5.失態
「よし、街に出ても問題なさそうだな」
装甲車での外出で、シュテルはそう断じた。
結局ココニャの実以外には流れ星が落ちることなく、道中にも降らず、どこにも当たることはなかった。
騎士たちはナタリアを恐れず気さくに声をかけてくれた。兜をつけたナタリアに向かって、馬車の窓ごしに見た顔が可愛かったとか、こんな華奢で小さいなんてギャップがどうとか褒めてくれて嬉しかった。
竜と戦った武勇に礼を言えば、照れてきゃあきゃあと声を上げる。なんでも領の女性は心身共に強いらしく、あまり武勇を褒めてはくれないらしい。
「でもコイツ、そんな嫁さんが大好きで」
「うるせー! お前の大好きな幼馴染だってぶっちぎりに強いだろ!」
「は? 俺の彼女が一番強いが?」
辺境領の騎士たちは、シュテルと同じく少年の心を忘れない人が多いようだ。大の大人とは思えぬ騒ぎようで、ほのぼのとした惚気話が青空の下繰り広げられた。
ただただ楽しい、夢のようなピクニックだった。
だから、ナタリアを取り巻く現実を忘れてしまったのかもしれない。
「うわっ」
シュテルと二人、初めて歩く道を行く。前から来た誰かがぎょっと目を見張り、動揺が伝染していく。ざわめきが大きくなり、雑踏が割れ、ナタリアのための道が開かれる。
戸惑う視線と、迷惑そうな顔。集まる注目にシュテルがたじろぐ。小さく聞こえる「どうして」の声。
「きゃあ!」
カン、と鋭い音を立てて、厄介事を見る目を投げていた人々の足元に石が落ちて砕けた。ざわりと恐怖の気配が広がる。石は誰にも当たってはいない。いないが。
そうだった、と甲冑の中で苦く笑った。シュテルが大丈夫だと言ってくれたって、流れ星という存在が変わったわけではない。
ナタリアが歩けば近くにはものが落ちる。理由なく大きな怪我に陥らせたことはなかったけれど、過去に人に当たったことがあるのは間違いない。建物の中にいるとき、ものを破損させるようにして流れ星が降ったことはなく、屋内で流れ星が人を傷つけたことも一度もないが、そんなことは近しい人しか知らないし、未来を確約するものでもない。
女神様からの贈り物だとナタリアは確信している。けれど神殿に保証して貰ったわけではないから、大多数の人にとってはただの落下物でしかない。なぜ女神がこうして恩寵を落とすのかもわからない。
当たり前の忌避だ。余計な場所に出かけないようにしていたのは理由があったのを忘れ、調子に乗った自分の考え足らずが迷惑をかけている。疑問の声はあれど罵倒の言葉が飛んでこないのは、感謝すべきことだった。
浮かれたナタリアの自爆に巻き込んでおいて、涙を流すのは勝手すぎるだろう。目に溜まった誰にも見えない水を堪え、浅く呼吸をして胸の痛みを払う。
「ごめん、なさい」
俯いてこぼした謝罪は、きっと小さすぎてどこにも届かなかった。
何倍も重くなったように感じる足を、引き摺るようにして反転させる。商店街だ。家よりは武器屋の方が近いだろうか。
「ナタリア、おい」
出かけて早々だがやたらと疲れてしまった。ひとまずどこかに腰を落ち着けたい。
「――大人げねんだよ、テメェら!」
背後でドスをきかせた怒声が上がったかと思えば、ふらつくナタリアの肩を支えるように腕が回った。力強く抱き寄せられて、いっそ運ばれているという勢いで歩くように促される。
「……悪かった」
「ううん、私が」
「頼むから」
冷たい鎧に体温が滲む。
「お前が謝るな」
懇願と言うに近しい声をナタリアに落とし、彼は足早に場を後にした。
歩きながら慰めるように背中や頭を手のひらが撫でる。そんなことをされたって、分厚い装甲越しなのだから伝わるはずがないのに。
