7.夢を語る
リーン家では、シュテルのことがよく話題に上がる。ナタリアにはそれ以外に目新しい話題がないし、ナタリアが友達の話をすると両親がとても喜んでくれるから、ついつい話を振ってしまうのだ。
ちなみに先日騒ぎを起こしてしまったことも報告してある。リーン家は商売で鳴らす家なので、娘の不始末で評判を下げたら、様々な方面に迷惑をかける可能性があった。
「ただの娘が道を歩いて怒られる道理などないよ。気にしないでいい」
鷹揚に笑われて終わったから、恐らく大丈夫だったのだろう。と、思いたい。
「でね、今日はドラゴンを倒したときのお話を聞いたんだけど、親方が素材の剥ぎ取り方が悪いって怒って、シュテルがじゃあ自分で倒せって、その、親方の悪口を言ってね」
「どう言ったの?」
「じじいは不味そうだから、きっと噛みつかれなくて楽勝だぞって」
「まあ、ふふ、悪いお口」
「現場仕込みって感じだなあ。魔物の多い土地の人は言葉が直接的で面白い。ギベオール家の長子は腹芸が得意みたいだけれど」
「跡継ぎの方は権謀術数に長けていないといけないもの。役割分担ができていて素晴らしいわ」
夕食後は居間でくつろぐ家族の時間だ。
興味深い話に身を乗り出した。
「詳しいの?」
「元々それなりにはね」
にこりと笑う顔に察する。これは多分、確かに元々詳しかったのだろうけれど、最近追加で調べたに違いない。
「娘と仲良くしてくれる方の家のことだ。詳しくないなど逆に失礼に当たるよ」
「そうよ。習慣の違いなどもありますからね」
そう言って分け与えられた知識によれば、ギベオール辺境伯領とは、思った以上に過酷な土地らしかった。
魔物が土地を荒らすのは日常茶飯事。農家が毎日畑仕事に精を出すように、騎士は毎日魔物を討伐しに出かけるらしい。人里近くに現れた魔物を撃退し、巣をつくらないように対策をする。人を襲わない温厚な魔物であれば共棲し、小物を追い払わせることもあるという。
何かを始めようにも土地を荒らされがちなため産業はあまり発展しておらず、基本的には収入源は魔物の素材。魔物のせいで発展が遅れるのに魔物のおかげで稼げるのだから、なんとも皮肉な話である。
それだけ魔物が多いので、武力を生業にしていなくとも、老若男女を問わずおよその人が戦わざるを得ない。強い者が求められるため、魔法を使える者は引く手あまた。それゆえ遺伝的に魔法を使える者が多く、魔法技術が発達しているのだとか。王都では魔法が使えることはそれほどステータスとならないから驚いた。
ギベオール辺境伯家は、そんなつわものの中でも跳び抜けた剛の者である。なにせ、火と再生を司る、少々ご気性の荒い我らが国の主神フィーニが、その強さゆえに加護を与えたほどの家だ。
家の紋章は、力を示す赤の紋地に鋼の剣。代々武に優れ、実力で魔物討伐部隊のトップに立っている。灰色を鋼色と呼ぶほどに剣に重きを置いており、鋼色の目は剣の申し子と期待を受ける。「鋼のよう」は最大の賛辞で、だから初対面のシュテルは礼を述べたのかと得心がいった。
魔物討伐部隊の隊長は家柄に関係なく、常に「一番強い者」であるらしい。
「じゃあシュテルは辺境伯領で一番強いのね」
「うん。他のご兄弟も一流らしいが、シュテル様は群を抜いているようだよ。土地の精霊とも仲がよくて、守りの連携も素晴らしいって」
「頼りがいのある方ねえ。お顔もいいし、声もいい。ナタリアから聞く限り、お人柄もよろしいというのだから、領地でも人気でしょう」
二人の大絶賛に、友人として誇らしい気持ちになりながらも少々胸が疼いた。
そりゃあ人気があるだろう。性格がよく身分がよく、腕っぷし強くビジュアルもいいだなんて、まるで物語の人物みたいだ。ナタリアとは大違い。
「……そういえば言ったっけ? シュテル、お店に来てくれるって」
水を向けると、にーっこりと満面の笑みを向けられた。
「明日よ」
「え?」
「明日、おみえになるそうだ」
「……そうなの?」
全く聞いていないが。ナタリアに内緒のまま、英雄殿は薄情にも来店を決めていたのか。いや、別に許可を取る必要性など全くないのだけれど。
とはいえ明日は周辺の店がセールを行う日なので客足が見込めない。シュテルが訪れるには丁度いいだろう。
いささか納得いかない気分のまま黙り込むナタリアを、両親は微笑ましそうに見守った。
翌日。
「ほらナタリア、不貞腐れてないでオシャレをしなさいな!」
「は、え、なんで?」
侍女と共に母からの襲撃を受けて飛び起きた。日が昇ったばかりの時間。不貞腐れて寝ているのではなく、普通に寝ていたのだから人聞きが悪い。
