしょう。
篠塚君はどう?」
「ええ、一宿一飯の恩義ですね。
それに少し遠いかもしれないけれど、お隣さんでもあるし。
私は構いませんわよ。」
「では、そういうことで、宜しいですよ。」
支配人は本当ににこにこ顔になった。
写真はホテルのロビーで撮影することになった。
二人は椅子に座り、周囲に多数のホテルスタッフが取り巻いた。
聞けば厨房は空になっていると言う。
写真を数枚撮影し、それから清算をしようとすると、支配人が言った。
「少なくとも今回は、お代をいただくわけには参りません。
どうか、これをご縁にまたお越しくださいませ。」
そう言ってホテルスタッフ一同に見送られながら嘉子と誠一はホテルを去ったのである。
「何か得をしたみたいね。」
助手席でそう言うと、誠一が笑って答えた。