けれど不思議と、体がほのかに温められたような気がした。噛み締めた唇が綻んで、強張る頬がじわりと緩む。寄り添ったままであっちへこっちへと誘導されていると、なんだかダンスでも踊っているみたいだと思う余裕まで生まれてきた。
途中、足を止めたことが一度。僅かな逡巡の後すぐに歩き出したので、何を気に留めたのかはわからなかった。
「親方、場所借りるぞ!」
「すいませ、水……ください……」
辿り着いた親方の武器屋。
大した距離ではなかったものの、やはり鎧のまま早足に駆けるのはつらい。ひいひいと息を荒げるナタリアに遅まきながら気づいたシュテルが、甲斐甲斐しく鎧を外してくれた。
兜を脱がせてたところで眉を下げる。荒れた武骨な指が伸びてきた。
「噛んだのか、血が出てる」
下唇を撫でる指先は、獣が子を労わって毛並を撫でるようだった。照れるよりも先に訪れた安心感に、緩やかに目を閉じる。涙を堪えられていてよかった。この上ナタリアが泣いていたら、更なる罪悪感を抱かせたはずだ。
「悪かった。本当に」
シュテルには多分「問題ない」と言えるだけの根拠があったのだろう。
辺境伯領は魔物はびこる地域と隣り合わせの危険な場所であるという。屈強な戦士が多い中でも、跳び抜けて強い者が所属する魔物討伐部隊。その隊長である英雄殿だから、危険に対する判断能力は当然高い。
でもそれは、あくまで魔物という危険そのものに対する能力だ。危険に怯える人へのフォローなど、はたして緊急性の高い魔物とのやりとりでならす彼らが主に立つものだろうか。
流れ星による事故は起きないと判断した。でも、安全性に問題がなくとも、その安全性の周知はできていないため、人々にはそれがわからない。
ナタリアは長年をかけて周囲からの目を理解していたのだから、シュテルの提案に否を唱えなければいけなかった。
シュテルは謝るなと言うが、それは紛れもない事実なのである。
現金なものだ。ついたばかりの傷は、シュテルに労わられただけですっかり治ってしまった。皆に迷惑をかけたのは大変申し訳なかったが、落ち込んでいてもなかったことになるものではない。
晴れた思考で次は気をつけようと切り替えたナタリアは、立派な毛並を萎れさせた男に頭を下げた。
「私もね、全部任せてないで、確認しないといけなかった。ごめんなさい」
「謝るなって……!」
「あなたは凄い人だけど、私の上司じゃないし、保護者でもない」
はっきりと告げれば、彼は鼻白んだ。
「保護者のつもりだった?」
「……新しくできた妹、みたいな」
まあ、そんなものではないかと思っていた。だから距離が近いし、接触が多い。隙あらば菓子を与えようとするのも、恐らく妹扱いの一環だ。
ギデオール家は兄弟が多いことでも有名だから、シュテルの面倒見のよさはそこで培われたものなのだろう。
悪い気はしない。ナタリアはにこりと笑った。
「そう。嬉しいわ。けど、妹みたいでも妹じゃない。血の繋がりがない他人なの」
「他人……」
「その上で、私はあなたと……と、友達になりたいと思うんだけど、シュテルはどう思う?」
「友達……」
目が揺れるのを黙って見守る。
正直、友達というのもなんか違うな、とはナタリアも思う。ナタリアが17歳で、シュテルは21歳。彼は現状、例えるなら近所のお兄さんだ。近所のお兄さんは兄ではないが、あくまで近所のお兄さんであって友達とは言わない。
でも、近所のお兄さんとはやはり他人なのである。成長の過程でいつの間にかフェードアウトする関係性。早めにどこかに収めて置かなければ、せっかく知り合った彼は「知人」といういまいち遠い枠に分類されてしまう。
頷けと圧をかけてじっと見詰めると、やがて小さな頷きが返ってきた。
