2ー18 新たな通信機の配分
そうして、ロッシーアのプーシキン首相との約束事は、それから丸々1日経って、NFK宇部広支局の古谷に依頼という形でやってきた。
宇部広にある貸倉庫業者に全部で200個の通信装置が保管してあると言うのである。
それを、国際連合の日本事務局に連絡して預けて欲しいと言うのである。
貸倉庫の鍵は、宇部広支局の公用車であるカムリの後部トランクに装備されているスペアタイヤの下に関係書類と共においてあるそうで、それを持って行けば業者も了解してくれると言う。
また、その御駄賃代わりに、NFKには更に1台通信装置を追加してくれると言うのである。
これは願ったりかなったりであった。
実のところ宇部広支局だけではパンクしかけている。
その一台を東京の本局に送れば、少なくとも幾分かは余裕ができることになるからだ。
古谷は、頼まれれば断れない性分である。
早速に倉庫の確認をし、その上で国連事務局在日事務所と連絡を取ったのである。
但し、正確には国連事務局の駐日事務所と言うのは存在しない。
国連の下部機関であるUNDP事務所、ILO事務所それに難民高等弁務官事務所があるだけである。
坂崎はILO駐日事務所の所長アンリ・ジェベッタ氏と面識があるようで、そこと連絡を取って欲しいと言ったのである。
古谷が電話をかけるとすぐにアンリ所長は了解し、ニューヨーク国連事務局と連絡をとり、そこからさらに古谷へ電話がかかってきた。
相手は、国連事務局の日本人スタッフ安藤課長であった。
国連事務局は、直ちに倉庫内の200台の通信装置を取りあえず東京にあるUNDPの倉庫に輸送させるように手配をしてくれた。
ILOも難民高等弁務官も左程の空き部屋は無かったが、UNDP事務所だけは、200台分の通信装置を受け入れることのできるスペースを持っていたからであった。
その上で国連事務局からの指示で、UNDP職員が一台の通信装置を開けて、坂崎と直接連絡を取り、仕分けのための協議を行いながら、配分を始めたのである。
協議の結果、通信端末は国連加盟の人口が二千万人を超える国の政府全てに配分されることになった。
但し、北朝鮮及びイランなど国連から何らかの制裁を受けている一部の国家は除かれていた。
一方、ロッシーア首相の要望に答えて、人工衛星を打ち上げる能力のある国にも追加配分を行い、同時に世界的に有名な天文学研究機関や航空宇宙研究機関に対しても配分を行った。
同時に、更に余剰が有った場合には、仁十久の小学校、中学校、高等学校にも配分をさせ、さらに余った装置は東京のNFKが保管することになったのである。
NFKに2台の最終余剰分が届く頃には、東京と宇部広で二人三脚体制が軌道に乗っており、古谷も漸く一息つける状態になっていた。
その頃、YAMATO-Ⅲは既に木星から出発しており、光速の25%にまで速力を上げつつあった。
YAMATO-Ⅲが月を出発してから射出した探査機は既に4基となり、地球の衛星軌道に乗っているものと月衛星軌道上に有るものを含めて6基となっている。
金星に探査機が届いたのはYAMATO-Ⅲが木星に到着する2日前であったし、火星の映像が入り始めたのはその1日後、更に半日遅れて水星とアステロイドベルトの映像が入り始めた。
これまでの米ロの探査機と比べると雲泥の差がある鮮明な画像はそれだけで人々を画面に釘づけにした。
連日、天文学の研究者が各報道局に呼ばれて解説を行っているが、新発見が続くとともにより謎も深まって行く状況である。
YAMATO-Ⅲが木星の衛星軌道に乗った時には、これら6つの探査機から膨大なデータが送られてきており、種子島宇宙センターのデータベースは再構築を迫られていた。
数百テラバイトを超える容量のデータサーバーのうち80%以上をそのデータが占めるようになっていたからであり、技術者は1週間と持たずにパンクすると予想していた。
種子島宇宙センターはなけなしの予算を使ってデータサーバーの容量を一挙に10倍に増やすことになった。
YAMATO-Ⅲの計画では木星で12基、更に土星用に12基の探査機を打ち出す予定であり、これまでの3倍以上のデータが送られてくる可能性が高いからであった。
木星と土星にはそれぞれ60個を超える衛星が確認されている。
名の知れた衛星はそれぞれ10個を超えることもないが、探査機はそれぞれの衛星をしらみつぶしに探査し、データを送り続けることになる予定なのだ。
土星及びその衛星、並びに、木星及びその衛星探査に要する時間は概ね半年であり、その間に探査機から送りだされる探査データは10エクサバイトに達する見込みと坂崎が通知してきている。
因みに1エクサバイトは、1000テラバイトであり、1テラバイトのHDDが1万台必要となることになる。
◇◇ 続く ◇◇




