4ー1 事業の開始 その一
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入社式は4月1日午前11時から行われた。
場所は、第一工場である。
その前に採用された人員の確認とIDカードの作成が9時から開始されていた。
第一ゲートで、採用通知書を確認し、その上で構内に入り、事務所でIDカードの作成を行うのである。
IDカードは普通のラミネート加工されたものであるが、それとは別に金属製のカードが渡される。
IDカードは、余所で提示する身分証明書に過ぎないが、金属製のカードは会社もしくは工場施設への通行証である。
このカードは複製ができない上に、所有者本人が所持しない限りは、通行証の機能を果たさない。
大都市の駅での改札と一緒であり、金属カードをセンサーに翳すとゲートの扉が開くようになっているが、このカードを別人が持てば機能しないようになっている。
また、このカードは構内施設の出入りもチェックする機能があり、職分に応じて出入りできない領域もある。
このIDカードの作成と通行証の作成、それに福利厚生関係の処理、給与振り込みなどの事務手続きなどは、嘉子、誠一の外に、2月中旬までに仁十久に来ていた当初の候補者6名が作業を行った。
さほど難しい操作でもないのだが、1度に150名を超える人員をこなすとなると手際よくやらねばならない。
特に社会人一年生の高校卒業生については手間がかかる。
入口まで父兄同伴で来た者もいるが、残念ながら父兄は構内には入れない。
構外にプレハブの待合室を作って待機してもらうようにしたのである。
実のところ寮への入居も入社式終了後となっている。
父兄が入社式に同伴するのは、昨今では流行りのようだが、坂崎は構内への同伴は固く禁じたのである。
このため、プレハブ5棟は待機している父兄で一杯であり、構外の臨時駐車場も車が溢れている状況である。
因みに社員用の駐車場は構内にあるが、一般車両が出入り出来ないようになっている。
これにも通行証が必要で、それが無ければ社員と雖も社員用駐車場へは入れない。
車は勿論のこと人も通れないようになっている。
周囲は工場と同じ高いフェンスで囲まれており、部外者の侵入を拒んでいる。
入社式は、僅かに1時間で終わった。
坂崎の短いが印象的な挨拶と、誠一から社員の配属先が発表され、その日の午後と翌日は転居手続き等必要な手続きを済ませるために警備を除く全部門を休業とすること、4月5日から採用者全員が3日間の研修に入ること、この第一工場には現状で何も設備が無いけれど。8日からはここに製造設備を作り上げるのが当面の作業であることが説明された。
坂崎義則は社長、坂崎順平と坂崎邦子は顧問、誠一は常務取締役、直哉は専務取締役、嘉子は秘書室長代理兼広報室長を命じられた。
そのほか39名の招請人員はいずれも室長等の要職についていた。
会社の名称はSAKAZAKI製作所である。
事業項目は多岐にわたっているが、少なくとも発表された計画は全てその中に含まれている。
事業認可はあっても、それぞれの製品については別途の許認可手続きが必要になるのである。
因みに銀行の融資は受けなくてもよかったのだが、道内に本拠を持つ北❆道銀行、❆洋銀行、それに宇部広信用金庫の三行からそれぞれ10億円の融資を受けている。
返済期限は10年としているが完全返済にそれほどの年数は掛からないはずである。
嘉子も坂崎邸を出て、明日からは、この社宅の一室に入ることになっている。
11月に始めての給与をもらい、既に5カ月。
確かに仕事はしたが食住を保証されてなお、以前と同じ給料をもらっているのでは申し訳ないと思い、会社の稼働開始を機に社宅に入ることにしたのだった。
社宅には既に60家族ほどが入居している。
中には嘉子のように独身もいるが、男性で高木を入れて4人、女性で2人と少なかった。
残りは所帯持ちである。
尤も単身赴任者もいるのでいわゆる独り身は15名ほどになるだろう。
更に18歳の新卒者が多数いる。
嘉子が驚いたことにオーラで選択する方式は極めて正確なものであり、採用者の中に信用のおけない者や、非違非行に走る者はいないはずであると誠一から聞いた。
最低限度の能力は無論必要だが、それよりもこの事業を開始するに当たって尤も重要なことは信用のおける人材を得ることだと考えたそうである。
おそらくは四面楚歌にもなりかねない中で、社員すら信用できないのでは事業をしない方がましだと考えたようだ。
そうしてそのことは暫く立ってから嘉子も再認識するようになる。
翌日までには、種々の手続きも終わり、全ての社員が稼働できるようになっていた。
4月3日、4日は土日で休みである。
4月5日、午前8時半までに全員が出社した。
ゲートでの通行証確認も何のトラブルも無かった。
集合したのは第二工場であり、そこの二階部分で採用者達は多数の大きなポッドのような機械を目にした。
警備員と運転手それに寮母達を除き、全員がその場に集まっていた。
警備員たちは3月中に必要な研修を終えており、3月半ばから受け入れ準備を着々と行っていたのである。




