3ー1 今後の予定
その紙袋を部屋に引き入れ、篠塚は居間へ向かった。
篠塚が動ける場所は、自室と居間しかないからである。
居間に入ると、三人ソファに座って待っていた。
五郎と花子も飼い主の傍でまどろんでいる。
「ありがとうございました。
支局長にも連絡がつきましたし、衣類の方も遠慮なく使わせていただきます。」
「ところで、篠塚君は、夕食はまだだろうが、我が家の夕食は少し遅れる。
実のところ光速に近づいた性で、体内時計の方は精々午後の三時か四時頃なんだ。
もう少し待ってくれるかな。
9時には夕食にするが、それまでは、何か聞きたいことが有ればお答えしよう。
もっともワイフは、食事の用意で8時半には抜けるがね。」
「わかりました。
じゃ、8時半まであと1時間ほどですね。
食事の用意は手伝わせて下さい。
私は単なる居候ですから少しはお役に立ちたいので。」
「居候だなんて、そんなことは考えなくてもいいのですよ。
せっかく地上に戻っても、外に出られないところを一緒に過ごしてくれるお客さんがいらして下さるだけでいいのですから。
それに、今日の夕食は蕎麦に天麩羅だけなんですのよ。
あら、そう言えば、蕎麦でよかったかしら。
お蕎麦アレルギーの人もいるそうですけれど。」
「はい、私は大丈夫です。
私の田舎は信州でも蕎麦どころなんです。
那珂乃市利賀串と言うところです。」
「利賀串、あぁ、結構山深いところだよね。」
坂崎にそう言われて、篠塚は苦笑した。
「はい、確かに、那珂乃市と言うのがちょっとおこがましいような山の中です。
でも、蕎麦ができるにはいいところなんです。」
「うん、確かに利賀串の蕎麦は全国的にも有名だね。
じゃぁ、なおのこと是非とも我が家の蕎麦も食べて行って欲しいな。」
「あら、では手打ち蕎麦ですか?」
「そう、そば粉は地物だ。
蕎麦の実を挽くところからやってもいいのだが、手間がかかりすぎる。
今年の新蕎麦の味を利賀串の味と比べてみるのもいいだろう。」
「蕎麦を打ったのはどなたですか。」
「ほとんど誠一が打った。
誠一も中々上手になったが、美味い蕎麦を造るには最後の一工夫がいる。
そこが出来たら蕎麦屋をやっても大丈夫だろう。
今日それを教えておいたから、多分、次は一人で仕上げられるだろう。
なぁ、誠一。」
「オヤジさんの打つ蕎麦は玄人裸足ですよ。
蕎麦粉の湿度管理や温度管理、それに水管理がしっかりしているから、まず失敗は無いのだけれど、それでも僅かの変化にきちんと対応する。
ここみたいに温度変化の余りないところなら僕でも大丈夫だけれど、四季の温度の移り変わり、水の温度変化や硬水・軟水の使い分けで随分味の差が出てしまう。
まだどこに行っても同じ味を出せると言うわけには行かないんですよ。」
頭を掻きながら誠一が答えた。
「おやおや、それは本当にすごいお蕎麦みたいですね。
でもそんなに水や温度管理をしなければいけないものなんですか。
田舎ではさほど気を使っているように見えませんでしたけれど。」
「いやいや、目に見えないところで職人さんは気配りをしているよ。
蕎麦の打ち方、水の分量、ゆで時間、全てが経験と勘でやっているけれど、それが大事なんだ。
美味しいと言われるところはいつでも同じ品質で蕎麦を出せるが、そうではないところは出来あがりにばらつきがある。
本当に蕎麦を好きな人はもりそばだけで味を見るからね。
蕎麦とつゆの味がもろに出てしまう。
つゆも大事なものなんだが、それを大事にしないところは評判が悪いはずだ。老舗と呼ばれる店は頑固なまでに伝統の造り方を守っている。
篠塚君はかえしというのを知っているかね?」
「ええ、確か・・、蕎麦つゆを造るときに出汁と混ぜる造り置きの調味料をそう言うのではなかったでしょうか?」
「うーん、調味料というと語弊があるが、醤油とみりんと砂糖を混ぜ合わせたものだ。
熱を加えず熟成させる生かえしと、熱を加えて熟成させる本かえしがある。
家では、生かえしを使っている。
雷門近くの藪蕎麦さんに教えてもらい、独自の製法を加えた三年ものだが、いい味に仕上がっているはずだ。
ただ、好みは人によって違う。
君に合うといいのだがね。
もり蕎麦とかけ蕎麦どちらがいいかな?」
「もり蕎麦をいただけるでしょうか。」
坂崎は小さく頷いた。
室内は空調が効いている。
暑くもなく寒くもない状態である。
外から入ってすぐならば熱い蕎麦が欲しかったように思うが、今は蕎麦本来の味を食べたいと思っていたからだ。
「で、質問は無いのかな。
まぁ、5日もあるから急がなくても構わないが・・・。」
「いいえ、たくさんあります。
でも正直言って何から聞いたら言いかわからないんです。
やっぱり、最初からお聞きしなければなりませんよね。
この1カ月ほどの間、毎日それほどの時間では無いけれどいろいろ御伺いしたのに、未だによくわかっていない部分が多いんです。
坂崎さんは、このYAMATO-Ⅲで培った技術をいずれ世に出そうとしていらっしゃる。
でも、その時期はいつなのでしょう。
また、どのようにしてされる予定ですか?」




