3ー20 事業の開始に向けて その七
順平達の荷物は至って少ない。
着る物などの身の回りの物と趣味で造ったものが多い。
5トンコンテナに半分くらいであろう。
その分家具は新調したものが既に邸に備えられている。
順平達の荷入れは1時間もかからずに終わり、東山家の荷入れが終わったのとほぼ同じ時刻に終わっていた。
少し遅くなった昼食を、国道沿いの蕎麦工場まで行って皆で食べることになった。
蕎麦の実演までする大きな平屋建ての蕎麦屋は多くの観光客が訪れる。
尤も、JRの仁十久駅から5キロほども離れており、付近にバス停も無いために、車が無いと中々来れない場所ではある。
昼食時も大分外れているのに、百人ほども入れる食堂は8分目ほども客が入っていた。
YAMATO-Ⅲで食べたこだわりの蕎麦には敵わないが、中々いい味の蕎麦であった。
嘉子は、食後一旦津久井邸まで戻って、翁と媼を送り、それから喜代美夫人とともにもみじ台に戻ったのである。
◇◇◇◇
その翌日、12日は嘉子が仁十久に住むようになって初めての週末だが、休みにはならなかった。
朝から駅前の仮事務所に誠一や直哉とともに詰めることになっていたのである。
8時49分着のスーパー❆おぞら1号を皮切りに午前中に8人の候補者が到着するのである。
8時49分の❆おぞら1号で来るのは一人だけ。
高木惣介36歳、里法呂にある北❆道大学の講師をしている男である。
独身であり、この男は最初から雇ってくれるなら必ず行くと言っていた男である。
雇用条件など一切聞かずに、食と住だけ与えられれば、給料なんかもらわなくてもいいぐらいだと言っていた豪傑である。
それほど坂崎を信奉しているようであり、坂崎に会わせて欲しいと言うのが唯一の条件だった。
誠一と嘉子が連れだって迎えに駅まで行った。
「SAKAZAKI」と銘打ったプラカードを持って嘉子が改札口の近くで立っていると、それらしき男が大きなリュックを背負って改札口から出てきた。
小男であり、余計に担いでいる荷物が大きく見える。
160センチを少し超えたぐらいの身長だと思われた。
「やぁ、確か篠塚さんでしたかね。
で、そちらは坂崎誠一さん?」
「はい、高木惣介さんですか?」
「はい、高木と申します。
お二人揃っているなら、どうやら間違いないようですね。
安心しました。」
「どういうことでしょうか?」
「いやぁ、先走って昨日のうちに辞職願を出し、アパートも引き払ってきたんです。
これで嘘だったら帰るところが無いんですよ。
あっはははっ。」
何とも豪快な男ではある。
確かに電話で雇うとは言ったが正式な契約もない状態である。
他の者は、取りあえず、確認と面接を受けようと言う人たちがほとんどであり、中には疑心暗鬼で暫くは様子見をしようと言う者も多いのだ。
第一、事業認可すら下りていないのであり、実際に雇用されるのはその後だと言っているのだから、普通はその時点で仕事を辞めたり、アパートを引き払ったりしないだろう。
夏場ならとも角、降雪のこの時期に野宿など出来るはずもないのだが・・・。
「男一人、何なんとでもなりますよ。」
高木はそう言って何も心配してはいないようだ。
取りあえずは、直哉が、もみじ台の坂崎邸まで送り届け、そこで義則が若干の話をすることになっている。
今日到着する9人は全員がその予定であり、少なくとも8人はその日のうちに仁十久を離れる予定である。
運転手は専ら直哉が勤めることになっている。
翌13日の日曜日は14名が訪問することになっている。
結局、高木は坂崎の家でしばらく居候をすることになった。
駅前に2軒旅館はあるが、坂崎が敢えて自宅に泊めたのである。
高木も車の運転ができたので、その日から運転手がもう一人増えたことになる。
そうして11月末までの間に38名の候補者が仁十久を訪れて行った。
そのうちの4名は年明け早々に仁十久に引っ越してくることになっている。
高木も中古車を買いこんで、社宅入居者第一号になったのは11月の末である。
そうして12月末になって、待望の事業認可が一つ下りた。
二酸化炭素を分離する機械の製造である。
試作品を斗割支庁に持ち込み、製造申請をしたのだが、工場を建造した時点、及び、製造第一号が入った時点で経❆産業省の係官と道庁職員が検査に入り、最終的に型式承認が行われれば、晴れて製造が開始できることになる。
12月からは、二手に分かれて、仁十久周辺の高校を片端から訪問することになった。
就職希望者の募集活動である。
就職指導の先生に会ってパンフレットを渡してくるのだが、何処でも非常に好意的である。
北❆道は不景気で就職希望者の半数は就職先が決まっていない状況だからである。
但し、慈善事業では無いのだから誰でも雇いますと言うわけには行かない。
特に時代の最先端を行く物の製造事業である。
相応の能力と覇気がないと続かないだろう。
その点も併せて担当の先生には説明しておいた。
そうして再来年以降も募集は継続して行うつもりである旨を付け加えている。
就職担当の先生にとっては非常に嬉しい話であったらしい。
これまで募集を行っていた企業が軒並み採用を手控えているので、本当に就職口が無い状態だからである。




