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先駆者 ~ 天翔けるYAMATO-Ⅲ  作者: サクラ近衛将監
第三章 地上にて
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3ー21 事業の開始に向けて その八

 1月6日からは、応募者に対して採用試験を兼ねた面接を行うことにしている。

 ペーパー試験も内申書も一切不要である。


 面接で本人を確認して採用するかどうか決めるからである。

 場所は仁十久(じんとく)町公民館であり5日間に渡って借りている。


 宇部広まで出た方が便利ではあるが、敢えて仁十久で面接を行うことに意味があった。

 田舎町に来てみて、そこでの勤務が難しいなら諦めるであろうし、どんなところでも勤める気持ちがあるなら来るはずである。


 そうでない者ならば会社には要らない。

 同時に12月半ばからは1週間に1回、新聞広告を出している。


 一般の募集であり、そのために仮の事務所には三本の仮設電話をつけている。

 年齢、性別、学歴は問わないが、面接がある。


 給与は高卒20万、大卒25万と初任給では新東京並みであり、北❆道では破格の待遇である。

 面接は新たに造ったプレハブ造りの仮事務所で行うことにしており、1日に100名までと言う制限がある。


 募集は3月末まで行うが、その前に定員である160名を越せば募集はやめることになっている。

 誠一、直哉、嘉子、それに高木は、仮事務所を根城に応募者の問い合わせなどに忙殺されていた。


 ネットでホームページも立ち上げ、かなりの情報は掲載しているのだが、それでも問い合わせは1日に200件を超える。

 1人10分としても2000分、33時間ほどを要し、4人が分散しても一人8時間は取られてしまう。


 朝8時に出勤して夜の7時までの勤務がずっと続いているのである。

 新聞広告を出してからは土日を休みとして、仮事務所は閉めるようにした。


 その間に坂崎は工場建設を始めていた。

 冬場の工事は本来すべきではない。


 だが、相応の技術があればできる。

 そうして開放的な工場だからこそ、セキュリティは厳重なものにした。


 工場の出入り口は4カ所、そのいずれもが大きな門のような建物である。

 それ以外は金属柵でかこまれている。


 それも高さが5mほどもある。

 この周囲の柵については、建築基準法は甘いので、坂崎はエルニット鋼材と新素材のプラスクリートを使った。


 組み立ては業者が行うが、建設材料は坂崎が自前で用意したのである。

 既に建設予定地には完成分のエルニット鋼材が野積みされており、プラスクリート材料も特殊な材料で造られたドラム缶に準備されている。


 業者は設計図と仕様書に沿って所定の作業を行えばいいだけである。

 今回の工場は500m四方の敷地を使用することになる。


 最初に工場敷地全体が深さ約5mに渡って掘り下げられた。

 その上で、型枠を製造し、長さが10mもあるプラスクリート杭を5m間隔で400本、掘り下げた窪地に打ち込んだ。


 プラスクリート杭は概ね元の地表面から20センチ下になるまで打ち込み、掘り下げた矩形の穴の中にプラスクリートを昼夜兼行で流し込む。

 非常に粘性の低い液であるので、どんどん広がり、概ね底から1mの深さになると、一旦流し込みを中止し、固形化するのを待ってから、こんどは土砂を1m埋め戻し、可能な範囲で地ならしと重量をかける。


 さらにもう2度プラスクリートと土砂で覆うと500m四方の平面が出来あがった。

 そこに特殊な工具で深さ1mの穴を多数空け、エルニット鋼材で大きな工場の枠組みを作り上げてゆく。


 エルニット鋼材は軽く作業もしやすかった上に、坂崎から貸し与えられた機材は取り扱いが極めて容易だったので、工事は順調に進み、2週間で幅100m、長さ300mの工場三棟が完成したのは年末であった。

 高床式の工場であり、本来の地上から1mほどのところに工場の床面があった。


 この床も、壁も全てエルニット鋼材であり、天井にはチタンの変異体である透明な板が使われていた。

 厚さが僅かに2ミリほどのものであるが、本来のチタンで言えば100ミリの厚さを持っているに等しい強度を持っている。


 砲弾が当たっても貫通しないはずのガラスである。

 或る時、工事中の職人が20mの高さから、このガラスを誤って落としてしまったが、ガラスは割れもせず、床にも何の傷もつかなかったことから、建設業者が驚いていたぐらいである。


 そうして年明けの1月6日からは、仁十久町公民館で高校卒業見込みの応募者の面接が開始された。

 応募者総数は、2500名を超えていた。


 この人数は、大きな高校の2校から3校分くらいの人数は十分にあるだろう。

 地元である仁十久高校の在校生が300人足らずであることから、斗割管内全ての高校から応募者が来たと言っても過言ではないはずだ。


 但し、応対する方は大変だった。

 二人一組で行うのだが、津久井夫妻も出馬願っての面接である。


 一度に出来るのは、4名だけ、1名10分としても1時間24名、朝8時から始めて、休憩1時間を挟んだ夕方5時まで8時間の間に192名が限度である。

 当初1月6日から5日間の予定であった公民館の借り出しは15日間に伸びてしまった。


 それでも1月21日には何とか面接をやり終えたのだった。

 面接の受け答えはさほど重要では無かった。


 一人ずつモニターでそのオーラを確認して行くだけの作業であったからである。

 採点は自動的に機械がやってくれている。


 最終的に初年度は82名の者を採用することにした。

 2月1日にその発表が、なされた。


 採用する者には採用通知を送る一方、合格者の受験番号を仁十久駅前の商工会議所掲示板に張り出したのである。

 そうして、2月半ばからは一般の募集に応じた者の面接を開始した。


 こちらの方は月曜と火曜を除く週5日、津久井・江崎夫妻と嘉子に高木が対応し、坂崎、誠一、直哉の三人は、工場の設備設定に掛かり始めていた。

 一般公募は3月半ばまでに25名の採用を行った。


 こちらの採用基準も同じくオーラであるが、高校生と異なり、順位ではなく最低レベルを設定し、それに満たない者は不採用であった。

 無論高校生にも一定の最低基準はあったのだが、一般採用の場合はそれがさらに引き上げられていたのである。


 北❆道に在住する者だけから募集したのであるが、約3000名の応募があったのである。

 2月に入って社宅入居者は次第に増えていた。


 既に6戸が埋まっている。

 三月の第四週は引っ越しラッシュである。


 最初の候補者40名のうち39名が採用を希望したが、1名だけは不慮の事故に遭って2月末に死亡していたのである。

 従って、既に入居している6名を除き、33名と一般採用の25名のうち半数が3月末までに引っ越しを終えた。


 残りの半数は取りあえず単身赴任で来て、落ち着いてから家族を呼び寄せると言うものであり、4月1日の入社式にはこれらの者は全員が仁十久の社宅に落ち着くことになる。

 一方、高校卒業生については、希望者には寮に入ってもらう。


 4棟の宿舎とは別に、年明けから二つの寮を建設していた。

 どちらも80名収容の寮であり、一方は女子寮、もう一つは男子寮である。


 このために寮母4名、賄い婦4名を雇っている。

 また、警備員20名、運転手4名も別枠で採用していた。


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