4ー2 事業の開始 その二
誠一が皆を前にして説明を行う。
「これは皆さんに知識を与える機械だ。
全部で160基あるので、一人一人に入ってもらうに十分な数がある。
ここで、全員がこの装置の中で寝てもらう。
寝た後は、内部で指示があるのでそれに従ってもらえばいい。
正味で7時間この中で過ごしてもらうので、事前に御手洗いが必要でない人も是非行っておいてもらいたい。
ここは食堂もないのだが、当然に昼食は抜きになる。
明日については、午前3時間、午後4時間の間に昼食の弁当を用意してある。
衣装の皺が気になる人は脱いでもらっても結構だ。
パジャマ代わりのバスローブを用意してある。
女性は仕切りの向こう、男性はこちらになる。
貴重品の心配はここでは不要だ。
ここに悪いことをするような人はいない。
それは私が断言する。
そうした人だけが選ばれている。
では今から30分、それぞれに手洗いを済ませて欲しい。
女性側、男性側、それぞれにトイレがある。
そうして9時15分までに準備をしてそれぞれの名前のある装置の前に立っていて欲しい。
この後の指示はこの第二工場のスピーカーを使って行うが、何も難しいことは無い。
では一時解散。」
一斉に全員が動きだした。
嘉子達女性はドアを開けて仕切りの向こうに抜けてトイレに向かう。
トイレの数は30人分、採用者のうち女性は64名である。
列を作って待つことになるが、左程の時間はかからなかった。
9時までに全員がトイレを済ませ、掲示してある案内を頼りに自分に割り当てられた装置の前で待機していた。
装置の脇に籠がありその中にバスローブが入っていた。
嘉子はジャケットとスカートを脱ぎ、ブラウスも脱いで下着姿でバスローブをはおった。
スリッパを履いて折りたたみ椅子に腰を降ろして待った。
他の者も同様にしている。
そうして時間になって指示が出た。
カプセル状の蓋が開いて中に入って横になれと言う。
頭部は向かって右方向、枕のある方向に頭を向けることと指示された。
嘉子が中に入ると暫くして蓋を閉めますとの案内があり、ゆっくりとふたが閉まって行く。
嘉子はそれが由紀の声であることに気づいていた。
由紀の声は目の前のシグナルが白から緑に変わったら大きく3度深呼吸をするように告げた。
嘉子はその指示に従い、2度深呼吸をしたが、3度目はしたかしないか覚えていない。
急速に意識を失ったからである。
◇◇◇◇
次に目覚めた時にはカプセルの蓋が開いていた。
由紀の声が聞こえた。
「1日目の研修は終了しました。
カプセルから出て、着替えが必要な方は着替えて待機してください。
御手洗いが必要な方は済ませてください。
繰り返します。
1日目の研修は終了しまし・・・。」
起き上がってカプセルから抜け出ると由紀の声が止まった。
嘉子が、脱いだ衣装を身につけ、それからトイレに行った。
そうしてカプセルの傍で待機していると、やがて放送があった。
「全員が揃ったようです。
これで今日の研修は終了です。
貴方がたの知識の中に基礎的な知識がかなり収まっています。
この研修機械は人によって学習効果が異なります。
ある人は大量の知識を与えられ、ある人はさほどでもないと言うような差異が生じますが、必要最小限度の知識は全員に与えられたはずです。」
その途端、頭がすっきりとして一気に色々な知識がフラッシュバックのように押し寄せた。
嘉子は一瞬気でも狂ったのではと不安になるほどの情報の洪水であった。
嘉子は自分がマルチリンガルになったことを知った。
アラブの言葉、アメリカインディアンのナバホ族の言葉まで知っていた。
間違いなく、さっきこのカプセルに入るまでは無かった知識である。
それに、大学では習わなかったはずの物理、化学、天文学の膨大な情報があることも分かっていた。
「ローレンツ収束」、「M42星雲」などの言葉は余程のことがなければそんなものはこれまで見向きもしなかった。
NFKで坂崎とのインタビューに際して多少の勉強はしたが、それも太陽系の中までが精一杯である。
それなのに星座が、星雲の名が、そうして恒星の種類までもが頭の中でひしめき合っている。
それでも坂崎達との格差は一層に開いたように感じられた。
今教えられた知識の中には、エルニット鋼材にしろ、重力制御にしろ、高次空間にしろその片鱗すら伺えないのである。
一体、どんな原理からそんなことが可能なのか嘉子には思いつきもしない。
そう言えばNFKの放送の中で学識者として招かれていた高名な物理学者が言っていた。
『YAMATO-Ⅲはそれ自体が叡智の具現であり、その構成が如何様になっているか分れば既存の学問はかなりの部分が新天地を迎えることになるだろう。
YAMATO-Ⅲは時代に先駆けていると同時に、全く新たな分野の先駆者なのかもしれない。
少なくとも、既存の科学体系に別の側面があることを我々に教えてくれている。』
彼の言っていたことが当時は半分もわかっていなかった。
だが、少なくとも彼は自ら学んできた学問の道に全く新たな道を見出したのだ。
それは、既存の学問や理論からは決して導き出せない結果を生じていると言いたかったのに違いないと嘉子は思った。
そうして、嘉子は立ち上がり、歩き始めた。