「お肌も髪も、ご自分の手だけでお手入れされているとは思えないほど綺麗に保たれてらっしゃいますね。ああ、私にも手伝わせていただければ輝くほどにいたしますのに!」
「もう一人くらい信頼できる侍女を雇えるといいわねえ」
「その際には是非私をお嬢様のお付きにさせてくださいね」
「あら、私より娘がよくて?」
「意地悪を仰るご主人ですこと」
普段自分でしているより、随分念入りに手入れをされた。
いつもより濃いめに化粧を施され、髪を纏め、鎧を纏い。
「さあ、行きましょう!」
テンション高く連れ出された。
支度を終えても時間はまだまだ早い。人通りはほとんどなく、馬車は日中とは大違いに静かな道をスムーズに進んだ。
辿り着いたのは、一度も足を運んだことはないけれど、隅々までよく知る店だった。
「お、来たな」
「おはよう、ナタリア。ああ、鎧は脱いでしまいなさい。動きにくいだろう」
言葉を失って店内を見回す。夢にまで見たリーン家の大店だった。
清潔で明るい店内。じっくり見ていたら一日では終わらなさそうな膨大な棚。品の数は恐ろしく多いのに、綺麗に整頓されているからゴチャゴチャしているようには見えない。
店の中には誰もいなかった。本来は待機しているべきたくさんの店員でさえも。
ふいに兜を取られる。開けた視界で手を追うと、鋼色が満足そうに輝いていた。
「今日は俺の貸し切りだ。人がいたら面倒だからな」
「客が少ない日に貸し切れないか交渉にいらしてね」
「驚かせたいからナタリアには内緒でって、可愛らしいことを仰るのよ!」
……思い返してみると、母はシュテルの声を褒めていたような気がする。なるほど、そういう裏話があったのか。
目を据わらせて睨み上げれば、シュテルはしてやったりと言わんばかりの憎らしい顔で笑う。
「土産選び、オトモダチならつきあってくれるだろ?」
「……いいわ、たくさん買わせて、破産させてあげるから!」
念願の店を見る機会をくれてありがとうと言うべきところでつい意地を張ってしまったら、皆が皆一様に微笑ましそうな顔をするものだから、余計に素直になれなくなった。
咳払いをして心を落ち着ける。多少は顔が赤いかもしれないが、いつもより濃い化粧のせいにしてしまえるはずだ。
「ま、まずは何から見たいの?」
「そうだな」
窓も扉も締め切った静かな店内で、穏やかに声を交わす。
店の中を見たことはないが、店のことはよく知っている。何度も何度も見た間取り図や商品配置図。想像をするしかできなかった場所は、夢想した以上にずっと素敵だった。
言われる通り案内をして、おすすめの商品を紹介する。いい商品は自分でも使ったことがあるから言葉に淀みない。
化粧品の類は最たるものだ。
「ビヨウエキとかリクエストされたって、俺にわかるわけないだろっつうな……」
「男性には馴染みがないだろうし、難しいわよね。売れ筋はこの辺りよ」
オシャレに関心があるなら、ついでにヘアケア用品なども喜ばれるかもしれない。辺境伯領は魔物の多さゆえに物資の安定供給が難しいようだから、あまり嵩張らないで長く使えるものがいいだろう。
どれがいいかなと選んでいると、商品の物色を諦めてこちらを見ていたシュテルに頬をつつかれた。
突然の暴挙に対応できない。戸惑うナタリアの頬を、更にゆるく摘ままれる。
「なあ、お前が使ってるやつどれだ?」
「こちらですわ」
娘が遊ばれているにも関わらず、母はにこやかにナタリア愛用の一式を指し示した。
「希少な素材を使っておりますので少々お値段は張りますが、効果は折り紙つきですよ。よろしければこちらもいかがでしょう。美しい肌と美しい髪は淑女の憧れなのです」
「あの山猿が淑女になるならいくらでも出すぞ。じゃあ一式くれ。消費が激しそうなのは多めに頼む」
「かしこまりました」
「あと、以前ナタリアに貰った傷薬ってあるか? あったら買えるだけ欲しい」
「希少品なので在庫はあまり。お値段は……お値引きしてもこのくらい」
「げ、マジか……ああ、いや、そんでもいいや。めちゃくちゃよく効いたし、安いもんだ」
妹を山猿扱いした男は、話しながらもムニムニムニムニと頬を弄ぶ手を止めない。シュテルが紳士ではないから下の子が真似るのではなかろうか。
痛くはないが、段々とむず痒い気持ちになってきた。見下ろされ続けるのが気恥ずかしい。わざと怒った顔をつくって睨みつける。
「ちょっと、お化粧が落ちちゃう!」
「んー、そういやいつもと顔違うか?」
「何その適当な見方! お化粧は女の鎧なのよ。大事なの!」
「悪い悪い」
ナタリアの不満を代弁するかのように、シュテルの頭の上に木の葉がバサバサと降ってきた。