「シュテルの方が年上だから、リードしなきゃって思ってくれるのはわかるのよ。でも、友達なら任せ切りじゃいけないわ。私はあなたが引っ張ってくれるままついて行っただけだった。ここへ行きたい、どうしようかって一緒に相談して決めた方が、ずっと友達っぽいと思うでしょ? だから、次はそうしましょう」
続けざまに畳みかけたナタリアに、気が抜けたようにシュテルは肩を落とした。
「お前、俺よりよっぽどしっかりしてるな……」
「たりめーだ、間抜け坊主!」
「いってェッ!」
バチンと凄い破裂音がした。痛いだろう。音の発生源たるシュテルの背中には、綺麗な花が咲いたに違いない。
よろめく英雄の大きな体の向こう側から、鬼の顔をした親方が現れた。弟子を叱るときの顔が柔和に見えるほどだ。
思わず数歩下がると、声をかけるタイミングを計っていたらしい店員が水を渡してくれた。促されるままに椅子に座る。ついでのように、膝の上にサラマンダーを置かれた。
乾いたのどと疲れた体に冷たい水が染み入るなあ。膝は温かくて、見上げるつぶらな瞳が愛らしい。頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めた。
視界の中、鬼が全力で怒鳴っていなければ、とても休まる長閑な時間であったはず。
「この鼻たれ、よりによって嬢ちゃん連れてトチりやがって! 失敗すんなら単身魔物と戦っとるときにせんか! テメェの皮膚より嬢ちゃんの心の方が億万倍繊細なんだぞ! わかっとんのか!?」
「うるせえジジイ、わかってるよ! 人が反省してるところに横やり入れてくんじゃねえ!」
「反省しとるポーズならサルでもできる! オラッ、膝ついて頭下げんかこの野生児!」
「ハンマー打ち鳴らすの止めろ、大事な嬢ちゃんの鼓膜が破れるぞ! 俺らはクソジジイと違って耳遠くねーんだよ!」
「ンだとコラクソガキ、その耳ぶっ壊してやろうか!」
「あァ? いい加減にしねえとこっちも反撃すっぞ老いぼれ!」
「やれるモンならやってみろ頭カチ割ったらァ!」
「お水もう一杯いりますか?」
「あ、お願いします」
「あと、兜いります? うるさいし見苦しいでしょ」
「ううん、それは平気。ありがとう」
シュテルが辺境伯子息の割に口が悪いのは知っていたが、あれでも大人しくしていた方だったらしい。
親方の罵声がヒートアップするにつれ、どんどんガラが悪くなっていく。舌の巻き方が似ている気もするから、もしかしたら幼き日のシュテルに親方の口調がうつったりした結果なのかもしれない。
初めて耳にする剣幕だが、なんだかそう考えると親子喧嘩みたいで微笑ましく見えてきた。
「あのやりとり、怖くないです」
「全然」
そもそも、親方はナタリアを心配してくれているからこんなに怒ってしまっているのだ。怖いよりも嬉しいし、温かい。シュテルには災難なことだが。
「親方、大丈夫よ」
あわや刃傷沙汰というところで、ナタリアは柔らかに口を挟んだ。額を突き合わせた二人の目が、ぐるりと勢いよくこちらを見る。
「私のことはいつも親方の鎧が守ってくれてるんだもの。これは心だって守ってくれる凄い鎧なんだから」
ゴルゲットに刻まれた、女神の化身たる優美な鳥の意匠を指先で撫でる。
親方は細工の腕だって超一流だけれど、実用性重視の人なので、本来は頼まれたって見た目飾りに時間をかけたりはしてくれない。でもナタリアの鎧は特別だ。実用から見た目まで拘った、親方の全てを注ぎ込んでくれた鎧。流れ星からだけじゃない、ナタリアの全てを守ってくれる、本当に凄い鎧なのだ。
「フンッ、若造がァ」
「くそ……見てろよジジイめ……」
微笑むナタリアに、親方はなぜか勝ち誇ったような顔をして、シュテルは妙に悔しそうな顔をした。