4ー3 事業の開始 その三
周囲にはもう誰もいなかった。
何よりおなかがすいた。
時間は午後4時半を回っている。
最近できた近くの喫茶店で食事をするのも悪くは無いだろう。
男女間の仕切りを開けると、そこに誠一が立っていた。
「遅かったね。
君だけが出てこないからちょっと心配していた。
倒れているようでは無かったけれど・・。」
「あら、モニターか何かで覗きをしていたの?」
「覗きとは酷いねぇ。
温度センサーによるモニターがあるから動きぐらいはわかるんだ。
尤も女性の方はお袋が担当だけれどね。」
「ふーん、それならいいわ。
デバガメしていたんなら、肘鉄ぐらいしてあげたのだけれど・・・。
近くに出来た喫茶店にこれから食事に行こうと思っているんだけれど、誠一さん一緒にどうですか?」
「喫茶店?
ああ、『堀川』だね。
いいよ。
ここのところ、デートもしてないしね。
でも混んでいるかもしれないよ。
今、大挙して腹を減らした小熊さん達が、出て行ったところだからねぇ。」
「混んでいるようなら、サ❆ロホテルに変更するわ。」
「よし、それじゃ最初からサ❆ロホテルに行こう。」
二人で構内を横切り、駐車場に向かう。
ホテルへは誠一の車で向かうことになる。
嘉子は宿舎が近いので車では通勤していないのである。
但し、ここでは車は必要である。
仁十久の町中にあるスーパーまでは10キロ近くもあるし、路線バスなどはない。
ために、SAKAZAKI製作所では、会社の専用バスを走らせている。
二台はマイクロバス、一台は大型バスである。
この三台を、JRの運行時間帯に合わせて運行させているのである。
また、在宅通勤者のために自家用車通勤も認めている。
但し、会社専属の保険会社との保険契約が条件となる。
対人・対物とも無制限であり、車両保険もついている。
何より保険外交員が仁十久に常駐しているために、事故が有った際に対応がしやすい。
それに交通事故専門の弁護士がついている特約保険である。
若干保険料は高いかもしれないが、少なくとも事故処理でトラブルを抱えた際には心強い味方になるだろう。
事後処理は、保険外交員と弁護士が一手に引き受けてくれるからである。
坂崎義則と誠一を除いた社員147名、それに警備員と寮母などを含めた準社員28名のうち、自家用車通勤は今のところ10名、JR利用者が29名、社宅、寮に入っている者が136名である。
喫茶店「堀川」までは歩いて行けるが、サ❆ロホテルは4キロほどあるので、誠一の車で行くことになったのである。
途中、国道❆8号線への曲がり角に「堀川」は有るのだが、通過時に見た様子ではやはり満席に近い状態である。
独身寮では食事も用意されているはずなのだが、時間は午後6時からとなっているのである。
昼食抜きであったため、その時間まで待ちきれない高校生卒業組が大挙して入ったようだ。
国道❆8号線をさらに北上し、右折するとホテルがある。
❆中海クラブが20年近く前に開設したホテルであるが、左程業績は良くないようだ。
一つには、交通の便の悪さが有るだろう。
外国人は中々ここまでは来ない。
❆セコに豪州方面から多数の白人が入り込んで別荘を作っているのとは裏腹に、仁十久にはそのような話は無いのである。
知遠瀬空港までのアクセスを考えると❆セコもサ❆ロも左程違いは無いのだがやはりブランドの違いもあるだろう。
❆セコは国内でもかなり知られたスキー場であるが、サ❆ロは規模も小さいし、知名度が違いすぎるからだ。
だが、YAMATO-Ⅲの一件で仁十久と言う名前は世界中に知れ渡っている。
あるいは起爆剤になるかもしれないと町の有力者は期待しているのである。
特に、SAKAZAKI製作所が170名を超える社員を雇ったのは町にとって非常に大きなメリットになる。
仁十久在住の者だけでも21名の採用があった。
高校新卒者3名に、警備員と寮母それに賄い婦である。
そうして130名以上、100世帯を超える住民が増えたことは、年間で使用する生活費だけでもかなりの額になる筈であり、冷え切った地方経済に与える影響は大きい。
それに加えて固定資産税と今後見込まれるSAKAZAKI製作所の収益は、町の財政を潤すことになるだろう。
工場建設でも地元の建設業者が下請けで幾つか参入していたし、今後とも反射的利益を被る期待が増していたのである。
5階建て160戸の世帯宿舎は今後とも多数の社員を抱える証としてみており、既に目先の利く店舗も動き出している。
その一番手が「堀川」であり、正月に着工し、3月末に完成を見た近隣の店舗第一号である。
元々は、仁十久町役場の職員で総務部長までなった人だが、退職後に宇部広近郊で喫茶店を開いていたようである。
それがほぼ8年前。
国道❆8号線沿いと言うこともあって結構繁盛したようで、今では店長をおいて経営は任せていたようだ。
そこへYAMATO-Ⅲの計画が発表されたので、銀行から金を借りてレストラン喫茶を開店したのである。
国道❆8号線を通るドライバーの寄り道にもなり、また、SAKAZAKI製作所の社員の憩いの場にもなると見込んだからである。
一方で、全国的な規模を持つ❆ーオン系列のスーパーも土地の買収に乗り出し、国道を挟んで向かい側に中規模の店舗を作るようである。
SAKAZAKI製作所の伸び次第では、斗割地方では宇部広に次ぐ第二の都市になるかもしれないとの見通しで動いているのだ。
危険な賭けかもしれないが、人に先んじなければ儲けは期待できない。