怯みに乗じて手を弾くと、今度は頭に伸びてくる。一応遠慮という言葉は知っているらしく、綺麗に結われた髪を乱さないよう指に絡めた。
「人の髪とか肌とか、あんま気にしたことなかったが……お前のは綺麗で触り心地がいいな」
んんっ、と父の咳払いが響いた。
「お次は何がよろしいですかな!」
わからないものは父が説明を変わってくれる。
「日持ちする菓子とか」
「こちらがおすすめですね。ちなみにナタリアはこれが好きで」
「私は関係ないんじゃ……」
「じゃあそれも。何個かそのまま貰ってくけど、あとは領地に送っといてくれ」
すすめられるままにあれもこれもと散財するから、本当に破産してしまうのではないかとヒヤヒヤしたが、考えてみたらシュテルは辺境伯子息だ。宝石などを片っ端から買うわけでもなし、これくらいはなんでもないらしい。
「お前って運動具にも詳しいのな」
「体を動かすのが好きで、色々試すの趣味なのよ」
「へえ。剣でも教えてやろうか?」
「重いから無理」
「確かに、フルメイルに加えては厳しそうだ。この腕の細さじゃな。筋トレしろ」
「してるのよ! 筋肉つかないの!」
つきすぎるのも嫌だけれど、全くつかないのは気にしているのだ。筋肉に不自由していないだろうこの男にはわからないだろうが。
「あー、弟の一人がそんな感じだな」
その弟もこうして煽られているのかと思うと、一方的に親近感が湧いた。ナタリアの代わりに強くなって見返してやってくれ。
とはいえ、本当にもう少し筋肉が欲しいとは思っている。スタイル的な問題で。細い棒のような足よりも、ほどほどに筋肉のついた足が理想なのである。
「……何か、効果的な筋肉のつけ方とか知ってる?」
「肉食え」
「お肉好きよ。いっぱい食べる方だと思うし」
父を見ると深く頷く。疑わしげに上から下まで観察されても、父と同じくらいに食べていることは紛れもない事実だ。運動が好きだから好きなだけ運動をするとお腹がすく。人間とはそういうふうにできている。
「筋肉つけてどうすんだ?」
「その方が綺麗じゃない」
「……鎧をつけてても?」
「鎧をつけてたって、私は女という性別を捨てたくはないわ」
胸を張ると、眩しいものを見たように彼の目が細められた。飛んでこないからかいに照れて視線を逸らす。
照れたついでとばかり、ナタリアは家族だけが知る秘密を小声で明かした。
「あのね、私の夢は、綺麗なドレスを着て、パーティーで踊ることなの。私、踊ることが大好きなのよ」
途端に翳る眼差しに肩を竦める。大方、先日の騒ぎを思い出したのだろう。
勿論、難しい夢だと理解している。きっとこの夢は叶わない。満足に外を歩くこともできないのに、物語のように煌びやかなパーティーなど出られようはずがなく、そこに立てるわけがない。国から出るなと言われたことはないが、それくらいはわきまえている。
……本音を言えば、諦めている。それでも夢を見ることだけは自由だ。
「だから、いつその機会が訪れてもいいように、私は私を整えておくの」
シュテルに暗い顔は似合わない。下がる手を取って礼を取る。まるでダンスを始めるように。
「ねえ、シュテル。今日はありがとう。私が喜ぶと、お父様もお母様も嬉しそうなの。私が我儘を言った方が喜んでくれることもあるのね」
すかさず皆に肯定された。
「私、少し我儘を増やそうと思うんだけど、シュテルにも我儘を言ってもいいかしら」
「ああ。なんだ?」
食い気味に問われて詰め寄られる。
軽く合わせた手をしっかりと取られて、その手の熱さに少し震えた。見下ろす目は鋼の色。見上げるナタリアの赤い目が映り込み、まるで熱された鋼のようだ。温度の高そうな赤い髪に彩られている。
――赤い流星、女神様。どうか私を、私のことを。
「あなたが領地に帰る前に、一度だけでいいから私と踊ってくれたら嬉しいわ」
「甘え下手め!」
勇気を込めたおねだりは、鋭い一喝で駄目出しされた。
「踊ってくれたら嬉しいじゃなく、踊ってくれって言うんだ、我儘ってのは!」
「ナタリア……他所の男性に我儘言うより先に、お父様に言って欲しかったよ……」
やり直しを迫るシュテルと拗ねる父に挟まれて、思わず声を上げて笑う。おまけに母まで参戦して収集がつかなくなった。
人通りがなくなる夜遅くまでひたすら店内を楽しんで、なぜだかシュテルはナタリアにまで金を使って。家に帰るのがこんなに名残惜しいと思うのは初めてだった。
部屋に戻って、コツンと鳴った音に瞬く。
「流れ星……」
ルビーの原石だろうか。シュテルを思わせる小さな赤い石を拾い上げて、手のひらの上で転がした。
「女神様は」
問いかけは、いつも通りに途中で途切れた。
まだ、勇気が出ない。言えない。会ったこともないあなたには。