8.受勲式の裏で
ナタリアはなにも毎日武器屋に入り浸っているわけではない。いつもは家で、商店に関する書類仕事をしている。あるいは庭で運動をしていたり。
武器屋を訪れるのは、基本的には鎧のメンテナンス、修理や改良のためだ。それが大体週に一度。メンテナンスにしては明らかに呼び出される頻度が高いのは、親方の気遣いゆえである。用がなければ中々外出をしないナタリアに、名目を与えてくれているのだ。
シュテルと仲良くなってからは尚更頻繁に鎧の改良を告げられた。理由など言うまでもないだろう。
ナタリアには親しい人間が少ない。
両親含む一部の身内と、親方を含む武器屋の面々。屋敷で働く数人のメイドや執事等の使用人。
以上だ。友人など一人もいない――いなかった。シュテルという貴重な一人を思い浮かべて口元が緩んだが、どうにか堪えて書類に向かう。
子供のことを大切にする良識のある大人が、流れ星を纏うナタリアに子供を近寄らせるはずがない。だから同年代の子とはおよそ話をしたことがなかったし、近しい層も全滅だった。
大人だって流れ星は怖いから、わざわざナタリアに近づいたりはしない。
流れ星による利益を求めてきた大人は、当の流れ星が撃退した。お前のせいで怪我をした。そう怒鳴り散らした人を退けたのは、皮肉にもナタリアを忌避する人たちだった。危険とわかっていて近づいたんだから自業自得だと彼らは言った。
あるとき多くの怪我人が出たことで、親族ですらナタリアを怖がるようになった。リーン家の財力目当てに擦り寄ってきた傍流の猛者は一応いたのだが、こちらもやはり怪我をして退いた。
屋敷で働く人も、ナタリアを恐れて辞めてしまった。それでもリーン家に恩があって残ってくれたり、後から雇った中に肝の太い人がいたりして、そういう人たちはあまり気にせずよくしてくれる。
年齢的には祖父だが、第二の親と言っても過言ではない親方は、もっとナタリアに親しい人をつくりたいのだろう。
なんだかんだと怒鳴りあったりしているけれど、親方はシュテルのことがとても好きだ。そうでなければ、出て行けと怒鳴って、蹴り出して、それで終わりである。本人に言えば嫌そうに否定するだろうけれど。
ナタリアのことを大切にしてくれる親方は、信頼するシュテルとの関わりを深めようと何度も会わせているのだと思う。離れてしまっても、そこで終わりにならないように。
「……もう、終わったかしら」
書類から顔を上げて時計を見る。
今日は赤竜討伐の受勲式だった。大々的に行われる式典は、城の前の大広場で行われる。
貴族だろうと平民だろうと誰でも見に行けるのだけれど、当然人ごみの中にナタリアが行けるはずがない。
父は仕事だが、母は話のタネにするため出かけて行った。帰ってきたら式典の様子を教えてくれると言っていたから楽しみだ。
……楽しみだ。本当に。
「ああー!」
本当なのだ、楽しみなのは! 想像するだけでワクワクするし、どんなふうだったかを早く聞きたいと思っている!
でも。
「私も見たかったよぉ」
書きかけの書類の上に突っ伏して、湿った声で小さくぼやいた。
見たかった。華やかに飾られた大広場や、明るい顔で見守る人々。仲良くなった騎士やシュテルが栄誉を賜る瞬間を。
正装のシュテルはどれほど見栄えがするだろう。王の前で、彼はどうやって喋るのだろう。慣れない正装で、慣れない言葉遣いで、慣れない礼を取る彼を、ナタリアは想像もできない。母から話を聞いたって実際の彼には届かない。
ただ、この目で見られないことに少しだけ安堵してもいる。正装で王の前に立つ彼は普段とはきっと大違いで、辺境伯子息かつ英雄という身分にふさわしいに佇まいであるに違いない。男爵家の娘などと並んで、敬語も使われずに喋るなど、とてもとても考えられないくらいには。
深く溜息を吐いて、集中できなくなった仕事から目を逸らした。ゴソゴソと机の引き出しを漁り、シュテルから貰った菓子を取り出す。
あんまりたくさんくれるので、仕事机の引き出しのひとつは菓子入れと化してしまった。可愛らしい入れ物は部屋に保管してある。食べても食べても減らないし、容器は増える一方なので、そろそろシュテルを止めるべきか迷っている。
最近のシュテルは、以前にも増してナタリアに甘くなったように思う。隙あらば甘やかそうとするし、少しでも何かを欲しがると次に会うときには携えてくる。
例えば先程まで握っていた、新しいペンがそうだ。
確かに仕事用のペンが古くなってきたとは言った。小鳥のレリーフが可愛らしい素敵なペンを店に仕入れたとも言ったが、買ってくれというニュアンスを滲ませたつもりはないし、まだ使えるからその内とも続けたはずだ。でも彼は笑顔で差し出してきた。
可愛いとは言えない値段をしたペンだから、ナタリアは一度、受け取るのを遠慮した。そうしたら彼はいけしゃあしゃあと言うのだ。俺は書類仕事をしないから自分じゃ使わないし、このペンの模様が好きそうな妹はペンを武器だと思い込んでいるような山猿だから使いこなせないと。
どんな妹なのか物凄く気になったが、インクの代わりに血で文字を書く道具になるぞと理解不能な脅し――脅しだろうか? それすらもわからない圧に押されたら、受け取らざるを得なかった。
嬉しいような申し訳ないような微妙な気持ちで帰宅したら、こっちにねだって欲しかったと父に泣かれてどうしようかと思った。
ペン以外にも色々とプレゼントを貰っている。無難なものだとリボンや栞、花。変わったものだと、防犯の魔道具や鎧の手入れ道具、木彫りのサラマンダーに、綺麗な鳥の羽、魔物の核、綺麗な石。
後半、微妙に既視感がある贈り物たちは、全て大事にとってある。でもどうしてそういうチョイスになったのか。いや、なんとなくわかる。恐らく彼の弟妹が喜ぶものなのだ。
淑女に渡すものじゃないと怒ってもいいのだが、反面、野性味溢れるそれらを見ると心が和む。立派な肩書があれど、彼はそういうどうしようもないところのある人だと実感できた。
「でも、やっぱりちょっと貰いすぎだわ」
文鎮がわりに使っている木製サラマンダーを指先で突いて、何か返せるものはないかと思案する。流れ星を思い返して、彼が喜びそうなものを探した。
そうだ、と腰を上げる。前に親方が鎧に使えそうだと言っていた大きな鉱物。あれをシュテルの鎧だか武器だかにできないだろうか。
思い立ったが吉日と部屋を――飛び出そうかと思ったが、仕事を放棄していくことはできない。
隙間の時間で慌ただしくするよりは、明日の分も終わらせて悠々と親方に提案しよう。
貰ったペンを握ると気合いが入る。滑らかなペン先を走らせて、ナタリアはバリバリと積まれた書類を片付けた。